第7話「さよなら」③
夢を見た。
とてもとても、楽しい夢だった。
「お父さん、ミミさん。ただいまっ!」
わたしが扉を開けると、黒髪に黒い瞳の女性――ミミさんが迎えてくれた。
「おかえりなさい、ナナミちゃん。今日はどこまで行ってきたの?」
「わたしの畑の様子を見てきて、それから丘の上の菜の花畑まで。だからちょっと遅くなっちゃった」
わたしは靴を脱ぐと、床に足を乗せる。
木造りの家。部屋と呼べるような区切りは無く、大きな箱に窓と屋根が付いた感じだ。井戸やトイレは共用のものが、村の七箇所に設置されている。
村の北側には丘があり、それを越えてもうひとつ山を越えると、シュトというこの国の中心? あれ?シャトだっけ? とにかく王様とお金持ちの住むところがある。
村の南東側に少し行くと小さな林があり、わたしはそこの一部を耕して、いろいろな畑から苗を一本ずつ拝借して自分の畑を作っていた。
このことはミミさんにしか話していない。お父さんに話すと怒られそうだからだ。
林の道を抜けて更に進むと砂漠がある。前にお父さんに聞いたら、砂漠からはもうこの国じゃないから行ってはいけないそうだ。
「あれ? ミミさん、お父さんは?」
「おう、ここにいるぞ」
返ってきた返事はミミさんのものではなく、お父さんの声だった。部屋の奥に座っていたのが、ミミさんの体で見えなかったのだ。
お父さんはわたしの前まで歩いてくると、いきなりわたしの頬を張り飛ばした。
「こン馬鹿娘がぁっ! 七時には帰って来いと言っておいただろうがっ!」
お父さんが怒る。
けれど、遅れたと言ったって十五分程度だ。外だってまだ十分に明るいし、危ないことなんて無い。まだ外で遊んでいる子供達だっている。
「何でわたしだけ」と、つい漏らしたら、また逆の頬を張り飛ばされ、玄関の扉に背中をぶつける。
「ちょっと、ジョージさん。もうそれぐらいにしてあげて」
「いや、駄目だ」
ミミさんが制止するのを聞かず、お父さんはわたしの腕を掴むと力任せに立たせる。プチプチと、服の縫い目の糸が切れる音がした。
そんなことも意に介さず、お父さんはわたしにさらに問いかける。
「なぁ、なんで俺がこんなに怒ってるか分かるか?」
お父さんから目を逸らしながら、必死に考える。
「暗くなって危ないから?」と答えれば「違う」と言われ、「約束だから?」と答えれば「それだけじゃない」と言われた。
本当に分からなかったので、わたしは首を横に振る。
「お前は、ミミと俺の気持ちを考えたか? どんな気持ちだったと思う?」
「……心配した?」
「そうだ。ミミがお前を心配しているなんて考えもしなかっただろう? 七時にはお前が帰ってくるからって、飯まで作って待っていたんだ。
なぁ、ナナミ。俺は帰りが遅くなったから怒ったんじゃない。お前がミミの気持ちを考えなかったから怒ってるんだ。他の人の気持ちを大切にできて、みんなに優しくできる女の子に育ってほしいんだよ。わかったか?」
わたしは頷く。
口から「ごめんなさい」という言葉と、目から涙が零れ出た。
自分の楽しみに夢中になってしまった自分が恥ずかしくて、けれどそれよりも、ミミさんとお父さんに悪いことをしてしまったと今さらながらに気がついてだ。
涙で滲んだ視界の中、今度こそお父さんの目を真正面に向き直る。
「分かったら歯ぁ喰いしばれぇぇえっ!」
そしてお父さんは、大きく拳を振り上げていた。
「ちょっと、もう止めてよジョージさんっ!」
ミミさんが止めに入る。
「止めるなミミ!」
「大丈夫よ、ナナミちゃんだってきっともう分かってるわよ」
「有り得ねぇ! こいつはお前やナナみたいにアホだから、しっかりおぼえさせなくちゃいけねぇんだ!」
「まっ……わたしはいいけど死んだ姉のことは悪く言わないで!」
「悪く言ってねぇ、そこが可愛いんだよ」
「まぁ♪ ……じゃなくて、それに何度も女の子の顔を叩くものじゃないわ」
「大丈夫だよ、こいつはお前やナナに似て美人になる。だからちょっとぐらい歪んで凹んだって誰にも負けない女になる。問題ねぇよ!」
「いいわけないでしょ! これ以上聞き分けないと、ジョージさんの分の夕飯は没収ですよ?」
「な……」
時間が止まったと思えるほどの沈黙。
吹き抜ける風の音だけがそこにあった。
すごい剣幕だったお父さんの額に汗が浮かぶ。
お父さんはゆっくりとミミさんのほうを振り向くと、愛想笑いのような表情をした。
ミミさんがお父さんに向ける笑顔にはゾッとするような凄みがあって、再びわたしに振り返ったお父さんは借りてきた猫のように居場所なさげにしていた。
「おぅ、ナナミ。そろそろ飯にしようか?」
お父さんの声があまりに可愛そうで、わたしは頷いた。
食卓を囲んで座る。
木作りの丸いちゃぶ台で、天板は村人みんなで大木を切り倒し、輪切りにして作ったうちの一枚らしい。
ちゃぶ台を百五十個作っても半分余るほどの大きな木だったそうだ。
「ナナミ、ちゃんと残さず食べるんだぞ。ミミの料理はこの村で一番なんだからな!」
「残さないよ。それにその話は今年に入って百回は聞いたって」
お父さんが毎食のように、ミミさんの料理を誇らしげに話す。ミミさんは「褒めても何も出ないわよ?」なんて言いながら、麦飯の入った器をお父さんに差し出す。
ミミさんはわたしの叔母にあたる人だ。
わたしが五歳のときに母が病死して以来、この家で一緒に生活している。
とてもきれいな人で、年齢はもうすぐ三十四歳になるというのに、この村で一番美しい女性だなんて言う人もいるぐらいだ。
「ミミさんは結婚しないの?」
「うみゃ!」
思わず口を突いて出た言葉に、ミミさんは顔を真っ赤にする。
そしてわたしの分の麦飯がミミさんの手から滑って床に落ちた。
わたしはそれを拾って器に戻し、顔を上げたときもまだミミさんは真っ赤なままだった。
「ミミさん?」
「やぁね、ナナミちゃん。わたしなんてもう三十四のおばさんだもの、誰も貰ってなんかくれないわよ」
「でもみんな、ミミさんのこと綺麗って言ってるよ。ファンクラブもあるし」
「嘘っ!」
ミミさんが目を丸くしている。どうやら本当に意外だったようだ。
「お前ほどならよぉ、」お父さんが言う。「貰い手なんかいっぱいいるんだ。こんな家にいつまでもいないで、いい男見つけて幸せになれよ」
「残念、わたしはもう幸せよ。わたしの初恋の人はジョージさんだって、前にも言ったでしょ? それにナナミちゃんもいるんですもの、十分すぎるわよ」
「なっ、今それを言うかよ。ナナミも聞いてるんだぞ?」
「何でジョージさんが赤くなるのよ、おかしな人ね」
よく分からなかったけれど、お父さんとミミさんは困ったようにしながら、とても楽しそうだった。
日に日に少しずつ、そんな会話が増えた。
そしてこの年の八月、お父さんとミミさんは結婚した。




