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     ○


 ――目の前には椅子に拘束された室長がいます。

 副室長の命で、今ほど副室長と一緒に縛り上げたのです。

 途中から妙に従順になり鼻息が荒くなる室長を、わたくしは大変気色悪く思いました。

「買ってきましたあ!」

 同じく副室長の命でお使いに行っていたゆみちんが施行室に戻って参りました。

 ゆみちんは副室長に千円札を二枚持たされて、わけもわからぬまま、ブラックスワンに黒胡椒から揚げ(お持ち帰り用)を買いに行かされていたのです。

 狼狽する室長に、副室長は訊ねました。

「前、オマエに『死ぬ前に何がしたい』って訊いたとき、鶏のから揚げが腹一杯食いたいって言ってたよな」

「うん」

「さあ」

 副室長はから揚げのパックがたくさん入った袋を、どすん、と室長の前に置きました。

「僕はなぜ死ぬのでしょうか……」

「その僕ってのやめろ。気持ちわりい」

 副室長は竹刀をびゅんと室長の鼻先に突きつけて――

「あの女、オマエが逃がしてんだろ」

「濡れ衣だ! そんなわけがないじゃないか!」

 室長の目があからさまに泳ぎました。

「な、何を証拠にそんなことを言うのだ」

「アタシはあの女のベルトを締めるとき、逃げられないように今日はちゃんと確認したんだ。あんなもん自力で外せるはずがねえ」

「待ってくれ。そもそも少女を逃がして僕になんの得があるというのだ!」

 室長の目が、言葉が、力強く無実を訴えます。

 そうです。ここは室長を弁護せねばならぬでしょう。

 室長にはいやしくも渡り廊下対策室長という立場があります。室長はその立場を利用して、むしろ少女に色々施したく思っている人でなしのはずです。わたくしには少女に対する同情も少々ありましたが、室長にそのような気持ちは一切無く、少女を逃がしてもなんの得も無いはずなのです。

 わたくしはその旨を副室長に申し上げて、室長の肩をぽんと叩きました。冤罪は許されてはなりません。

 副室長は長大息を吐きました。

「昨日からなんか変だと思ってたんだけどよ……鹿野苑、オマエ、あの女に惚れたんだろ」

「ふん。そんな馬鹿なことがあるか」

 室長の目があからさまに泳ぎました。

 女のわたくしの目にも可愛らしく映る少女です。殿方ならば一目で惚れてしまうことがあってもおかしくはありません。ですが、苦労して捕まえた少女を、室長の私情と劣情で逃がされてしまった副室長の怒りもごもっとも。

 振り下ろされたるは副室長の竹刀。

 ですが副室長の竹刀は、再び室長の鼻先で止まっていました。

「おもしろくねえ……」副室長は吐き捨てて「アタシ、帰る」と、部屋を出て行ってしまいました。その後ろ姿はとぼとぼと元気がありません。

 室長を叩きすぎて疲れてしまったのでしょうか。

 それとも、室長に武力制裁をしても喜ばせるだけと気がついてしまったのでしょうか。

 あんな副室長の姿は、初めて拝見した気がします。

 わたくしが室長を拘束から解放して差し上げますと、室長は「おいしそうだね」と、呑気にから揚げを口に運びました。

「これ、もらってもいい?」

 二千円分の大量のから揚げ。その所有権は元々室長にあるような気がしたわたくしは、どうぞご遠慮なく、と答えました。

 室長は嬉しそうに、から揚げをもう一つぱくりとしました。

「じゃあ僕ももう帰るね。二人ももう帰りなね」

 お帰りになった室長は、最後まで一人称が僕のままでした。から揚げを手一杯に抱え無邪気に微笑む姿は、どこか幼児退行を思わせます。

 ――二人ももう帰りなね。

 室長の言葉を何気なく頭で繰り返したときです。

 もう一人の存在――。

 わたくしは後ろに不穏な静寂があることに気がつきました。

 振り返ると、淡々と緑茶を啜るゆみちんがいます。

 その瞳は、静かに、静かに、嫉妬の炎を湛えておりました。


     ○


 その日の夜。

 お布団を敷き終え部屋の蛍光灯を落としますと、電気行燈の優しい橙が入れ替わるように部屋を包みました。

 わたくしは座布団に腰を掛けて、机上の鬼天竺鼠を眺めます。

 火気厳禁の危険物を分室に放って置くわけにもいかず、わたくしは鬼天竺鼠の縫包を仕方なく家に持ち帰りました。

 なにせ等身大です。帰路では終始人々の目を集めましたが、日頃より衆人環視に慣れているこの小桜文の身。今更カピバラが一つ増えたところで何を動じることがありましょう。

帰路を共にしたゆみちんも、特に気にしている様子はありませんでした。

 というよりも、ゆみちんは考え事に夢中で、森羅万象眼中に無いと言った様子でした。

 普段は言葉を思ったままに放縦し、濾過設備のない浄水場を彷彿とさせるゆみちんが、本日は終始無言。無言のままで何かに取り憑かれたように道を折れて行く彼女に、得体の知れない不気味さを感じたわたくしは、別れ際の挨拶も忘れ、ただその背中を見送っておりました。彼女の家はあっちではなかったはずです。何やら嫌な予感を禁じ得ません。


 ――わたくしは目の前の縫包をひょいと抱き上げました。

 造形が生々し過ぎてあまり可愛くありません。

鬼天竺鼠ことカピバラは、世界最大の齧歯類です。つまりはこの世で一番大きいネズミの類ということになります。

 これは同じげっ歯類でも、小さいがゆえの可愛らしさを誇るハムスタアとは、信条を全く異にするものです。まこと齧歯類の風上にもおけぬ輩。ハムスタア愛好家のわたくしには到底受け入れ難いものです。

 しかもなんでしょう、この生きることを睥睨したかのような目つき。本物を再現したごわごわとした下品な毛並み。もふもふの化身たるハムスタアの尻の毛でも煎じて飲むべきでありましょう。

 わたくしは鬼天竺鼠の縫包をお布団の枕元に置きますと、お口直しならぬお目直しにと、半開きの押し入れに目を移しました。

 押し入れのケージの中で、ハムハムは静かに回し車を駆けておりました。

 くるくると回すその姿は、何かに似ている気がします。

 ――思い出せません。

 動物比喩の魔術師と自称されること十六年のわたくしがなんたる無様。懊悩するわたくしを、枕元の鬼天竺鼠がじっと見ています。からからと遠慮がちに鳴る回し車の音が、壊れたお経みたいに繰り返されます。

 なんだか頭がこんがらがってきましたので、わたくしは布団をかぶって眠りにつきました。

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