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○
「馬鹿なの?」
捕らえられた少女が、施行室で最初にかけられた言葉は、副室長からの辛辣なそれでした。
少女は何も答えません。不機嫌そうに口を結んだまま、ぷいっとそっぽを向きました。
「朝、放送で校長が言ってただろうがよ、あそこに穴があるって。……まあいいや。オマエさん一体誰なんだよ」
少女は黙秘権の行使とでもいわんばかりに口を噤んでおります。副室長が徐々に苛立つのがわかりました。
「てめえ優しくしてるからって、調子にのんじゃねえぞ!」
副室長は手にした竹刀で、強かに机を打ちます。
一瞬、びくっとなる少女。でもまたぷいっとするのでした。
副室長の竹刀が再び振り下ろされようとしたとき、室長がその腕を掴みました。
「まあ二城野くん、そう興奮するな。……なあ君、我々も別に煮て食おうというわけではないのだ。だが話してくれないと、君に色々と施さなくてはならなくなるぞ」
室長は少女に優しく語りかけると、見定めるような視線を少女の躰に這わせました。
――施す。
「施す」というとなにやら慈悲深い響きに聞こえますが、実のところそれは、渡り廊下の秩序を乱した者を改心させるために、校長が考え出した罪深い罰業だと言います。
わたくしはその「施す」ところを目にしたことがないどころか、こうして施行室に入ること自体も今日が初めてでありました。女子には刺激が強すぎるということで、施行室は原則女人禁制とされていたからです。ですが、今こうして副室長とわたくしが施行室への入室を許可されたのは、今回の施行対象が女子であり、室長と少女を二人きりしては過ちが起こりかねないと判断されたからでした。
わたくしは、施行室にはそうまでしておなごに見せられない何があるのかと、禁断の箱でも開くような、背徳の愉悦に罪を感じながらその扉をくぐったのですが、そこには造り物の動物園じみた風情があっただけで、少々拍子抜けしていたところでした。
「君が毎日のように渡り廊下を駆けぬける目的はなんなのだ? それくらいは教えてくれても良いだろう」
室長の問いかけにも、少女は美しい姿勢のままで沈黙を貫きます。
「めんどくせえ。もうこいつ校長のトコに突き出しちまおうぜ」
一向に口を開かない少女に、副室長はもう飽き飽きといった様子でした。
わたくしも進展しない取調べに若干退屈していたのは事実です。わたくしは部屋に置かれた、金色に輝く等身大の牛の置物や、不思議な形をした木馬を眺めていました。なぜこの牛には人が入れそうなほどの扉があるのでしょう。この木馬はなんであんな座りづらそうな形をしているのでしょう。わたくしがやけに鋭角なその着座部分に触れようとしますと、副室長に「やめとけ」と注意されました。
沈黙の中、ため息だけが乱舞します。
その均衡を破ったのは、ノックもなく施行室に飛び込んできたゆみちんでした。
「しつちょー、体育館で少女のものらしき荷物とローファーを発見しました!」
「おお、でかした!」
室長は満面の笑みで、ゆみちんの頭をぐりぐりと撫でました。
室長がゆみちんを愛でる気持ちはわからなくもありません。本日の最優秀選手賞は間違いなくゆみちんでありましょう。
しかし――、嗚呼、室長も罪なおかたです。ゆみちんの顔がみるみる桃色に染まっていきます。一方その傍らで少女の顔がずんずん青ざめていきます。
「よし、君たちはバッグの方を調べてくれ。俺は靴の方をやろう」
水を得た魚のごとく、てきぱきと指示を出す室長。危機を悟ったのか暴れ出す少女。ですが、彼女は床に固定された椅子の上で、四肢をベルトによって束縛されています。もはや抵抗虚しく、彼女の素性は丸裸にされるのです。
(――室長は靴の何を調べる気なのかしらん)
わたくしは若干の疑問を抱きながらも、二つある荷物――手提げ鞄とスポーツバッグのうち、鞄の方を開いてみました。教科書にはクラスや名前が書いてると思ったからです。やはり国語の教科書の裏表紙には『一年一組 岬実咲』とありました。
「一年一組って……美月のクラスじゃーねの?」
副室長に言われて気がつきました。一年一組は紛れも無くわたくしのクラスです。
「一組にこんな子はおりません。ですが――」
わたくしは級友のことに多少無頓着なところがあるとはいえ、さすがに存在を失念するほど関心がないわけではありません。しかし、気がかりなことが確かにあるのです。
「岬という名前はどこかで聞いた気がするのです……」
思い出せません。もしかしてわたくしは、本当に級友の名前を失念してしまったのでしょうか。副室長は不思議そうにしながら、頷いてくれました。
「やっぱオマエも? なんかな、アタシも岬って知ってる気がするんだな。鹿野苑、オマエは知らねえ?」
突然水を向けられた室長はびくりと体を痙攣させ、まじまじと観察していた少女の靴から顔を離しました。ゆみちんに猿ぐつわを噛まされた少女が、机の反対側でむうむうと唸っています。
「オマエ、何やってんだよ」
「い、いや何も。うん。岬か、確かに俺も聞いた記憶がある。だがこの子は知らん。お前は誰だ」
少女はむうと答えました。
わたくしたちは次にスポーツバッグを開きました。そして思わず、あっ、と声を上げました。鞄より先にこちらを開ければ早かったのです。
「こいつ、やっぱりウチの生徒じゃねえぜ」
バッグに入っていたのは南高の制服でした。南高はこの街の南の方にある高校です。他校の生徒であるならば、放課後しか現れないのも、集合写真に写っていなかったのも、朝の放送を聞いていなかったのも、全て納得がいきました。
「となると、彼女はなにゆえ、わざわざ私服に着替えてまでこの学校に侵入して、渡り廊下を走らねばならなかったのでしょう?」
動機。焦点はそこに絞られましたが、それはさすがに自白させるしか手が無いように思えました。
どうやって吐かせようかと少女を見ますと、少女の対面にいる室長の姿が気になりました。
室長は靴の観察に慎重になるあまり、まるで靴の匂いを嗅いでいるようにしか見えませんでした。目を潤ませてむうむうと暴れる少女。
――そのとき、わたくしの頭の中を、アムールハリネズミが転げていくような戦慄が走ったのです。
きっとあれが「施し」に違いありません。
手足の自由を奪われたうら若き乙女が、殿方に、目の前で、隅々まで、靴を観察される。あまつさえ香りまで!
なんという陵辱でしょう。靴の裏にガムなどついておりましたら女としてもう生きてはゆけません。思わずわたくしの目が足下に落ちました。そして、自分の足に靴があることを確認して安堵したのです。靴が無くなっているわけがないと知りながらも、確認せずにはおれなかったのです。
あのような仕打ちを受けては少女も自白せざるをえないでしょう。しかし更なる残酷がここにあります。ご覧ください。少女はあのように猿ぐつわを噛まされているので自白もままならないのです。
それに気がついたとき、わたくしの頭は真っ白になり、この世の正義について何が正しいのかがわからなくなりました。そしてこの場所に付いた「施行室」という名が、拷問室の隠語なのだと知ってしまい、恐怖のあまりひとりぷるぷると震えるのでした。
見ると、室長は、副室長によって全力で竹刀を叩き込まれていました。
「変態! 変態!」と繰り返し罵られ、顔を歪めて喜んでいます。
我に返ったわたくしが少女を見ますと、あの気丈だった少女が、さすがに心折れたのか灰色になっておりました。敵ながら気の毒なやつでした。
「おいオマエ起きろ、動機を話せ。帰れねえだろ」
副室長は少女の猿ぐつわを外しながら、少女をがくがくと揺すります。今はもう、動かなくなってしまった少女。
副室長は室長を蹴り飛ばしました。
「こいつ廃人になっちまったじゃねえか。どうすんだよこれ」
「誤解してもらっては困るのだが、俺は少女の自白を促すために、やむを得ず非情な拷問官を演じていたのだ。誤解してもらっては困るのだ」
「うるせえ、二回言うな!」
室長が大切そうに握っていた靴を、副室長がぶんどったとき、いつの間にかどこかに行っていたゆみちんが施行室に戻ってきました。
「カツラ先生に少女逮捕の報告をしてきました!」
室長に褒められたい一心のゆみちんは、もう絶好調でした。見ると、後ろにカツラ先生を連れてきています。
カツラ先生は満足げに、かつかつと笑っておられました。
これでカツラ先生も、もう少女のことで校長にどやされる心配はありません。懸案事項の解決を肴に、今夜は一献傾けようといった趣です。
カツラ先生は、ぐったりした少女を見るなり、もんどりうってひっくり返りました。
――何事?
わたくしどもが思っておりますと、カツラ先生はあたふたしながら言ったのです。
娘。
○
カツラ先生の真名が岬先生であることを思い出したわたくしどもは、少女を丁重に介抱いたしました。
凄惨な施しの光景が、カツラ先生の眼に入らなかったのは幸いでした。
自分の娘があのような十五禁じみたことをされているところを見たならば、どんな父親でも卒倒することでしょう。
しばらくして瞳に光を取り戻した少女は、父の姿を認めるなり、机に突っ伏してしくしくと泣き出しました。
――白状するから父は部屋の外に出ていてほしい。
彼女はそれだけを要求すると、涙声で、滔々と自白を始めました。
――昔から校長に怒られていた父が、随分ストレスを溜めていたこと。
――ストレスが祟った父は、結果として、あんな不自然な頭になってしまったこと。
――お風呂の排水溝掃除が大変になったこと。
聞けば、まだあったころは、友達に自慢できる大変ハンサムな父親だったそうです。
だから父をあんな風にした校長が憎くて、校長が大事にしているという渡り廊下を、めちゃくちゃにしてやろうと思った。こんなものさえなければ、こんなものさえなければ、風紀委員会顧問の父がストレスを溜めることもなかったのに――。
それが、少女の主張でした。
駆けぬける少女はただの父親思いの娘だったのです。
ですが、彼女は自分がした行為が、ブーメラン式にカツラ先生にダメージを与えていたことには気がついていないようでした。わたくしがそれを教えてあげますと、彼女は車に轢かれる直前のアマガエルのような顔になりました。
カツラ先生の懇願もあって、情状酌量の余地ありと判断したわたくしどもは、もう二度と走らないこと、カツラ先生が親の責任としてしっかり娘を管理することを条件に、少女を不問に付すことにしました。
幸いだったのは、校長が今回の少女捕獲の一件に気がついていないことです。
「そもそもあの馬鹿校長が全部悪りぃんじゃねえか」
今回の悲しい事件を、副室長はそう総括いたしました。




