第6章「今わたしにできること」①
まぶたを開ける。手のひらに触れるのは砂の感触。
どうやら自分はまだ砂漠にいるようだった。
体を起こすと、「あ、もう起きたんですか?」とミリアが駆け寄ってきた。
陽はすでに高く上がっている。
いつ眠ったのか、もしくは気を失ったのかも思い出せないまま、わたしは周囲を見回す。
『焔の国』の兵士が数え切れないほど多数。
彼らすべてが、どうやら両足を怪我しているようだった。
そして兵士とは別に、灰色の髪をした女性や少年、少女の姿も見える。
おそらく『焔の国』の国民だろう。兵士たちの足の怪我を手当てしている。
それに紛れて走り回っているのが、リアちゃんとエミリアさん。
遠くにはマドカさんとグレン様、アナさんの姿も見えた。
見ると、ミリアも手に包帯を持っているので、つい先ほどまで手当ての手伝いをしていたのだろう。
「何があったの?」
ミリアに聞く。
ミリアは少し躊躇ったのち、しかしゆっくりと口を開く。
「能力が暴走したんです。大丈夫、誰も死んでいませんよ」
「暴走って……わたしが?」
ミリアは小さく頷いた。
「これ、わたしがやったの?」
「仕方のなかったことです。ナナミちゃんが悪いわけではないですよ」
ミリアの話によると、『焔の国』の兵士全員の足が突然、同時に折れたのだという。
井戸のことについてはアナさんがノレイン王子に説明をしてくれて、そのおかげで現在は停戦状態。兵士たちの手当てをしているのは、『焔の国』の比較的近い村の人たちらしい。
ノレイン王子も、動けるようになった兵士も忙しく駆け回っている。もうすぐ更に応援が到着するらしく、いま生きている兵士は全員、『焔の国』に帰ることができるとのことだ。
自分がやっておいて何だけれど、能力が暴走したにもかかわらず、一人も死者がいなかったのには安堵する。
素直に嬉しく思う。
けれど、能力が暴走するその前。
わたしは既に人間を一人、殺めてしまっているのだ。
「そうだ、ノレイン王子から伝言です。『ありがとう』って」
「すぐそこにいるのに、なんで伝言?」
「……顔を見ると冷静に話す自信がないからって言っていました。あの兵士さんとは、幼い頃からの親友だったらしいのです」
「そうなんだ……」
ノレイン王子と目が合いそうになって、思わず目を逸らした。
わたしが殺した人には、親友がいた。
奥さんがいた。
もしかしたら子供もいたのかもしれない。
わたしはその人の名前も知らなくて、交わした言葉も少なくて、けれど優しくて誠実な人だった。
指が震える。
剣で貫いたときのあの感触が、まだ両手に残っていた。
ゆっくりと次第に冷たくなっていった体温を、その体がまだ手元にあるかのように、思い出すことができる。
鳥肌が立った。
寒気が背中を駆け上がった。
陽の差す昼の砂漠の真ん中で、わたしは自分の体を抱いた。
「ナナミちゃん、大丈夫です?」
わたしの肩を包むように、ミリアの温かい指が触れる。
短い悲鳴。
ミリアの手が振り払われる。
瞳孔が開く。
一瞬で跳ね上がった息。
飛び退いた直後から硬直したままの体は、肩だけが呼吸をしながら上下している。
手の甲にひりひりとした痛み。
冷静になってようやく、さっきの悲鳴が自分のものだと気づいた。
ミリアの手を振り払った記憶だけが、後悔の念となって押し寄せる。
「ごめんね、ナナミちゃん」
そう言ったミリアの目からは、涙が零れ落ちていた。
わたしのほうこそ謝らなくてはいけないと思った。
けれど言葉が出なかった。
ごめん、って。
違うの、って。
どんなにも言いようがあるのに、喉の奥からそれを出すことが出来なかった。
別にミリアを拒絶したつもりはない。
自分でもどうしてか良く分からないけれど、肩に触れられて、気がつけば手を振り払っていた。
怖かったのか、嫌悪感だったのか。
けれどそれはミリアだけじゃなくて、たぶん誰にそうされても反射的にそうしていたと思う。
せめてそのことをミリアに伝えなくてはいけないのに。
それなのに言葉が出ない。
わたしは自分の足を思い切り叩き、それでようやくわたしの口は開いてくれた。
「あのさ、ミリア……」
「ごめんなさい……わたしなんかが、ナナミちゃんに何か言う資格なんて無かったですね」
「違う、そうじゃなくて……」
「わたしの手はもう、何千人って人間を殺めてきた手でしたね……ナナミちゃんといると、ついついそのことを忘れちゃって。ごめんなさい、本当にごめんなさい……わたしなんかが触れていいものなんてあるはずがないのに」
泣いていた。
「ごめんなさい」とだけ言って、ミリアが走り去る。
わたしは咄嗟にミリアを追いかけた。
何度も転びそうになりながら砂を蹴る。
手当てしている人の横をすり抜け、担架を運ぶ人にぶつかりそうになりながら、何とかミリアに追いつく。
手を伸ばす。
右手の指先がミリアの腕を、もう少しで掴めそうになって……
ふと、人に触れるのが怖くなった。
伸ばした手が、ミリアの腕を掴む直前で止まる。
指に力を入れようとして、けれど震える指は思い通りに動いてはくれなかった。
それでも叫べばよかったのかもしれない。
けれど、それでもしミリアが振り返ったとして、わたしは彼女に何を言ってあげればいいのか分からなくなった。
気がつけば、わたしの足は止まってしまっていた。
目線を感じる。
周囲を見回しても誰とも目が合わないのに、誰かに見られているような気がする。
話し声が、すべてわたしのことを言っているような気がする。
近くを通る人すべてがわたしに害意を持っているような気がして、逃げるように一歩下がったところで別の人にぶつかった。
背中に氷を当てられたような悪寒と、崖の上から身を乗り出したような恐怖が同時に襲ってきて、わたしはそこから動けなくなった。
『それを武器として手に持つときも、実際に使うときも、本当によく考えて使ってください』『わたしはそんなものを持つことはお勧めできません。絶対に反対ですから』
今さら胸に突き刺さる、ミリアの言葉。
わたしのことを、ミリアは本当に心配してくれていたんだ。
ランスを守れればそれでいいと思った。
ランスのためなら何でも出来ると思った。
だけど人を殺めるのがこんなに怖いことだったなんて、思いもしなかったんだ。
「ミリアなのよ」
背後から声。
振り返るとエミリアさんがそこにいた。
「最初にナナミを置いて行こうって言ったの、ミリアなのよ。『ナナミはわたしたちに出来ないことができる』って。『だからナナミには戦場に来てほしくない』って。自分もランス様の隣に居たいって思っているくせに、ナナミにもランス様の隣に居てほしいって思っているのよ、あの子は」
わたしは俯いたまま、顔を上げることが出来なかった。
エミリアさんがわたしの前まで回りこんで、わたしの顔を覗き込む。
きっとわたしは今、酷い顔をしているだろう。
それを笑いも哀れみもせず、エミリアさんはただわたしに手鏡を差し出した。
ランスからもらった手鏡。
わたしが人を殺めてしまったときに握っていた剣。
手を伸ばし、震える指で触れるのを躊躇い、それをエミリアさんはただじっと待ってくれた。
きっとわたしが目を背ければ、エミリアさんがそれをポケットに入れて持って帰ってくれるだろう。
わたしの枕元かどこかに置いておいてくれるはずだ。
それでもわたしは全身の力を振り絞って、手鏡を握り締めた。
力の調節が出来なくて、ついエミリアさんの手から引っ手繰るような形になってしまった。
足に力が入らなくなって、砂の上に腰が落ちる。
手鏡を胸元で抱きしめると、まだ震えの止まらない腕でもっともっとそれを胸に押しつけた。
ふと、頭を撫でられる。
怖かった。悪寒と恐怖が背筋を駆け上がった。
けれどそれとは違う、あたたかい涙が目の奥からこぼれだして止まらなくなった。




