第4章「ランス王子」③
エミリアさんと約束の十二時間が過ぎる。
窓の外を見ると、すでに夕方になっていた。
わたしはベッドから出て着替えると、行く当てもなく、けれど部屋から一歩出たくて扉を開ける。
そこでちょうど、階段を下りてくるランスに会った。
「あ、ランス」
「ナナミ、おはよう」
「そっか。『おはよう』なんだよね、わたしたち」
ランスはこれから夕食に向かうところなのだろう。「じゃぁちょっと行くね」と、急いだ様子で階段を下りていく。
わたしが手を振ると、ランスも右手を振り返してくれた。
その右手には、巻かれていた包帯がなくなっている。ようやく完治したようだった。
階段を一階まで降り、第十三棟を出る。
庭園の端で寝転ぶと、わたしは空を見上げる。
吸い込まれそうな藍色の空に、無数の星が輝き始めていた。
頬を撫でる風を感じる。
次第に空は黒く塗りつぶされる。
はるか遠くの星明りを掴めないかと、無理だと知りながら手を伸ばした。
辺りはもう、自分の指が見えないぐらいに暗くなっていて、まるでこの夜空に溶けてしまっているようだった。
そういえば、ゆっくり星を見たこともなかったかもしれない。
わたしは時間を忘れるぐらい、ただただ星を眺め続けた。
「もしかしてナナミ、そこにいるの?」
ランスの声だった。
夕食が終わって戻ってきたのだろう。
「よくわたしだって分かったね。真っ暗で見えないでしょ?」
「なんとなくだよ。だけど、そこにいる気がしたんだ」
「それちょっと嬉しいかも」
「なんてね。ポケットから落ちた手鏡に星が映ってたんだよ。それが見えたんだ」
「あれ? つい持ってきちゃってたんだ」
「みたいだね」
がさり。わたしのすぐ隣で音。
左側だ。
おそらくランスが芝の上に腰を下ろしたのだろう。
わたしの腕にランスの手が触れる。
ランスが慌てて「あ、ごめん」なんて言うものだから、わたしはランスの肘に腕を絡めて、ぴったりとくっついてやった。
「ナナミ?」
「なんとなく寂しかったの。だめ?」
「僕は別にいいんだけど、その……照れるって言うか、当たってるんだ。いろいろと」
「え? あ、えっと……うん。それはちょっと角度を考えるかも」
なんとなくだけど、こんなに暗いのにランスの表情が見えた気がした。
たぶんきっと、ちょっと苦笑いしながら、どこか安心した顔をしている気がする。
ここでちょっといたずらしてみたいな、なんて思ってしまったのはエミリアさんの影響だろうか。
わたしはあとちょっと勇気を出すために、ランスに聞こえるように「なんちゃって♪」と囁いて、それからもっとぎゅっと強く腕にしがみつく。
「えっ、ちょっとナナミ?」
「ランス、声が大きいよ」
そんな慌てるランスを可愛いと思ってしまうあたり、わたしはちょっと意地悪な性格なのかもしれない。
恥ずかしい気持ちもないわけではないけれど、
「やっぱりランスと一緒にいると楽しい」
たぶんこれが、わたしの素直な気持ちかも。
「僕で遊ぶのが楽しい、じゃなくて?」
「うにゃ! まぁそれもちょっとだけ思ったけどさぁ」
「いや、否定してほしかったかも」
「あ、そういう流れ?」
「なんてね、大丈夫。気にしてないよ」
ランスがわたしの頭を撫でてくれる。
わたしが右腕にしがみついているのだから、たぶん左手だろう。
いつもより手の動きがぎこちないけれど、やっぱりちょっと安心する。
「ナナミって頭を撫でると大人しくなるよね」
「うにゃ? そう?」
「うん」
そう頷いたランスの顔は、たぶんきっと笑っているんだろうなと思った。
「そうだ、ナナミ」ランスが言う。「明日ちょっと時間あるかな?」
「うん、わたしはいいけど……ランスのほうは大丈夫なの? いろいろ準備とかあるんじゃないの?」
「大丈夫、目処は立ったから。今、西にある『光の帝国』に、グレン兄さんが使者を送ってる」
「『光の帝国』?」
「以前は三大国のひとつにも数えられていた国で……つまりはとても大きい国。そこの協力が得られれば良し、得られなかった場合の準備も大丈夫だよ」
「そういうことなら。で、明日はなにをするの?」
「ちょっと付き合って欲しい場所があるんだ。いいかな?」
「うん、楽しみにしてるね」
わたしは頷く。
ランスが頷き返してくれたような、そんな気がした。




