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第7話「さよなら」①

 『月の国』を出てから、もうすぐ一日が経つ。それでもわたしは寝ずに、出来る限り馬を走らせ続けた。

 止血は『月の国』を出る前に、市場街を少し離れたところにある林で隠れて済ませた。痛み止めも塗ったのだが、その時点ですでに体力的にかなり苦しかった。腕も足も重く、頭にも痛みがあった。


 それから二十四時間。わたしが『月の国』を出てから二度目の日没が、わたしの目の前で赤々と燃えていた。すでにまぶたは重くなり、指に力が入らなくなってきている。少しでも前にと進んできたが、ついに体力の限界だった。


 ふと、砂漠の中に大きな岩を見つける。岩陰で休むことのできそうなほどの大きさだ。

 三時間ほどそこで仮眠をとったあと、夜のうちに進めるだけ進んでおこうと考える。砂漠の夜は昼間に比べて大きく気温が下がるので、体力の消耗は少ないはずだ。

 少し懸念があるとすれば、食料は十分にあるが、水がもう底をつきかけていることだ。


 馬を二日ほど走らせれば『光の帝国』という国に着くと、以前ランスが言っていた。

 ということは、たいだい半分ぐらいまでは来れているのだろうか?


 日陰だった場所を選んで馬を座らせ、自分も馬の腹に背を預けて目を閉じる。

 どうやらわたしは、自分が思っていた以上に疲れていたようだ。いつ眠ったのかも分からないまま、わたしは眠りに落ちたようだった。




「ちょっと、起きなさいよ」


 頬を何度か叩かれて、ようやく目を覚ます。

 再びまぶたを開けたとき、聞こえてきたのは数頭ではきかないほどの馬の声と足音だった。

 空は既に明るい。どうやら三時間どころか一晩丸々寝てしまったようだ。

 ぼんやりとした頭で、わたしを起こしてくれた人の顔を見る。

 わたしと同じぐらいの年齢の女の子だった。金色の髪をツインテールにしていて、もともとはかわいらしい顔の眉を吊り上げ、拗ねたように口を尖らせていた。


「あんたねぇ、馬っ鹿じゃないの? 真昼間の砂漠で居眠りするなんて信じられないっ! 何考えてるのよ、死にたいの?

 どうでもいいけどあたしの前でそんなことはやめてよね。ほら、水よ。あたし達の分はまだ別にあるから、ゆっくり全部飲んじゃいなさい」


 水筒を受け取ると、水を一口飲む。まるで体中に染みとおるようだった。

 わたしは夢中になって、すぐに水筒の水を飲み干してしまった。


「ありがとうございます」

「べ、別にあんたのためじゃないんだから。ほっといたら寝覚めが悪いのよ、あたしが。それだけなんだから! 迷惑だから、もう二度と行き倒れになんてならないよう気をつけなさいよね!」


 お礼を言うと、ツインテールの女の子は頬を少し赤くして、拗ねたようにそっぽを向きながら返事をした。


「あんた名前は? どこから来たのよ?」

「ナナミといいます。『月の国』から来ました」

「あたしはイリス。『光の帝国』国軍の兵士よ。って言っても衛生兵だけどね。それと、あたしたち同い歳ぐらいでしょ? 堅苦しい話し方もいいから。

 それよりも、ここも危ないんだから早く立ちなさいよ」


 イリスが差し伸べてくれた手を握る。

 思いっきり引き上げてくれたおかげで、ふらつく足でも何とか立つことができた。


「ありがと……ところで何が起こってるの?」


 千頭は優に超える数の馬と、それに乗った兵士。

 『光の国』のものであろう大きな黄色い旗を掲げ、鼓舞するように叫んでいる。

 まるで戦争に行くようだと思い、しかしそれ以外の返事を期待して訊いた。


「戦争よ」


 イリスの口から出た答えは、聞きたくないと思っていたそれだった。


 戦争。

 また人が死ぬ。


 誰かにとって大切な人が、ただ義務というだけ命を落とす。

 戦場という手の届かないところへ赴き、二度と戻らないという知らせが届く。

 優しかったはずの人の手が赤く染まり、祖国を守った兵士が自分の罪に悔やむ。

 戦争はだめだ。

 殺めた人は苦しみ、殺められた人の家族は悲しみ、誰の心にも汚れと傷跡しか残さない。戦争なんて数回しか経験したことの無いわたしでもそれぐらいは分かる。


「あたしたちは後発隊。いわゆる増援部隊ね。先遣隊はすでに戦闘を始めているの。だから……そろそろ行くわね」


 イリスが作った笑顔は、痛々しいほどに引きつっていた。


 行きたいわけじゃない。

 それでも行かなくちゃいけない。

 自分から戦場に飛び込んだわたしとは違って、イリスの大切な人も自身の居場所もまだ祖国にあるのだろう。

 さっきイリスは自分のことを衛生兵と言った。

 最前線で傷ついた兵士を手当てする役――つまりは最前線に身を投じるということだ。

 戦禍に巻き込まれて命を落とすこともある。覚悟の決まっていない少女さえ戦場に駆り立てるなんて、わたしは到底納得できなかった。


「またね……生きていたらまた会いましょ」


 イリスが自分の馬に跨ろうとする。

 迷うより先に体が動いた。

 イリスの腕を掴むと、わたしはそのまま後ろに引っ張る。


「何よ、わたしは急いでるのよ」

「行かないで」

「はぁ?」

「イリス、行きたくないんでしょ? だったら行く必要ないよ。行ったら死んじゃうかもしれないんだよ?」

「ふざけないで! みんな死にたくないし、戦争なんか嫌いだ。だけど衛生兵のあたしよりももっと危ないところで戦ってる人がいるのに、あたしが逃げ出していいわけ無いでしょ!」


 イリスが怒る。こういう反応が返ってくると予想はしていたが、それでも訊かないわけにはいかなかった。

 そしてイリスが戦場に行くと言うのなら、わたしの選択肢も既に決まっていた。


「じゃぁわたしも行く。わたしも前線に連れてって!」


「はぁ? あんたはこの戦争に関係ないでしょ? 死ぬかもしれないのよ、本当に分かってる?」

「分かってる。でも、人が死ぬのはもう嫌なの」

「だからってあんたが行ってどうなるの? あたしたちみたいな小娘一匹に何が出来るってのよ!」


 イリスの気持ちも言葉の意味も、痛いほど良くわかる。

 けれど、だからこそわたしが行かなくてはいけないんだ。


「大丈夫。わたしの前ではもう誰も死なせないから」


「……あんた、何者なの?」

 いぶかしむイリスに、「ちょっと訳ありなお尋ねものよ」とだけ答えた。


 イリスが「勝手にすれば?」と吐き捨てて馬に乗る。

 わたしも自分の馬に乗ると、イリスの後を追いかけた。

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