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第2章『焔の国』⑥

 次の日の朝。朝食の前に、ランスにグレン様の伝言を伝える。


「グレン様と昨日、話をしたんだけど……あと一手って言ってたかな。とにかくあとちょっとで、『焔の国』が攻めて来るのをなんとかできそうなんだって」


「兄さんは、何でそんなことをナナミに?」

「ノレイン王子を案内したのがわたしだからかな? でも話の流れだったような気もするかも。とにかくそのことで、ランスと相談したって言ってたよ」

「いくらなんでも、軍事や外交に役立つような魔法はないんだけどな……」


 そういいながらも、ランスは朝食を終えるとグレン様と話してくると言い残して席を立った。

 何となく嫌な感じがする。そういったわたしに、エミリアさんは仕方ないよと言った。折り合いがつかなくて、丸く収まらないこともあるのよと。




 その日のうちに使者が『焔の国』に向かって、『月の国』を発つ。

 無条件で属国になるわけではなく、こちらからも条件を出しての交渉らしい。

 ランスは言った。

 交渉はおそらく決裂するだろうと。

 そうしたらどうなるの?というわたしの問いに、ランスは言葉を濁した。

 それは悲観するでなく、それも織り込み済みで意図を持って行っているように見えた。


 三日後の夜か、四日後の夜だろう。

 ランスは『焔の国』の進軍をそう予想した。

 正確には、夜の間に準備を整え、夜明けにあわせて侵攻してくるそうだ。


 それから三日間。王宮の中の一部の人間を除いて、おおよその国民がいつもどおりの日常を送る。

 戦争なんて呼ばれるものに何かをできるわけでもなく、だからわたしは、明後日には占領されてしまっているかもしれない部屋を、明日には王族のものではなくなっているかもしれない薔薇園を、今夜には他国の兵士に土足で踏み荒らされてしまっているかもしれない王宮を、いつもどおりに整えた。

 もしかしたらこれが最後かもしれないと思うと、少しだけいつもよりも丁寧に作業する自分に気づいた。


 使者が『焔の国』へ交渉へ行って、三日目の夜。

 ランスが予想した日のうち、最初の夜だ。

 寝付けるはずもなく、布団を頭からかぶっていたわたしの耳に、絹擦れのような音が届く。

 部屋を出る足音が三人分。

 扉の音とともに少しだけ大きくなった、扉の外を歩いてきたもうひとつの足音。

 わたしは足音が遠くなったのを確認して、自分の布団を押しのける。


 エミリアさんも、ミリアも、リアちゃんの姿もそこにはなかった。


 『月の国』は中心部に王宮と市場街。

 その周囲を畑などを営む村が囲い、国の外は四方に砂漠が広がっている。

 移動は主に馬だが、砂漠では馬も走ることはできない。

 まだ追いつけるかもしれない。

 わたしは寝巻きのまま王宮を飛び出すと、ただひたすら東へと走った。


「ナナミちゃん、乗って!」


 声がした。

 振り返ると、マドカさんが馬に乗ってわたしを追いかけてきていた。

 わたしが何かを聞く前に、マドカさんはわたしを馬の上に引きあげながら言う。


「ランス王子が動いたのね? 道はこっちであってる?」

「わからないです。とりあえず東に向かっていただけなので」

「まぁ妥当ね。じゃぁそれでいきましょう」

 マドカさんが馬を走らせる。

 振り落とされないように、わたしは必死で(くら)にしがみついた。


 それにしても、マドカさんはどうしてここにいるのだろう。

 服装こそ使用人の制服で、フライパン常備なのもいつもどおりだが、水筒や応急手当の道具、望遠鏡まで鞄に入っている。

 馬に乗ってきたことといい、事前に準備でもしていたかのようだった。


「マドカさん、どうしてマドカさんはここにいるんですか?」

「迎撃よ。迎え撃つの。『月の国』の人口が二万七千。夜明けと同時の奇襲をかければ、『焔の国』側は二千人の軍勢で事足りる。多くても三千でしょうって。まぁ数字はグレン様の受け売りなんだけど」

 それからマドカさんはこう続けた。


「で、それぐらいならわたしがなんとか追い払っちゃえばいいかなって」


「えっ、一人で?」

「頑張ればできそうじゃない?」

 いや、無理だと思う。

 だいじょぶだいじょぶ♪って感じで〝にぱー″って笑っても無理なものは無理ですよ? そういえばマドカさんはちょっとおちゃめでとってもデタラメ人だったって、今さらながらに思い知らされる。


 しかし、ふと思う。

 もしかしたらランスたちも、二千人以上の『焔の国』の兵士を迎え撃つために行ったのだろうかと。


 冷たい風が吹く。

 夏と言えど、砂漠の夜はとても寒い。

 砂漠に入る前に馬を下り、マドカさんは手綱を木の幹にくくりつける。

「ここからはランス様たちにも気づかれないようにね」なんて言いながら、マドカさんは人差し指を唇に当てた。

 わたしが頷いたのを確認して、マドカさんは歩き出した。わたしもそれについてゆく。

 一番東に位置する村を抜けると、砂漠が辺り一面に広がっていた。

 砂にはかすかに人の通ったような跡があり、それをたどっていくと、ランスたちの姿がみえてきた。

 ランスたちはまだこちらに気づいてはいないようだ。

 砂が高く積もっているところを指差して、「ちょっとそこに隠れてて」とマドカさんが言う。

 わたしは砂の陰に隠れると、そこからランスたちの様子を観察した。

 直径二十メートルほどの大きな魔法式のようなものが砂の上に彫られていて、その端でランスはエミリアさんとミリア、リアちゃんに指示を出しているようだった。

 月と星を見る。だいたい午前三時といったところだろうか。

 日の出が四時半頃なので、もし本当に今日侵攻してくるのなら、そろそろ『焔の国』の兵士がこのあたりに現れてもおかしくない時間なのではないだろうか。


「お待たせ」


 マドカさんがわたしの横に、ちょこんと腰を下ろす。

「マドカさん、なにをしていたんですか?」

「魔法式っていうんだっけ? それをちょこっと見に行ってたのよ。砂の上は書きにくいはずなのに良く書けててね、初めてじゃないのかなって思っちゃうぐらい。ランス様って器用なのね」

「まぁ、器用といえば器用ですけど……」


 何でだろう。マドカさんの今の言い方に、少しだけわたしは違和感を感じた。


 しばらくすると、遠くに砂埃が立ち上がるのが見えてくる。

 次第にはっきりと見えてくる旗は、『焔の国』のものに違いなかった。

「魔法をここで使っちゃうのは、ちょっともったいないのよね。わたしが頑張ってもいいんだけど……せっかくだから、お手並み拝見といこうかしら」

 マドカさんはそう言うが、たった四人でどうにかなるもののようには、わたしには見えなかった。


 それともあの大きな魔法式が、二千人超の軍勢に勝てるような力を持っているのだろうか。


 そんな恐ろしいものを、ランスは研究していたのだろうか。

 そんな言葉が、わたしの脳裏を過ぎった矢先だった。


「発動しない……」


 ランスの声だった。

「ランス様、退きましょう」言ったのはエミリアさんだ。「魔法なしではどうしようもないです」

「それは駄目だ。国の東端で、夜明けにあわせてグレン兄さんも手を打ってる。せめてここで戦力は削ってく」

「でも、勝ち目なんかないんですよ!」

 たぶん魔法式が発動しなかった今、『焔の国』の侵攻を完全に止める手立ては無くなったのだろう。

 


「ランス様。わたし、行きますね」


 そんな中、最初に動いたのはミリアだった。


 能力がもしあったとして、それがどんなものであってもミリアはミリアだと、わたしは思っていた。

 だからわたしはミリアの能力について一度は聞こうと思ったときに、その言葉を呑み込んだ。


 けれど、目の前の光景を見て、それを言える自信がわたしにはなくなってしまった。


 それは家一軒と比べてもまだ大きいほどの巨体だった。

 それには腕があり、木のように太いのが右に二本、左に三本。

 右の腕のうち一本は肘から二股に別れ、計三十本の指は鋭い鈎爪になっている。

 胸の皮膚を突き破って肋骨が出てきたと思うと、それはさながら虫の足のように折れ、内二本大地に刺さり残り六本は腕と同様に振りかぶられる。

 それと同様のものが背中から八本突き出てきて、飛び散る体液が砂漠の砂を濡らした。

 しかし、異形と化した上半身とは対照的に、人間のそれを大きくしただけのような二本の足。

 元の大きさのままで巨体の先に乗っている頭部。


 ランスに別れを告げたままの笑顔で、ただただ涙を流す少女の顔が、それをミリアだと言っていた。



 ランスに向けたのは、とっても優しい笑顔だった。

 大丈夫だよって、

 わたしに任せてって、

 そう言わんばかりの微笑みだった。


「ミリア……」

 本当にミリアは相変わらずだ。

 泣き虫なくせに、誰かのためにならすっごい頑張っちゃう子。

 自分も嫌われるかもなんて考えない……いや違う。


 自分が嫌われたとしても、守りたいものがあるんだ。


 嫌われてもしょうがないって、もしかしたら今までそうやった諦めて生きてきたの?

 だから嫌われることに人一倍怯えながらも、自分を嫌わないで欲しいとは絶対に言わないの?


 その巨体は前進する。

 馬の倍は速く走るそれは、一瞬で二千人超の軍勢の前に立ちはだかる。

 体を支えるものを除く、右の腕と肋骨の全てが大きく振り上げられ、


「ごめんなさい……」


 声のあと、一瞬で振り下ろされた。

 悲鳴にかき消されてしまった声はしかし、もとより肺の奥から微かに搾り出したような、消え入りそうな声だった。


 ミリアが泣いている。

 せめて近くに行ってあげたいって思った。

 あの腕の一本にでも抱きついて、がんばれって言ってあげれば、どれだけミリアが救われることか。

 ミリアの味方だよって、ミリアはミリアだよって、そう囁いてあげることがどれだけ支えとなるか。


 それなのに、わたしの足はすくんで全く動いてはくれなかった。


 それは加えて三度、ミリアは腕と肋骨を振り下ろす。

 おそらく百なんて数を優に超す命が、あの場では失われているのだろう。


「撃てぇぇっ!」


 軍勢の中から一人の男の声。

 同時に炸裂音がいくつも同時に響く。

 石火矢だ。

 昇る煙は、見て取れるだけでも八はあるだろうか。

 全てを同時に撃ち込まれえて、その巨体は地面に崩れ落ちた。

「第二射構え。撃てっ!」

 それが立ち上がろうとしたところで、再び石火矢による砲撃。身動きが取れない状態のそれに、続けて三回目の轟音も響く。


 その巨体の陰になって、今は見えない。


 今、ミリアはどんな顔をしているのだろう。


 痛みに苦しんでいるだろうか。

 必死に耐えているのだろうか。

 怒りをままに敵を睨んでいるのだろうか。

 悔しがっているだろうか。

 悲しんでいるだろうか。


 それとも、謝っているのだろうか。


 国を守れなくてごめんねと。

 ランスを守れなくてごめんねと。

 自身の体を異形と化して、見せたくない姿で殺したくない人たちを殺して、この場の誰よりもいっぱいいっぱい苦しんで……


 それでもミリアは言うのだろう。

 こんなわたしでごめんね、と。


「馬鹿っ……」


 何て言っていいのか分からないまま、漏れた言葉がそれだった。


 気がつけば、わたしは走り出していた。

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