冬野と丸山
およそアレックスとかいう曖昧な名前のヒグマがうちにやってきた翌日。俺は普段通り大学に来ていた。
あのあとアレックスと部屋の大掃除をして、溜まっていた洗濯物を洗った。アレックスまじ有能。たった一日ですっかり馴染んでしまった。奴は外が薄暗くなると、どこかの山へと帰っていった。この辺りは田舎だからな。数分も歩けば雑木林がある。
扇状の階段に机を配置したような、大学の大教室。早めに登校して、そこの一番後ろの席をとる。俺は身長188cm、体重90キロと大柄な方だから、誰かの前に座ったら確実に邪魔になる。教授にも事前にそのことは伝えてあって、不真面目なやつだとは思われていない。ちゃんと授業を受けているしな。
「おっはよー、小春君」
「はよ」
教室の前のドアから入ってきた、見慣れた二人組が手を振る。
明るい茶色のセミロングと、それが良く似合う、華やかな可愛さの女の子の冬野 日向。
対照的に、前髪ぱっつんの黒ロングと、大きなびん底みたいなメガネをかけた、綺麗だけどとても地味な女の子、丸山 なつ。
冬野はどちらかというとちゃらちゃらした雰囲気で、丸山は大人しくて真面目な雰囲気。「類は友を呼ぶ」という諺に真っ向から喧嘩を売っているペアだ。
「おはよう。相変わらず早いのな」
「小春君こそ早いじゃん」
冬野と丸山は当然のように、俺の隣に座ってくる。四人掛けの机は、俺・冬野・丸山・冬野の荷物の順番で埋まった。
「まあ、早く来ないと、一番後ろはとられるからな」
「背後が甘いな……的な?」
「すまん、意味が分からない」
「ごめん、ウチもわからなかったわ。本当はもうちょっと寝てたいんだけど、なっちが迎えに来るんだよね」
冬野は丸山のことをなっちと呼んでいる。
つーかこいつ、丸山に起こしてもらってるのか。
「二度と迎えに行かない。遅刻して、一番前に座ると良い」
「あ、ごめんなさい。なっち様お許しください」
「許す」
「ありがたき幸せ!」
冬野が全力で丸山を拝み倒しているのを尻目に、俺は今日使う分のレジュメを取り出した。ファイルには提出する用の手書き小レポートも入っている。それを目に入れた冬野の顔色が青くなった。
まさかこいつ。
「それ……今日だっけ?」
「今日だぞ」
「今日」
机に茶髪が撃沈した。ごんっ、と結構痛そうな音がする。
冬野は涙目で丸山を見上げ、言う。
「……痛い」
「当然。顔は良いんだから大事にして」
「他に良いとこ無しみたいな言い方するね⁉」
「課題、頑張ろう。あと20分ある」
「やばいやばいやばいやばい」
慌てて左右を見回した冬野に、丸山が鞄を渡す。ごそごそと漁り、それから絶望の表情を浮かべた。
「……ない」
「大丈夫。コピーしてある」
丸山が、自分のファイルからミニレポートの用紙を出し、冬野に渡した。俺らの用紙よりもちょっとだけ透明感のある綺麗な白色の用紙に、冬野が必死でシャープペンを走らせる。その頭越しに、丸山と目が合った。お互いに肩を竦めてにやりと笑う。
いつもこうだ。忘れ物、落し物、やり忘れなどなど、冬野はいっつもやらかしていて、それを丸山が助けている。丸山のフォローは完ぺきで、そのお陰で冬野は単位落しを免れている。
「丸山。甘やかしすぎじゃないか?」
それでも、やっぱり丸山の負担が大きすぎる気がする。丸山は入学時から首席を維持している秀才だ。冬野一人の管理くらいは片手間に出来るのかもしれないが、それは丸山一人で背負うことじゃないと思う。しかも、なんでもかんでも丸山がやってくれたら、冬野は成長できないだろう。
「否定しない。けど、この子、昔から直らない。大学で忘れ物は致命傷」
「へえ。っていうか、二人とも昔からの知り合いなのな」
冬野はがばりと顔を上げた。
「なっちとは昔からラブラブだから!」
「課題やりなよ」
「ごめんなさい」
冬野が小レポートの用紙を八割がた埋めた頃。教室の座席は、それと同じくらい埋まっていた。各机のグループでの話し声が、混じりきらない不協和音になってコンクリートの壁を反響する。気付けば、冬野と丸山はすっかり声を出さずに黙り込んでいた。
二人は、人が多くいるところではあまり話さない。それでも、お互いを守りあうように、いつもぴたりと寄り添っている。なぜそうなのかは聞いたことが無い。言おうとしていないのだから、特別に訊ねようとも思わない。
ただ、俺でもはっきりと理解していることがある。
冬野は男にモテていて、女に嫌われている。
明るく快活。ちょっと抜けていて、怒られたら素直に謝る。目鼻立ちがはっきりした華やかな顔つき。そりゃ、男にモテるに決まっている。俺だって、機会があれば冬野と付き合いたいと思っている。まあ、ほとんど諦めちゃいるが。
だが、冬野はこれまで、特定の誰かと付き合ったことが無い。二人で遊びに行くとこまでは、誰でも気軽に受け入れるのに、絶対に付き合いはしない。これが女子の間の、黒い噂の種になった。
それに、冬野は約束を守ることが苦手だ。自己管理能力も死滅しているし、課題も丸山がいなければ大体忘れてくる。グループ学習なんかでは、冬野の持ち分に必ず穴があく。
そりゃあもう、嫌われるわな。やることやってないのに、異性からのお誘いが絶えなくて、それなのに誰とも付き合ってないとか、外側だけ見れば調子に乗っている奴でしかない。
仕方のないことだよな。俺だって、どうして冬野が「そうなのか」聞いちゃいない。そして、本人が声高に叫ばないのなら、無理解は永遠に無理解だ。
俺にとっては、冬野は可愛いやつで、丸山はいいやつ兼すごいやつ。彼女たちにとっては、冬野は調子に乗ってるやつで、丸山は利用されてる弱者。――まあ、それでいいじゃないか。
「よし! 終わった!」
「お疲れさん」
「ギリギリ」
「いやあ、ほんとなっちにまた助けられたよ!」
丸山に頭を下げる冬野。ちょっとウェーブがかかった髪をすくように、丸山は小さな手で撫でている。
「また丸山さんのこと利用してるよ」
教室の前のドアが開き、教授が入ってくる。重そうに抱えてきたエコバックの中には、人数×5枚くらいのレジュメ。
「小春君も何か言えばいいのに」
教授が一番前の机に並べる。自分で取りに来いという合図だ。
「いつも隣に座ってるからね。出来てんじゃない?」
俺は立ち上がる。「それじゃあ、三組取って来るわ」と、冬野と丸山に言いながら。段差をさっさと、視線を落とすことなく降りていく。
「まさか。どうせキープ君連合の一人でしょ」
レジュメを取るのに並んでいる学生の列にすっと体を挟み。
「初めて聞く連合だな。是非入れて欲しいんだが」
さっきからぴーちくぱーちくうるせえ女に話しかけた。まさか俺が聞いていると思っていなかったのか、一瞬たじろいだ。
まあ、そこそこ可愛くて、そこそこ頭の回転も速くて、そこそこコミュ力も高くて、そこそこ先輩との飲み会なんかにも参加しているって感じだな。そんでもって、そこそこ友達が多くて、そこそこ自分が上の人間だと思っている。
諦めろ。俺もお前も、所詮はいろいろ諦める側の人間なんだ。だからさ。
「静かにしてくれねえか? 別にどう思おうが、陰口叩こうが構いやしねえよ。ただ、目につかないところでひっそりやってくれや」
同じようにいろいろ諦めて、頭下げたり、要らない苦労背負ってる女の子の足を引っ張らないでくれ。理解してやれ、なんて言わないから、ただ黙っていろよ。要らねぇところで反発してくるな。
相手の目を見れば、どんな感情なのかありありと伝わってくる。理解より先に、羞恥心や怒りが滾って、自分でもなんて返事すればいいのか分からないってとこだろう。きっとこの後、腹の底でぐるぐると形を見失った感情が、「はぁ? 何こいつ」「なんか絡んで来たんですけど」とかいう、単純な形をとって出てくるんだ。
俺は席に戻って、5部3組のレジュメを机の上にばさりと置いた。
「ありがとう」
「助かった」
「どういたしまして」
授業が終わると、冬野が放課後一緒にご飯を食べたいと誘ってきた。可愛い女の子に誘われるのはすごく嬉しい。あと、今日の事なんかで、深く突っ込んだ話をしたいのかもしれない。けれど。
「すまん、先約がある」
「先約?」
「およそアレックスっていうやつなんだけどな」
「およそ? 半分くらいアメリカンなのかな」
「原産地までは聞いてなかったわ。この辺の生まれだと勝手に思ってた」
「もしかしたら、本当の名前はアレクサンドロスとかだったりしてね。それじゃあ、ご飯は急ぎじゃないし、また今度予定が空いてるときに行こう!」
「おっけ」
本名アレクサンドロスで、およそアレックスのヒグマとか強すぎるだろ。絶対ここら一帯征服される。
「私も行きたい」
丸山がぽつりと呟いた。珍しいな、と単純に思った。
「俺は構わない」
「ウチも! どころかなっち来るのは超嬉しい!」
わかりやすく冬野がはしゃいだ。丸山も少しだけその整った顔をほころばせる。
メガネさえ外せば、ぐっと可愛くなると思うんだけどな。勿体ない。
「それじゃあ、メールでよろしくー。俺、スマホ持ってないんで」
「はいねー!」
俺は約束を取り付けて、家に帰る支度をした。
アレックスが来る前に帰宅しておいた方が良いだろう。田舎とはいえ、アパートの部屋の前でヒグマが待っていたら通報ものだ。いやまぁ、住宅地歩いてるだけでやばいんだけどさ。
冬野と丸山に手を振って、俺は帰路についた。