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第4章「ランス王子」⑤

「その答えは『ありえない』だ。そうだろう、ランス王子」


 聞こえてきたその声は、ランスのものではなかった。

 背後を振り返ると、そこには灰色の髪をした大男。

 大男は右腰に差した二本の剣の片方に手を掛けたまま、以前会ったときとは似ても似つかない、怒りの形相でそこに立っていた。

 大男の背後には、同じく剣を構えた兵士が一人。

 頬に二本傷のある、以前会ったことのある兵士だった。


 張り詰めた空気。

 ランスが「ごめんね」と、わたしの手を放す。

 二歩、ランスが大男に歩み寄る。

 ランスが右手の指を弾くと、ほんの一瞬、冷たい風が吹いた。

 ランスの手にはガラスでできた大きなトゲとも、無骨なツララとも見て取れる透明な塊があって、それを剣のようにランスは構えた。


「何の用ですか? ノレイン王子」


 ランスが言う。

 怒りでも、殺意でも真剣でもなく、ただ寒気のするぐらい無感情に冷たい声だった。

「自分が殺められる理由に心当たりが無いとは言わせんぞ」

「全く無いですね。一国の王子のはずのあなたが、たった一人の護衛のみで敵国へ足を踏み入れるような理由も心当たりはありません」

「馬鹿を言うな。貴様の狂った頭では、俺のことを王子と認めてなどいないのだろう? もっとも、俺は貴様を人間と認めるつもりも無いがな」


 一瞬。

 何の前触れも無く、ノレイン王子が大きく一歩を踏み出してランスに斬りかかる。

 左手で振り抜かれた銀色の一閃。

 しかしランスにはその瞬間が見えていたのだろう、ツララでそれを受け止めると、ノレイン王子の剣を横へと受け流した。

 ツララが砕けると同時、新たなツララがランスの手に作られ、ランスはそれをノレイン王子の胸めがけて突き出す。

 ノレイン王子は剣を右手に持ち変えると、下から剣を振ってツララの先端を斬り飛ばし、左手で氷の塊を受ける。

 ランスの動きが止まる。

 ノレイン王子は体を回転させてランスの首元へ剣を振り抜く。

 それと同時、ランスも体を低く屈めて剣をかわすと、ノレイン王子の足を払った。

 ノレイン王子の背が地面に着く瞬間に、指を弾く音。しかしツララは現れてすぐ、横なぎの一閃で粉々に砕ける。ノレイン王子の起き上がりざまの突きを、ランスは背後に飛んで避ける。

 互いに距離をとり、再びの硬直。

 わたしは息をするのも忘れていた。肺が詰まって痛むのを思い出して、大きく息を吐いた。

 ノレイン王子とランスは、素人目ではどちらが優勢かは判断がつかなかった。

 終始ノレイン王子のペースだった気もするが、余裕を残しているのはランスのほうに見えた。

 それでも、勝負がつくのは一瞬なのだろう。

 互いの攻撃はどちらも急所を的確に狙っていて、それをかわせなかったほうが倒れることになるのだから。

 ランスが死ぬかもしれない。

 どうにかして止められないかと、わたしが一歩踏み出そうとしたところで、


「ナナミさん、動かないでください」


 首筋に剣が添えられる。

 いつの間にか、ノレイン王子の護衛はわたしの背後に立っていた。頬に二本傷のある兵士だ。

「危害を加えるつもりはありません。ナナミさんには恩義がありますから。ただ、手出し無用でお願いします」

 二本傷の兵士は、わたしの両手首を左手ひとつで抑える。こっちは両手だと言うのに、びくともしなかった。

 無理に振りほどこうとすると、手首を拘束する力がさらに強くなる。

 わたしは思わず声を漏らしてしまい、ランスがこちらを振り向いた瞬間、ノレイン王子は動き出すのが見えた。

「ランス、前っ!」

 叫ぶ。

 ランスは振り返って直後、ツララを振って剣を受け流す。

 ノレイン王子が再度構えて、それを受け流すこと三度。ツララは砕け、銀色の剣はランスの右手目掛けて突き出される。

 ランスはツララを出す余裕も無く、大きく一歩退がるが、ノレイン王子も大きく一歩踏み込んでそれを追った。


「何だ、人間らしいところも少しはあるではないか」

 ノレイン王子が言う。

「バケモノのくせに人間の真似事が染み付きすぎたか?」


「そうですね。自分でも意外に思っています」


「ならばもっと驚いたように振舞いたまえ!」


 ノレイン王子の横なぎの一閃。

 それよりも同時か少し早いか、ランスは指を弾くと、ノレイン王子の顔目掛けてツララを投げる。

 ノレイン王子がツララを避けるのにあわせて、ランスはその逆側へと身を翻し、剣をかわした。

 もう何本目か、ランスはツララを出すと逆手に持ち、ノレイン王子の脇腹目掛けて振る。

 それでも反応が早いのはノレイン王子だった。

 剣を左手に持ち帰ると、上から下へと突き下ろし、ツララを貫いて地面に留めた。

 ランスの体勢が前かがみに崩れる。

 ランスの頬に右の拳が叩き込まれ、ランスの体は大きく吹き飛んだ。


「最初の問いの答えだ」


 ノレイン王子が攻撃の手を休めて言う。

「俺がここに来た用件は貴様を殺すことだ、ランス・ディーゼルボルグリーベント・クレセントナイト。

 妙な噂が流れたが、マドカって女がたった一人で二千を超える兵士を全滅させたなんて、一体何の冗談だ?

 仮にそんなことが可能な人間がいたとして、たった一人で実行するとは考えられない。そのほかにも三人、使用人と称して赤い瞳の人間を手駒に持っているらしいではないか。

 ランス王子、貴様が絡んでいないなど、ありえるはずがない」

「かいかぶりすぎですよ」

「否。『月の国』で最も警戒すべきは貴様だ、ランス王子。それにな、どんなに人間離れをした能力を持った人間がいようと、貴様こそが正真正銘のバケモノだ」


「違うっ!」


 その声はわたしのものだった。

 気がつけばわたしは叫んでいて、けれどそれ以上に、ランスに怒っている様子も無いことが腹立たしかった。

 わたしは言葉を続ける。


「ランスは人間です。一人の王子として、自分の国を守るために必死になっている、心を持った人間です。断じてバケモノではありません!」


 わたしの言葉にノレイン王子は不機嫌そうな顔をし、そしてランスを睨んだ。

 重く、重く息を吐き、わたしのところまで聞こえるぐらいの舌打ちをし、ノレイン王子はそれから口を開いた。


「七つだ」


「え?」


「『剣の国』を知っているな? 我が国の同盟国だ。もう三ヶ月も前になるか……三月三十一日の夜から四月一日未明にかけての一夜で滅んだ。女子供も含めて人っ子一人残さずだ。それを実行したのが、そこにいる『月の国』の王子様だ」

「そんなこと、あるはずがないです!」

「残念だが、確定情報だ。ナナミさんにも、心当たりは無いか?」


 あるはずがない。

 あってほしくないと願いながら、必死に考える。


『あんたたち、残酷なことをするんだな。俺なら見るに耐えねぇよ』


 ふと思い出したのは、『鋼の国』の少年が言っていた言葉だった。

 『剣の国』の少年ケント――彼がようやく父親のための薬を買うことができたそのとき。

 わたしはその時点では、すでに『剣の国』が滅びていたなんて知らなかった。

 知ったのは王宮に帰って、グレン様の兵士が報告をしたあとだったはずだ。

 『鋼の国』の少年がそのとき、『剣の国』がすでに滅びていることを知っていたのはいい。


 しかしその時点で、エミリアさんもそれを知っている様子ではなかったか。


 そしてノレイン王子が最初に『月の国』を訪れた日に、宿屋へ案内した帰り道。

 わたしはケントがランスに殺されたと言う話を、『鋼の国』の少年から聞いていたのではなかったか。

 それも、ガラスのような大きなトゲで体を貫かれていたなんて、本来ならばありえない状況まで説明していなかったか。

 だが、そもそもケントが殺されなくてはいけない理由なんて――


 そう考えて、ひとつだけ思い当たってしまった。


 ケントが、『剣の国』の人間だから。


 だから殺された?

 まだ子供なのに?


 誰に?

 本当にランスに?


 けれど国をまるごとひとつ滅ぼすなんて、どうやったってできるはずがない。

 『出軌(サリエル)の瞳』を持っているならまだしも、ランスは魔法が使えるだけの普通の人間のはずだ。


 ……いや、もしかしたら、そうとは限らないのかもしれない。


 『焔の国』が攻め込んできたときの、ランスがエミリアさんやミリア、リアちゃんと書いていた魔法式を思い出す。

 あのときは不発に終わったが、あれはもしかしたら、兵士二千人を一瞬で倒せるものだったのではないだろうか。


「違う……そんなはずがない……」


「いいや、ランス王子はそういう男だ」

 ノレイン王子が断言する。

「ナナミさんの最初の問いだけど、ランス王子の立場で言えば、『「月の国」の民一人を守るためならば、千でも万でも殺めてみせる』ということだ。

 整然として分かりやすく、言い方によっては美しく聞こえるかもしれないが、おおよそ人間の考え方ではないな。敵国の兵士にも家族がいて、友がいて、それぞれの幸せがあるというのに、それが彼には見えていないようだ」

「嘘よ! 馬鹿を言わないで。ランスも嘘だと言ってよっ!」

 ランスの口が開く。

 遠くの彼が微かに呟く言葉はわたしの場所までは届かず、けれど『ありがとう』と口が動いたような気がした。


 そしてそのあとにもう一言、『ごめんね』と。


 だからそれに続く言葉を、わたしは聞きたくなかった。

 今すぐにでも逃げ出したくて、けれどもそれはいささか遅すぎた。


「『剣の国』を滅ぼしたのは僕だ」


「どうしてっ! どうして関係の無い人たちまで」

「関係ない人なんていなかったからだよ。ある国の子どもは読み書きを習い、別の国では農具の使い方を教わるように、『剣の国』はその国民全員が武器職人だった。十五歳にも満たない少年少女が石火矢を作る工場で働いていた。午前に畑を耕したあと、男も女も隔てなく午後は刀剣を作って生計を立てているのが当たり前の国だ。国民全員が兵士みたいなものだよ。『月の国』を守るために必要だったんだ」


 違う。そんなことが聞きたいんじゃない。


「では他の六つの国はどうだ? 全く同じ手口で滅ぼされていたぞ」

「『月の国』は小さな国ですから。それらの国の農民が(くわ)(すき)を持って立ち上がるだけで、ひとたまりもないからですよ。やるなら徹底的にやらないと、こちらが危ないですからね」


 ねぇランス。

 どうしてそんなことを、平然と言うことができるの?


 国を守るためって言うけれど、ランスは悲しい気持ちになったりはしないの?


「バケモノが」

 ノレイン王子が踏み出す。

「どんな理由があろうと、何万人という罪の無い者の命を奪って通る道理があるものか!」


 ノレイン王子が大きく振りかぶると、銀色の一閃。

 ランスは剣撃のすべてをツララで受け止め、その度にツララは砕けて壊れる。

 確実に押されているのはランスだった。

 ノレイン王子はランスの投げたツララを砕き、銀色の剣を突き出す。

 それはランスの首をすぐ横を(かす)めていく。

 ランスはそこから更に一歩踏み込むと、ノレイン王子の手首を掴んだ。


「あなたこそ、その程度の覚悟も無く王子を名乗るべきではありません」

 ランスが言う。

「命は尊いものです。それは認めます。ですが、僕は国民のためならこの先も何千何万と命を奪います。

悲しいですか? 苦しいですか? それは背徳感ですか? 罪悪感ですか? 悪夢に魘され食が喉を通らなくなり、全てのことを後ろめたく感じながら、自分などが生きていていいのかと悩み、誰から恨まれているかも分からない生活の中で全てが信じられなくなりますか? その程度のことで立ち止まっていては、国が背負えるわけが無いでしょう?」


「その行為に何も感じないというのであれば、もはや貴様は人間ではない。誰が人間と認めるものか!」

「人間の心など、とうの昔に捨ててしまいました。汚れるのも壊れるのも、僕一人で十分ですから。『月の国』の民は誰一人として剣を持つことなく、戦禍に巻き込まれて悲しむことなく生きていくんです」


「箱庭だな。稚拙な自己満足だ」


「それでも守ると決めたんです。そのためなら、僕はすすんで悪魔にでもバケモノにでも、何なら神にでもなってみせますよ」


 ランスが指を鳴らす。

 一瞬、空気が変った。

 時が止まったのではないかと錯覚するような静けさの中、先に動いたのはランスだった。

 ランスが腕を振りぬくと同時、生み出されたツララは計四本。

 ノレイン王子が飛び退き、それを追うようにツララのうち三本が飛んでいく。

 ノレイン王子は剣を横なぎに振り抜き、一瞬で三本のツララを砕いた。

 先ほどまでの戦いでは一度も見せなかった、とても速く力強い斬撃だった。

 振り抜いた剣を戻す直前、ノレイン王子の動きが一瞬止まる。

 ランスはその隙を見逃さなかった。

 いや、狙っていたと言ったほうが正しいのかもしれない。

 ランスは残る一本のツララを左手に持ち替えると、銀色の剣に思い切り一撃。

 刃が立たないように打ち付けられたそれは、ノレイン王子の剣の動きを完全に封じていた。

 ノレイン王子の左側が、完全に無防備となる。


「僕の勝ちです」


「いや、私の勝ちだ」


 ランスの右手の中指に親指が重ねられる。

 ノレイン王子の脇腹へと、狙いはすでに定められていた。


 ランスが人を殺める瞬間が頭に浮かぶ。

 受け入れたくないことを認めざるを得なくなってしまいそうで、とても嫌な気持ちになった。


 たぶんわたしは、まだ夢を見ていたいのだ。

 ランスが多くの人を殺めていたこととか、罪の無い人を殺めることに躊躇いを持っていないこととか、それらが嘘であってほしいという甘い夢。

 ノレイン王子が証拠を突き出し、ランスも事実を認めたそのことを、わたしはまだ現実として認めたくないのだ、きっと。

 だからわたしは、指が弾かれた瞬間、


「駄目ぇぇぇぇっ!」


 気がつけば、わたしは叫んでいた。


 とにかく無我夢中だった。

 捕らえられている腕を振りほどく。

 自分とは思えないほどの力が出て、二本傷の兵士は大きく弾かれて飛んだようだった。


 駆けた。

 ランスの右手にはすでにツララがあり、しかしそれがノレイン王子に刺さる直前、


「え?」


 突き出されるはずのツララは、ピタリと動きを止めていたのだ。

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