第4章「ランス王子」①
頭がくらくらする。
グレン様に殴られたときのが、まだ残っているようだ。
それに加えて、中央広場の血溜りも応えた。
あの夢を思い出してしまって、足に力が入らなくなる。
アナスタシアさんと別れたあと、わたしは適当な建物の壁に背を預けて座った。
グレン様も、マドカさんも、兵士たちも、みんなが王宮に帰っていく。
一人、取り残されてしまう形になるが、まぁしょうがないと思うことにする。
それにしても疲れた。
今ここで目を閉じたら眠ってしまうだろうか。
それでもまぶたが重くて、次第に意識が薄くなっていくのを感じていた。
あの夢を見なかった。
とてもよく眠れた。
朝日がまぶしくて、思わず目を窄める。
冷たい風が吹いて、どうやらここが屋外だということにようやく気づいた。
近くには血の染みがまだ残る中央広場があり、道ではまばらだが人が往来し、露店の準備とかをしている人もちらほらだ。
どうやらわたしは建物に寄りかかったまま、本当に朝まで眠ってしまったらしい。
わたしの体には青い上着が掛けられていて、それの持ち主のランスはわたしの肩に寄りかかってすやすや寝ている。
まぁ、最初はわたしのほうが寄りかかってたんだと思うけど。
起こそうか迷ったけど、もうちょっとだけ寝顔を見ていたくて、やめる。
「かわいぃ♪」
見ていると、心が和んでいくのが分かった。
ちょっとここ数日が物騒だったというのもあって、ランスの穏やかな表情は久しぶりだ。
王子なんて肩書きを持っていても、歳相応の男の子だ。
ふと、わたしの右手をランスの左手が握っていることに気づく。
ちょっと照れた気持ちになりながら、ランスの手を握り返してみた。
「お熱いですね。ナナミさんも駆け落ちですか?」
「うにゃ!」
慌てて顔を上げると、アナスタシアさんがいた。
「なんてね、冗談です。……それにしても、かわいぃですね」
アナスタシアさんはランスのほっぺをぷにぷにして、それから小さく笑う。それでも起きないものだから、手に持っていた三日月形の黄色い果物をランスの頭に積み重ねて遊んでいる。
ってか、ランスは一応この国の王子なんだけど……
「あ、アナスタシアさん。昨日はありがとうございました」
「いえいえ。ナナミさんも大変でしたね。それと、かっこよかったですよ」
「ありがとうございます。けど、わたしはいっぱいいっぱいだっただけです。本気で怒ったグレン様、すっごい怖かったですし」
「ですね。とてもひやひやしました。あ、それと、もしよかったらわたしのことは『アナ』と呼んでください。そっちのほうが呼ばれ慣れているので」
「そうなんですね。そうだ、アナさん。お店を長く留守にしちゃったと思うのですが、大丈夫でしたか?」
「大丈夫でしたよ、『お一人様三つまで』って札を立てておきましたから。お昼時とかも、いつもそうしてるんです」
そういえばアナさんは、果物を売っているのではなく配っているのだと思い出す。
前から少し気になっていたのだが、それで採算はとれているのだろうか?
「アナさん、果物とか、配ってばっかりで大丈夫なんです? 儲からないですよね?」
「まぁそうですけど、これが『穂の国』のやりかたですから」
首を傾げるわたしに、アナさんが言う。
「『優しくあれ。裏切られても、馬鹿を見ても、ただただ優しくあれ。』――子供でも知っている、『穂の国』の古くからの教えです。
そして、『作物を余るほど作って諸外国に配り、「穂の国」と仲のいい国をいっぱい作りましょう』っていうのが、『穂の国』の国策であり、今のあり方なんです。みんなで一丸となって、感謝される国、周りの国から『無くてはならない』っていわれる国を作っていこうって感じです。
ほら、食べ物が少なくて困っている国はいっぱいありますから」
「どこかの国が、『穂の国』欲しさに攻めてきたりはしないのです?」
「しないですね。仲のいい国の軍隊さんが守ってくれます。だから『穂の国』にも、軍隊はないんです。それどころか、王族や政治家もいません。かわりに村長さんがよく総会してます。それに……これはわたしが言うのもあれですが、『穂の国』の人間には危害を加えてはいけないというのが、いろいろな国で常識みたいになっているようです。『「穂の国」の民を傷つけた国とは取引をしない』という総会の決定のおかげみたいです」
「なるほどです」
「それはそうと、ナナミさん。……あっ!」
ランスの頭に積んでいた果物が崩れる。
それらすべてをアナさんは地面に落ちる前にキャッチし、それからまたランスの頭の上に積もうとする。
「アナさん、ランスで遊ばないでください」
アナさんが残念そうな顔で「だめ?」と聞いてくる。
わたしが「だめです」と答えると、ちょっとだけ拗ねた顔をして見せたが、突然なにかに気づいたように、
「そっか、わたしはお邪魔のようですね」
なんて言って、果物を回収し終えるとアナさんは立ち上がった。
「待ってください」
わたしは去ろうとするアナさんを呼び止める。
「さっき言いかけたことがあったと思うのですが、それは何だったのですか?」
アナさんはすこし迷ったように口ごもったあと、「余計なことかもしれませんが」と前置いて、それからランスを指差して言った。
「そのランスという王子は、とても評判が悪いんです。国の外では特に。なのでナナミさんも気をつけてと言おうとしただけですよ」
それからアナさんは「まぁ、お二人にそれは野暮かと思って言わなかったのです」なんて笑いながら付け加える。
「そういうのじゃないですって」
「じゃぁ、そういうことにしておきますね」
「もうっ」
アナさんが「じゃぁそろそろ行きますね」と、自分のお店に戻っていく。
さて、と。本当はもうちょっとゆっくりしていたかったが、だんだんと人目も増えてきたので、ランスの肩をゆする。
「ランス、おはよ」
「ん。おはよう、ナナミ……そっか、僕はここで寝ちゃったのか」
「そうみたい。風邪とかひいてない?」
「うん、大丈夫そう」
それからランスは、わたしの手を握っていたことに気づき、あわてて「ごめん」と言った。
咄嗟に、「ううん、別に大丈夫」なんて気の利かない返事が出てしまう。
こういうときに『嬉しかった』なんて言葉が出れば、もうちょっとわたしにも可愛げがでるのだろうか?
右手からランスの指が離れる。
それを少しだけ寂しいと感じた。
「ランス、上着ありがとうね」
「ああ、王宮まで着てていいよ。僕は大丈夫だから」
わたしはもう一度「え、いいの?」って確認。
ランスが頷いたので、わたしは早速、上着に袖を通す。
「それじゃぁ、帰ろうか」
そういってランスは立ち上がると、左手をわたしに差し出してきた。
わたしがその手を掴むと、ランスはわたしを引き上げてくれた。
それから歩き出したのだが……
その……なんだろう。
ランスがわたしの手を握ったままなのだ。
「あの。ランス、手……」
「駄目だった?」
「ううん、嬉しいかも」
ちょっと勇気を出して言ってみた。
恥ずかしいけどがんばって笑顔を作ってみた。
たぶんわたしの顔は赤くなってしまっているだろう。
それでももう少しだけ勇気を出して、ランスの手をそっと握り返してみた。




