0、はじまり。
みかんシリーズ第三弾。
私と彼のあたらしい生活、第十八話辺りから分離する佐久間雛子と彼女の元運転手、井村潤との逃亡劇。
こちらは分離した作品となりますので、詳しいキャラクター像なんかは私と彼のあたらしい生活をご覧ください。
なおこの作品はどうしても作者が気に入ってしまった脇役の佐久間雛子を書きたかったがための作品という事、そして親作品である私と彼のあたらしい生活に大きく関わる可能性があるという事をこちらに記しておきます。
ご了承くださいませ。
「ええ、とても雛子は不安定ですよ」
ふわっと唇を尖らせ煙を吐き出せば、紫色のそれは目の前に広がる白銀の世界へと消えていった。耳に当てた電話の向こうの相手は、俺が雛子の事を呼び捨てにしたことを咎める事も、ましてそれ以上の事、例えば雛子がどう不安定なのか、を聞き出そうとはしない。
「けれど、そちらに居た時よりも幸せそうです。御安心を」
白銀の世界を照らす、真冬には珍しい日光が、地面に反射して眩しく目を細めながら短くなった煙草を地面に落とし、向こうでは絶対に履かなかったスニーカータイプのスノーブーツでそれを踏み消す。
「では、そろそろ。これ以上遅くなりますと、雛子に怪しまれますから」
ふっと口元に思わず笑みを浮かべながら、地面に置いていたビニール袋を握り直せば、ようやく電話の向こうの相手が声を、小さく漏らした。相手が今どこに居るのかなどというのは愚門だろう。
今日は元旦だ。
つまり、相手、雛子の事を深く気にしてこうして隠れて俺と連絡する人間は、本家に居る。
「ああ、そうそう。あけましておめでとうございます、旦那様」
かつて相手に仕えていた時のように、改まって言えば、相手は少々口籠りながら、同じ様に返してくれ、けれど、電話の向こうが何やら騒がしくなると一方的に通話が切れた。
ああ、向こうは向こうで、相変わらず大変そうだ。
ふっとまた笑みを口元に浮かべながら、俺は薄いダウンコートのポケットからガムを取り出し口に入れ、見渡す限り雪に囲まれた地面へと足を進めた。
雛子が、佐久間雛子がすべてを両親に手紙という形で打ち明け、あの屋敷と佐久間の名前から逃げ出した後、どことなく目指した長野という場所を、俺と雛子はさまよっていた。
レンタカーを借り、山が見たいという雛子を乗せて車を走らせ、それから温泉に入りたいという雛子を乗せて車を走らせ、時には日帰りで、時には泊まりで長野という縦に長い県をさまよっていた。
「御兄、今日は何をしようか」
レンタカーを借りるより中古車でも買った方が安いんじゃないかというほど、車を借りてから日が経ち、雛子は遂に朝起きるなり呟いた。
その言葉にうつ伏せになっていた体についた頭だけを雛子の方に向けると、俺の身体の横に雛子は体育座りをしながらぼんやりと自分の爪を見つめていた。
「……飽きた?」
その様子があまりに幼く、そして長野に着いてからキラキラと輝いていた切れ長の瞳がその光を失っているのから察して言えば、雛子はため息を漏らすように小さく頷いた。
「ああ、さすがに、ね。もう寺も温泉も山も、それから蕎麦も飽きたな」
ふっと笑みを浮かべながら見つめていた指を折りながら言うその姿と声音は、一瞬にして雛子から徹へと移り変わる。それに対して驚きもせずに、そうだな、と同調すればまたくすくすっと笑う姿は女性そのもの、だった。
「じゃあ今日は一日中ホテルに居よう」
そう仕方なく提案すれば、雛子は一瞬面食らった顔をしてから、嬉しそうに切れ長の目を細め量販店で買った寝間着代わりの白い綿の薄い紳士物の大き目のシャツを脱ぎ捨て、さらりとした肌理の細かい肌を俺に摺り寄せながら甘えてくる。その唇をそっと重ねれば、雛子は揃いで買った俺が着ているシャツを脱がそうとそっと手を宛がった。
あの晩、雛子を抱いてから、彼女はすっかりと俺に抱かれる事に抵抗を見せず、むしろ彼女の方が励むという有様で、一度だけそれを口にすれば、雛子は恥じる事なく堂々と答えた。
曰く。
―子供を作ろうと言ったのは潤じゃないか。子供が出来るまで離してなんかやらない。
だ、そうだ。
我慢できずに連載はじめちゃう辺りが、竹野の根性なし具合を表してます。
とりあえずみかんシリーズ第三弾です。
よろしくおねがいします。