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 結局、昨日は捜査になんの進展もないまま、少女にぬけぬけと駆けぬけられてしまいました。

 そして今朝、ホームルーム時に校内放送で流されたのは、「駆けぬける少女を捕まえる為に作った落とし穴が、渡り廊下の北側にあるので、関係のない生徒は気をつけるように」という校長の訓示でした。

 もはや何が正しいのかよくわからなったわたくしが、大平原にぽつねんと放たれたナマケモノのようにひとり困惑しておりますと、いつものようにゆみちんが教室にやって参りました。

「おはよう、美月ちゃん」

「ごきげんよう、ゆみちん」

 挨拶を交わした際、彼女が手にしていた本がわたくしの関心を引きました。

「ゆみちん、その書物は?」

「んーとね、落とし穴の本を図書館で借りてみたんだけど、良くわかんないから美月ちゃんと読もうと思って」

 世の中には数多の本が存在するとは存じ上げておりますが、落とし穴に特化した本などがあることまでには、知識が及びませんでした。多少興味を持ったわたくしは、その本を手に取ります。本には『女が陥りやすい落とし穴』という題が記されていました。

「こんなのは読まないほうが良いのです」

 わたくしはゆみちんに警告せずにはおれませんでした。

 女だけを狙って落とそうとする穴の本。そんなものを作る出版社の良識は、疑われてしかるべきでしょう。書いたのはきっと男性に違いありません。穴の中にパンケーキを入れるのだとか、薄いことが書いてあるに決まっています。わたくしは色々な意味でなるべく関わり合いを避けたくて、その本をそっとゆみちんにお返ししました。

「そっかー」と、素直にがっかりするゆみちん。

 ゆみちんが、図書館で本を借りるほど落とし穴に傾倒していると知り、わたくしは彼女が少し怖くなりました。

「昨日ね。ネットでも調べたんだけどね。穴に竹槍とか入れるといいんだって」

 彼女が怖くなりました。

「……食堂にないかなあ。槍」

 何やらぶつぶつと呟くゆみちん。彼女が食堂を連想したのは、おととい一緒に食べたA定食がたけのこご飯だったからでしょう。

「そういえば、昨日言ってた看板はどうするのです? 先にそちらを作った方が……」

『ここに穴があります』――そんな看板があれば、さすがに落ちる阿呆もいないでしょう。少女を捕らえるよりもまず、命を守る方が優先されるべきだとわたくしには思われました。

「朝、校長先生が放送で言ってくれたから看板は必要ないかなと思って。あれってさ。校長先生が落とし穴を公認してくれたってことだよね。室長にも期待されちゃったし、今日も頑張って作ろう!」

 言葉を弾ませるゆみちん。

 ――作ろう。助動詞『う』は、動詞の未然形に付いて意志や勧誘を意味します。どうか意志の方であることを、わたくしは願ってやみません。


 次の休み時間。必然とばかりに、恐れていた事態は起こりました。

 ゆみちんがやってくると、「早く穴掘りに行くよ?」と言わんばかりの、あんな無邪気な目でわたくしを見たのです。

 穴は、穴であって、穴班ではなかったはずです。

 穴はゆみちんの専売特許だったはずなのです。

 ですがわたくしも、頼ってきた友人を「一人でやれば」と突き放せるほど、冷酷な女ではありませんでした。加えて彼女の暴走を防ぐためには、やはりわたくしが監督するしかないという責任感もありました。手柄を立てたいばかりに、槍などという突飛な物を持ち出そうとするゆみちんの暴挙をとめなければなりません。

「あれ、あれ――」「ああ、朝の――」「対策室の連中――」

 渡り廊下を過ぎゆく生徒たちの声が漏れ聞こえます。穴を掘るわたくしたちに向く視線が、嘲笑を含んでいるように思えます。

 ――わたくしはいったい何をやっているのでしょう。

 誰も落ちることのない落とし穴を、ざくざくと掘っているのです。

 石を積み上げては鬼に壊される賽の河原の子供たちが、わたくしの瞼に浮かびました。

 不毛。

 不毛を延々と強いれば、それは一つの地獄に変わります。

 ですから、狭い部屋で一日中○だけを書かせられた挙げ句、ごくろうさんの声とともに、それを目の前でシュレッダーに掛けられたお父さんたちは、目に涙をいっぱい溜めて会社を辞めていくのです。賽の河原が地獄にある道理も知れるというものでしょう。

 ですが、あんなに真剣な目で穴を掘り続けるゆみちんを見ていると、わたくしは何も言えなくなってしまうのです。ゆみちんは桃色のゆるふわ愛されコーデが汚れるのも厭わずに、一生懸命穴を掘り続けておりました。

「――おお、頑張ってるな」

 声に振り向くと、ジャージ姿の室長がおりました。丁度、体育館で体育の授業をされていたのでしょう。額の汗と手に持つコオラがきらきらと輝いています。

「室長!」

 真剣だったゆみちんの目に、ぱあっと優しい光が灯るのがわかりました。

「うむ。二人とも頑張ってくれているようだから、これをあげよう」

 室長が手に持っていたコオラを差し出します。

 これは良いものを。わたくしがいただこうとしますと、横から素早く割り入ってきた手に、わたくしのコオラは奪われてしまいました。

「ありがとうございます!」コオラを手にしたゆみちんがうやうやしく言いました。

「あ、でも一本しかないな。すまないが二人で分けてくれ。ではまた放課後ね」

 ぱたぱたと手を振って、ご学友の元に戻っていく室長。ゆみちんも応えるように大袈裟に手を振って室長を見送ると、わたくしの方を顧みました。

「美月ちゃんの分は私が買うから、これは私が貰っていいかなあ」

 わたくしは違和感を覚えました。

 ゆみちんがこんなことを言うはずがないのです。

「構いませんが……。だったらゆみちんが好きなももネクターを買って、わたくしがそれを貰った方が良いのでは?」

 コオラがわたくしの好物であることは、ゆみちんもご存じのはずです。そして――

「……」

 ゆみちんが言葉に詰まってしまい、思いがけず気まずくなる空気。わたくしは慌てて「いいよいいよゆみちんが貰って」と、場を取り繕いました。

 それで、わたくしはなんとなく知ってしまったのです。

 彼女が一生懸命に穴を掘る理由。

 室長からいただいたコオラは、わたくしにとってはただのコオラでも、ゆみちんにとっては特別なコオラだったのでしょう。

 ゆみちんは室長のコオラを、大切そうに胸に抱えていました。

 ゆみちんは炭酸飲料が得意ではないのに。


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