第2章『焔の国』①
それから数日経った。
わたしの記憶にも特に変化はない。
まぁ覚悟が決まったぐらいで戻ってきてくれたら、苦労はないのだが。
朝食のあと、午前中の仕事が少しだけ早く済んで、暇になったのが午前の十時半。
それから、せっかくのいい天気なので布団を干そうと思いつき、階段をえっちらおっちらしているのが今の状況だ。
ランス付きの使用人の部屋は第十三棟の二階にある。そこの一室にベッドを4つ並べて、わたしとエミリアさん、ミリア、リアちゃんの四人で使わせてもらっている。
三人分の布団を運び終わり、最後に自分の分を運び出そうとしたところで、ふと声が届く。
「ナナミちゃーん」
おっとりとした女性の声。
窓の外からだった。
わたしは窓の外へ顔を出すと、下に目線を向ける。
そこには金色の髪に青い瞳をした女性が立っていた。
わたしと同じ制服を着ているはずなのに、どこか上品な感じだ。
ところで……わたしの名前を知っていたようだが、どこかで会っただろうか?
そしてその女性には変ったところがひとつ。その女性が立っているのは庭のはずれのはずなのに、右手にフライパンを持っているのだ。
女性が「おはよー」なんて言ってくるから、こちらも「おはようございます」と返す。
「これ、あげるねー」
謎の女性は〝にぱー″と笑うと、フライパンを構える。
女性は左手に持った黄色い果物を宙に放ると、思いっきりフライパンでそれを叩いた。
わたしは慌てて、飛んできた果物を捕まえる。
突然のことに唖然としてしまって、手を振って去っていく女性に、果物のお礼を言いそびれてしまった。
「また今度、会ったときにちゃんと言わないと」
それはそうと、果物をフライパンで叩くなんて、少し非常識ではないだろうか? 普通はそんなことをしたら、果物が傷んでしまうだろうに。
そう思って、わたしは果物を回して見てみるのだが……
「あれ?」
何度見ても、果物にそれらしい傷はない。
わたしは首を傾げる。
部屋を出て厨房に向かう途中も、ずっともやもやした気分が抜けなかった。
昼食のときに、フライパンの女性のことをみんなに聞いてみる。
すると、思いのほか有名人らしかった。
「ああ、〝にぱー″はきっとマドカさんね」
「フライパンはマドカさんですね。いつも持ってます」
「消去法でマドカさんです。このお城で特にデタラメなのは、エミリア姉さんとナナミさんとそのひとですから」
へぇ、わたしってそっち側のカテゴリーなんだ。気をつけよ……
「マドカさんは、グレン兄さん専属の使用人だよ」
ランスだけがきちんと親切に教えてくれる。
「僕も良く知らないけど、秘書みたいなこともやってるらしいね。とぼけている感じだけど、グレン兄さんが重用するってことは、すごい人なんじゃないかな」
「へぇ……」
昼食の最後に、マドカさんからもらった果物を切り分ける。思いのほか美味しくて、ちょっと驚いてしまった。
みんなにも評判がよかったし、市場で同じのを見かけたら買って来ようかなんて思う。
昼食が終わると、ランスは自室にこもってしまった。また魔法の研究でもしているのだろう。
わたしはと言うと、今日は一人で皿洗いだ。
「午前中の仕事が少なかった分、まぁしょうがないか」
なんて呟いて、じゃぶじゃぶ食器をこすっていく。
「あらまぁ、お一人?」
「ん?」
声を掛けられて振り向くと、そこにはマドカさんがいた。
マドカさんはフライパンの柄を帯に挟むと、「手伝ってあげる♪」と言ってくれた。
「あ、そうだマドカさん。果物ありがとうございました」
「美味しかった? 特に問題なかった?」
「ええ、とっても美味しかったです……『問題なかった?』って?」
「よかった♪ あれ、たまたま市場の端でもらったのよ。じゃぁわたしも食べてみようかな」
「え?」
そういってまた、マドカさんは〝にぱー″と笑う。
うん、深く考えないようにしよう。
「マドカさんって、いつからこの王宮にいるんです?」
「そうね、物心付くころにはこの王宮に出入りしてたかな」
「お父さんかお母さんがここで働いてたんですか?」
「ううん、塀をよじのぼって、果物を盗みに来てたのよ」
「え……王宮ですよ?」
「てへっ。まぁ子供の頃の話よ。そしたらある日、兵士さんにみつかっちゃってね。怒られるかなって覚悟したんだけど、でも拍子抜け。『次からは籠をもっておいで、好きなだけ取ってっていいから』って言われちゃった」
「へぇ。誰もその果物食べないんです?」
「まぁ、さっきのと違って、渋くて美味しくないやつだからね。実は干すと甘くなるんだけど、それを知ってる人は少ないかな。収穫の季節は秋ごろだからもう少し先。その頃になったら、市場とかに配りに行くんだけど、暇だったら手伝ってほしいなぁなんて♪」
「いいですよ、わたしでよければ」
「ありがとっ」
「それにしても、平和な国ですね」
「そうね」
それから、マドカさんはまた笑う。つられてわたしも笑ってしまった。
それにしても、わたしはどうして『平和な国』なんて言葉を口にしたのだろう。
わたしはこの国しか知らないはずなのに。
それとも、記憶を失う前の常識とこの国の生活が、それほどまでに掛け離れているのだろうか。
そんなことを考えていると、
「えいっ!」
「うにゃっ!」
とマドカさんにデコピンされてしまう。
「ナナミちゃん、今の顔かわいくない~」
「だからって、ほっぺ引っ張らないでください~」
「嫌ぁだ! わぁらぁえぇ~」
「うみゃぁ。分かりました、分かりかしたから~」
マドカさんはわたしの頬から手を離すと、わたしの頭を「いいこいいこ」と撫でてくれる。
こういうところは、どことなくエミリアさんに似ているような気がする。
「あ、そうだ!」
マドカさんが言う。
「聞こうと思ってたんだけど。ナナミちゃんはこの国に来る前は、どこの国にいたの?」
「覚えていないですけど、『穂の国』だと思います。一ヶ月前にランスに拾われたのがそこなので」
「そうだんだ」
「わたしがこの国の人じゃないって、やっぱり分かっちゃうんですね」
「まぁ確信とかは無かったんだけど、この国じゃ珍しい髪の色だから」
いろんな話をしながら、マドカさんは一通り洗いものが片付くまで手伝ってくれた。
再び腰に差したフライパンを手に取ると、「あぁ落ち着く♪」なんて言っている。そういうものなのだろうか。
わたしはマドカさんに、手伝ってくれたお礼を言う。
マドカさんは「べつにいいのよ~」と、はたはたと手を振っている。
「わたしも仕事、サボれたし♪」
「え?」
「なんてね。あ、そうだ。これはナナミちゃんにお願いなんだけど」
マドカさんはそういいながら、ポケットのメモをわたしに差し出した。
「グレン様が、ランス様と話がしたいそうなの。今日の夜十時に、部屋に来るよう伝えてもらってもいいかしら?」
わたしはメモを受け取る。そこにはマドカさんが言った時間と場所が書いてあった。
それにしても、改まって話とは何のことだろう。
グレン王子が絡んでいるということは、もしかしたら外交関係の話だろうか。
「伝えるのはいいですけど、何かあったんですか?」
「わたしも詳しくは知らないけど、きっとあんまり楽しい話じゃないでしょうね」
そう言ったときのマドカさんの顔は、そのときだけは笑ってはいなかった。




