第5章「届かぬ声」④
馬に乗ったことがないこと話すと、アナさんが馬の手綱の握ってくれることになった。
わたしがアナさんの後ろに座ると、馬は走り出す。
出発はランスたちと、二、三時間は差がついてしまっただろうか。
「ナナミさん」アナさんが言う。「どうして井戸のことに気づけたんですか?」
「前に『焔の国』の人……というか王子とその護衛だったんですけれど、会ったことがあるんです。そのとき、護衛さんたちが井戸の水の汲み方を知らなかったのを思い出して、もしかしてって思ったんです。でもまだ、自分でも言っていて信じられないんです……そんな簡単なことで?って」
「ですが、それを知らないがために滅んだ国も、かつていくつもわたくしは知っています。ひとつの知識や情報、技術は、ときに国ひとつを傾けるほどの力を持つんです。だからこそ、わたくしの国は情報を大切にします。『穂の国』には水脈を正確に測り、深くまで土を掘削する技術があります。その技術を教えることはできませんが、『穂の国』の人間が『焔の国』に行って掘ることは可能です。わたくしの出身の集落と、隣の集落ぐらいまで声をかければ、かなりの数を掘れると思います」
「つまり、それを伝えれば……」
「ナナミさんがランス王子を力ずくで止める必要も無く、この戦争は終わります。『焔の国』には責任を持って、『穂の国』の者が井戸を掘りにいきますので」
「ありがとうございます、アナさん」
「いえ。人が亡くなるのは悲しいことですから」
『月の国』の東の端で馬に爪蹄を履かせ、わたしたちはさらに東へと砂漠を往く。
アナさんに聞いたところ、ランスたちが『焔の国』に着くのはおそらく夜の二時ごろらしい。おそらく夜襲を仕掛けるつもりなのだろう。
わたしたちが『月の国』を出たのが、ランスたちの二、三時間後なので、追いつくのにもそれぐらいの時間差ができてしまう。
ランスたちがある程度の時間を準備に費やすとしても、それが三時間も掛かるとは考えづらい。
それでも間に合ってほしいと願わずにはいられなかった。
陽は暮れ、昼間とは一変して辺りが冷え込む。変らない景色の中を、月明かりと方位磁針だけを頼りにひたすら馬を走らせた。
どれぐらい時間が経っただろうか。
目の前の景色に少しだけ変化があった。
砂埃だ。
風の音に混じって、次第に人の声聞こえてくる。多くの鼓舞し叫んでいる声が重なり、押し寄せてきているようだった。
「なんで……」
そこでは、戦争が始まろうとしていた。
以前に見た二千人の軍勢にと比較して、『焔の国』の兵士の数はその数倍もあるだろう。
「一万二千人……といったところでしょうか」
アナさんが口にした『焔の国』の兵士の人数は、『月の国』の人口の半分だ。
改めて、その人数の多さを認識する。
咄嗟に用意できる人数でないことは、軍事に詳しくないわたしにも分かった。
「まさか、待ち構えられていたってことですか?」
「そういうことだと思います。しっかりつかまっていてください!」
不穏な気配を感じた。
それはアナさんも同じだったようで、馬は大きく加速する。
虐殺に来ると読んだ一手。
時間まで予測して周到に練られた準備。
ランスの出方を知る人物に、心当たりは一人しかいなかった。
この采配は、ノレイン王子だ。
そもそも、わたしは能力を使った反動で三日も眠っていた。
ノレイン王子とランスが戦ってから五日目になる。
兵力を分散させて『月の国』攻め込むならば、その間にできたはずなのだ。
もしノレイン王子がその策よりも、今の状況を選択したのだとしたら……
「ランスたちに勝ち目は無い。このまま戦っちゃいけない……」
「ナナミさん、能力は使えますか?」
「だめ。さっきから試しているんですけど、全然発動しないんです」
戦場はまだ遠い。
詳細が分からないかわりに全体像が良く見えた。
ランスたちが一箇所に固まっていて、その東側を半月型に迎え撃つように『焔の国』の兵士が構えている。
途端、大きな爆発音が響く。
石火矢だ。
『焔の国』の兵士の最前列と、最後列に組まれた台座の上のをあわせて四十八門。それらが一斉に火を噴いた。
しかしそれはランスたちのいる場所まで届くことは無く、ただひとつの巨大な影に阻まれる。
その巨体は、まるでトカゲかワニを二本の力強い足で立たせたようだった。
切り裂き握り潰すことに長けた二本ある腕と、自在に振り回される三本の尾と、何よりその巨体を力任せに宙へ浮かせる大きな翼がついていた。
長い首の先には、地上の生き物のどれとも似つかない、尖り、歪み、それでいて重く威圧感のある頭をしていた。
「ドラクル……」
アナさんが呟く。
ドラクルとは空想上の生物だ。
けれどわたしは、その生物の本当の名前を知っている。
真面目で頑張り屋で、ちょっと抜けてるわたしの仲間。
幾度も、何百回も鉄球を受けながら、ドラクルに姿を扮した泣き虫な少女は足を踏ん張り続けていた。
「ミリア……」
ミリアの体の陰にいるのは、ランス、エミリアさん、リアちゃん、マドカさん、そしてグレン様の五人だった。現状では五人には石火矢への対抗策がないように思えた。
グレン様ならば能力で、迎撃のことを予知できたのではないのだろうか?
もしくは、わたしのように能力を自在に使えるわけではないのかもしれない。
ようやくランスたちの声が聞こえるところまで近づく。
もう少しだ。
「二十三秒後、脇目も振らずに走って来い」
えっ?
グレン様の声。しかしそれはわたしに向けられたものではなかった。
グレン様はミリアの陰から飛び出すと、敵軍の左翼へと駆ける。
途中、加速と減速を繰り返し、石火矢をぎりぎりのところでかわしながら、ついには敵兵の中に斬り込んだ。
なるほど確かに、そこならば石火矢を撃ちこむことができないはずだ。
そして、おそらくはグレン様が駆け出してから二十三秒後。
グレン様を追ってマドカさんは走り出していた。
まるで偶然のように、マドカさんには砲弾が一撃も当たらない。
敵軍が近くなるとマドカさんは腰に差したフライパンを手に取る。
敵兵が振り下ろす刃をフライパンですべて受け切り、すぐさま横薙ぎの一閃。
自分より一回りも二回りも大きな兵士を一度に五人ほど倒して、マドカさんも敵兵の群れの中へと消えていった。
「マドカさんたち、大丈夫かな……」
「お二人がご一緒なら大丈夫ですよ。それよりナナミさん、もうすぐです」
「はい!」
わたしとアナさんがランスたちの元に辿りつくまで、あと十秒と掛からないだろう。
けれどその僅かな時間が待ちきれなくて、わたしはランスの名前を叫んだ。
「ナナミ、どうしてここに……」
「見て分かるでしょ、追って来たのっ! のけものぼっちーにされて、ちょっと寂しかったんだから」
「のけものぼっちーって?」
「とにかくわたし怒ってるんだからね。ランスの馬鹿ぁ!」
ランスにパンチしようとした手は、しかしアナさんに掴まれて止まる。
「ナナミさん、それよりも伝えなきゃいけないことがあるんでしょ?」と窘められ、わたしは本来の目的を思い出す。
「そうだ、ランス。実は……」
「ごめんナナミ。その前に五十メートルほど後退する。それで石火矢の射程からは外れるはずだ。みんな走って!」
ランスに続いて、リアちゃんとエミリアさんも走る。
わたしとアナさんもそれに続いた。
そしてわたしたちが、石火矢の射程から外れたことを確認し、ミリアは翼を大きく羽ばたかせると、空を飛んだ。
砂埃が舞う。敵軍の姿が全く見えなくなり、しかしそれは相手も同じだったようだ。
『焔の国』の攻撃の手が止まっているこの間に、わたしはランスに説明をした。
『焔の国』には井戸がないこと。地下には水脈があり、井戸を作ることは可能なこと。井戸を掘るのには『穂の国』が協力してくれること。それを『焔の国』に伝えることができれば、戦争する必要はもうないということ。
「だから、ノレイン王子と話さえできれば……」
それで、戦争は終わる。みんなが危険になることも、敵の兵士が死ぬこともない。
そして何より、ランスがこれ以上、人を殺めなくて済むはずだ。
もう悲しいとか、苦しいとか、そういった感情をランスは持ち合わせていないのかもしれない。
罪悪感なんていままでたくさん感じすぎて、壊れて分からなくなってしまっているのかもしれない。
それでもわたしは嫌だ。
ランスが人を殺めるところは見たくなかった。
ランスがどこか遠くへ行ってしまうようで。
ランスが暗い沼へと、深く深く沈んで行ってしまっているようで。
いつかわたしの知らないところへ行ってしまう……声も届かないようなところへ消えて行ってしまう。
それを繋ぎ止めたい一心で、一縷の希望を託す思いで告げた言葉はしかし、
「ごめんね」
「――――――っ、」
届かない。
わたしは息を呑む。
ランスの貼り付けたような、いつもと同じ優しく整った笑顔。
『ごめんね』という言葉よりも、その表情のほうが何倍も悲しかった。




