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第5章「届かぬ声」⑦

「これで終わりだ、バケモノ」

 それから勝負は一瞬だった。

 ノレイン王子の左手が二本目の剣に触れ、そして剣は振り抜かれる。

 目に見えない速さで振りぬかれたそれは赤く染まり、鈍い音がしてランスの左腕が斬り飛ばされた。


「ランスっ!」

 ランスは地に倒れ、咄嗟にわたしは駆け出す。

 二本傷の兵士はもうわたしを止めはしなかった。

 リアちゃんとエミリアさんが先に駆け寄り、止血をしている。

 わたしはノレイン王子とランスとの間に割り込んだ。


「ランスを殺させはしませんよ」

「決闘を挑んできたのはそのバケモノのほうだ。その場所をどいてほしい」

「どきません。わたしの話を聞いてください」

「こいつを殺すのが先だ。そこをどいてくれ」

「駄目です!」

「そうか。では失礼する」

「えっ、きゃっ!」


 胸倉を掴まれる。

 次第に足が地面から離れる。

 どんなに手足をばたつかせても、わたしを掴む大男の右手はびくともしなかった。

 次の瞬間、さらに宙へと浮く感覚。

 続いて数秒後に地面へ落ちていく。

 寒気。

 高いところからの景色から次第に地面へ吸い寄せられる感覚は、血の気が引くような言い得もしない恐怖があった。

 大きく放り投げられたのだろうと、わたしはようやく理解する。

 背中から地面に落ちる。

 落ちたのが砂の上でも、勢いと自分の体重とで、肺がつぶされたように息が苦しくなった。

 足に力が入らない。

 体を支えようとする腕が滑る。

 全身が痛み、もう何度目か、立ち上がることに失敗する。


 ふと見ると、今度はエミリアさんがノレイン王子に対峙していた。

「リアちゃんは傷を治すことに集中していて!」

 そう言ったエミリアさんの手には一振りのナイフ。

 けれどあれは投擲用のはずだ。

 ナイフはすぐに叩き落とされ、腹部に拳が叩きつけられる。

 エミリアさんの名前を叫んだが反応がない。気を失っているだけだと信じたかった。


 感覚が麻痺していた。

 腕も足も、ぜんぜん力が入らない。

 それでも何とか立ち上がると、わたしは走った。


 今度はリアちゃんだ。

 リアちゃんの左腕は肘辺りまですでに腐食し変色していた。おそらくランスの回復に自分の生命力を使ったのだろう。

 リアちゃんが左手を伸ばし、しかしそれはいとも容易くかわされる。

 リアちゃんが右手を胸に当て、二段階目の能力を発動させようとするが、

「使わせない。集中しないと発動できないんだろ?」

 頬を一回。

 それで能力の発動は止まり、さらに腹部に一回の打撃。

 それでリアちゃんも砂の上に倒れた。


「ぐぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぁあぁぁぁぁあぁぁあああああっぁぁっ!」

 上空から、地を割るような咆哮。

 ミリアだ。

 ミリアは急降下してノレイン王子へ襲い掛かり、しかしその攻撃は無数の石火矢に防がれる。

 石火矢の砲撃で墜落したミリアは、もう立ち上がれそうにはなかった。


 グレン王子とマドカさんも、満身創痍で歩くことすら辛そうだった。

 それに、今から二人が動いたとしても間に合わない。


 もう、わたししかいないんだ……


 砂に足をとられて、もう何度目かの転倒。

 おかしな方向に曲げてしまったようで、右の足首がずきずきと痛む。

 ただでさえ力の入らない足を引きずって、もう走れない体で、立っているのもやっとな有様で、

「駄目。待って……」

 それでも、ノレイン王子とランスの間に、どうにかして戻ってこれた。

 ポケットから手鏡を取り出して構え、ノレイン王子を睨む。


 ふと、押される肩。

 痛くもない。

 軽く触られた程度だ。

 それでもわたしは体のバランスを保つことができず、砂に腰を着いた。

 立ち上がるのに三度失敗し、四度目に腰を浮かせたところで(むせ)る。口の中に鉄の味が広がった。視界が定まらないままに、五度目でようやく立ち上がる。


「そんな有様になってまで、どうして私を止めようとする?」


「ランスがわたしを信じてくれたからです。逆に聞きますけど、ノレイン王子。あなたはどうして左腕を切り落としただけで、ランスを殺さなかったんですか?」


「別に他意などない。今から殺すところだ」


「違います。王子は躊躇ったんです。相手に殺気がなかったから、王子はランスを殺すことを無意識に躊躇(ちゅうちょ)したんです。

 わたしなんかが見たら違和感程度でしかなかったのですが、もしかして途中からランスの剣から殺気がなくなっていませんでしたか?」


 ノレイン王子は答えない。

 わたしの想像が当たっていたということだ。


「それは、ランスの狙いが別にあったからです。

 ランスの狙いは、ノレイン王子を話ができる距離まで呼び出すこと。そしてランスが、ノレイン王子と話をさせようとしていた相手がわたしです。

 ランスは『月の国』を守ることを第一に考えていました。あの時点で条件をクリアしていたので、もう死んでも良いとでも思ってたのでしょう。もしかしたら、自分が死ねばノレイン王子の怒りも少しは収まるからわたしが話しやすい、なんてことを考えていたかもしれません。

 どちらにせよ、ランスはわたしのために、命懸けでチャンスを作ってくれたんです」


「そいつに命を賭けるなんて考えがあるものか。自分の命さえ何とも思っていないだけだ。こう言っては悪いが、君を信じたと言うのも、目的のために君を利用するのが一番確率が高かったというだけの話だろう?」


「そうですね。その通りかもしれません。でも、わたしはそれで十分なんです」


 たぶん、ノレイン王子の言う通りなのだろう。

 わたしが提示した方法を採用したのも、ただの打算だったのかもしれない。

 それでもわたしの言葉に耳を傾け、一番守りたいはずのものを託してくれた。

 だから本来ならば、わたしは何が何でも、ノレイン王子に伝えなくてはいけない言葉があった。

 もしランスが死んでいたなら、ランス以外の誰もが傷つかず、すでにこの戦争も終わっていたはずだ。

 もしここでわたしがランスの前から避ければ、ランスを殺したあと、ノレイン王子はわたしの話に耳お傾けてくれるだろう。

 ランスも『月の国』が守れたのであれば、納得して死を受け入れていたのかもしれない。


 だけど……ごめんね、ランス。

 『月の国』と同じがそれ以上に、わたしにとってはランスのほうが大切なんだ。


 だからこれは、わたしのわがままなのだろう。


 ランスに生きていてほしい。

 今ここでわたしが諦めてしまえば、すぐにでも消えてしまうその命を前に、より一層強く思った。


 たぶんもともとは、誰よりも優しかった少年。

 歯車がひとつ欠け、ふたつ欠け、いつの日か感情が回らなくなった少年を、それでも愛おしいと思ってしまった。

 過去の誓いをひたすらに守り続けている少年の、その痛々しい生き様に何一つ納得できず、思い返すたびに腹立たしく感じるのに、それでも傍に居続けたいと願ってしまった。


「そもそも、要らないと言っている命なのだから、この場で私が切り捨てても何ら問題無いはずだ。そこをどいてくれ」


 だからたぶん、わたしは……

 ランスのためなら、大抵のことでもできてしまうだろう。

 自分でもおかしいと分かるぐらいにわたしはどうかしていて、悩めば悩むほどに苦しくて、ときには胸が軋むほど悲しくて。

 けれどもそれを切り捨てることができなくて、何が何でも取りこぼしたくなくて、だからわたしは、


「せめて、わたしの話を聞いてからにはしていただけませんか?」


 手鏡に描かれた魔法式の一部を親指でこすって魔法を発動させると、透明な刃を自分の首筋に添えた。


 ちくりとした痛み。

 首筋をゆっくりと、重い雫が垂れるのを感じる。


 震えていたはずの手が鎮まった。


 なんでだろう、こんな状況なのにとても穏やかな気持ちになったのを感じた。

 死ぬのも、自分より背の大きな男の人に立ち向かうのも、とてもとても怖かったはずなのに。

 今でも怖いと思っているはずなのに。

 それでも諦めとはまた違った、少しだけ嬉しい気持ちに支えられて、気がつけばわたしの頬がほんの少しだけ上がっていた。


「そんな……馬鹿な真似はよせ! その男に何の価値がある? 君がそれほどまでして守るほどの男ではない。見ただろう、千二百もの人間を躊躇いなく焼き払ったのを。そいつは私の国の民の半分を殺めようとした殺戮者だ。血も涙もないただのバケモノだ。どうしてそんな奴を、君みたいな人が身を挺して守ったりするんだっ!」


「ごめんなさい。本当にごめんなさい。でもわたしにとってランスは、何千何万の命よりも大切で愛おしく思えてしまうんです」


「そんな……頼む、私にその男を殺させてくれ!」


「ならば、わたしも殺してください。彼のいない世界では、気が狂ってしまいそうですから」


「ナナミさん、そんな言い方は卑怯だ……」


「ですね。ごめんなさい」


 卑怯だとも思う。

 ノレイン王子の優しさを利用しているようで後ろめたくもある。

 それでもわたしは手鏡を下ろすつもりはなかった。

 ノレイン王子が一歩を踏み出そうとする。

 わたしも僅かに手鏡を持つ手に力を入れた。

 刃はほんの少し進んだだけのはずなのに、全身を痛みが走り、寒気が襲う。

 けれどその寒気も痛みも心地よくて、


 そしてノレイン王子の足が止まる。


 気がつけばわたしはまた笑っていた。


「糞っ……畜生ぉぉぉぉっ!」


 投げ捨てられる剣。

 聞こえるはずの、砂の上に打ち捨てられる音が掻き消される。

 叫び。

 ノレイン王子の苦しみが、葛藤が、その片鱗が肌に響いて、気がつけば涙がわたしの頬を流れていた。


 人間だ。

 ふとそう感じた。


 王子としてではなく、一人の人間としての声だ。

 悲しみが、怒りが、願いが、義理人情が、愛と決意が、その全てが宵闇の藍に響き、吸い込まれていった。

 わたしは手鏡の剣をゆっくりと下ろす。

 仕舞おうとしたところで「まだ構えていろ」とグレン様の声が聞こえたので、とりあえず右手には持っておく。

 けれどもう、ノレイン王子にその気はないように思えた。

 苛立ちはまだ隠しきれていないが、平静を装えるぐらいにはなっていた。


「それで、私に話というのは何なんだ。大切な内容なのだろう?」


 ノレイン王子の言葉に、わたしは頷く。


「戦争を、終わらせに来ました」


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