第1章『月の国』①
そんな鮮明で記憶のような悪夢を、わたしは毎夜のように見るのだが……
「ナナミ、大丈夫? ナナミっ!」
「ん……」
ナナミというのはわたしの名前だ。
肩をゆすられてわたしは、重たいまぶたを開く。
わたしの顔を心配げに覗き込み、肩をゆすっていたのは、金色の髪に青い瞳をした少年だ。
名前をランスという。
ランスは鮮やかな青の服に身を包んでいる。年齢は十七歳。わたしは自分の正確な年齢も分からないが、おそらくわたしよりひとつかふたつ上なのだろう。
ランスはこの国の王子だ。
わたしはこの王宮の、ランス付きの使用人。
そしてここはランスの部屋だった。
「うなされてたみたいだけど、大丈夫?」
「大丈夫だけど……あれ?」
さて、状況を整理してみよう。
窓の外は明るくて、日は完全に昇りきっている。
わたしの腰の下にはふっかふかのソファがあって、腰の上には洗濯したてでこれから交換するはずだったシーツがくしゃくしゃになっている。
「えっと……わたし、寝てた?」
「かわいい寝顔だったよ」
「うにゃ!」
どうやら仕事をすっぽかして、うたた寝をしてしまったらしい。
またやってしまったようだ。
「ランス様、失礼しましたっ!」
わたしは「すぐに代わりのシーツ持ってくる……じゃなくて、きますっ!」と立ち上がるが、ランスは「いいよいいよ」と、わたしの手からシーツを奪い取ると自分で敷いてしまう。
「それ、わたしのお仕事……」
「代わりのを貰いに行ったりしたら、また婦長に怒られちゃうでしょ?」
「まぁそうなんですけど……」
「あと、敬語も様も付けなくて良いって」
「そう? こういうときぐらいは頑張ったほうがいいかなーって」
「いいよ別に。というか、もしかしてわざとかな? 僕は気持ちを察したりってのが苦手だから、違ったらごめんだけど」
「あってるよ、正解!」
わたしが笑うと、ランスも笑い返してくれた。
わたしが「じゃぁまた後でね」と部屋を出ようとするときには、ランスは再び机に向き直っていた。
ランスは一日の大半を費やして魔法の研究をしている。
おそらく今机で書いているものもそうなのだろう。
わたしは好奇心に負けて、再びランスのほうへと足を向ける。
「ランス、今度はなにしてるの?」
「……ナナミ、仕事は?」
「あとでやるから。だから教えてよ。ねっ?」
「まぁ僕は別にいいけどさ」
そう言ってランスが差し出したのは、一枚の紙だった。
紙いっぱいに円が書かれていて、その中にさらに図形が書いてあって、その図形に沿って文字やら記号やらが書かれている。
紋様のようなそれは、『魔法式』というらしい。
ランスは、王子としては少々変わった少年だ。
『月の国』と呼ばれるこの国の第二王子で、フルネームはランス・ディーゼルボルグリーベント・クレセントナイト。
ランスは他の王族が政治や軍事を学んでいる中、自室にこもり、日夜、魔法なんてものの研究に明け暮れている。
王族が住む王宮の敷地にはもともと居館と十二の棟があり、それが繋がったりしているのだが、ランスは敷地の端に十三個目の棟を建てさせて、数名の使用人だけを専属として引き抜いたという。
わたしがこの城で働き始めたのがたったの一ヶ月前だから、あくまで聞いた話なんだけど。
「で、今回のはどうやったら発動するの?」
「陣の端が一箇所切れてるから、そこを繋いでみて」
「陣って?」
「魔法式の一番外側の円のことだよ」
よく見ると、ほんのわずかだけ円が繋がっていない。ランス風に言えば、『式が完成していない』と言ったところか。
わたしはランスが差し出してくれる羽ペンを受け取ると、円の途切れた部分を繋ぎなおした。
「ひゃっ!」
途端、風が吹いた。
冷たい風だ。魔法式の陣に吸い込まれるように吹いている。
陣に手を近づけると、凍ってしまうのではというぐらい冷たかった。
ランスは細かい粉の入った小瓶の蓋をあけると、その粉をひとつまみ、陣へと振りかける。現れたのはキラキラとした、宝石を細かく砕いたような輝きだった。
一瞬だけ光を見せて消えていくそれが、とても幻想的だった。
「わぁ……すっごぉい!」
「粉の周りに水滴が付いて、一瞬だけとっても細かい氷になるんだ。ダイヤモンドダストっていうんだよ」
「これがそうだんだ」
「知ってたの?」
「聞いたことがあるだけ。おとぎ話の中だけだと思ってた……本当にあったんだ。わたしもその粉、振りかけてみてもいい?」
「いいよ」
ランスから小瓶を受け取る。中身は本当にただの粉のようだった。
振り掛けるとダイヤモンドダストができて、思わず「きゃぁすっごーい♪」なんて、何度も声をあげてしまう。
でも、だって素敵じゃない? すっごいじゃない?
とっても楽しい気分になって、わたしがもう一度、小瓶を傾けようとしたときだった。
「ナナミ……」
「ん?」
ランスが背後を指差していて、わたしはランスの指の先をたどる。
部屋の扉の方だった。そこには婦長が仁王立ちしていて、鬼の形相でわたしを睨んでいた。
「げっ、婦長っ!」
「なぁぬぅぁぁみぃぃぃぃぃぃっ! あんたは仕事サボって何やってんのっ!」
「ごめんなさぁいっ!」
「一週間、水汲み十往復追加。それと明日までに薔薇園の手入れ。分かったらさっさと昼食の準備に行きなさいっ!」
「うにゃぁぁぁぁぁっ!」
ランスに小瓶を返すと、わたしは一目散に駆け出す。
厨房へ向かう階段を一段飛ばしで降りながら、同時にわたしは考えていた。
ランスはあの魔法式を使って何をしようとしているだろうか、と。




