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     ○


「――悔しかったんだ。問題の少女を捕まえられなかったからって――ウナギが無理だからアナゴで我慢みたいな感覚でオレを捕まえた挙句、閉じ込めたまま忘れて帰ったことが」

 わたくしが動機を尋ねると、兄御は素直に答えました。

 分室に差し込んだ夕日が、部屋を穏やかな橙に染めています。

 窓際の椅子には、上半身にズボンを履かせられたり、体中にマヨネーズと書かれたり、鮪の着ぐるみを着させられた挙句、鰯と罵倒されたりしていたところを救出された分室員三人が、蜜柑色に染まりながらぐったりと並んでおりました。

「そういえば、そこの施行室とやらで途方に暮れていたオレを見つけたのは君だったな。そしてオレを見つけた君と――そっちの室長は、まるでごみだしするのでも忘れたかのように、オレを校長室に突き出していった――オレは完全に雑魚扱いだ!」

 叫んで、机をだん、と叩く兄御。対策室の空気が震えました。

「お前たちには、渡り廊下を走っただけで心に傷を植えつけられた、兄御の気持ちなんてわかんねえんっす!」

「そうだ! 校長にあんなことやこんなことされる苦しみ、お前たちにわかってたまるか!」

 兄御の両隣にいた、やんすこと明堂院と、東前頭十三枚目こと新宮寺は、兄御をかばうようにその腕にしがみつきました。

「言いたいことはわかりました……ですが、あなたは間違っています」

 わたくしです。

「ウナギもアナゴも同じウナギ目に属していますが、ウナギはウナギ科の川魚、アナゴはアナゴ科の海魚、全く別の魚です。アナゴの方があっさりしていて美味しいという人もいるのだから、あなたはもっと自信を持つべきです」

 わたくしは兄御こと――田中光男の肩を、罪を憎んで人を憎まずと言わんばかりの優しさで、ぽんぽんと叩きました。「え、ああ。うん……」と、田中もしきりに首を捻りながら納得しております。

「これにて一件落着です」

 実に悲しい事件でした。

 犯人は田中。

 さっさと校長に突き出して帰ることにいたしましょう。

「水無月くん、やっぱり俺が変わろう」

 本日の最優秀選手賞の栄誉にあずかり、晴れて尋問役を任されたわたくしを押しのけて、室長は勝手に質問を始めました。ぶうぶう。

「田中くん、きみの動機はわかった。こちらにも反省すべき点があることも。だが他にもわからないことがある。これはいったいなんなのだ?」

 室長は例のペットボトルを田中の前に置きます。

「ご覧のとおりただのペットボトルさ。オレたちはこれを使って、あくまで芸術的に、渡り廊下を破壊しようと思った。これだと遠くから打ち込めるから、犯行がバレづらいというのが、一番の利点かつ使用理由だった」

「そういうことを訊いているんじゃありません!」

 怒り心頭のわたくしです。

「なぜコオラのペットボトルなのか、と訊いているのです!」

 何故か迷惑そうにわたくしを一瞥する室長。

 わたくしは両肩を掴まれ、後ろに押し戻されました。

「どういう仕組みで飛ぶのだ? これは」

 室長は、田中たちから没収した塩ビパイプに、ペットボトルをぎゅうぎゅうと押し込みながら尋ねました。

「それだけじゃ飛ばない。これがないと」田中は腰のポーチを外して、机の上にどしゃりと放りました。手を伸ばすわたくし。「あ、中身に素手で触らない方がいい」手を引っ込めるわたくし。

「ドライアイスだろ、それ」と、副室長。「アタシが拾ったボトルはすげえ冷たかったんだ。それに煙を噴いてた。冷静に考えてみれば、ありゃドライアイスだ」

「正解。コオラに溶けたドライアイスは、ペットボトルの中で気化して、アッという間に七百五十倍もの体積に膨れあがる。やがて膨張に耐えきれなくなったボトルのキャップが吹っ飛んで爆発する。その爆発の推進力を利用して飛ぶのさ。パイプの尻がテープで固めてあるだろう? 空気の逃げ道を殺してるんだ」

「なるほど。だからこんなにパイプのサイズがぴっちりなのか」

「パイプのサイズがたまたまボトルにぴったりでね。これは良いと思った」

 わたくしも試しにパイプにペットボトルを入れてみると、確かに多少力を入れて押し込まねばならぬほどぴちぴちでした。これなら空気の逃げ道はなく、爆発の力は全て前へ飛ぶために使われるでしょう。

「わたしもやるー」

 ゆみちんが唐突にドライアイスをむんずと鷲掴むと、自分のお茶のペットボトルに流し込んでキャップをぎゅっと締めました。それから「美月ちゃんそのパイプ貸してー」と、わたくしに手を伸ばしました。

「馬鹿、何やってるんだ! 駄目だ! 早く捨てろ!」

 あまりの田中の剣幕にひるむゆみちん。田中は神速を思わせる動きでゆみちんからボトルを奪うと、ポリバケツ型のごみ箱に放って、全身を使って蓋を押さえつけ――

 ぼずん!

 ――つけたのと、ほぼ同時でした。ごみ箱の中で、お腹の底を揺らすような籠もった低音の爆発が鳴り響いて、ごみ箱と一緒に田中の体が震えました。

 あまりの破壊力に唖然とするわたくしども。

「凄いだろう。普通のペットボトルでまともにキャップを閉めたら駄目だ。圧力に耐えきれなくて容器が先に爆発する。もう少しであんたの指が吹っ飛んでたところだぞ」

 真っ二つに裂けたボトルをごみ箱から取り出して、「すごーい!」と弄んでいるゆみちん。事の重大さをあまり理解してないようです。

「オレたちが飛ばしたボトルは、全てキャップが飛びやすいように加工してあるし、キャップの締め具合も訓練している。これは飛ばした後よりも、飛ばす瞬間が一番危ないんだ。素人は絶対に真似をしては駄目だ」

「偉そうに言うな」副室長の竹刀が、田中の頭をこつんと叩きました。「じゃあ、かんしゃく玉を使った意味はなんなんだよ」

「それは、芸術的にやるには良い演出装置だと思って、今日に限り使った。そこの少女が使っているのを見て真似をさせてもらったのさ」

 田中は、椅子で作った簡易ベッドに横たわる少女をちらりと見やりました。少女は未だに目を覚ましてくれません。精神的衝撃が余程大きかったのでしょう。お気の毒に。

「しかし、よくこんな方法を思いついたもんだ」

 室長はパイプを覗きながら、望遠鏡を買ってもらった男の子のように感心しました。

「……ウチはペットボトル飲料の生産工場でね。子どものころから不良ボトルをおもちゃとして与えられていたから、遊び方はいろいろ知っているつもりさ」

 ぺットボトル飲料の生産工場――。

 そのお仕事は、どこかわたくしの耳を魅了してやまない響きがありました。

「もしかして……田中氏のおうちはコオラを生産していらっしゃるのでは?」

「いかにも」

 悪びれることもなく言う田中の姿に、少し悲しくなるわたくし。

「どうして、どうして、おうちでコオラを生産するほどコオラを愛しているはずのあなたが、こんなことにコオラを使うのです」

「うーん。あんたはさっきからどうにもズレてるな。ウチは別に好きでコオラを生産しているわけじゃない。むしろ逆だ。少なくとも俺はコオラを憎んでいる」

「憎んでいる?」

「そう。ウチはな、昔は烏龍茶の生産工場だったんだ。自社ブランドの烏龍茶を作っていた。ペットボトルの量産品とはいえ、ウチの親父はできるだけ茶葉にこだわって、味や香りを最大限に活かせるようにペットボトルの形も工夫したりして、努力を重ねてきたんだ――」

「兄御やめてくれ、お辛いでしょう」と、話を止めに入ったのは十三枚目こと新宮寺。

「いや、いいんだ」と、田中は続けます。

「でもな、ペットボトルのお茶は緑茶が圧倒的な主流になって、烏龍茶業界の売り上げは年々落ちていくばかりだった。不振に喘いで二リットルで九十八円なんていう、格安の烏龍茶を作る会社さえでてきた。そしてその不振は、ウチにも例外なく影響した。ウチはそこに目を付けられたんだ。ある清涼飲料水会社から、工場買収の話が持ち上がった。最近、特保コオラの売り上げが鰻登りだから事業を拡大したいのだと、担当の人間は言った。要はウチを丸ごと買収してコオラ生産工場に切り替えたいって話だった。おたくも苦しいみたいだから悪い話じゃないでしょうってな。親父は悩んだよ。今まで烏龍茶にこだわりをもってやってきた人間だ。ウチの家族もみんな親父の烏龍茶を愛している。でも、みんな経営が先細っていたのも知っている。勿論それを一番よく知っていたのは親父だ。夕食を済ませてすぐだった。親父は家族みんなを集めて言ったんだ。『父さんはこれからコオラを作ることにした』ってな。家族の顔を一人、一人、見て笑顔で言った。心配すんなって感じの笑顔さ。悲しかったけど、親父が決めたんならってオレたちも賛成した。でもその夜さ、オレはなんだか寝つけなくて親父の部屋に行ったんだ。一緒に烏龍茶でも飲もうと思ってね。でも結局、部屋には入れなかったよ。母さんの胸で泣き崩れる親父を見たのは、後にも先にもあれが最後かもしれない。そして、気がついたらオレは、コオラのボトルを爆発させることに喜びを見いだす人間になっていた」

 ――すまない、つまらない話をした。

 田中はそう言って、話を締めました。両隣の明堂院と新宮寺は、鼻を啜り、目頭を押さえています。清涼飲料水業界がかのように生き馬の目を抜く世界だったとは――わたくしもポッケからはんけちを取り出さずにはおれませんでした。

「さあ、もういいだろう。さっさとオレを処分してくれないか。……だが、一つだけお願いがある」

「なんだ。できるだけ聞こう」

 室長の声も心持ち震えております。

「オレはどうなってもいい。渡り廊下をあんな風にしちまったんだ。最悪、退学も覚悟してる。だがこいつらはオレが無理矢理付き合わせたんだ。こいつらだけじゃない。他のやつらも全員だ。みんなは許してやってもらえないか」

「「兄御!」」

「おい、室長さんお願いだ。俺に重い罰を与えて良いから、その分兄御の罪を軽くしてやってくれ!」

「そうっす。こいつを重くして兄御は軽く!」

 弟御二人に詰め寄られ、後ずさる室長。

「まあ、そう結論を急ぐな。今、職員室で臨時の職員会議が行われている。まずそこでの校長の判断を仰ごう。その結果によっては、俺も情状酌量してくれるよう校長に申し出る」

「すまない」

「なに、あの火事は故意ではなくただの事故だ。現場にいた当事者として、それは説明せねばなるまい。ただ、渡り廊下の器物損壊の罪はまぬがれんよ」

 田中は受け入れるように頷きました。

 強制わいせつ未遂事案が発生していたわたくしの立場も、少し慮ってもらっても良いような気がしましたが、罪を憎んで人を憎まずともいいます。野良犬に噛まれたとでも思って忘れるくらいの度量がわたくしにも必要でありましょう。

 ですが――

「あの校長が、こちらの言い分をすんなりと聞き入れてくれるでしょうか……」

 田中たち三人の顔が曇るのがわかりました。

 考えても仕方がありません。校長のおみやげのもみじまんじうでも食みながら待とうと、烏龍茶の準備などをしておりますと、職員会議の様子を斥候しに行っていた末吉さんが、息せき切らして戻ってまいりました。額にまだ残っている肝臓の文字が痛々しいです。

「何かわかったか」

 自分の烏龍茶を末吉さんに差し出す室長。

 末吉さんは一口ごくりとやって――

「む、無罪です。全員無罪。厳重注意のみ」

 喜び、驚き、疑い、不満、分室内にさまざまな表情が並びました。

「本当か? 停学も謹慎も無しか?」

「カツラ先生から直接聞いたんで間違いないです。あと渡廊連関係者は、今から全員校長室に集合するように、ってことです」

 噛みしめるように無罪の喜びを分かち合う田中ら三人。

 彼らはドアの前でこちらにぺこりと頭を下げて、分室を後にしていきました。

「しかし……あの校長が無罪で済ますなんて、いったいどういう風の吹き回しでしょう」

 わたくしのひとりごとのような疑問に、答えてくれたのは末吉さんでした。

「カツラ先生が会議で先生たちの心理を巧みに誘導したんだ。学校で火事が起こった一大事に、教師が食事会をしていたとなれば責任が問われるって。だから今回は生徒の将来性も考慮して、ただの事故だったということで済ませよう、と」

「「……」」

「それにもし事件となれば、当然、渡廊連の連中が警察に話を訊かれるわけで、そうなれば校長が自己満足で色々と生徒に施していたことがばれるわけで、そっちの方がまずいんじゃないか、ってのが会議の流れだったよ。主導してたのは勿論カツラ先生」

「「……」」

 声を失うわたくしども一同。

 何かが間違っている気がいたしますが、これで良かったような気もします。真の正義というのは、突き詰めていくと在処が難しいものです。

「こいつもとんでもねぇ親父を持ったもんだな」と、副室長は少女のおでこにあった冷えピタを新しいものに取り替えました。

「ただ一つだけ気になったんだよね」

「なんだ?」

「会議中、校長がやけに静かだったんだ。渡り廊下のことになると瞬間湯沸器みたいになるあの校長がさ。変だよね」

「ずっと有休をとってたんだ。さすがに後ろめたくて怒るに怒れなかったんだろ」

「そんなガラかなぁ……」

 副室長と末吉さんの会話を聞きながら、わたくしは、雨の中、もみじまんじうに囲まれて呆然としていた校長の姿を思い出しておりました。

 ただならぬ悲しみを湛えていました。

 眼の辺りが一際濡れていたように見えたのは、雨のせいだけだったのでしょうか。

 雨が上がった今となっては、もはや知る由も無し――。

 分室の窓から渡り廊下を見下ろすと、わらわらと動く人影が目に留まりました。よく見るとそれは、田中を始めとした渡廊連の面々が、散乱したペットボトルを片付けさせられている姿でした。

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