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第1章『月の国』②

 わたしは第十三棟を出る。


 王宮の敷地の隅に建てられた、最も新しく、最も小さい第十三棟は、魔法を研究するためにランスが建てさせたものだ。三階が実験室で、四階がランスの寝室兼書斎。そして二階にはランス専属の使用人のための寝室がある。わたしも毎晩、十三棟の二階で寝泊りしている。


 わたしは第十三棟の螺旋階段を四階から一階まで一気に駆け下りる。

 王宮の構造は、中央にどでかい居館があり、十二の棟と使用人用の宿舎がそれぞれ屋根つきの廊下で繋がっている。第十三棟だけが孤立しているので、わたしは薔薇園を迂回して、第六棟の裏にある勝手口へと向かう。そこから第七棟を経て、居館にある厨房へと向かう。


 わたしたちのような女の使用人の制服は、エプロンが縫いこまれたようなロングスカートのワンピースだ。給仕服としての機能も併せ持つそれは、シックな黒の生地にところどころ刺繍が織り込まれ、とても上品に見える。

 その制服の走りにくい構造に舌打ちしながら、わたしは厨房へ続く廊下を全力で駆けた。


 わたしは厨房に入ると、すぐさま樽にたまった水を使って手を洗う。

「遅くなってごめんなさいっ!」

 わたしがそういうと、使用人仲間のリアちゃんとエミリアさんが振り返る。


「げっ……来ちゃった」


「ほら、リアちゃんがもっと手際よくやらないから」

「エミリア姉さんだって、ちょっと遅れて来たじゃないですか! 一時間前に集合って言い出したの、姉さんですよ?」

「庭の手入れが思いのほかてこずっちゃったのよ。庭なんか無きゃいいのに」

「知らないですそんなの。ってか、急いで仕事終わらせて来たのに、時間になってもわたししかいなかったですし」

「だから、それはごめんって」

「ミリア(ねぇ)も呼べばよかったのに。声かけているものだとばっかり思ってたです」

「あの子はダメよ。急がせるとお皿を割るもの」

「姉さんが急がせなきゃいいんじゃないです?」

「だってナナミちゃんが来ちゃうじゃない」

「まぁ確かに、ナナミさんのアレは格段に残念だからそうなんだけど……」


 ちょくちょく失礼なことを言われている気がするのは、わたしの気のせいだろうか?


「でもとりあえず、ナナミさんもミリア(ねぇ)も、エミリア姉さんよりはよっぽど働いてくれるんですけど?」

「わたしだって、やるときゃやるんだから」

「じゃぁいつもはサボってるんですね」

「え? それが普通じゃん?」

「そんなわけないのですっ!」

 リアちゃんがわたしに振り返る。思いっきり同意を求める目だ。

「ナナミさんもそう思いますよね?」


「もちろん! お仕事は責任を持ってきっちりやらないと!」


 ついさっきまでお仕事をすっぽかしてソファで居眠りをしていて、挙句、ランスに自分の仕事をやらせてしまい、魔法を見せてもらってとっても楽しい時間をすごしていたなんて、口が裂けても言えないのです。反省してます、はい。


 そして今度は、エミリアさんと目が合った。エミリアさんはきょとんとした顔をしていたが、やがて意地の悪い笑顔に変わる。

「あら? まぁ! うふふふふ」

「えっと……エミリアさん、なんでしょう?」

「えっ? 別に~ ただ、さっき見ちゃったのよねぇ」


 バレてるっ!


 わたしは慌ててエミリアさんに駆け寄る。

「風呂炊き二回っ!」

「五回ぐらいかな♪」

「そんなぁ、三回ぐらいでなんとか……」

「四回。これ以上は譲れないから」

「風呂二回、薪割り二回は?」

「風呂二の薪三なら考えてあげる」

「うぅ……じゃぁそれで」

「商談成立ね。まいどあり~♪」

 嗚呼……今週は忙しくなりそう。もうやだ。


 まぁとにかく今は、昼食の準備をしないと。

 わたしは気持ちを切り替える。

 ちなみに朝食は王宮全員分を一度に作って、それぞれの王族の部屋に運ぶ。昼食は王族の方々がそれぞれ、その日の都合に合わせて変えたりする。夕食は王族が一堂に会して、居館の大食堂で食べている。


「で、リアちゃん。あとは何をすればいいのかな?」

「えっと、ナナミさんは、その、えっと……」

「遅れてきた分、頑張っちゃうから」

「じゃぁそうですね、えっと、あの……」

 リアちゃんがすっごい悩んでいる。

 そんなにも説明しにくい、複雑な料理を作ろうとしていたのだろうか?


「大丈夫よ、リアちゃん。わたし、料理は得意なんだから!」


「そんなわけないでしょ!」


「うにゃ! 痛いっ!」


 何故か突然、背後から頭を叩かれる。

 振り返るとエミリアさんがハリセンを持っていた。

「名づけて、『Worldend(荒廃した世界の終焉と) Daybreaks(新たなる夜明けを祈る) Blade(世界で最後の剣)

 いや、聞いてないし。

 というか、いつの間に作ったのだろう……


「とにかく、あんたは食材に触っちゃダメ!」

 エミリアさんはいつになく必死な口調で続ける。

「ナナミはどんな食材も、虫一匹寄り付かないような素敵でワンダフルな生ごみに変えちゃうんだから……って、何で嬉しそうな顔してるのよ? 『生ごみ』って言ってるでしょ、褒めてないから。きょとんとした顔もしなくていいから!」

「そんなぁ」

「ナナミさんの料理って、盛り付けはすっごい綺麗ですよね。盛り付けは」

 今度はリアちゃんが言う。

「見た目も上品で香りも良いし、一口食べるまでは、文句の付け所の無い一流料理なんです。そのうち本当に人を殺しちゃうと思います」

「リアちゃんの言うとおりよ。人死にが出る前に、ちょっとは自覚もちなさい!」

「うにゃぁ……」

「『うにゃぁ』で誤魔化さないの!」


 どうやらわたしの料理は、それほどまでに酷いらしい。

 自分で食べる分には、我ながら美味しいと思うんだけどなぁ……


 そんなことを頭の半分で考えながら、残り半分では、今朝も見たあの夢のことを思い出していた。


 『死』という言葉は苦手だ。


 どうしてもあの夢を思い出してしまう。

 記憶には無い景色の、記憶のように生々しい夢。

 わたしと親しかったらしい人たちが大勢死に絶えてしまう夢。

 人が死ぬのは嫌だ。誰かを殺めてしまうのはもっと嫌だ。だからまだちょっと納得いかないけれど、リアちゃんとエミリアさんの忠告は聞いておこうと思う。


「ナナミさん、顔色が悪いですよ?」

「ちょっと、大丈夫? 顔が真っ青よ」

「あ、ううん。大丈夫です」

 どうやら心配をかけてしまったようだ。

 もっとしっかりしないと!

 ちょっとわざとらしいかもだけど、わたしは話題を変えることにする。


「あれ? そういえばミリアは?」

 ミリアは、わたしと同い年ぐらいの使用人仲間だ。

 まぁわたしは自分の歳を知らないから、だいたいそれぐらいかなって勝手に思っているだけなんだけど。

 リアちゃんとエミリアさんが同時に指を差したのでそちらを向くと、昼食を台車に乗せたミリアが厨房の奥から出てきたところだった。


「昼食、完成です。あ、ナナミちゃん来てたんですね、お疲れ様」


「ごめんね、遅くなっちゃって」

「ううん、大丈夫。リアちゃんと姉さんのおかげで、なんとかなったから」

 そう言うとミリアは右手でVサインを作り、微笑んだ。

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