プルミエ・ラムール(初恋)
遠い遠い昔……まだ魔法が人々の暮らしの中に息づいていた時代、ヨーロッパのちょうど真ん中に、ある不思議な国がありました。
その国を治めるのは穏やかで優しい王様ですが、それぞれの季節を司るのは辺境に住む由緒ある貴族の娘達でした。彼女たちにはそれぞれ役割に合わせた『名前』が有りました。
春の女王はプランタン、夏の女王はエテ、秋の女王はオトンヌ、そして冬の女王はイヴェールといいます。
彼女たちは魔法の力によって不思議な力を与えられ、国の為に大切な仕事をしていました。それは、王国の都にある美しい塔に1年の内、3か月間だけ女王として過ごし季節を変える……と言うもの。
なんだそんな事か……とお思いですか?
それは、簡単な事ではありませんでした。季節を変える魔法は誰にも言ってはいけません、それに辺境に住む彼女達は塔の有る都までの長い道を馬車で向かうのですが、その道のりは長く険しいものでした。馬車の故障や病気、様々な理由で塔に辿り着くことが遅れる事はしばしばです。
「今年はやけに秋の訪れが遅いなぁ」
と、国民が何時まで経っても紅葉しない山を眺める年や、
「今年の夏の暑さは厳しかったわね」
と、街角のカフェでお茶をする人々が噂する年なども過去には有ったのです。
それでも、季節は4度きちんと王国に訪れて、王様はホッと安堵し、国民は豊かな暮らしを手に入れていたのでした。
しかし今年の冬はいつもよりもずっと厳しいものでした。いつまでも待っても春の訪れが来ない為に雪が降り続き、都が雪に覆われていまいました……その頃になって人々は気が付いたのです。
冬がいつもより長い事に。
それは、冬の女王様が塔から出てこない為でした。おまけにとっくに辿り着いていなければならない春の女王様も、城壁の側の『控えの屋敷』に辿り着いていないのです。
雪は都を真っ白に覆ったあと、辺境の地までも真っ白にしていきました。暖房の燃料や食料が高騰し、王城倉庫の備蓄さえも底をつきはじめ、国中に不安が広がりました。
困った王様は、おふれを出しました。
『冬の女王を塔から連れ出した者には褒美をとらす』
そしてもう一つ。
『春の女王を探し出して塔に同行した者にも褒美をとらす』
こうして……季節を取り戻すおふれは国中に広まったのでした。
王様がおふれを出したその日、城の一角にある大臣室に二人の若者が招かれていました。彼らは王立大学を卒業した文武両道の誉れ高い人物でした。
大臣は言いました。
「其方たちは、特に優秀だと聞いている、王国に降りかかった災難を解決するために呼んだのだ、頼むぞ」
金髪で甘い顔立ちの若者に大臣は言いました。
「君は塔の中にいる女王様をなんとか外に連れ出してくれ」
そして、もう一人の黒髪で体格の良い若者にこう言いました。
「君は春の女王を探し出し塔へ同行してくれ」
大臣は二人の若者の手を取ると、願いを込めて言いました。
「困難な仕事だが国の存亡がかかっているのだ、どうぞ二人とも任務を果たしてほしい」
「承知致しました」
……かくして、二人の若者は任務へと向かったのでした。
さてその頃、冬の女王イヴェールは、ハの字気味の眉を増々下げて困っていました。
いつまで待っても春の女王のプランタンが塔に現れない為です。それぞれの女王たちは血縁者で、国の東西南北に城を構えるセゾン一族の長女たちです。
実は、イヴェールは冬の終わりの時期に春の女王プランタンから手紙を受け取っていました。その手紙には……
『母の具合が悪く困っています、病気に効く薬草を採りに最西の地に向かう予定です。塔に行く時期が少し遅れますが宜しくお過ごし下さい。王様には叱られるから内緒にしてね』
……と書かれてありました。
「あ――あ」
イヴェールはため息をつきました。
王様に叱られるどころか、国中が雪に覆われると言う大事になっているのですから。この事態をどうにかしなくてはいけません、しかもイヴェールはプランタンが隠している真実を知っているのです。
春の女王が塔に来られない本当の理由。
それを言えばプランタンの両親は怒り哀しみ、王様は大激怒となるでしょう。だからこそイヴェールは困っていたのです。
イヴェールには何の解決方法も浮かびません。どうしたらいいのか……相談する年長者も側には居ません、居るのは側仕えの侍女のみ。
そんな時、塔のドアがコンコン……と叩かれました。
「女王様、イヴェールさま、お客さまです」
「王様ならお会いする事は出来ません、お帰り頂いてください」
この数週間、王さまは毎日この塔にやって来られます。そしてなぜ春の女王が来ないのか、どうして貴女は塔から出て行かないのか? それを尋ねてくるのです。
内緒にしてね……と頼まれている事を王様であろうと告げ口する事は出来ません、ましてや真実は口が裂けても言う事は出来ないのです。
かといって、このままこの塔に居座っていては、国の人々に迷惑を掛けつづける事になります。
部屋の中をウロウロとしていたイヴェールは、考え事を侍女にまた遮られました。
「女王様、それが王様では無いのです」
「それではどなたです?」
「……金髪の若い男性です」
何故若い男性がここにやってきたのか? 不思議に思ったイヴェールは、何故か警戒心も感じずにその男性に会ってみる事にしました。
塔の中は客間と寝室、それにバスルームが備え付けられています。イヴェールは客間に男性を迎え入れました。
入って来たのは……美しい金髪の巻き毛を肩まで垂らし、凛々しい眉と紺碧の瞳を持つ美しい若者でした。
「冬の女王様、お会い頂いて光栄です。私はアンテリジャンスと申します」
若者を人目見たイヴェールは、その容姿の美しさと暖かな雰囲気に心を奪われました。若者は自分が大臣から任務を受けて塔にやってきた事、王様が困っている話、それにこのままでは国中が凍ってしまい食料が底をついて餓死者が出る可能性が有る事を話しました。
イヴェールは、そこで改めて事の重大さに気が付きました。
『このままでは大変な事になる』
すでに大変な事になっているのですが……
「アンテリジャンス様、私の話を聞いて頂けますか?」
イヴェールは若者に尋ねました。
「もちろんです、お話し下さい」
「王様にも話さずに、解決する方法を一緒に考えて頂けますか?」
イヴェールの不思議な申し出に若者は微笑みました。
「私は物事を解決するのが得意です、一緒に考えましょう」
それを聞いて安心したイヴェールは、寝室から美しい箱を取り出しました。箱の中には手紙が入っています。その中から二通の手紙を取り出したイヴェールは、まず春の女王から貰った手紙を若者に見せました。
***
「なんと、お母様の薬草を採るために塔へ来る事が出来ないと?」
若者は驚きイヴェールに尋ねます。
「その薬草はどういうものなのでしょうか? そんなに見つかりにくいものなのですか?」
首を振ったイヴェールはもう1通の手紙を差し出しました。その手紙を読んだ若者は、驚きのあまり言葉を失いました。
『イヴェールさま、私はプランタンの妹トロワです。ご迷惑をおかけして申し訳なく思っています。両親はプランタンを探す為に最西の地を彷徨っています。どうしてこんな事になってしまったのか……春の女王が従者と駆け落ちをするなど、有ってはならない事です。今私は一人屋敷に取り残され両親の帰りを待っています。イヴェールさまも、もう少し塔で頑張ってください。どうぞ宜しくお願い致します』
イヴェールは若者に尋ねました。
「いかがでしょうか……私には手立てが無くて大変困っているのです、どうか助けてください」
若者は言いました。
「この状況の原因が分かったと言う事は大きな収穫ですが、解決する方法は……」
イヴェールは若者に言いました。
「プランタンが駆け落ちを諦めて塔にやってくるか、それとも別のプランタンが塔を訪れるか二つに一つだと思います」
「別のプランタンとは?」
塔の女王さまがどのように決められているのか、それはセゾン家の秘密であり、セゾン家以外の者には決して他言してはいけないものです。
イヴェールはそれを若者に話して良いものか迷いました。しかし……今は非常時です。それに春の女王が訪れなければ、最悪の場合国が滅びてしまう可能性もあるのです。
『この若者は信頼できる方なのだろうか?』
悩むイヴェールに若者は言いました。
「女王様、私と共に王から命令を受けた者が春の女王に会う為に西のセゾン家に向かっています、その者にはすべてを話す必要があります。彼も私も決して他言はいたしません、それは……私の命に代えてお約束いたします」
「命に代えて?」
「はい」
若者の瞳は真剣な光を帯びています、その言葉に嘘は無いように思えました。全てを話そう……イヴェールは決心をしました。
この国の季節の秘密……それは王様とセゾン家、そして森の魔法使いとの約束事から始まりました。
遠い昔……王国には季節が無い為に、農作物が乏しく貧しい国でした。山に囲まれた国なので海産物も無く、鉱石が算出される山も無く、いつも財政が厳しいので王様は困っていました。
そこで王様は重臣であるセゾン公爵に相談しました。
『国民はいつも貧しさに困っている、どうしたらこの国を豊かに出来るだろうか?』
セゾン公爵は答えました。
『せめて、もっといろいろな作物が採れれば、国民の生活も豊かになるかもしれません』
しかし、温暖な王国には米やトマト、キュウリなどが収穫できるのみで、秋や冬の野菜や果物は輸入に頼っていたのです。
『我が国に秋や冬が来てくれればなぁ』
王様はため息をつきました。
秋は収穫の季節であり、冬の寒さは春の果物の種を育んでくれます。王様は遠い他国を羨ましく思いました。
博識であるセゾン公爵は王様に言いました。
『森の魔法使いに尋ねてみましょう、なにか良い案が有るかもしれません』
こうして公爵は森の魔法使いを訪ねたのです、公爵の相談に魔法使いは答えました。
『この国に四季をもたらす為には、4人の年若い女王と魔法が不可欠だ』
『4人……ですか? それに魔法とは?』
公爵の問いに魔法使いは言いました。
『セゾン公爵、貴方には4人の娘子がいらっしゃる。彼女たちが協力すれば、この国に四季が訪れるかもしれない』
魔法使いの話はこうでした……王国の東西南北それぞれに、季節を司る花が咲く場所がある。そこにそれぞれ4人の娘が居を構え、花が蕾を付けた日に王国の塔に向かいそこで魔法を施す……そうすればこの国に四季が訪れるだろう……と。
しかし娘は年の内3ヶ月の間塔で過ごす為に、家族と離れて暮らす事となる。しかも塔で行う魔法は誰にも見せてはいけない。結婚は許されるが次の女王が決まるまでは、塔での生活はずっと続けることとなる……と言うものでした。
迷った末、セゾン公爵は妻と4人の娘に相談をしました。話を聞いた娘たちは四人で話し合いました。そして……王国の為に決心をしたのです。
『私たちはそれぞれ季節の女王となって塔で暮らすことを決めました』
……こうして、何百年にもわたるセゾン一族の塔でのお務めが始まったのです。
長い話を聞き終えた若者はイヴェールに問いました。
「では新しい春の女王を迎えに行けばいいのですか?」
「はい、でもいま西のセゾン家には3番目のプランタンしかおりません、彼女が女王となる為には魔法使いの教えを乞う必要があります」
「なるほど……」
しばらく考えていた若者は、イヴェールに言いました。
「女王様お話頂きありがとうございます。私はこれから西のセゾン家に向かっている友に追いつき、解決策を話し合ってまいります。女王様、私の帰りを待って頂けますか?」
「はい……お待ちします」
そうして、若者は塔を出て行きました。一人残ったイヴェールは、若者の帰りを待つ事にしたのです。
塔を出た若者は直ぐに馬を走らせました。行き先は西の果て、春の女王の居城です。そこに向かっている友に会い、事情を説明する為でした。
2日の間、休む間もなく馬を走らせた若者は、西の女王の居城のすぐ側にある宿で友を見つけました。
「友よ、ようやく追いついた」
「アンテリジャンス! どうしたんだ?」
「君に伝える事があった、二日休まず馬を走らせたんだ」
黒髪の若者クラージュは、城で別れた友アンテリジャンスを見て驚きました。ここまでの道程は雪が深く厳しいものです。それをものともせず馬を走らせ続け追ってくるとは……よほど大切な話に違いないと思いました。
二人は暖炉が燃える温かい部屋に落ち着きました。そして、金髪の若者アンテリジャンスは友に冬の女王から聞いた話を伝えました。
クラージュはしばらく思案した後、提案をしました。
「駆け落ちした春の女王を探すのは時間的に無理がある、君の言う通りプランタンの妹のトロワと魔女に協力してもらおう」
二人の若者は計画を練りました。
予定通りクラージュは春の女王を塔に同行する。そしてアンテリジャンスは塔に戻り、冬の女王を守り友の帰りを待つ……
二人は握手を交わすと、共に成功を祈り西と東に別れたのでした。
西のセゾン家、それは白い城壁に守られた瀟洒な城でした。その城は今、主の留守の為ひっそりと静まり返っておりました。
クラージュが城を訪ねると、プランタンの妹トロワは出かけた後でした。
返事を渋る召使を説得して聞いたところによると、トロワは戻ってこない家族と姉に見切りを付け、一人で魔女を探しに森へ向かったと言うのです。
大変です、森には強盗や都を追われた悪党が潜んでいるのですから……クラージュは早速トロワを追いました。
その頃トロワは……
不慣れな森に一人馬車を駆って向かいましたが、道を見失い完全に迷っていました。前方にも後方にも道は無く、どうやってここに入り込んでしまったのかさえ分からない始末。
冬の装いの中で一番温かい毛皮のコートを着た言うのに、手も足もガチガチに凍えてしまいました。おまけに空腹で倒れそうです。
やはり家で待っていた方が良かったのかしら、もしかしたら自分は死んでしまうのかもしれない。トロワはそんな事を考えながら、暗闇の中をやみくもに馬車を走らせていきました。
クラージュがトロワの馬車を見つけた時、恐ろしい事に馬車は盗賊達に囲まれていました。
「誰か――助けてください!」
悲鳴を聞いたクラージュは、すぐさま馬車の元に駆け付けました。トロワの馬車を奪い連れ去ろうとした盗賊を追い剣で倒すと、恐怖で震えるトロワを馬車から救い上げました。トロワの着ていた毛皮は奪われ、可愛そうに寒さで気を失いそうになっています。
長い金髪の巻き毛がもつれ、白い肌は恐怖で青く強張っていました。普段なら輝いているだろう頬も色を失っています。
小柄なトロワを自分の馬に乗せ、身に着けていたケープの中に包み込んだクラージュは言いました。
「私は大臣の命を受けた者、春の女王をお迎えに上がりました。貴方はセゾン家のトロワ様ですね?」
「はい、私はトロワです。春の女王になるために魔法使いさまを探しています、助けて頂けますか?」
互いの目的は同じです、二人は共に魔法使いの家へ向かう事にしました。
長い時間森を彷徨いやっと魔法使いの家を見つけたのは丸一日後でした、クラージュが都を発ってからすでに4日が経っていました。すでに都は氷に包まれているかもしれません、それでも二人は諦める気はありませんでした。
「魔法使いさま、このままでは国は氷におおわれてしまいます。どうか私に春の魔法を教えてください」
トロワは必死にお願いをしました。
「お前は春の女王になる覚悟が出来ているのかね?」
魔法使いは尋ねました。
「本当は嫌です。でも……西のセゾン家の誰かがやらなくては、国中の人が飢えてしまいます」
「魔法はお前には難しいかもしれないが……教えてやろう。いいかい、春の女王になったなら姉の様な我儘は許されないよ」
「はい」
魔法使いはトロワを別室に案内すると、芽吹いたばかりの鉢植えの花を差し出しました。
「トロワ、これがお前の花、プリムラと言う。いいかい、これを持って一人で塔に入った後、蕾に『真実の口づけ』をするんだ。そうすれば国に春が訪れる。
お前はこの花を大切に育てて、毎年塔で同じことを繰り返すんだよ。分かったね?」
「姉のプランタンも同じことをしたのですか?」
トロワが尋ねると魔法使いは笑って答えました。
「今日からお前がプランタンになるのだよ、姉は今日からアンと言う元の名前に戻るんだ」
「わかりました……でも魔法使いさま、私は真実のキスを知りません。どうすればいいのでしょうか?」
トロワ……いいえプランタンはまだ17歳、恋もキスもまだ知らない、無垢な少女だったのです。
魔法使いは言いました。
「簡単な事だ、お前の愛する人がそれを教えてくれるだろう」
その頃……塔の中のイヴェールは、アンテリジャンスとすっかり打ち解けていました。
今日も二人はチェスをしています。イヴェールの腕前はかなりのもので、都一の知性派のアンテリジャンスでさえ負けそうになるほどでした。
「今日も危ない所でした」
勝ったアンテリジャンスの言葉にイヴェールは悔しそうです。
それでも……塔から出る事が出来ずに毎日暗い表情だったイヴェールも、アンテリジャンスのお蔭で明るい表情を取り戻していました。
チェス盤を片付けるアンテリジャンスの傍らでイヴェールは独り言ちました。
「早くプランタンが来てくれればいいのですが……」
そう言うと、塔の窓から真っ白な都を見下ろしため息をつくのです。
「私はいつも思っていました……」
いつしかイヴェールは、アンテリジャンスに誰にも見せた事の無い胸の内を話していました。
「毎年冬の女王がやって来ても、寒くなるばかりだと国民はあまり喜んでくれません。しかも今回は貴方様がいらしてくれるまで、ずいぶんと心細い思いをしておりました。冬の女王とは……なんと残念な役回りなのでしょうか」
今まで誰にも言えなかった事です。
実は、もう若い娘とは言えなくなったイヴェールは、幸せな結婚も諦めていました。
「毎年三か月も家を離れる妻を喜ぶ人はいないでしょう、きっと私はこの役目を体が動かなくなるまで務める事になるでしょうね。しかたがない事ですが……」
イヴェールの言葉を聞いていたアンテリジャンスは言いました。
「冬の寒さが無ければ、人々はそれほど春を待ちわびるでしょうか? 作物の芽吹きを育むのは冬の寒さではありませんか? 貴女はとても大切な役割を果たしています。四季の内で最も尊役割かもしれません」
アンテリジャンスの思いやりのある言葉に、イヴェールは胸をうたれました。そして感謝と共に、生まれて初めての恋に落ちたのです。
さて……
クラージュとトロワ……ならぬプランタンは今、馬の背に揺られています。途中宿で一泊し、馬と自分達の疲れた体を休ませた後、都へ向かっていました。
あともう少し、もう少しで都に着きます。
プランタンが大切に抱きしめている鉢植えの花も、蕾がほころび始めていました。都の街並みが見えた丘で、プランタンはクラージュに心配事の相談をする事にしました。
「魔法使いさまから、私には真実のキスが必要だと聞きました。私にはそのやり方がわかりません、貴方はご存知ですか?」
「それは……」
答えに困ったクラージュに、プランタンは尋ねます。
「貴方は真実のキスをした事がありますか? あるなら教えて欲しいのです」
「女王様、本当にお教えしてよろしいのですか?」
「はい、真実のキスとはどんなものでしょうか……私は貴方に教えていただきたいと思ったのです」
丘の上は人目に付きやすい所です。思いがけない申し出を聞き油断していたクラージュは、茂みに潜んでいた野党に気が付くのが遅れました。
シュッ――――
野党が放った矢はクラージュの腕の肉を切り裂きました。
「その女をよこせ、春の女王だろう? 俺が賞金を手に入れるんだ」
なんと、王様のおふれが仇となり、賞金稼ぎがクラージュ達を襲ったのです。
衝撃で落馬しそうになりながらも持ちこたえたクラージュは、プランタンを抱いたまま、剣の一撃で盗賊を倒すと、一目散に馬を走らせました。
馬上のプランタンも、鉢植えを守りながらも必死にクラージュにしがみ付きました。
肩から血を滴らせた瀕死のクラージュとプランタンは、市街地を走り抜け城壁まで辿り着きました。
「春の女王様をお連れした、門を開けよ!」
痛みに耐え気を失いそうになりながら、クラージュは叫びました。
やがて重い門が開き、二人は駆け付けた王様に迎え入れられました。
「良く辿り着いてくれた!」
出迎えた王様への挨拶もそこそこに、プランタンは怪我をしたクラージュが気になって仕方ありません。
「女王よ、若者は心配いりません。直ぐに医師を呼び手当てをさせましょう」
クラージュは護衛に抱えられて去って行きました。プランタンはそれを心配そうに見つめていましたが、自分のやるべきことを思い出し王様に挨拶を始めました。
「初めまして王様、私は新しい春の女王です。遅れてしまったことを心からお詫び申し上げます」
「良いのだ、良いのだよ。来てくれてありがとう。さあ、塔へ向かって春を呼び込んでおくれ!」
長い急な階段を昇りきったプランタンは部屋の入り口に立ちました。さあここからは一人で大切な仕事をしなくてはいけません。
冬の女王イヴェールと春の女王プランタンは、互いの両頬に軽いキスをすると微笑みあいました。
「プランタン……大変な道のりをたどり着いてくれたのね?」
「イヴェールさま、これも全てクラージュさまのお蔭なのです」
怪我をしたクラージュを思い心配するプランタンを、イヴェールは優しく慰めました。
帰り支度を終えたイヴェールにプランタンは尋ねました。
「イヴェールさま、『真実のキス』とはどんなものなのでしょうか?」
ふり返ったイヴェールは微笑んで答えました。
「春の女王様、貴方はそれを既にご存知ですよ」
「……私が?」
「はい、愛する人と交わすキス……それが真実のキスなのです」
そうしてドアは閉じられ、プランタンは一人になりました。
シン……と静まりけった室内に一人。金髪の巻き毛がクシャクシャの、血に汚れたドレスはヨレヨレで、身なりはちっとも良くないにも関わらず若さと威厳に輝く春の女王様は、ここまで大切に運んだ鉢植えをテーブルに置きました。
ピンクの蕾は今にも開きそうです。
蕾に顔を近づけ、あの方を想います。今は医師の手当てを受けている、勇気に溢れたクラージュを……
女王の唇が触れたその瞬間……蕾が揺れました。そして……
ポンッ!
桜草の蕾が、音を立てて開いたのでした。
すると……何んという事でしょう。
塔の窓が風でバタンと開くと、そこから七色に輝く光が部屋に差し込んできました。春の女王は窓に近づき都を見下ろしました。
そこでは、温かく輝く太陽の光が都中を照らし、見る見るうちに都を覆っていた雪が溶けていくではありませんか!
「春が来たぞ――」
国中が歓喜に溢れ、人々は嬉しさのあまり街に繰り出し踊り始めました。
都の人々は、塔の窓から顔を出した金色の巻き毛が輝く春の女王に手を振りました。
「美しい春の女王様に祝福を!」
「遅れたことは責めません、来てくれてありがとう」
「ありがとう、ありがとう……」
その頃、塔の階段をゆっくりと降りる冬の女王様の姿がありました。大事そうに抱えるのは、役目を終えて枯れた鉢植えの花。
陽光に輝く空を見上げた冬の女王様は、あまりの眩しさに足を滑らせ倒れそうになりました。その肩を優しく支える人の手が……見上げると、美しい金髪の若者アンテリジャンスが笑顔で立っていました。
「イヴェールさま、北の居城までお供致します」
今は夏、王様はノンビリと木陰で休んでおられます。
夏の女王はいつも通りやって来たので、国民と共に安堵したのはつい先週の事。
冬の女王様の婚礼の便りを聞いたのも先週の事でした。嬉しい知らせは重なるもので、来月には春の女王様の婚礼が西のセゾン家で大々的に行われるのです。
これも全て王様の命を受けた大臣の差配によるもの……冬から春の女王への交代に貢献した二人の若者に『なんでも言ってみよ、褒美をとらす』王様はそう言いました。
アンテリジャンス(知性)と、クラージュ(勇気)。二人は褒美は要らないが許可を頂きたいと、王様に申し出ました。
「冬の女王様へ求婚の許可を」
そう言ったのはアンテリジャンスです。
「春の女王様へ求婚の許可を」
そう言ったのはクラージュでした。
……なんでも言ってみよ。そう言った手前、王様は許可をするしかありません。
「ただし条件がある」
王様はそう言いました。
「二人の女王が婚礼後も遅れずに塔へ赴く事、それさえ守れば我は許可するぞ」
頷く二人に王様はウインクして続けました。
「しかし……な? 女王が求婚を受け入れると言う確信は何処にあるのだ?」
二人は優秀な若者ですが地方の小さな貴族の出身です。それよりもずっと格上で、由緒あるセゾン一族に結婚を簡単に許して貰えるとは思えません。王様の問いに二人の若者は答えました。
「確信ですか? それはここに……」
笑顔で胸の真ん中に手を置いたのはアンテリジャンス。
「私はすでに冬の女王へ命をささげているのです」
「クラージュ、其方はどうだ?」
クラージュは真剣な表情で王様に答えました。
「確信など……私は春の女王から『真実のキス』の予約を受けているのです、それに応えるには求婚しかないと考えております」
こうして……
王国では未来永劫に渡って、豊かな四季と愛に溢れる人々の生活が満ちていったのでした。