第2章『焔の国』④
それから数日後のこと。
以前にマドカさんから分けてもらった果物を探して、わたしは市場街を歩いていた。
おおよその場所は聞いていたので、わたしはすぐにその店を見つける。
かわいらしい赤毛の女性が出している、『穂の国』の果物を並べた露店だ。
わたしが「おいくらですか?」と聞くと、赤毛の女性は「差し上げますよ。皆さんにもそうしていますので」と言って笑った。
果物はまだまだいっぱい店の裏に積んであったけど、本当に貰っちゃっても良かったのだろうか?
そんなことを考えながら、王宮に戻る途中だった。
「ひとつ……いや、ふたつほど尋ねてもよいだろうか?」
振り返ると、そこには体長2メートルはあるのではないかという、大きな男がいた。
わたしは思わず息を呑む。
その大男は青い瞳に灰色の髪をしていて、屈強そうな男の人を4人ばかし連れている。おそらく護衛かなにかだろう。
「は、はぃ、にゃんでしょうにゃ」
ヤバぃ、噛んだ。
馬鹿にしていると思われなかっただろうか?
しかし灰色の髪の男は意に介した様子も無く、広場の井戸を指差して言う。
「あの井戸の水は、飲んでもよいだろうか?」
「あ、はい。誰でも自由に使っていい井戸なので」
「すまない」
灰色の髪の大男は護衛の四人に、先に井戸に行くよう指示する。
護衛の四人は目配せをしたのち、頬に二本傷のある男が残り、ほかの三人が水を飲みに行った。
おそらく砂漠を越えてきたのだろう。
灰色の大男を包む黒いマントは砂にまみれ、大男の顔にも疲れが見て取れる。
大男が「それともうひとつだが」なんて話し出そうとしたので、わたしは「水を飲むぐらいでしたら待っていますので」と、井戸のほうへ行くよう促す。
えっと……ところで、何をやっているのだろう。
井戸の水を汲むための桶を下ろしたりあげたりしているが、一向に水が入らないようだ。
もしかしてこの人たちの国には、井戸はないのだろうか?
わたしは桶を手に取ると、井戸に投げ入れてから勢いよく引き上げ、水の入った桶を大男に渡す。
大男は護衛の四人に先に飲むように勧めたところ、逆に護衛達に勧め返されていた。
十分に喉を潤したのち、わたしは大男とその護衛にも、何度も礼を言われてしまった。
もう、最初に持った大男の怖い印象は、わたしの中から消えてしまっていた。
「それで、もうひとつの質問と言うのはなんでしょう?」
大男に尋ねる。
大男は王宮を指差すと、それから言った。
「何とか、この国の王に謁見を願えないだろうか? 私はここより東方にある『焔の国』の王子で、ノレイン・ウー・ヒースクリフという者だ」
「えっ?」
『焔の国』という単語は、それこそほんの数日前に聞いたばかりだった。
好戦的といわれていた『剣の国』の同盟国。
これから『月の国』に侵攻してくるかもしれない国。
石火矢という強力な武器で武装していて、近隣諸国を一斉に敵に回しても十分に戦える戦力を持っているかもしれない国。
『焔の国』について想像していた印象と、大男の持つ雰囲気があまりにも違いすぎて、わたしは当惑する。
そんなわたしの様子を勘違いしてか、大男が言う。
「連絡無しに来たのはこちらだ、無理にとは言わない。ただ、謁見できるかどうかを聞いてきてくれるだけで構わないのだが、難しいだろうか? それとも、服装から王宮の使用人だと思って話しかけていたのだが、私の勘違いだっただろうか?」
「あ、いえ、あっています」
改めて、ノレイン王子を見る。
その目は真剣で、だからわたしは、彼の気持ちにできる限りの誠実さをもって応えようと決める。
「王宮の使用人で、ナナミといいます。わたし程度では良い返事をいただけるか分かりませんが、その件、伺ってまいります」
「すまない、助かる」
ノレイン王子は左手を差し出し、慌てて右手を出しなおす。ノレイン王子はもしかして左利きなのだろうか?
わたしも右手を差し出して握手した。
そしてまた、ノレイン王子は使用人のわたしなんかに深々と頭を下げた。
王宮の近くまで案内したのち、門の前で待つようノレイン王子に言う。
わたしがノレイン王子のことをランスに伝えると、ランスはすぐさま国王の下へ向かってくれた。
ランスを待っている間が手持ち無沙汰になったのもあり、わたしはランスが登っていった階段の下で壁に背を預け、ぼんやりと窓の外を眺める。
しばらくして足音。わたしが振り返る。
しかし階段を下りてきたのは、ランスではなくグレン様だった。わたしは慌てて背筋を伸ばす。
「お疲れ様です、グレン様。 ……グレン様?」
「――――――っ、」
グレン様は、なにかに驚いているようだった。
わたしの顔をまじまじと見ているような気もして、それからわたしの髪の色と瞳の色のことかと思いあたる。
つまりグレン様にとって今の状況は、黒い髪に赤い瞳をした女が他国の王子と護衛を王宮の内部に招きいれようとしているということだ。
グレン様は眉間に皺を寄せて、ただ一言、言った。
「貴様、名前は?」
「……ナナミといいます」
「そうか」
急いでいるのだろう、グレン様はそれ以上は聞かずに、走っていってしまった。
しばらくしてランスが戻ってくる。
「ノレイン王子を、謁見の間に案内してもらってもいいかな?」
ランスの言葉にわたしは頷いた。
門のところで待ってもらっているノレイン王子のもとへ駆け足で行き、謁見の許可が出たことを伝える。
王子にはまた感謝されてしまった。
王子とその護衛を謁見の間へと案内するのだが、いかんせん、謁見の間なんてわたしも入るのは初めてだ。「こちらです」なんて案内をしながら、わたしも興味津々だったりする。
扉を開くと、部屋の奥まで続くのは赤いカーペット。
部屋の奥にはこの国の国王が座っている。
ランスとグレン様の父、ヴォルム王である。
国王の椅子の横にはグレン様が立っていて、部屋の端にはランスもいる。
ほかにも二十人ほどの衛士がこの部屋に集まってきていた。
というか……大丈夫なのだろうか。
この王宮の兵士は三十人ほどだ。
遅番などの交代も考えると、この城で今動ける兵士がほぼ全員、ここに集まっていることになる。
おそらくこの部屋にいないのは、門番が数人とか、その程度だろう。
ノレイン王子と護衛四人は、腰に提げた剣などを床に置く。
膝を突いてヴォルム王に頭を下げ、まず謁見の許可について感謝を述べていた。
「度重なる無礼をお許しください。我が名はノレイン・ウー・ヒースクリフ、『焔の国』の第一王子です。この度は使節としてではなく、一個人として謁見を願いました」
ヴォルム王が、グレン様に目線を送る。
それを合図に、グレン様はノレイン王子に向かって話しだす。
「『月の国』第一王子、名をグレンという。まず、今日ここに来た理由を話していただこう」
一瞬の間。
息を呑むような沈黙。
まるで時が止まったようだった。それはおそらく、ノレイン王子が最も重く感じているのだろう。
そんな中でノレイン王子は、玉座に傅き、頭を下げたまま、
「我が国の属国となるよう、勧めに参りました」
とんでもないことを言い出した。
属国とは、政治的、経済的に従属関係にある国のことだ。
つまりは、『月の国』の統治権をよこせと言っているようなものだった。
「脅迫か」
グレン様が言う。
「我が国と貴国との軍事的な力の差は、埋めようのないぐらい大きいものだ。しかし第一声がこれとは。『剣の国』と同盟を結んでいたとあっては、こんなものなのだろうな。かつての同盟国は、侵攻を繰り返し、略奪で国を営み、ついぞ良い噂のひとつも聞かなかったぞ?」
「撤回を」
ノレイン王子が言う。
「いま仰ったことが事実であったとしても、『剣の国』は『焔の国』と取引関係にあり、我が国を支えてくれていた国です」
「ただ対等に取引をしていただけでは?」
「それでも、我が国が救われたことは確かです。撤回をお願いします」
ただただまっすぐな言葉だと感じた。
わたしはさっきとは別の意味で息を呑む。
もしかしたらわたしと同じような印象をノレイン王子に持ったのか、グレン様はノレイン王子に謝罪し頭を下げた。
「話を続けさせていただいてもよろしいでしょうか?」
この部屋の誰もが頷き、ノレイン王子は言葉を続けた。
「『焔の国』では、水が足りていません。自国で賄えるのは僅かな湧き水と、果物や野菜のみです。以前は『剣の国』と取引をして買っていたのですが、それも適わなくなりました。試算の結果、このままでは我が国の民の五割――半数が命を落とすことになります。早急に水が、それも大量に必要なのです」
「申し訳ないが、水に関しては難しい相談だ」
グレン様が答える。
「我が国も夏季には水が不足がちになり、節約して過ごしている。分けるほどの水はない」
「それも承知の上です。ですが、だからこそ『よこせ』と言う……それが我が国の王の方針です。我が国の王は既に、『月の国』への侵攻の準備をしています。申し上げにくいのですが、軍事的な意味での彼我の差は大きく、戦争になれば『焔の国』の勝利は間違いないでしょう。無駄な犠牲を出すことも、この国を血で汚すこともありません。降伏し、属国になってください!」
違和感はあった。
ノレイン王子が低姿勢で言った降伏勧告。
その理由が、ようやく見えてきた。
『焔の国』の王の方針は、『月の国』に侵攻して水を奪うこと。
ノレイン王子は水が必要な事情は理解したうえで、それでも国の方針に納得ができなくて、『月の国』に降伏するよう言いにきてくれたのだ。
「属国となれば、我が国の民は水を失う。そうすれば死者も大勢出る。提案には納得することはできない」
「戦に敗れ、全てを奪われるよりかは遥かにマシです。子供は取り上げられ、男は奴隷として売られ、女は辱めを受ける。年老いたものや病を持つもの、売れ残った者はうち捨てられるでしょう。もはや人間としても扱われず、生まれてきたことを呪いながら死んでいく……戦に負けるとはそういうことです。『焔の国』とは、そういう国なのです。そのことについては、私の力が及ばず申し訳ない。ですが、私は『焔の国』の第一王子です。自国の民が最優先なので、これ以上の譲歩はできません。ましてや、今回の訪問は私の独断であり、国王の意思にそぐわぬものです。私はこの場で交渉することもできなければ、今この場で私の提案に頷いていただいたとしても確約することもできません。納得していただけないことを重々承知で、それでもお願いします。我が国が兵を挙げる前に降伏し、属国になってください」
また沈黙。
みると、ノレイン王子の拳が震えている。
「ひとつ、聞いてもいいですか?」
沈黙を破ったのは、寒気がするほどに冷たい声だった。
およそ感情と言うものが欠落したような声。
振り返る。
いつもの口調とあまりにも違いすぎて、それがランスの声だとすぐには気付けなかった。
ランスは問う。
「王子は、『月の国』の国民二万七千人と、自国の兵士二百七十人。比べるとしたら、どちらが重いと考えますか?」
「それが私にとっての命の重さという話なら、自国の兵二百七十人です」
「では、貴国の兵士何人なら、我が国の全国民二万七千人と釣り合いますか?」
ランスが尚も問う。
その質問の意図を図りかねてか、はたまたその瞳の奥にもっと別のものを見てか、ノレイン王子はたじろく。
「貴様……何を言っている……」
たぶんこの場で、ノレイン王子だけが、ランスの言わんとしていることを理解しているように思えた。
ランスが口を開きかけたところで、グレン様が「もういい」と、ランスの言葉を制する。
それからランスの言葉の非礼をノレイン王子に詫びたのち、グレンは言う。
「ノレイン王子、少し時間をいただきたい」
「いえ、返答は本国に直接お願いします。私の独断は、今や国内中に広まっていることでしょう。すぐにでも国に戻らなくてはいけません。それと……あまり余裕は無いものと思ってください」
話が終わる。
来賓用の宿泊室へ泊まるようグレン様は申し出たが、ノレイン王子はそれを断り、町で宿を取ると言った。
ランスに指示されて、わたしは王子達を城下町にある宿屋へと案内することになった。
わたしが謁見の間を出るときにはもう、いつものやさしいランスに戻っていたが、あのゾッとするような冷たい声がいつまでも脳裏を離れてくれなかった。
宿へ案内する途中、少しだけノレイン王子と話をした。
気になっていたのは、滅んでしまった『剣の国』の土地で湧き出る水を『焔の国』で使えないのかと言うことだった。
それについて、ノレイン王子は一言だけ、こう答えた。
「あんな水は飲めない」と。
その真意を聞く前に宿屋についてしまい、わたしはノレイン王子と別れた。




