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第2章『焔の国』②

 マドカさんからの伝言をランスに伝えると、わたしは午後の仕事を手早く片付けた。

 いてもたってもいられないというのが、ちょうどの表現だろうか?

 まだ『月の国』に来て一ヶ月のわたしが何をと自分でも思うけれど、ランスとグレン様が今夜何を話すのか、気になってしょうがなかったのだ。


 時刻はもうすぐ午後五時。夕食は王族全員が揃って顔を合わせるので、使用人総出で準備に当たる。

 厨房に行くと、早い人たちはもうすでに下準備をはじめていて、鶏ガラと果物が入った鍋が煮込まれていたりする。

 牛肉を薄く均等に切ったり、野菜の皮を剥いたりと、夕食の二時間前から大忙しだが、みんなとても馴れた手つきだ。

 こんなに上手にはできないだろうけど、わたしも頑張らなくてはと思った。


「先輩、何かお手伝いすることは」

「あんたには無い。でてけ」

「うにゃぁ」


 追い出された。


 それでも中をのぞいていたら、『ナナミ立入禁止』なんて張り紙をされた。


「ナナミ、どうしたの?」

「あ、エミリアさん」

「なんか浮かない顔をしてるけど、どうかし……ぷっ、あひゃひゃひゃひゃ! あーーーっはっはっはっ。傑作、マジうける。とうとうナナミの悪名もここまで轟いたんだねぇ、いやぁっはっはっはっ、面白ぇ~」

「むぅ……笑いすぎです」

「ごめんごめん。つい……あはははは」

「笑いすぎですっ!」

「ホントごめん、ちょっと待って今無理あははははっ!」


 だいたい三分後ぐらい? エミリアさんがようやく大人しくなり、「いやぁ。ツボった、ツボった。笑い疲れちゃったよ」なんて言いながら壁に寄りかかっている。

「知りません。ぷぃっ」

「悪かったって、ね?」

 それからエミリアさんが張り紙を剥がそうとしてくれたのだが、ほかの使用人たちから猛反対されてしまった。張り紙は結局そのままだ。ヒドい……




 というわけで、することがなくなってしまった。

 夜十時までにはまだ時間がある。ベッドで横にでもなろうかなと、わたしは部屋に戻ったところだった。

 わたしたちの寝室は二階。階段をのぼって部屋の前まできたところでしかし、上の階から話し声が聞こえる。

 もうこの上にあるのは、ランスの部屋と書斎だけだ。

 わたしは足音を忍ばせて、ランスの部屋の前まで行く。

 扉は閉まっていて、中の様子は分からない。

 耳をそばだてると、誰かが泣いているような声が聞こえてきた。


「痛むかい?」

 これはランスの声だ。

「……大丈夫です」

 女の子の声。泣いているのはこの子だろう。

 幼い印象を受ける、弱々しい口調のそれに、わたしは聞き覚えがあった。

「ごめん。次こそ……いや、いつか必ず何とかするから」


「ランス様、いつもありがとうございます。だけど……本当にそんなことできるのでしょうか? そんな方法、あるのでしょうか? もしかしたらこの呪いは一生解けないんじゃないかって、いつかまた大切な人を失ってしまうんじゃないかって、時々怖くなるんです。そもそもわたしが『神の右手』なんて、何の当てつけなんでしょうね。ねぇ、ランス様。わたしもう、右手一本で何でもできるようになりました。着替えも料理も掃除も洗濯も水汲みも、全部! だからもう、わたしのこれを切り落としてくださいです!」


「それはだめだ。そんなことをしたら、今度は肩から肺と心臓が腐る」


「誰かを殺してしまうよりマシです! こんなわたしなんて……」


「駄目だっ!」


 それから激しい音。

 もみあっているようにも聞こえるそれに、わたしは咄嗟に扉に手をかける。

 しかしわたしが扉を開ける前にその音は収まり、わたしは入るタイミングを失ってしまった。

 まぁ盗み聞きしていたのだから、これでよかったのかもしれないが。


 途端、扉が開く。


「ごめんなさいっ!」

 泣きながら女の子が部屋を飛び出してきて、脇目も振らず階段を駆け下りていく。

 わたしには気づいていない様子だった。


 恐る恐る、わたしは部屋の中に入る。

 異臭がした。

 何かが腐ったような臭いだ。

 

 それから目に入ったのはランスの右手。

 まるで全体を火傷して水ぶくれができたようにも、酷く化膿をして内側から膿が漏れているようにも見えた。ところどころ内出血もしているようだ。

 しかしランスはそれを意に介した様子もなく、ただ階段のほうを見つめていた。


「ランス。今の、リアちゃんよね?」

「ナナミ、聞いてたのか……そうだよ」


 それからランスは、わたしに包帯のようなものを差し出してくる。

 魔法式につかうような模様が書かれているそれを、わたしは受け取った。

「悪いけど、これをリアちゃんに届けてもらっても良いかな? こういうときに何てこえをかけたら上手くいくか分からないんだ」

「いいけど……それよりもランス、右手は?」

「あぁ、これは二週間ぐらいすれば治るよ。でももし見かけたら、エミリアさんに僕の部屋へ来るようにお願いしてもらってもいいかな?」

「よくわからないけど、それで大丈夫なのね? じゃぁちょっと行ってくる!」

 

 わたしは走る。

 あんなに取り乱したリアちゃんを見るのも初めてだ。

 ランスもいつもどおりに振舞ってはいたけど、心の内までそんなはずはないだろう。

 詳しいことは何もわからないまま、とにかく急がなくてはいけないような気がした。




 リアちゃんを完全に見失ったわたしは、先に厨房へ向かい、エミリアさんにランスのところへ行くようお願いした。

 少しは怪訝な顔をされるかとも思ったが、意外にもエミリアさんは仕事を途中で放り出し、血相を変えて走っていった。


 王宮の敷地内をどれぐらい探し回っただろう。

 諦めかけて一息つこうと思ったときに、薔薇園に一人たたずむリアちゃんを見つけた。


「リアちゃんっ!」


 呼ぶ。

 呼んでから、しかしどう話を切り出していいのか分からなくて、いまさらわたしは二の足を踏んだ。

 リアちゃんが振り返る。

 目が合う。

 リアちゃんの目は泣き腫らしたように赤く、口元の笑顔は苦虫を噛み潰したあとのように力任せで、それは悲しそうにも苦しそうにも怯えてるようにも見えた。

 気が付けば走り出していた。

 小さな体を抱きしめる。

 勢いあまって二人して地面に倒れてしまったが、それでもわたしの手は解けなかった。

「えっと……ナナミさん?」


「大丈夫だよ!」


 わたしの口を突いて出たのは、そんな言葉だった。

 リアちゃんがどういう状況なのかも分からない。何が大丈夫なのかも、何をすればいいのかも分からない。

 だけどただ伝えたくて、だからわたしは叫ぶ。

「大丈夫っ、大丈夫だから!」

「大丈夫って、何がですか?」

「わかんない。わかんないけど、大丈夫だから! どんなことがあっても、わたしもランスも、きっとエミリアさんもミリアも、リアちゃんの味方になってくれるから!」

「……もしかして、聞かれちゃってたのですか?」

「ごめんね。でも、事情はさっぱり。それと、ランスから預かりものがあるんだけど」

「わたし、酷いこと言っちゃったのに」

「まぁ、ランスだからね」

「そうですね。ランス様は優しいですから」

 わたしは立ち上がる。

 リアちゃんに手を差し出したが、リアちゃんは首を横に振って、自分で立ち上がった。

 リアちゃんに包帯を渡すと、リアちゃんは制服の袖を肩までまくり、慣れた手つきでそれを左腕に巻きつける。再び袖を下ろして左手をポケットに入れると、巻いたはずの包帯はまったく見えなくなってしまった。


 もしかして、わたしと初めて会った日からずっと、その左腕には包帯が巻かれていたのだろうか。


「ナナミさん、ありがとうございます」

「よく分からないけど、これで大丈夫なの?」

「あくまで応急処置です。ですが、一応は」

「そっか。よかった」

 とりあえず胸をなでおろす。


 本当は聞きたいことがいっぱいあったし、まだまだ心配なこともいっぱいある。

 もしかしたらわたしじゃ力になれないことかもしれないけど、それでも知りたいというのが本音だった。

 そんな心を見透かされてか、はたまた当然の疑問なのか、リアちゃんが言う。

「何も聞かないんです?」

「本当はいっぱい聞きたいけど、でも、今日はやめとくね」

「すみません、ありがとうございます」

「ううん」

 ちょっとだけ臆病になったのもある。

 でもそれと同じぐらい、いまリアちゃんに質問してしまうと、リアちゃんが話したくないことまで言わせてしまうような気がした。


 とりあえず伝えたいことは伝えた。

 あとはリアちゃんが自分から話してくれるまで待とうと、わたしはそう心に決めた。

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