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第5章「届かぬ声」⑥

 ランスが親指と中指に力を込める。

「駄目ぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」

 わたしは叫ぶ。

 しかしそれは、直後に巻き上がった爆発と熱風に掻き消された。


 体が宙に浮き、砂の上に投げ出される。

 視界は一瞬で真っ白く染まった。

 まぶしさに目が慣れてようやく見えてくるのは、微かな黄色い火の粉。

 聞こえてくるのは、悶え苦しむ無数の声。

 それらも十数秒経てば全く聞こえなくなり、風がうねる音が辺りを包み込んで、次第に炎が赤色に染まっていく。

 どす黒い煙が立ち上り、僅か一分ほどで完全に炎は消えた。

 直径約百メートル。

 砂さえ黒く染める炎の跡は寸分狂いのない円形をしていて、その中にいたはずの千二百人ほどの弓兵は、そのすべてが黒く灰となって、すでに人間としての原形をとどめてはいなかった。


 誰もが手を止め、誰もが言葉を失っていた。


 おぞましい光景だった。

 骨だけになり、それさえも熱で歪んでしまっているモノ。

 ミイラのように皮も肉も炭になってしまっているモノ。逃れようと這い出して、左腕と首から上だけが残っているモノ。


 もはや人としての姿を失った千二百人は、そのすべてが悶え苦しみ、逃げ出そうと必死になり、それが叶わなかったことを黒い亡骸たちから見て取れた。


 胃の奥底から溢れ出しそうなものを必死で堪える。

 頭が割れそうに痛む。


 あの夢の光景と同じものが、たった今、目の前に広がっていた。


「これが、人間のすることかよ……」

 二本傷の兵士は言う。

 そしてそれは、誰もが思うはずの言葉だった。

 この光景を前にしても尚、ランスは何も感じないのだろうか?


「全員、その場を動くな」


 ランスは再び、左手を掲げると親指と中指を重ねる。


「リアちゃん。右後方に回り込んできている部隊に動きがあれば滅ぼして。ミリアは石火矢だ。少しでも妙な動きがあれば、すべて破壊するんだ」


 ランスの指示に、リアちゃんとミリアが頷いた。

 敵陣左翼にいるグレン様とマドカさんは満身創痍といった感じだ。グレン様は左足を引きずり、マドカさん自身も辛そうな手傷を負い、それでもグレン様に肩を貸している。

 それでもグレン様たちが倒した兵は三百を超えているように見えた。

 ランスが言葉を続ける。


「先ほどと同様の魔法式が、『焔の国』の西側半分が消し飛ぶ範囲で仕掛てある。これでチェックです」


 違う。それは嘘だ。

 もしもそれができるのならば、ランスは既に実行していたはずだ。

 その準備が間に合わなくて、ランスたちはいままで戦闘を強いられていたんだ。


 それでも『焔の国』の兵士の動きは止まる。

 誰もが息を呑む。

 しん、と静まり返った空間で、風の音だけが吹き抜けた。

 わたしはランスの狙いを考え、そして次の言葉でようやく理解する。


「けれど、僕もそんなことはしたくない。ノレイン王子。ノレイン・ウー・ヒースクリフ。先日の決着をつけませんか? あなたが勝てば撤退してあげますよ?」


 だからこの言葉は、ノレイン王子を呼び出すためのものだ。

 ランスはノレイン王子と話をするために、出てこざるを得ない状況を作ったのだ。


「私一人を呼び出すために、随分な条件を出したものだな」


 兵士たちの間に一筋の道ができ、ノレイン王子が姿を現した。

 灰色の髪をした大男は、右腰に二本の剣を構え、さらに左手にもう一振りの剣を持っている。

「その魔法とやらが本当にあるのかも怪しいものだな」

「それでも来ないわけにはいかない。違いますか?」

「だな。だから今こうして来ている。貴様の手の内で踊るのは癪だがな」

 ノレイン王子はランスの前まで来ると、左手の剣をランスに手渡した。

「僕の分、ということですか?」

「丸腰の相手に剣なんか振り回せるか。魔法も自由に使え、こちらは二本で行く」

「わかりました」


 数歩分だけ離れた距離で、二人は互いににらみ合う。

 次第に空の色は黒から藍に。

 そして地平から細い一筋の光が放たれたその瞬間だった。


 ノレイン王子とランスが同時に走り出す。

 

 ノレイン王子は腰の右に差した剣を左手で抜き、右手に持ち替える。

 ランスは右手で剣を抜くと同時、左手に持っていた鞘を投げる。

 ノレイン王子はそれを左手で払い除け、しかしその隙にランスは肉薄し剣を突き出す。

 ノレイン王子は身を翻し、しかしランスの剣はノレイン王子の脇腹を掠る。

 そのままのレイン王子は体を返すと、一瞬で背後に回りこみ、横薙ぎの一閃。

 首筋を狙うそれは、だが否応なく軌道を逸らされる。

 指を弾く音。

 次の瞬間、ノレイン王子を腹を狙って巨大なツララが形成される。

 ノレイン王子はそれを回避し、しかしランスの右手から放たれたツララがノレイン王子を追った。

 ノレイン王子はそのツララを砕き、そして仕切りなおし。

 それから数回、十数回に渡る打ち合いが続いた。

 時折、ランスとグレン王子の口が動く。

 問答でもしているのか、憎まれ口でも叩いているのか。

 二人の剣撃から、殺気のようなものが無くなった気がした。

 それでも依然として戦闘は激しく、気のせいだとわたしは頭を切り替える。


「えっ……」


 ふと、寒気がする。

 嫌な予感がした。

 ノレイン王子が一転、飛来するツララを弾くとランスに向かって再度踏み込み、右手はランスの剣と鍔迫り合いの均衡。

 互いが互いの剣を封じたまま微動だにしない僅か三秒を、とても長く感じた。


 いや、違う。

 封じられているのはランスだけだ。


 だってノレイン王子は、本当は左利きなのだから。


「ランス、退いてっ!」

 わたしは叫ぶ。しかしランスは退こうとはしなかった。

 ランスがツララを作ろうと右手を構えるが、それはわたしから見ても失策だった。

 何度も使っているその手は、完全にタイミングを読まれている。

 ノレイン王子は集まる風を蹴り散らして魔法を阻止し、大きく踏み出した勢いでランスの体を押し飛ばす。

 ランスの体勢が崩れる。

 完全に無防備になる刹那をノレイン王子が見逃すはずがなかった。


「これで終わりだ、バケモノ」


 決着は一瞬だった。


 ノレイン王子の左手が二本目の剣に触れ、そして剣は振り抜かれる。


 目に見えない速さで振りぬかれたそれは赤く染まり、鈍い音がしてランスの左腕が斬り飛ばされた。

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