第4章「ランス王子」②
「ナナミぃ。あんた、左手を怪我してからのほうが、アクティブに立ち回ってない?」
「うーん、そんな気がします……あれ? もしかして怒ってます?」
「も・ち・ろ・ん♪ これじゃ、何のために仕事しないでいいって言ったか分からないじゃないのよ!」
「うにゃ!」
「ランス様もですよ! もっとお体を大事にしていただかないと困ります!」
王宮に戻って早々、エミリアさんに叱られた。
どうやら夜明けごろからずっと、門の前で待ってくれていたらしい。
ランスと一緒にごめんなさいをしたけど許してもらえず、「十二時間、トイレを除いて布団から出ないこと!」なんて言われてしまった。
エミリアさんはこのあとすぐに婦長に呼ばれて行ってしまった。
門番に小さくお辞儀をして、わたしたちも王宮の敷地内に入る。
「しょうがない。部屋に戻ろうか」
「でもランス、だいじょうぶなの? もし今にでも『焔の国』が攻めてきたら……」
「大丈夫だよ、とりあえずあと一週間ぐらいは。何の対策も立てずに攻めてくることはないし、マドカさんについての偽情報が伝わるのが三日後ぐらい。そこから前回よりも大規模な侵攻をするから、準備期間もある程度必要なはずだよ」
「わたしが言うのもあれだけど、中断しちゃった会議の続きはやらなくていいの?」
「大丈夫だよ。ほとんどまとまりかけていたし、今度こそ本当に、兄さんにすべて情報は渡してある。いざとなったら、最終手段もあるしね」
「最終手段?」
「うん。あまり褒められた方法ではないんだけどね」
そこまで話したところで、わたしの部屋の前まで来てしまう。
ランスはこのさらに二階上だ。話の途中だったが、ランスが「じゃぁおやすみ」と言って階段をあがって行ってしまったので、わたしも部屋に入る。
ふと、寝息が聞こえる。
目を向けると、珍しいことにミリアが布団で大人しく寝ている。
更によく見てみると、ミリアの布団には一緒にリアちゃんもいた。二人で身を寄せ合うようにして眠っているようだ。
わたしも自分のベッドに入る。まぶたを閉じ、ゆっくりとまどろみの中に落ちていく。
そして次第に眠り就き……
「――嫌ぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁあああぁっ!」
悲鳴が聞こえてわたしは目を覚ます。
自分が完全に寝たのか、どれぐらい寝たのかも理解できないわたしまま、わたしは飛び起きた。
声のしたほうを振り向くと、叫んでいるのはリアちゃんだった。
「ありがとうっ! 大丈夫っ、ここにいるよ!」
ミリアだ。暴れるリアちゃんの手を抑え、体をミリアは抱き寄せていた。
「もう大丈夫だから。もういいの、もういいのよ!」
「嫌だ、消えて! 消えて消えて消えて消えて消えないで待って駄目っ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ捨てないで捨てないで置いていかないで待って止まってっ、違うの、止まらないで……逃げてっ!逃げて逃げて逃げて逃げてこっちに来ないで!来ちゃ駄目、あのときのわたしに近づかないで。駄目駄目駄目駄目駄目放して放して今すぐ嫌だ嫌なのもう嫌っ!」
「ずっとここにいるよ! 大丈夫、ずっと一緒だから。大丈夫だよ! ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう……」
「死なないで。殺していいから死なないで……戻ってきて、帰ってきてパパ笑ってママ、起きて、起きてよ……帰って来て、置いてかないで。もう嫌、もう嫌だよもう嫌だ嫌なの嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……もう無理、ごめんなさい、もう無理なの、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
「いつまでも一緒にいてねっ! ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう……」
リアちゃんがミリアに噛み付く。
抑える手を振り払って、ミリアの頬を引っ掻いた。
膝が腹を蹴り、肘が側頭に打ちつけられる。
立つのも覚束無くなりながら、ミリアはひたすら「ありがとう」を言い続けた。
もはや、魘されるなんてものではない。
リアちゃんは感情が暴走していて、手のつけようが無かった。
どうすればいいのか分からないでいると、わたしに気づいたミリアが首を横に振った。
わたしはベッドに腰を下ろす。
リアちゃんが大人しくなり、再び眠りに就いたのがだいたい二十分後。
引っかかれたり噛み付かれたりで、ミリアの体は血だらけになっていた。
ミリアはリアちゃんをベッドに寝かせると、「ごめんなさい、びくりさせちゃって」なんて言った。
「それよりミリア、大丈夫?」
「新しいパジャマが欲しいです」
「あんたねぇ……」
「傷は大丈夫。血は出たし、ちゃんと痛いけど、もう全部治ってます。わたしは人間の体じゃないですから」
そう言って笑うミリアの顔は、どこか寂しそうに見えた。
「本当はわたし、ナナミちゃんに心配してもらう資格は無いんです。わたしのこの手は多くの人の命を奪ってきました。今さらわたしが自分の命を惜しいと言ったり、傷が痛いと言ったりしてはいけないんですよね、きっと。わたしはもっともっとたくさんの痛みとか苦しみとか悲しみとかを、いままで生み出してきているんですから」
言葉に詰まる。
わたしはミリアに、何も言ってあげることができなかった。
上辺だけの慰めの言葉が出そうになって、けれどそれを言ってはいけいないような気がした。今のわたしでは、本当の意味でミリアの感情を理解することはできないのだから。
ミリアはベッドから立ち上がると、大きく伸びをする。ぽきぽき音が鳴って、「ちょっと寝すぎちゃいました」なんて、ミリアは笑って見せた。
「あ、話を変えてもいいです? ナナミちゃんにちょっと聞かなくちゃいけないことがあるのです」
そう前置いたミリアに、「うん、いいけど」とわたしは頷く。
ミリアはこちらに二歩ほど詰め寄る。
そしてわたしの前を過ぎ、ベッドの枕元へと手を伸ばした。
ミリアが手にしたものは、ランスに買ってもらった手鏡と、マドカさんに貰った魔法式が書いてあるメモだ。
「これ、どうするんです?」
そう言ったミリアの顔は、どことなく険しかった。
「少しでもランスの力になれればって思うから、作ろうと思っていたんだけど……ミリア、なにか怒ってる?」
「ううん、ごめんなさい。腹を立ててはいるけど、ナナミちゃんにじゃなくて、マドカさんにですから。
ナナミちゃんはこれがどういったものかは知っていますよね? 使い方によってはわずか数分で千人以上の人間を殺めることのできる凶器です。
この国はもう平和とは言いがたいですし、どうしても力が必要になる場合もあると思います。でなければその紙を力ずくで奪って破り捨てています。
ナナミちゃん、それを武器として手に持つときも、実際に使うときも、本当によく考えて使ってください。繰り返しになっちゃうけど、わたしはそんなものを持つことはお勧めできません。絶対に反対ですから」
わたしの考えが甘かったのかもしれない。
わたしも何か力になりたい、だから力が欲しい、そんな単純な気持ちで凶器を持とうとしていた自分を反省する。
「ありがと、ちゃんと考えておくから」
ミリアにそう答えると、ミリアは小さく頷いた。
ミリアは手鏡と魔法式の書いたメモを、わたしの枕もとに戻す。
そしてあと一言だけ、
「それと……人が亡くなるところを見るのと、自分の手で殺めてしまうのは全く違います。それだけは忘れないでください」
ミリアはそう付け加えた。




