第4章「ランス王子」⑥
「え?」
わたしは眼を疑った。
ランスが右手のツララを、今まさに突き出そうとしていた。
しかしノレイン王子に刺さる直前、そのツララが動きを止めたのだ。
どこまでも続く一繋がりの空気を、まるで溶けたガラスか水飴のように重く感じる。
突き進むはずのツララを周りの空気が掴んでいて、その現象がわたしの意志で起こっているということをただ理解した。
何が起こったのかなんて解らない。
けれども、これで二人が争うのを止められると思った。
ランスが新たなツララを作ろうとし、ノレイン王子が銀の剣で反撃しようとするので、二人とも動けないように押さえつける。
直後、気付く。
水飴のような空気を掻き分けて、三方向から矢が飛んで来るのを感じた。
わたしが矢を止めようと思えば、矢の動きは止まった。
折って捨てる想像をすれば現実がそのとおりになった。
ノレイン王子が言っていた『勝ち』の意味をようやく理解する。
自分を囮にしてランスの動きが止め、その隙に射殺すことを言っていたのだ。
続いて飛んでくる矢が計八十一本、その全てを止めたところで今度こそ矢は飛んでこなくなった。
これが、ランスの言っていた『空間掌握能力』なのだろうか。
もしもわたしが能力者じゃなかったら、この能力が都合よく発動してくれなかったらと思うとゾッとする。
飛んでくる矢に気づけたのは本当に偶然だし、わたしの能力が別の何かだった場合でも、ランスを守ることはできていなかっただろう。
「わたしがランスを守らないと……」
意を決する。
察知できる範囲を広げようと集中する。
三人の弓を持った兵士を捕捉して、そのまま持ち上げて近くまで連れてくる想像。
イメージ通りに弓兵が宙を飛んでわたしの目の前で落ちる。
わたしは三人の弓兵と二本傷の兵士、そしてノレイン王子に言い放つ。
「帰ってください」
この開いた場所で、自分の言葉が反響したようにぼやけて聞こえる。
ちゃんと聞こえているか不安に思ったが、顔に出さないようにして言葉を続けた。
「今この場で足の骨を折ったりして、全員の身動きを取れなくすることがわたしにはできます。でも、わたしにそんなことはさせないでください。ランスはわたしが守ります。次に手を出してきたら、そのときは容赦しません」
嘘だ。
足の骨を折るなんて怖くてできないと思うし、いざというときにちゃんと能力を発動できるのかも分からない。
それでも、これがハッタリだと言い切る証拠も無いはずだと、わたしは自分に言い聞かせた。
「退くぞ」
ノレイン王子がただ一言そう言うと、四人の護衛も続いて退散する。
追おうとするランスを能力を使って引き止め、ノレイン王子たちが見えなくなるまで拘束した。
集中力の限界だった。
気を緩めた瞬間に能力は途切れ、全身に力が入らなくなる。
それでもわたしの体を突き動かしたのは、怒りだった。
縺れそうになる足を踏ん張って、わたしはランスに詰め寄る。
「どうして止めたの?」
ランスが聞いてくる。
それが理解できないことがなおさら腹立たしくて、わたしはランスの頬を思いっきり引っ叩いた。
乾いた音が響く。
気持ちなんてちっとも晴れやしない。
熱く痛む右手を握りつぶして、わたしはランスを睨んだ。
「どうして止めたかって? ランスに人を殺してほしくないからよ。好きな人が誰かを殺めているところなんて見たくないし、もし止められるなら全力で阻止するに決まっているでしょ!」
「じゃぁ今度はナナミのいないときにするよ」
「そういう問題じゃない!」
「だが、これでまた戦争になる。『月の国』の戦力は、僕やナナミを数に入れても五人だけ。六部隊以上で攻めてこられたら、足止めし切れずに『月の国』は滅びるだろう。たった一人の人間を殺めるだけで、その事態は回避できたんだよ」
「『たった一人』じゃないっ!ねぇランス、誰かが死んだら悲しむ人がいるんだよ? わたしには分かるの。大切な人が突然いなくなるって、すっごいすっごい悲しくて苦しいの! たぶん記憶を失っても毎晩夢に出てくるぐらいに。なのにそれを敵意の無い人たちまでなんて……ねぇランス。それでランスは本当に、何も感じないの?」
ランスが笑う。
いままで見てきた笑顔が全部、薄っぺらく剥がれていく。
わたしの中で何かが壊れていくようだった。
「ごめん。でも、もう何も感じないんだ」
涙が出た。
ランスの笑顔が痛い。
とても自然な表情で優しく笑えているものだから、なおさら悲しい気持ちがこみ上げてきた。
きっと、悲しみだけじゃない。
怒ることも喜ぶことも、ランスにはもう分からなくなくなってしまっているのかもしれない。
「以前はね、殺した数を数えたりもしたんだ。悲しいと感じたし、それ以外の方法が無かったとしても、自分の無力さを嘆いたこともあった。最初の頃は一日中怯えていたりもして、罪悪感で夜も眠れなかったのを覚えている」
「だったら、どうしてこんなになってまで続けるのよ……」
「誓ったんだ。どれだけ苦しんでも、どれだけ罪を背負ってもこの国を守らなくてはいけないと、かつての僕が誓ったのを覚えている。今はもう、そのときの気持ちも理解できないけれど、ランスという人間にとって『月の国』は自分以上に大切なものだった。だから僕は自分がどうなろうと、もう引き返すわけにはいかないんだよ」
ランスがまた「ごめん」と笑う。
もう前みたいに、優しい笑顔には見えなかった。
心を失ってしまったその笑顔は、とてもとても寂しいものに思えた。
記憶を失ったわたしが立ち上がれるように、ランスは支えてくれた。
いろいろな人が支えてくれた。
けれどランスが立ち上がろうとしたときには、誰も寄り添うことができなかった。
だからランスは壊れるしかなくなってしまったんだ、きっと。
「わたしこそ、ごめん」
ごめんね、気づいてあげられなくて。
こんなに傍にいたのに。こんなに傍にいてくれたのに、わたしはいつも自分のことで精一杯で、助けてもらってばっかりだったね。
ランスが「どうしてナナミが泣くの?」なんてわたしの顔を覗き込むものだから、「見ないでよ。ランスが悲しくても泣けないからでしょ、馬鹿……」と、たぶん格好悪いことになっている顔をランスの胸にうずめた。
ランスが恐る恐る、わたしの肩に手を添える。
頬を叩いてしまった手前、『いいよ』なんていうのも恥ずかしくて、だからわたしは両手で強くランスの体を抱きしめた。
ランスの腕がわたしの体を抱き返してくれて、それがとっても嬉しかった。
「ランス、聞いて……」
わたしは弱音を吐いた。
拾ってもらってから今日まで、溜め込んでいたものを全部。
ランスがわたしを拾ってくれたばかりのころは不安でたまらなかったこと。
初めて会う人は誰もが怖くて、それを誰にも相談できなくて痩せ我慢していたこと。
戦争がとっても不安なこと。
みんながいなくなることが不安なこと。
本当に自分がここにいていいのか不安なこと。
でもやっぱり、今のこの生活が好きなこと。
ランスにもいっぱい助けてもらったこと。
ランスに何もしてあげられていないのが悔しいこと。
ランスにわたしのことを知ってほしいと思った。
ランスのことをもっと知りたいって思えた。
恥ずかしいこともかっこ悪いことも全部、思いつく限り話したら、ランスも自分のことを少しずつ話してくれた。
悲しい話が多かった。
中にはとても酷い話もあった。
話し出しに目を逸らしたときがあって、無理しなくていいよって何回も言った。
こんなにランスのことを知ったのに。
ほんの一時間前と全然違う一面を見ているのに、それでもランスを想う気持ちは変わらなかった。
この気持ちを告げたら、ランスはどう思うかな?
やっぱり何も感じないかもしれないな……
でも、今はそれでもいい。
それでも伝えたくて、だからわたしは
「ランス。わたし、ランスのことが好き」
ちょっと強張っちゃったかな?
ランスの目を見て、わたしは言った。
返事は無かった。それも仕方が無いと思う。
それでも、背伸びをしてランスの口に唇を重ねると、ランスはわたしを受け入れてくれた。




