表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
38/70

第6章「今わたしにできること」④

 合同会議に出席しているのは全部で七カ国。

 『月の国』のほかには、『鋼の国』、『命の国』、『(あい)の国』、『水面(みなも)の国』、『(まじない)の自治区』、『箱の国』だ。

 それぞれが多かれ少なかれ、『月の国』と交流のある国々である。


 わたしとリアちゃんが飲み物を運び、会場の準備の仕上げを終えたのが一時間前の午前九時。

 『月の国』の国王がまず入場し、席に腰を下ろす。

 脇にはグレン様とランスの姿があった。

 控え室から来賓が案内されて入場してくる。

 八角形から一辺を取り去った形の大机が部屋の中央に置かれていて、席に着いた各国代表の後ろには、さらに五人ずつほど、その国の参謀や護衛、通訳が立つ。

 会議がまだ始まっていないときから、緊張した空気だった。


 そんな中、隣に立つリアちゃんが小声で「あれ?」と呟き、わたしの服を引く。

「どうしたの、リアちゃん?」

「ナナミさん、あれ……」

 リアちゃんが指差した先を目で追って見つけたのは、部屋の隅に立つミリアだった。

 ミリアは四隅のうち、最もランスたちに近い角に立ち、そこから部屋全体を見渡している。

 わたしの姿を見つけて驚いている様子だったが、すぐ気を引き締めてミリアは背筋を伸ばした。

 おそらくミリアも緊張しているのだろう。

「きっとランスの護衛ってことかな?」

「ですね。向こうの角にはマドカさんもいますし、間違いないと思います」


 そんなことを話している間に、気がつけば定刻となっていた。

 グレン様の開会宣言のあと、ランスの進行で議題は進む。

 最初は各国の近況報告だ。

 七カ国分で二時間。政治に疎いわたしにとっては眠くなってしまう話を、誰もが真剣に聞いていた。

 続いて七カ国間の協定について。

 改正案がいくつも出されては、それぞれの国家事情も含めた話し合いの中で却下され、しかしそのうちいくつかは全体の利益になると認められ、多数決により可決されていった。


 そして、時刻はもうすぐ六時。

 初日の会議は終わりに近づいてきていた。


 もしこのままアナさんが来なければと、ありえない期待が脳裏をよぎる。

 今までどおりの生活が送れるのなら、それがどんなに嬉しいことだろう。


「さようなら……」

「ん、ナナミさん。何か言いました?」

「ううん、独り言。ちょっと言っておきたかっただけ」


 わたしはリアちゃんの頭を撫でる。何度目だろう。

 これが最後になるのだろうか。


 いろいろとエミリアさんにも、面倒をみてもらった。

 全然なにも返せていないままだ。


 きっとミリアはわたしのことを許してくれないだろう。

 ミリアに嫌われるかもと思うと、それもまた胸が苦しくなった。


 ランスに拾われてからの七ヶ月。

 悪夢に魘され、戦争を目の当たりにし、この手を血で汚した。

 それでもわたしにとってこの時間は、何にも代え難い楽園だった。


 予定していた議題が全て終わる。

 時は既に夕暮れ。窓の外は、まるで炎のように赤く赤く燃え上がっていた。

 ランスが明日の予定を説明する。

 このあとだ。

 ランスが予定を読み上げ終わると同時、会議室の扉が開かれる。


「失礼します」


 凛とした声。入ってきたのは赤毛の女性。

 普段は優しく微笑んでいることの多いその口を凜と結び、眉を吊り上げて、アナさんはそこに立っていた。


「合同会議にお集まりの皆様。わたくしに飛び入りでの発言をお許しください。場違いなことは重々承知ですが、とても重要なことなのです」


 各国の護衛が一斉に動き出す。

 アナさんを取り囲み、中には剣を抜いている者もいた。


 本来ならば、アナさんには傷ひとつ負わせることも許されない。

 アナさんは『穂の国』の人だ。

 たとえそれが一市民に過ぎなくても、『穂の国』の人間を傷つけることは国の滅亡に直結するからだ。

 だからアナさんは、『穂の国』の名前を出すだけで危害を加えられることはない。

 けれど、アナさんはそれをしなかった。

 アナさんは何も言わず、一歩を踏み出す。

 次の瞬間、三本の刃がアナさんの首を囲み、二本の刃がアナさんの左胸を前後から挟む。

 アナさんの正面に立った男は、アナさんの眉間に剣を構えた。


 張り詰めた空気。

 それを肌に感じながら、わたしも次第に不安になってくる。

 まるで時間が止まったようだった。

 息を呑む。

 手の汗を握る。

 いざとなればわたしから、アナさんが『穂の国』出身だと言わなくてはいけないかもしれない。

 しかしアナさんだけは、自分に向けられた六本の刃をものともせず、周囲の目線に怖じることも無かった。


「もしもわたくしの話が無価値だと思うのならば、その場で斬り捨ててください。それぐらいの覚悟は持ち合わせてきました」


 『月の国』の国王が、会場全体を見回す。

 参加者の表情を見て、もしくは頷きや反応を見て、最終的にアナさんの発言を許可した。

 アナさんに突きつけられていた刃が下ろされる。

「ありがとうございます」

 アナさんは頭を下げる。各国の護衛はそれぞれの国の代表の元へと戻り、アナさんの脇には『月の国』の兵士が二人だけ残った。


 わたしはグレン様の方へ目を向ける。

 グレン様もわたしのほうに気づき、それから首を横に振った。

 まだ決行のタイミングではないらしい。


「わたしがお話しするのは、そこにいる『月の国』第二王子・ランス・ディーゼルボルグリーベント・クレセントナイト様が行った悪逆行為についてです」


 それからアナさんは説明した。

 ランスの持つ魔法のこと。

 過去に七つの国を滅ぼしたこと。

 中には戦争状態に発展していない国も含まれること。

 兵士でない一般人も含めて、国民全員を皆殺しにする残虐な手口であること。

 それには『鋼の国』の隣国である『剣の国』も含まれること。

 アナさんは、自分が実際にランスの魔法を使うのを見たことを伝え、その惨状を事細かに説明した。

 そしてその始終、ランスは僅かに笑みを浮かべた涼しげな表情だった。


「確かにそれが真実なら大問題だ。だが、証拠はあるのだろうな」

「証拠はありませんが、証人がいます。呼んでも構いませんか?」

「許可する」


 入ってきたのは黒髪の少年だった。『鋼の国』の出身で、以前に手鏡を売ってくれた少年だ。

 彼はランスを指差すと、「あいつだ」と叫んだ。


「あいつがケントを殺すところを俺は見たんだ。ケントってのは『剣の国』から来た俺のダチで、路地裏に連れ込まれて、ガラスでできたみたいな大きなトゲで胸を貫かれて殺された。

 ちょうど『剣の国』が滅んだって、『月の国』に伝わったその日の夜だ。

 『剣の国』の人は皆殺しにされたんだろ? 『剣の国』出身のケントが殺されたのも、こいつが国を滅ぼした張本人だからに違いないんだ!」


 証拠にしては随分と粗末で弱い。

 けれど、会議に集まった代表たちに疑念を抱かせるには十分だったようだ。


 アナさんは「おつかれさま」と黒髪の少年の頭を撫でる。


「それともうひとつ証言があります。こちらは複雑なのでわたしが説明します」

 アナさんが言う。

「『剣の国』の壊滅が『月の国』に報じられたのは、四月三十日の夕刻。そちらにいるグレン王子の遣いの兵士が報告したそうです。

 ですがその一時間ほど前に、知っているはずの無いその件をランス王子とその使用人は知っていたそうです。

 こちらもあくまで状況証拠に過ぎません。ですが、帳簿上は『剣の国』に出向いていないはずのランス王子がそれを知りえなかったのもまた事実です。

 その上、『月の国』の記録では、ランス王子は『剣の国』が滅んだ三月三十一日から四月一日に『穂の国』を視察に訪れたことになっているのですが、その事実はありません。

 ランス王子が虚偽の報告を行ったこともあわせると、犯人はランス王子以外にありえないと思うのですが。みなさん、いかがでしょうか?」


 動揺が会議場を包んだ。

 ランスに注目が集まる。


 ランスの口から自白が漏れれば全てが終わりだ。

 誰もランスを守ることは出来なくなる。


 わたしが決行を決意するとほぼ同時、グレン様がわたしに頷いた。


 未来の視えるグレン様が頷いたのだ、必ずうまくいく。


 わたしは息を大きく吸うと、


「ふっふっふっ、あはははは、あーーーーーーーーーーーっはっはっはっ!」


 大きく、ただただ高らかに嗤った。

 狂ったように、高揚したように、そして至極愉快なように。

 常軌を逸脱し、誰もの視線を集めると、わたしは右手を掲げて指を弾いた。


 その指のタイミングにあわせるように、各国の護衛の手足を無理矢理に操り、国の代表の首元に剣を着き付けさせる。

 六つの近隣諸国すべてと、グレン様、『月の国』の国王にもだ。


 何人かが大きな声で喚いたので、たまたま近くにいた『呪の自治区』の代表を能力で宙に放り投げて落下させる。

 わたしは倒れた『呪の自治区』の代表に近づくと、顔の真横でワインの入った瓶を叩き割った。

 瓶の破片が顔のほうへ飛ばないよう能力で操ったが、それでも効果は絶大だったようだ。


 会場全体がしん、と静まり返った。


 人によっては恐怖の表情を浮かべ、または平静と自分が助かる算段をしているものもいる。

 その中でアナさんは、眉を吊り上げたままわたしを睨んでいた。


「アナさん。結局、こうなってしまったのね」


「それが真実です。ランス王子は数え切れないほどの罪を犯しました。ランス王子が陰で行ってきた悪逆も今日で終わりです。

 ナナミさん、あなたが何をしようとしているかはわかりませんが、今さらなにをどうしても過去は変りません」


「当たり前のことを言わないでよ。わたしはただ、答えあわせをしにきてあげただけ。

 ねぇ、まだ続きがあるんでしょ? 今のじゃ足りないわ。それじゃぁまだ三十点ってところね。ぜんぜんゾクゾクしない。まだ表面しか見えていないもの」


 嘘だ。アナさんが正しい。

 ゾクゾクはしないけれど、さっきからドキドキヒヤヒヤしっぱなしだ。

 アナさんには悪いと思いつつも、それでもわたしにとってはランスのほうが大事だ。

 騙しきるために、ランスを守るために表情を捏造(つく)り、嘘を()く。


「ヒントよ。自分の愛する人と、話したことも無い男性、どちらかしか生かせないなら、どちらを選ぶかしら?」


「普通は、愛する人でしょうね。それが国についても言えると、そういうことですか?」


「あら、話が早くてつまらないわね。

 じゃぁ二問目。国ひとつを滅ぼすのは、あなたたち人間はたいてい躊躇(ちゅうちょ)するわよね。

 世間知らずの馬鹿王子に、それを決断させて踏み切らせるにはどうしたらいいと思う? ちょっと悪い人になって考えると正解するかもしれないわよ」


「……その国が悪い国だと噂を流すとか?」


「それじゃぁ弱いわね。国が悪くても、善良な国民はたくさんいるもの。人間一人を壊すのとは、ちょっとだけ勝手が違っちゃうのよ」


「その逆だろ」

 そう言ったのはグレン様だった。

「この国を例に出して言うと、『月の国』が悪い国だと、滅ぼさせたい国で噂を流すんだ。それから義がその国側にあるよう、権力があって頭の無い馬鹿を(そそのか)すんだ。『月の国』を滅ぼせば周辺国も喜ぶとか言ってな。

 そして『月の国』を滅ぼしたときの利益を明確に提示し、戦争の準備をさせる。

 そうすればどうだ、戦争が始まれば圧倒的な力の差があるから、『月の国』に勝ち目は無い。時間制限もあるから、ランスは踏み切らざるを得ない状況に追い込まれたわけだ」


「グレン王子、あなたはまだマシみたいね」

 それからわたしはまた、アナさんに向き直る。

「大体、呑み込めたかしら? あなたがいじめようとしているランス王子は、とってもかわいそうな子なのよ」


「で、その黒幕がナナミさんだとういうのですか?」


「そう聞こえなかったかしら?」


 アナさんの怒りの表情に、わたしは笑みで返す。

 背中に冷たい汗をかきながら、震える手を隠しながら、口角を引き上げ続けた。


 それからわたしは、各国代表らの座る席へと顔を向ける。


「ほんとグズよね、ヒントはいっぱいいっぱいあげていたのに。ちゃんとどの国も同じように(そそのか)して、同じ状況を作り出して、同じ方法で国土全体を滅ぼしてあげたっていうのに。

 それなのに、わたしの存在に気づくどころか、そこの馬鹿王子が関係しているとさえ疑いもしない。

 挙句の果てに、首を突っ込んできたどこぞの村娘が一番正解に近いところにいるなんて。

 各国代表? 合同会議? 今日の議題すべてを越すほどの大問題でしょうに、聞いてあきれるわね。それで政治だの外交だのを言ってるんだから、どいつもこいつも馬ッ鹿じゃないの?」


 嗤う。

 自分を隠すために嗤う。


 気づけなかったのはわたしも一緒だ。

 こんなに近くにいたのに、ランスを理解してあげられなかった。

 ランスの顔を見る。

 ランスはまだ、涼しげな顔で微笑んでいる。

 きっともう、その表情以外は忘れてしまったんだ。

 当事者のランスにだけは、首に剣を当てたり、動きを制限するようなことはしていないのに、行動を起こす気配も無い。


 本当はそれで安堵しなくてはいけないのに、それを少しだけ寂しいと思ってしまった。


 あとひとつだ。

 もう少しで、全てが終わる。


 わたしの嘘も、ランスの罪も、楽しかった時間も、すべて。


「これで分かったかしら。あなたは無罪の男を吊るし上げようとしていたのよ。それを見るのも滑稽(こっけい)かと思ったのだけど、あの王子様はもう壊れちゃってるから反応を期待できないし。だったら直接アナさんと遊んだほうが楽しめそうじゃない?」


「ちょっと待って」

 アナさんが予想通りに反応する。

「今、『無罪』って言いましたけれど、ランス王子が虐殺を実行した事実に変わりはありません。彼は有罪です」


「まだそんなことを言っているの? あの凡人にそんなことできるはずないじゃない」


 指を弾く。

 同時に轟音が響く。

 使ったのは『焔の国』で買ってきた火薬だ。

 あらかじめ建物の外側に設置しておいて、能力でそれに一斉に火を点けた。


 王宮の三階の壁半分が崩れる。

 爆発でも瓦礫でも、誰一人として怪我人が出ないように、崩れた壁と床の全てを宙に浮かせる。

 夕陽と瓦礫を背にしたわたしが余りに異様だったのか、誰もが息を呑んでいた。


「まったくもう、見てほしいのはこれじゃないってのに」


 わたしは階下を指差す。馬小屋だ。

 ここにいる全員が、わたしが馬を逃がした事実を知らないはずだ。


 能力で馬小屋の近くに人がいないことを確認すると、わたしはそこを全員の目の前で爆発させて見せた。


 先ほどとは比べ物にならないほどの爆音。

 宙に浮きそうになるぐらいの風が、三階まで届いた。

 馬小屋を中心として直径五十メートルは吹き飛び、いまだに盛大に炎が燃えている。


「アナさん、もう一回言ってあげる。わたしは人間の滑稽さが好きなの。無力であがく様が好きなのよ。あんなガキにわたしが、本当に力なんて持たせると思う?」


「この外道がぁぁっ!」


 アナさんがナイフを取り出す。以前に自分の命を絶つために持っていると言っていたものだろう。

 けれどわたしにとっては、それは想定の範囲内だ。


 アナさんが走り出すよりも先に、能力でアナさんの手からナイフを払った。


 本当にこの能力は便利だ。

 無力なはずのわたしが、ここまでできる。

 ひとつだけ欠点があるとするならば、感触があることだ。

 たとえナイフを握ったとしても痛くはないが、それでもアナさんの手を払ったときの衝撃や手の温かみが、わたしの手まで伝わってきていた。


 能力でアナさんの首を絞める。

 同時に、わたしはアナさんのいる方へ手を伸ばして、周囲に分かりやすいよう演出する。

 別に本当にこうしなくてはいけないわけではない。それでも手のひらに伝わる感触は、気分のいいものではなかった。


「ナナミっ!」


 声が聞こえる。ランスの声だった。

 けれど荒げるその声も、壊れるその前の彼を模倣しているだけだ。

 ランスに動揺している様子もなければ、怒っている様子もない。

 ランスはわたしに近寄ると、微笑んだまま、「放してあげるんだ」とわたしに言ってくる。


 わたしは気を失ったところでアナさんを放す。


 どうせそうするつもりだったのだ。

 だからそんなことはどうでもいい。


「どうして、でてきちゃったのよ……」


 ふと漏れたのは、わたしの本心だった。

 わたしは能力でランスの両足を掴む。

 細い。貧しい村の子供でさえ、同じ歳になればもっと太い足をしているだろうに。


 こんなちっぽけな体で一国を守り続け、背負いきれるはずの無い罪を背負い続けてきたんだ。

 王子という肩書きを、ランスなりに一生懸命に全うしようとしたんだ。


 ああ……感じていた違和感はこれだったんだ。


 心が壊れてしまってからも、誰もがランスを『王子』と呼び続けた。

 上辺の笑顔と、かつての自分を模倣した演技とに騙され、彼のことを本当に理解している人は誰もいなかった。


『敬語も様も付けなくて良いって』


 軽い口調で言われたその言葉。

 出会った頃には何度も言われた言葉。

 他の誰かが言えば何でもないはずのそれが、ランスにとってはどれだけ意味あるものだったのだろう。


 別れる前に、一度だけ聞いてみたかった。

 ちゃんとした答えなんて返ってこないかもしれなかったけれど、今となってはもう遅いけれど。

 それでも『わたしと会えてよかった?』って。

 そして伝えたかった。『わたしはランスに会えて良かった』って。


 閉じられていた唇。ランスの口がゆっくりと開く。


 だからわたしはランスが言葉を作る前に、ランスの両足を握りつぶした。


 骨が砕ける感触。ランスが倒れる。


「ごめんね……でもあなた、もう用済みなのよ」


 こんな場合も考えて、何度も隠れて練習してきた言葉。

 本当に伝えたい言葉とは真逆のそれが、軋むほどに痛い。


 次の瞬間、怒りに満ちた叫び声が聞こえる。

 リアちゃんが急いでランスに駆け寄る。


 倒れたランスと屈んだリアちゃんを越えて、わたし目掛けて飛んできたのはミリアだった。


 避けることも、能力で捕まえることも間に合わず、わたしはミリアに殴り飛ばされる。


「ナナミちゃん、許しませんよ!」


 視界がふらつく。左の頬が痛い。

 見ると、すぐ背後にあるはずの壁は無く、もう少しで下へ落ちるところだった。


 ミリアの足を見る。きっと中の筋肉をいつも以上に強靭に改造しているのだろう。いつもと同じ外見のその足に何倍もの脚力を備えて、十メートル弱の距離をものともせずに飛び掛ってくる。

 わたしは咄嗟に背後へ逃れると、自分の体を宙に浮かせた。

 しかし同時にミリアは、床を蹴ってさらにわたしよりも高いところへ飛ぶ。

 咄嗟にミリアの右手を能力で捕まえるが、能力の効きが不完全で、振り下ろされる拳を減速させることしかできなかった。

 両腕を交差して受け止めるが、とても重い衝撃が全身を揺るがす。

 それでも、今度は完全に右腕を捕まえることが出来た。

 もうミリアはわたしを追うことは出来ないはずだった。

 ミリアは自分の背中に白い羽を作ると、体勢を立て直し、そして言う。


「ねぇ、ナナミちゃん。わたしはランス様が好きです。ランス様のためなら何でも出来るし、リアちゃんやエミリアさんのためにも、同じようにできます。

 わたしにとってはナナミさんも、そのうちの一人でした」


 ミリアの頬に、大粒の雫が流れる。


「ナナミちゃんになら、ランス様をとられても別にいいって思えました。

 ナナミちゃんを信じていたんです。

 それはわたしだけだったんですか? わたしたちだけだったんですかっ?」


 すぐには言葉が出なかった。

 わたしも泣きそうだった。


 こんなことをしてもまだ、ミリアはわたしのことを『ナナミちゃん』と呼んでくれた。


 だんだん表情が作れなくなってきて、わたしはまた顔を隠したまま俯いて嗤う。


「そうよ。そんな当たり前のこと訊かないでよね」


「そうですか……」


 ふと、頬に風を感じる。

 顔を上げるとすぐそこには、右腕の千切れたミリアが左手を振りかぶっていた。

 繰り出される拳を能力で逸らす。

 わたしはポケットから手鏡を取り出すと、魔法の刃を展開する。

 攻撃の来る気配を感じて、わたしは剣を体の前で構えると、新たに生えたミリアの右手が叩きつけられる。

 ミリアの右手を押し返すと同時、逆側から刃物のような形状に形を変えた左腕が襲ってくる。 

 再び剣でそれを防ぐ。ミリアの動きが一瞬止まる。

 わたしは能力でミリアの胴を捕まえ、しかし放たれた蹴りまで止める余裕は無かった。


 けれど、それでちょうどよかったのかもしれない。


「ランスをよろしくね」


 ミリアの耳元で囁く。

 わたしは蹴られ、再び会議場の床に叩きつけられる。

 それでもミリアの胴は上空で固定したままだ。

 今度こそ追ってこれるはずはなかった。

 痛みで足元が覚束無い。

 けれど弱音を吐いている場合でもなくて、わたしは立ち上がる。


 直後、重い何かに押された。


 冷たい何かが腹の中に押し込まれ、頭の中が何も考えられなくなるぐらい痛みに襲われる。

 左の脇腹に触れると、赤くて温かくて重い水が溢れ出してきていた。


「……ケントの仇だ」


 黒髪の少年の手には、赤く濡れたナイフが握られている。アナさんが持っていたものだ。


 能力が解ける。


 瓦礫が落ち、地面で轟音と砂埃をあげた。

 各国の護衛も、ミリアも、誰もが一斉にこちらに向かってくる。

 わたしは咄嗟に王宮の外へと飛び降りた。

 痛みのせいでうまく能力を扱えなかったが、着地の減速はできたようだ。


「砂埃のおかげで、上の様子は見えない……か」


 けれどそれは向こうも同じなはずだ。ミリアは追ってくるかとも思ったが、その様子も無い。

 ポケットに手鏡をしまうと、わたしは重たい足を引きずって歩く。


「ナナミちゃんっ!」


 エミリアさんの声だった。

 エミリアさんはわたしに駆け寄ると、ひとつの袋をわたしの手に握らせた。


「止血薬と麻酔と針と糸。使い方はメモを書いて入れておいたから!」

「えっと……なんで?」

「グレン様に渡すように言われたのよ。それから、何があってもナナミちゃんを信じてやれってね」


 頭をくしゃくしゃに撫でられる。

 それから「急ぐんでしょ?」と背中を叩かれて、わたしは走り出した。


 後ろで男の人たちの声が聞こえる。きっとわたしを探しているのだろう。

 予定通りにわたしは、誰も追うことの出来ない道を行く。

 馬小屋のあった場所、今もまだ燃え続けている炎の中だ。


 あの悪夢を思い出す。

 誰もが死に絶えた業火の中、それでもわたしだけが生き残っていた。

 わたしが能力を使えば、炎の中を通り抜けることもきっと出来るはずだ。


 炎に飛び込む。

 全く熱くはなかった。


 けれど、聞こえてくるはずのない声が聞こえてくるような気がした。


 熱を孕んだ風が呻るその奥から、時折、声が聞こえてくる。

 誰のものかはわからないけれど、聞き覚えのある声だった。

 苦しそうな悲鳴があがって、悲しそうな叫びが飛び交い、その中でふとわたしは、


「お父さん。ミミさん……ううん、お母さん……」


 その声の主の顔を思い出した。


「何で今、よりによって、どうして今になって思い出しちゃうのよ……」


 炎を抜ける頃には、声は静かになっていた。

 わたしは涙をこらえながら、王宮の敷地の壁を飛び越えると、用意しておいた馬に跨った。


 市場を西に出て、ひたすら真っ直ぐ進む。


 行く宛てなんてどこにもないまま、ただわたしは手綱を引き続けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ