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第3章「マドカ」①

 朝だ。

 目をこすりながら、わたしはベッドから体を起こす。

 ここは王宮の、ランス付きの使用人が使う寝室だ。

 窓の外をみると、陽はもう随分とのぼっていた。

 あれ? もしかしてもうすぐ昼なのかもしれない?


「あ、やっと起きた」


「エミリアさん……」

 エミリアさんはシーツと毛布を抱え、部屋を出ようとしているところだった。

 わたしが手伝おうとすると、「慌てない慌てない。もうちょっとゆっくりしてなよ」なんて言われてしまった。

 ついでにデコピンされた。

 エミリアさんのデコピンは地味に痛いのです。うぅ……


「あ、それと。おかえり、ナナミ」


「うにゃ? ただいまです……なんで?」

「あんた、あの砂漠からの帰り道で寝ちゃったでしょ。わたしが背負ってきたんだからね。で、ちゃんと言えなかったから、そのときの分の『おかえり』ね」

「じゃぁわたしからも。エミリアさん、おかえりなさい」

「うん、ただいま」

「ところでエミリアさん。手当てしてもらった左手が、中のほうからチクチク痛いんですけど、これってまずいです?」

「いい傾向よ、神経ができている証拠。で、ちょっとごめんなんだけど、痛み止めがこのまえランスに使った分で切れちゃったのよ。たぶん午後ぐらいからは激痛で動けなくなるから、覚悟しておいてね」

「うにゃぁ! え、午後ってもうすぐなんじゃ……」


「そうです」


 そう言ったのはリアちゃんだ。

 声が聞こえて振り向くと、リアちゃんがちょうど部屋に入ってきたところだった。

「いまはもう十一時半ですよ。ナナミさんのねぼすけ」

「だって、帰ってきたの朝方だったし」

「でもナナミさん、自分の足で帰ってきてないです。それに二日間も寝ていたんですよ。寝すぎです」

「え! そうだったの?」

 エミリアさんもリアちゃんの横で顔を縦に振っている。

 どうやら本当らしい。

 エミリアさんがミリアのベッドを指差して言う。

「ミリアもまだ起きないけど、能力を大規模に使ったときはまぁいつもこうだから。二日後ぐらいにベッドから冒険に出かけて、その日の夕方にはひょっこり目を覚ますわよ。それにリアちゃんも能力使っちゃったから、丸々一日寝てたじゃない」

「でも、能力使わずに丸二日は寝すぎです」

「まぁねぇ。でも、そんなこと言いたかったんじゃないでしょ? リアちゃん、すっごい心配してたんだから」

「ちょっ、エミリア姉さんっ!」

 リアちゃんが慌てる。

 エミリアさんがリアちゃんのパンチを余裕で受け流し、エミリアさんが隙を見てデコピンすると、リアちゃんがまた顔を真っ赤にする。


 本当に、帰ってきたんだなって思った。


 笑いがこみ上げてきて、思わず顔に出てしまう。

 それがリアちゃんとエミリアさんにみつかって、

「うにゃぁぁ!」

 二人に髪の毛をわしゃわしゃされた。


「あ、そういえばランスは?」

「わたしたちもほとんど会ってないのよ。忙しそうにしてるけど、ちょっと手伝えそうにない雰囲気でね」

「そっか……」


 少しでも顔を見れたらって思ったけど、ちょっと難しそうかな。

 ランスが忙しいなら、あまりわがままを言ってもいけない気がする。


 わたしは枕元にある手鏡を取る。

 ランスが買ってくれたものだ。

 二日も寝ていたせいか、寝癖がいつもよりヒドかった。

「ちょっと井戸まで行って、直してきます」

「いいけどナナミ、あんまり時間ないからね」

「あ、そっか。急いでいってきます」

 階段を下りて井戸のところへ行く。

 手鏡を井戸の淵に置くと、右手だけで髪を濡らす。

 思うようにいかないまま、左手の痛みが少し強くなった気がしたので、途中で切り上げて部屋に戻った。

 部屋にはわたしの分の昼食が用意されていた。

「リアちゃんが運んできてくれたのよ」と、エミリアさんが教えてくれる。

 本当はわたしなんかよりも、エミリアさんやリアちゃんのほうが大変だったはずなのに。

「じゃぁまたちょっとお仕事してくるね。あんたはしっかり食べて、ベッドでおとなしくしてるのよ?」

 エミリアさんを見送ったあと、スプーンでスープをすくって口に運ぶ。

 リアちゃんが得意なオニオンスープだ。

 いつもどおりの味が、いつも以上に美味しかった。


 食べ終わってから三十分ぐらいだろうか。

 痛みは突然にやってきた。

 立てないほどの激痛で、自分がどうなっているのかも分からなくなる。

 叫んでいるようで、声になっていないようでもあった。

 手が痛かったはずなのに、もう今はどこが痛いのか分からないぐらい全身がこわばっている。

 のた打ち回ったり取り乱したりする余裕もなく、ただ苦しみの中で、少しでも楽な姿勢だけを探した。

 意識が飛ぶ。

 記憶が途切れ途切れだ。

 いつまで意識があったのかもわからないまま、気づかぬままにわたしは完全に意識を失った。




 再び目を覚ましたときには、痛みは殆どなくなっていた。

 部屋全体が夕日に染まっていて、わたしのベッドの横では一人の女性が赤い果実の皮を剥いていた。

「あ、マドカさん……」

「意外と早く起きたのね。あ、もうちょっとゆっくりしてなさいって」

 マドカさんは八等分した果実を〝うさちゃんカット〟にして、そのうち一匹をわたしの口に押し込んだ。

「もう痛みはない?」

 わたしは、うさちゃんのせいでうまく喋れなかったので、首を縦に振る。

「それはよかった♪」

 そう言って、マドカさんは笑った。


 どことなくいつもの〝にぱー″とは違う、自然の笑顔だったように思う。


「それにしても、惜しいことしたわね。実はちょっと前まで、ここにランス様もいたのよ」

「えっ、ランスが?」

「ええ。ナナミちゃんが痛みと戦っている間、ずっと手を握っててくれたんだから。あ、足りなかったはずの鎮痛剤を取り寄せてくれたのもランス様ね。本当は三日三晩続く痛みらしいわよ」

「そうだったんですね……知りませんでした」

「いいのよ。ちゃんとランス様に『ありがと』を言いたいでしょ、ってそれだけ」

 マドカさんが頭を撫でてくれる。


 なんだろう。

 どことなくいつものマドカさんとは、ちょっと違うような気がする。

 ちゃんと優しいというか、いつもの半分遊んでいるような笑顔ではないというか、うまく言葉にはできないんだけれど。


「ナナミちゃん、ちょっと聞いてもいい?」

 わたしが頷くと、マドカさんは言葉を続ける。

「ナナミちゃんはどうしてあのとき、砂山の影から飛び出していったの? ナナミちゃんは戦えるわけでも、能力を持っているわけでもないのに」

「うーん、勝手に体が動いたとしか。自分でもよく分からないんですけど、助けるとか戦うとかじゃなくて、一緒にいてあげたいって、そう思っちゃったんです」

「もしかしたら死んじゃうかもしれないのに?」

「そうですね。たぶんそういうところ、計算するのとか苦手なんです。お馬鹿なんですよ、わたし」


「もしランスたちがまた戦いに出たらナナミちゃんはどうするの?」


「ついていきます。何もできないかもしれないですけど」

 わたしは迷わずそう答える。


 マドカさんは「やっぱりそう言うと思った」なんて言うと、一枚の紙をわたしに差し出した。

 一部分が欠けた魔法式が書いてある。

 ランスがいつも使っている魔法式とは少しだけ特徴が違うというか、素人目でみてるから何とも言えないけど、独特な書き方がされているように感じた。

 似たような魔法式を最近見たような気がして少し考え、そして思い出す。


「これ、マドカさんのフライパンに書いてあったものです?」


「あ、見られちゃってたのね」

 それからマドカさんは、わたしの枕もとの手鏡を指差す。

「それと同じものを、手鏡のサイズにあわせて書き直してあるの。刃の長さもお手ごろサイズにしておいたから。わたしが彫っても良かったんだけど、たぶん金属の加工とかは、わたしよりもナナミちゃんのほうが器用にできそうだから。左手が治ったら、よかったら頑張ってみてね」

「ありがとうございます」

「じゃ、そろそろ行くわね」

 マドカさんが立ち上がる。


 仕草もそうだが、マドカさんは本当にきれいな人だと思った。


 千五百人を一瞬で殺めた手。

 でもその手でマドカさんは、わたしに果物を剥いてくれた。

 頭を撫でてくれた手はとても温かかった。


 大切にしてもらっているけれど、わたしはこの人のことを何も知らないのかもしれない。


 それから、マドカさんは言った。


「さようなら、ナナミちゃん」


 無意識だった。

 だけど確信があった。

 

 それは絶対に、普段のマドカさんが使わない言葉だ。


 だから咄嗟にわたしは、去ろうとするマドカさんの手首を掴んだ。

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