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第3章「マドカ」④

「ミリア、王宮に戻るけど、まだ走れる? それとアナスタシアさん。手伝ってくれてありがとうございました!」


 ミリアが頷くのを確認して、わたしは王宮へと走る。

 わたしの後ろにはミリアと、それからアナスタシアさんも一緒に走ってきていた。

「ナナミさん、乗りかかった船です。もう少しお供します」

「すみません、助かります」

 ランスに会う約束の来客だと門番に嘘をついて、アナスタシアさんを含め三人で王宮に入る。

 既に夕食の時間は過ぎている。


 わたしが向かった先は、グレン様が兵士たちと会議をするときに使う軍議室だ。

 思えば、クレセントナイトなんて姓を持っているのは、この国では限られた人間だけだった。

 ランスと、それから国王陛下……他の王族も当てはまるだろう。

 けれどわたしには確信があった。

 それは、誰よりもマドカさんに近しい、あの人だ。


「失礼します!」


 軍議室の扉を開ける。

 本来ならば、入る権利のない部屋。

 この部屋にいたのは、国王陛下とランス、グレン様、そして兵士が10人ほどだ。


「軍議中だ、出て行け」


 グレン様がわたしを睨む。

 怖い。

 普段とはまるで別人だった。

 けれどマドカさんをなんとしても守りたい。

 だからわたしは、意を決してグレン様に言った。

「聞いてください、グレン様にお願いがあってきました!」

「つまみ出せ」

 二人の兵士にわたしは両腕を掴まれる。

 振りほどこうとするが、大人の男二人に腕力で勝てるはずもなく、びくともしない。

 ふと見ると、ミリアが怒った顔でグレン様を睨んでいる。

 こんなミリアを見るのは初めてだ。

 もしかしてここで能力を使わないだろうかと思った矢先、


「では、わたくしのことも力ずくで排除しますか?」


 ミリアよりも早く一歩踏み出したのは、アナスタシアさんだった。


「わたくしはアナスタシアといいます。『穂の国』から来ました。もしよかったら、ナナミさんの話だけでも聞いていただくことはできないでしょうか?」


 アナスタシアさんの言葉のどこに反応したのか、グレン様の指示で兵士が引き下がる。

 アナスタシアさんに礼を言うと、小声で「がんばって」とアナスタシアさんが言ってくれた。


 わたしは大きく息を吸うと、覚悟を決めて話し始める。

「今、市場街で有る噂が流れています。二日前の早朝の砂漠で、マドカさんが二千二百人の兵士を一人で全滅させたというものです」

「それがどうした?」

「この噂を流したのは、マドカさん本人です。それともうひとつ大切な点が、このことは事実とは多少異なると言うことです。あの戦場で戦ったのは、マドカさんのほかにランス、エミリアさん、ミリア、リアちゃん。そしてわたしもその場に居合わせました」

「では、仮にマドカがその噂を流していたとしよう」

 グレン様が言う。

「だが、それは何のためだ? この国にはすでに『焔の国』の密偵やら暗殺者やらが忍び込んでいるはずだ。それはマドカも知っている。自分を危険にさらして、マドカは何をしようとしている?」

「密偵や暗殺者の目をわたしたちから目を逸らして、守るためというのがひとつ。もうひとつは、『焔の国』との戦争に勝つためです」

「戦争に勝てるんです?」ミリアが驚いて言う。「だって、周辺の国の力を合わせても勝てない戦力を持ってるんですよね?」

「そう。だけど逆を言えば、周辺国はほとんどが『月の国』の味方なのよ。だから『焔の国』の戦力を『月の国』が超える必要はない。周辺国すべての戦力で『焔の国』を上回れば、『焔の国』が『月の国』に侵攻することはできなくなるのよ」

 目の焦点が合わないまま、ミリアが頷いている。本当に分かってるんだろうか?

 わたしはグレン様に向き直る。

「ランスが言っていました。『「焔の国」の戦力がこの程度のはずがない。次はもっと大人数で来るはずだ』と。今回の戦争の作戦は、こうですよね? まず、最小限の人数で攻めてくる『焔の国』の兵士を返り討ちにして一網打尽にする。警戒して大人数で侵攻してくる『焔の国』の兵士を、前回とは別の方法で再び全滅させる。二回目の侵攻で『焔の国』の戦力を十分に削れれば、こちらの勝ちというわけですよね?」

「概ねその通りだな」

 グレン様が頷く。

「で、それが街で流れている噂とどう関係があるというのだ」


「ランスが使う魔法の存在を隠すためです」


 三日前の早朝。わたしがランスたちに追いついたとき、砂の上にはとても大きな魔法式が書かれていた。

 おそらくあれは、敵兵二千二百人をどうにかできる大規模な魔法だったのだろう。

 魔法が発動しなかったときの反応から見ても、ミリアやリアちゃんを連れていたのも、保険程度のつもりだったに違いない。

 以前にグレン様は、『チェックにはあと一手、駒が足りない』と言っていた。

 そのことでランスに相談したはずだが、そのときランスは大規模魔法の存在は伏せたに違いない。

 あのときランスは、一人でやり遂げるつもりだったからだ。

 本来はミリアやリアちゃんの手を汚させるつもりも無かったのだろう。


 けれど、結果として大規模魔法は発動しなかった。

 マドカさんが魔法式の一部を意図的に消してしまったからだ。


 そしてマドカさんは、大規模魔法の存在をグレン様に伝えるために、わたしたちよりも一足先に帰ったのだ。


「一回目の侵攻で、『月の国』側に大規模な魔法があると『焔の国』に知られてはいけなかった。何故なら、大規模魔法を使って二回目の侵攻を迎撃するつもりだから。

 ですよね?

 『一回目の侵攻は、マドカさんが二千二百人すべてを殺めた』

 『町でマドカさんが暗殺者に殺される』

 『「月の国」には今度こそ戦力は無いと思い込んで、「焔の国」が攻めてくる』。

 それがグレン様の計画で、それを成功させるためにマドカさんは自ら噂を流したんです」


 だから正確には、マドカさんはこの国のために命を懸けているのではない。


 グレン様の計画を成功させるために、死を受け入れようとしているのだ。 


「ナナミ……」ランスが言う。「グレン兄さんはもしかして、マドカさんがこうするって知ってたってこと?」

「そう。それも含めて、グレン様の計画なの」

「グレン兄さんも、いくら何でもそこまでしないよ。それともナナミ、何か根拠でもあるの?」


 根拠ならある。

 証拠なら目の前にある。


 それを口にしようとして、目の奥がツンと痛んだ。

 分からないけれど、わたしは悲しいんだと思う。

 怒りもある。

 苛立ちもある。

 だけど今は、マドカさんの気持ちを思うと涙が出てきそうだった。

 目元にたまる雫を指で除けると、わたしはグレン様を指差して言う。


「この人が今ここにいることが――大切なはずのマドカさんが危険な状態になっているかもしれないのに、探しに行っていないことが、二人が共犯であることの何よりの証拠なの」


 胸を絞めつけられるような痛みを堪えて、わたしは続ける。


「二日後、グレン様とマドカさんは結婚する予定だった……ですよね?

 ほんの数時間前、最後にわたしがマドカさんに会ったとき、マドカさんが言ったんです。

 自分を選んでくれて嬉しかったって。

 一緒に幸せになりたかったって。

 最後に笑顔のグレン様が見たかったって。

 せめてあと二日間生きたかったって。

 名前だけでも、グレン様の隣にいたいって!

 マドカさんはグレン様のことを信じてました。いつでもマドカさんのことを忘れない人だって、とっても大切にしてくれる人だって言ってました。

 だけどあろうことか、あなたはマドカさんを捨て駒に使ったんですよ!」


「そんなつもりはない!」


 グレン様が言う。

 とても辛そうな顔をしていた。

 グレン様とマドカさんは本当に愛し合っているのだと感じた。


「俺だって悩んだ。他に方法が無いか悩み、使えるものを全て使っても無理だった。マドカと二人で話し合って出した結論だ」


「ふざけないでください! マドカさんが今どんな気持ちか考えて。

 いつ殺されるか分からないまま誰にも頼れない心細さを、最期に誰とも話したり手をつないだりできない寂しさを、好きな人の名前も呼べない苦しさを! 

 グレン様が一緒に生きようって言ってあげるだけで、心が温まると思うんです。

 マドカさんは、グレン様の笑顔が見れればそれでよかったんです。

 マドカさんはたとえこの国がどうなっても、グレン様がいてくれれば、それでよかったんですよ!」


「ふざけるなぁっ!」


 グレン様が激昂(げきこう)する。

 わたしはグレン様に頬を殴られ、そのまま壁に叩きつけられた。

 立ち上がろうと思ったが、力が入らない。

 止めに入る兵士たちをすべて跳ね除けて、グレン様はわたしの胸倉を掴んで言う。


「貴様の言うそれができれば、どれほど良かったことか。

 俺だって同じ気持ちだ、マドカさえいれば他は何もいらない!

 今日ほどこの立場を呪ったことなどない。今日ほど自分の無力さを嘆いたことはない!

 貴様に何が分かる?

 永遠に愛しそれを貫くと、綺麗言ではなく本気で心に誓った。何があろうと、何を差し置いてもただただ守りたいと思った。マドカが笑顔ならそれでよかった、マドカが幸せならそれでよかった! ただマドカのために生きられたら、どんなに良かったことか!

 けれど選べるわけがない。この国の二万七千の国民とマドカ一人、比べるまでも」


「選んであげてよ!」


 頭がくらくらする。体に力が入らない。

 重く感じる右腕を伸ばし、うまく握れない指でグレン様の胸倉を掴み返し、それでもわたしはあらん限りの声で叫んだ。


「マドカさんもグレン様も馬鹿ですっ!

 割り切れないんでしょ? マドカさんも諦めきれていないはずですよ!

 二万七千人の中からただ一人、マドカさんを選んだんですよね? だったら本当の本当に最後まで守り通してあげてよ! 幸せにしてあげてくださいよ!

 国が何です? 立場がなんです? そんなものよりよっぽど大切な人なんだったら、駆け落ちでも何でもすればいいじゃないですか!

 ねぇ、グレン様。マドカさんを助けて……もうマドカさんを本当の意味で助けられるのは、グレン様しかいないんですっ!」


 わたしの胸倉を掴む、グレン様の手の力が弱まった気がした。

「兄さん。とりあえず、この手は下ろそう」と、ランスがグレン様の腕に手を沿える。

「それとさ、兄さん」

 ランスが言う。


「ナナミの言うとおり、マドカさんを助けに行こう。作戦はまた、別のを考えればいいよ。きっと何とかなるから」


 兵士たちが頷く。

 見ると、国王陛下も同じように頷いていた。

 ランスの言葉を聞いて、兵士たちの顔を見たグレン様の頬から、一筋の雫が流れ落ちるのが見えた。


 グレン様はそして一言、「ありがとう」と言った。


「グレン様。マドカさんの居場所を教えてください」

「ああ。だが、俺も行こう」

 兵士達がそろって自分も行くと言い、国王陛下もそれを許可する。

 ランス、ミリア、アナスタシアさんも含めてわたしたち十五人は、市場街へと足を急がせた。


 グレン様もはっきりとした居場所を知っていたわけではなく、グレン様の指示のもとで捜索をする。

 そして開始からわずか十分、マドカさんは発見された。


 マドカさんは生きていた。


 場所は、市場街の中央広場。

 遮蔽物がないため暗殺者が狙いやすく、しかも周囲を巻き込みにくい場所だ。

 頬と服とを赤く汚し、呆然と水溜りに立ち尽くしている。

 その赤い水溜りに、透明な雫が落ちる。

 涙だ。

 マドカさんの足元には七人分の遺体が転がっていて、その真ん中でマドカさんは声も上げずに泣いていた。


 グレン様が駆け寄る。

 赤い水溜りに踏み込むと、マドカさんを強く抱きしめた。


「ごめんなさい。わたし、死ねなかった」


「俺のほうこそごめん。もう絶対に、今度こそ絶対に放さないからっ!」


 グレン様がマドカさんの手を引く。


 血溜りの中から、マドカさんがこちらに帰ってくる。


 わたしの横でアナスタシアさんが「よかったですね」と言い、わたしはそれに頷いた。

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