第5章「届かぬ声」③
皿洗いを終え、わたしは王宮を出る。
買出しだ。
メモに書かれた品物を買うには、市場街の西側の店を五箇所、東側の店を七箇所回る必要がある。
重いものは無いようだが、少し時間がかかりそうだった。
今が九時過ぎなので、昼までに王宮に戻るのは難しそうだ。
「とりあえず西側から行こうかな」
自分の好みの店も寄り道しながら、メモに書かれたものを買ってはまた店を巡る。
途中でタバスコを売っている店があったので、一瓶買っておいた。
西側の店を全て回り、少し休憩しようかと中央広場へ向かう途中だった。
「あ、ナナミさん」
声をかけられて振り向くと、アナさんがこちらに手を振っていた。
いつもと違う場所だったが、アナさんはいつもどおりに果物を配っていた。
わたしはアナさんに駆け寄る。
「こんにちは。今日は西側なんですね。いっつも東側だと思っていました」
「グレン王子がこの場所を用意してくれたんです。今までより人通りが多くて大忙しですよ。あ、ナナミさんもよかったらひとつどうぞ」
アナさんが差し出してくれた果物を受け取る。
甘い香りのそれを頬張ると、香り以上の甘みと瑞々しさが口いっぱいに広がった。舌の上でとろけるような柔らかい果肉は、まるで吸い込まれるかのように、喉の奥へと落ちていった。
「アナさん、とっても美味しいです! 『穂の国』ってやっぱりすごいんですね」
「ありがとうございます。でも、方法を知っていれば『月の国』の土でも、この果物は作れるんですよ」
「そうなんですね……ちなみに、どうやるのです?」
「内緒です。それを教えちゃったら、誰もわたくしの果物を貰ってくれなくなってしまいますから」
アナさんは冗談めかして言ったあとで、少しだけ『穂の国』について説明をしてくれた。
『穂の国』は情報や技術を財産と考えていて、それが漏れることは国家の滅亡を意味すると教え込まれているそうだ。
『感謝される国、周りの国から「無くてはならない」っていわれる国』という立場だからこそ存続できている国だから、情報が漏れて、どの国でも同じように作物が作れるようになるのは、国家として死活問題だということなのだろう。
いざというときに自害するための短刀を見せられたときには、正直その……うん、ゾッとした。
「ところでナナミさん。今日は何を買っているのですか?」
「えっとね、わたしも良く分からないんですけど」
わたしはアナさんにメモを渡すと、アナさんは首を傾げた。
そして……
「ナナミさん、からかわれていませんか?」
「うにゃ? どうかしたのです?」
「どうしたもなにも……いろいろな国の言葉で書いてあるだけで、これってどれも塩と砂糖ですよ?」
「えっ? このピンク色の石も、水晶みたいな透明なのも、サイコロ型の白い塊も、不思議な融けない氷も、この茶色い液体も全部?」
「はい。岩塩と、塩の粒子の結晶。これは角砂糖と呼ばれるもので、こっちは氷砂糖。茶色の液体はカラメルシロップという砂糖水を煮しめたものです」
「えぇーーーーーーっ!」
思わずわたしは膝を付く。
三時間も町を歩いて回った疲れが、思い出したように圧し掛かってきた。
「元気出して」とアナさんに頭を撫でられる。
「いいこいいこ~」
「うにゃー」
「お使いご苦労様ですね」
「うぅ……アナさん、さっきのメモをもう一度いいです?」
返してもらったメモを見る。
字の癖や大きさを見る限り、それはランスの筆跡だった。
ってことは、ランスがわたしをからかったってこと?
しかしすぐ、わたしはそれを否定する。
その程度のことでランスが楽しいと思えるのなら、わたしだって思い悩んだりなどしない。
ならばどうして?と理由を考え、そしてひとつの可能性に思い至る。
「時間稼ぎ……でも何のために?」
思い当たるのは戦争についてだ。
わたしは頭の中で情報を整理する。
『焔の国』は湧き水と、果物などの作物でしか水分を賄うことができず、水不足がこのまま続くと国民の半分が死んでしまうこと。
『焔の国』が『月の国』の水を奪うために戦争状態にあること。
『月の国』の戦力はわたしも含めて、ミリア、リアちゃん、マドカさん、ランスの計五人がいるだけだということ。
それ以上の数の部隊に一斉に攻撃されたら『月の国』に勝ち目はないということ。
だから『焔の国』が出兵する前に、こっちから攻めに行ったってこと?
けれどそんなことをしたら、『焔の国』の全戦力と正面衝突してしまうのではないだろうか?
この前は二千人を五人で退けたけれど、今回はそうはいかないはずだ。
『焔の国』の近くでの戦闘ともなれば、むこうの補給物資も十分だし、持久戦に持ち込まれたら勝ち目は無い。
石火矢もこの前とは比べられない数が用意されるだろう。
むしろ、『焔の国』の近くにランスたちが足止めされてしまったら、別働隊が『月の国』を制圧に来る。
攻めても、守りに徹しても勝ち目は無い。
もしかしたら既に、『月の国』は詰んでいるのかもしれない。
そもそも、この戦争で『月の国』が生き残るには……
「『焔の国』に『月の国』と戦うだけの戦力が無くなったら……いや、違う」
そこでふと気づいてしまった。
武力の大小ではなく、戦争の勝敗でなく、しかしそれらで勝つよりももっと暴力的で、残虐な方法があることを。
『月の国』に全くの被害は無く、最も安全かつ確実で、しかしこれ以上ないほど非人道的な手段の存在を。
つまり……
「『焔の国』の人口が半分になれば、戦争は終わる」
口にしただけで寒気がした。
たしかにそうすれば、『焔の国』が水不足になることはなく、戦争する意味を失う。
だけどそれは『焔の国』の武器を持たない一般市民を、女子供関係なく虐殺するということだ。
「嘘よ、ランスがそんなことするはずが無い……」
わたしはそれを信じられずにいると、しかしアナさんは言う。
「詳しくは分かりませんけど、ランス王子だからこそ、虐殺という選択はありえると思うのですが」
「そんな……」
しかし、考えが甘いのはわたしなのかもしれない。
ランスが『剣の国』を滅ぼしたという言葉を、わたしはたぶん本当の意味で理解できてはいないのだろう。
そしてふと気づく。
もしもわたしを買い物に行かせた目的が、本当に時間稼ぎだとしたら。
「ランスたちはもう『焔の国』に向かってるっていうこと?」
「その可能性は十分に考えられると思います」
言葉を失う。
立ち尽くすわたしの頬を、首筋を風が撫でた。
にぎわう町の中で、ここにはわたししかいないような感じがした。
わたしはまた置いていかれたのか……
「なによそれ……」
握っていた手の中が、ふと軽くなる。
そして硬いものが割れるような音。
地面に叩きつけられて滅茶苦茶になったものを更に踏みつけ、それでも気持ちが治まらなくて、これ以上閉じれないぐらいにもっともっと、掌に爪を突き立てて拳を握り締める。
言いようの無い感情が心の奥底から広がってきて、目に見える全てを塗りつぶした。
怒りじゃない。
そんなものはとうに超えてしまっている。
自分への絶望があって、ランスへの恨みがあって、でも悲しくて悲しくて、それなのに涙が一滴も出る気配は無い。
信じてもらえなかったようで悔しくて、わたしのことを大切に思ってくれている気持ちが殊のほか妬ましかった。
理不尽に納得がいかず、世界も自分も滅茶苦茶にしたい衝動があって、今にもランスを殴り飛ばしたくなる。
けれど好きだからこの感情が生まれているのも分かっていて、
「ふざけるなぁぁぁぁぁぁぁっ!」
だからわたしは叫んだ。
夕日に染まる丘の上で、ランスの言っていた言葉が脳裏を過ぎる。
『もし戦争になったら、ナナミは逃げてほしい』と。
きっとこうしてまたランスは、わたしの手の届かないところで罪を背負い込んでいくんだ。
誰かの手を汚さないために何度も何度も、自分の両手を赤く赤く染めていくんだ。
あの細い指で、わたしよりもほんの少し高いだけの華奢な体で、一体どれほどのものを守ろうとしているのだろう。
もう人を殺めてほしくなんか無い。
もしまだランスがそんなことを続けようとしているなら、わたしが絶対に止めてやる。
だからわたしは、制止しようとするアナさんを振り切って走り出した。
「ランスの馬鹿っ……」
向かう先は王宮。
ただ追いついたって意味が無い。
進もうとするランスを無理矢理にでも止められるだけの力が必要だった。
わたしは息が苦しくなりながら、それでも地面を蹴り続けた。
道端に転がる石のうち、黒く尖った小石を選んで拾う。砥石にも使われるとても硬い石だ。それともうひとつ、手に治まるサイズで大きめな石をポケットに入れる。
王宮の門をくぐり、第十三棟の階段を駆け上ると、使用人用の寝室の扉を開ける。
案の定、もぬけのからだった。
わたしは自分のベッドの枕元から、ランスのくれた手鏡を手に取る。今だけはその手鏡が、何よりも重く、何よりも握り心地の良いものに思えた。
わたしは手鏡を床に置くと、その横にマドカさんからもらったメモを置く。
手鏡の柄を膝で押さえ、黒い石の先端を手鏡の淵に当てる。右手に大きい方の石を持って、黒い石の尻を叩いた。
自分でも驚くほどに手際よく、手鏡の金属製の枠に紋様は彫られていく。
十分と経たないうちに魔法式は完成した。
「ミリア、ごめんね。でも今はこれが必要なの」
ポケットに手鏡を入れる。
厨房に忍び込んで軽食を調達し、貯め置いてある水の中に水筒を沈めてそれを満たした。
そしてふと思う。
『焔の国』には、わたしたちが当たり前のように使っている水が手に入らず、人が死んでいるのだと。
兵士の一人に嘘をついて馬を一頭借りる。
全ての準備が整って、王宮の門を一歩出たときだった。
「ナナミさん……」
わたしを追いかけてきていたらしく、息を切らしたアナさんがそこに立っていた。
「行くつもりですか? ランス王子のところへ」
「はい。そして止めます。たとえランスと戦うことになったとしても」
「ならばご一緒させてください。お力になれると思います」
アナさんの目は真剣だった。
そしてわたしも、アナさんの力を借りたいと思っていたところだったのだ。
簡単なことだ。
そう思えてしまうほどに当たり前のことだ。
しかし、それが簡単ではなく、当たり前とも思えない国があったとしたら?
山には湧き水があり、果物が育ち、それらで国民の半分が生活できている。
水が不足になるどころか、本来ならば水源の豊かな地方なのだろう。
ならば、地下にもに十分な水脈があってもいいのではないだろうか。
だからわたしは、アナさんに問う。
「手伝ってほしいです。『穂の国』に、井戸を掘る技術はありませんか?」
アナさんはきょとんとした顔をし、しかしすぐ意味を察してくれたのか、真剣な顔で首を縦に振ってくれた。
「あります。水脈探知も土を深く掘削することも任せてください」
アナさんの「これで戦争が終わるんですよね?」と言う言葉に、わたしは頷いた。




