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 新たにできた三つの傷をパテで埋め終え、ごみも拾い終え、放課後のわたくしはひとり手持ち無沙汰になっておりました。パテが固まるまでの間、することがありません。かといって張込みや穴掘りはどうにもわたくし向きではない気がします。

 悩んだ末、体育館の南側でひなたぼっこを決め込みつつ、カピバラにでこぴんなどを試みておりましたところ、渡り廊下に喧噪があることに気がつきました。校舎近くに若干の人だかりができています。

 胸騒ぎがする中、一抹の期待もありました。渡廊連がまた何かしたのかという胸騒ぎと、渡廊連の手がかりが何か掴めるかもしれないという期待です。

 ところが駆けつけた先におりましたのは、ゆみちんと一人の女子生徒でした。

「こんなトコに落とし穴なんて掘ったら迷惑だって、アンタわからない?」

 女子生徒の攻撃的な声には聞き覚えがありました。わたくしと同じクラスのミサさん――美沙だったかもしれないし、美砂だったかもしれません――です。確か籠球部に所属していたと思いますので、部活にでも向かう途中だったのでしょう。

「だってえ、少女が渡り廊下を走ったら困るでしょ」

「別に困んないし。そのなんとかの少女より穴の方が危ないって」 

 ミサさんはスカートが大変短いグループに属する女子高生です。ペンケースに人気アイドル集団山風のステッカーを憚ることなく貼付し、「これからはもう山風の時代。山風は別格」などと吹聴している姿を見るにつけ、少々無邪気なところがあるかただなと、わたくしは感じておりました。相容れぬようにさえ思いました。真のファンたるもの、先人たるSMOPへの敬意を決して忘れてはならないからです。

「――わかった。看板立てればいいんでしょ」

「だから、看板立てるくらいなら最初から穴なんて掘らなければいいでしょう。迷惑なんだって」

「だからあ、少女を走らせるわけにはいかないでしょ」

「だから――」

 二人の押し問答はらちがあきません。先ほどからああやって不毛な問答を繰り返しているのでしょう。

 落とし穴が迷惑だというミサさんの気持ちは理解できなくもありません。ですがあのように一方的にゆみちんの行為を迷惑扱いするのはいかがでしょうか。ゆみちんにはただ、ゆみちんの乙女的正義があるからやっているだけなのです。

 ここはひとつ、わたくしが両者を知る者として仲裁に入るべきなのでしょう。

「まあまあ、ゆみちんもミサさんも、ここはひとつ音便に」

「ああ、そういえば水無月さんだっけ、うちのクラスの風紀委員。ならなんとかしてよこの穴。危ないって」

「まあ、ゆみちんにもゆみちんの考えがあってのことですから……」

「考えってなに? 風紀委員なのに危ないもの作っていーの?」

「そこは……ゆみちんも看板を立てるとおっしゃってますし」

「は? ……やっぱり風紀委員会分室の人たちって変。噂には聞いてたけど、みんなこんなんなの?」

 やっぱり変、とはどういう意味でしょう。

 一緒くたにしてもらっては困ります。

「お気持ちはわかりますが、ゆみちんだって渡り廊下対策室の仕事としてやっているわけですので……」

「そうじゃなくて、水無月さん自身は穴とか看板とか変だと思わないわけ? 水無月さんだって渡り廊下対策室員でしょ?」

 わたくしは言葉に詰まってしまいました。

 変か、変ではないかをわたくしが言うのは簡単でしょう。ですが傍らには、わたくしたちのやり取りを能天気に見ているゆみちんの目があります。

「わ、わたくしは……壁補修係なので、落とし穴の仕事とは無関係ですから……」

「はあ!?」

 ミサさんが放った「はあ」は、大変不快な「はあ」でした。それには、わたくしが今まで人生で見てきたことや学んできたこと、楽しかったことや悲しかったことを、たった二文字で全て否定するような「はあ」でありました。

「水無月さん、教室でその子とよくしゃべってるじゃん。同じ対策室の友達なんでしょ? 無関係なことないでしょ? おかしいと思ったら止めさせるべきじゃないの?」

「だからわたくしとて看板を立てさせると言っておりますでしょう」

「だからなんでそこで看板になんのよ? 迷惑だから最初から穴を掘るなって言ってるの」

「あなたこそ迷惑迷惑とおっしゃいますが、なんの権限があってこちらの仕事に口出しするのです。わたくしどもだって渡り廊下を守るためにやっていることなのです。こちらの苦労も知らずに、迷惑などと言われる筋合いはありません」

「はああ!? なら言わせてもらうけど、ウチのカレシ、この穴のせいで転んで怪我してんだよね!」

 予期せぬ反論。

 わたくしは継ぐ言葉を失ってしまいました。

「校長は事故だと思って諦めろみたいな態度だし、カレシにも面倒だから関わんなって言われてたけど、また懲りずに掘るならもう黙ってらんない」

 一方的に降り注ぐ怒りと、抗えない正論にわたくしは唇を噛むことしかできません。

「つーかさ。アンタたち、どうせ本当に渡り廊下を守ろうなんて思ってないでしょ。ここの生徒ならみんなこんな渡り廊下どうでもいいと思ってるし。どうでもいいっていうか、邪魔?」

突然、彼女は持っていたペットボトルを渡り廊下の壁に投げつけました。まだ残っていたらしい中身が飛び散って壁と床を汚し、跳ね返ったペットボトルがカピバラを強かに撲ちました。

「……何するんですか。拾ってください」

「嫌。落とし穴のこと謝ったら拾う」

 わたくしは悪意の固まりのようになった対面の女を無視して、カピバラの縫包を抱え上げました。幸い縫包に汚れはありません。

 ふと、周囲の目が随分増えていることに気づいて足がすくみました。自分が敵意に囲まれているような気がしました。反感のような、卑下のような、ただの被害妄想と片付けるには鋭すぎる視線が、わたくしとゆみちんの方に向いているように感じられてならなかったのです。

「水無月さんさ、最近そのぬいぐるみ持ち歩いてるけど、なんなのそれ」

「こ、これは放っておくと危ないから持ち歩いて――」「ぬいぐるみが危ないわけないじゃん。好きで持ち歩いてんでしょ? この際だから言わせてもらうけどさ、水無月さんってなんか言い訳っぽいよね。素直じゃないし、なんか自分は特別な存在とか思ってそう。その格好とか――」

「はい、ストップストップ」

「なにアンタ?」

「渡り廊下対策室室長、三年の鹿野苑だ。落とし穴で迷惑をかけたようですまなかったね。しかしこの落とし穴は、校長の命令を受けて掘らされているものなのだ。全て校長が悪い。校長は地獄に堕ちればいい。だが水無月くんとゆみくんは責めないでやってほしい。本来校長が謝罪すべきなのだろうが、素直に謝るタチの人間でもないし、今日は不在ということもある。だから校長の横暴を止められなかった、渡り廊下対策室長の俺に責任があるということで、ここは矛を収めてくれないか。彼氏くんの件はすまなかった」

「わかればいいんですよ。なんだ室長は意外とまともじゃん」

「よし、俺は謝った。だから君が今捨てたゴミも拾ってくれないか。ここは昨日水無月くんが一生懸命掃除した場所なのだ」

「……い、嫌です」

「謝ったら拾ってくれる約束だったろう」

「なんで渡り廊下のゴミなんて拾わなきゃなんないのよ。やっぱりアンタも変。その学生服とかなんなの? 室長がそんなだから、風紀委員の分室は落ちこぼれの集まりとかって言われるんですよ!」

 そう吐き捨てて、逃げるように足音が遠ざかっていくのがわかりました。

 彼女がどんな顔をしてその台詞を言ったのかも、言われた室長がどんな顔をしていたのかも、わたくしにはわかりません。俯いて涙をこぼしていたからです。

 壊れたカメレオンのようでした。心が適切な色の出し方を忘れてしまったのです。悲しい色、悔しい色、恥ずかしい色、そんな色ばかりが現れて、勝手にわたくしを陰鬱に染めました。今は明るい色で強がらなければいけないのに。

 わたくしは居たたまれなくなり、鉛のような色のまま駆け出していました

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