どこかの廃墟の誰かにかかわった物語
ふぅ、と煙草の煙が橙色の空中に広がった。それは、雲がないのに振りだした雨によって、空中に消えてゆく。
古びた廃墟。もとは何らかの城だの砦などが合った場所だが、それは全壊して壁の名残と床に引かれたぼろぼろになったカーペットなどしかない。風化している分かりにくいがから、煉瓦やカーペットをみれば貴族が住んでいたものだったのだと思う。そもそも此処は街から大分外れた小高い丘の上にある。そうそう、人が来るものではない。
当たりを見回して確認する癖は、この職業に就いてからついたものだ。どこで命を狙われるかわからないこの仕事は、その分貰えるお金の量も比例して多い。だが、どこで失敗するか分からないから、よく見ておこうと思っている。もしかしたら、ここで死ぬかも知れない。
「おい、坊主。
ちょろちょろ視線がうるせぇぞ」
けっ、と煙草の煙を所々吐き出しながら、煙草を吸っていたウガンが声をあげた。不精髭が目立つがここのリーダーを任されている男だ。
すみません、と僕は頭を下げた。ここでいざこざを起こす訳にはいかない。ただ、彼には視線を送っていたつもりはなかったが、あちこちみているのが神経に触ったのだろう。
「おい、坊主、名前は、あー、なんだっけ」
「クランです」
下の姓名は名乗らないのが暗黙のルールだ。命をはる仕事は何処で足がつくか分からない。姓名も含めてかたるより、名前だけ名乗ってしまった方が足がつくリスクも減る。それに、呼び方も困る事は無い。
有名になった人は、その名前だけで裏ギルドからの要請も来るし、これで上手く回っているのだ。
「クランか。おい、なんでお前みたいなちっちゃい餓鬼が」
「そういうのは、聞かないルールでしょう?」
そういうと、ウガンがふっと笑った。そうだったな、と言って煙草を落とし、踏みつけて火を消した。そして、指にはめた指輪型の魔道具を撫でる。そこに目を落としながら、僕に質問した。
「ここにいるってことは、結構な腕は良い筈だ。若いくせにやるんだな」
「ありがとうございます。ウガンさんも有名ですよ、ランクBの【狼のウガン】。貴方の事ですよね」
にこりと、笑って言うと、ウガンは呆れたように溜息を吐いた。それをみて、ウガンの周りにいた他の冒険者が笑う。
総勢16人の全員ランクC以上が最低基準の高クエスト。
一般人の魔物を倒す人がランクEなのだから、これだけのクエストは無いだろう。全員合わせれば竜種ぐらい倒すことは可能だろう。
「つってもすぐ終わっちゃいそうだよな。女の殺害なんてよ」
ぼそっ、と誰かが言った。それに、つられた様にして皆も口々に言う。
「あれだろ? 少数先鋭のギルドの幹部」「そうそう、なんだったか『緑葉の鳥』?」「そうそう、それでも女だろ?」
緑葉の鳥。それは、四年前に新しく作られたギルドだ。人数は二十人ぐらいの少数部隊。だが、それは他のギルドと同じぐらいの攻撃力を持つギルドだ。ただ、そのギルドの本部などを知っているものはいない。今回のクエストはその幹部になっている女性の殺害だった。
皆が標的の話で盛り上がっている中、ウガンはずっと来るであろう方向を見ている。彼の瞳は、ずっとそちらに向いたままだ。ちゃんと警戒を怠らないのだろう。
「来たんじゃねぇか?」
その言葉は喋っていた皆の耳にも届いたらしい。慌てて臨戦態勢にうつる。その廃墟の壁の名残に身を隠し、気配を探る。
すると、こつこつという金属の鉄靴の聞きなれた音。それが近づいたときにウガンが準備の合図を出した。それをみた全員が一瞬で魔法を立ち上げる。確かに熟練を名乗る事はあって、展開速度は確かなものだ。
そして、ウガンが突撃の合図をだす。
全員で一斉に立ち上がり、半数が肉弾戦。残りの半数は援護。僕は援護に回ることにしてあるから、移動せず魔法を放とうとした。
全員が突撃している中、その標的の姿が垣間見えた。
短く切りそろえた髪にその下から背を流れるような三つ編み。青と銀の色彩ドレスに似た衣服。ウエストには腰を覆うような甲冑が取り付けられ、正面のスカートは開いており、綺麗な太股は青色のガーターストッキングに覆われている。腰の甲冑にベルトが取り付けられており、そこには一振りの剣が収まっていた。肩口からは籠手で包まれて肌は見えない。
伏せた瞳が上がる。突撃してくる人たちに向けた瞳は驚きがなく、緩慢な動きで剣を取った。
そして、目が合った。一瞬だけずれた碧玉色の瞳が僕を見る。だが、その視線は気付いた時はもう別のところをみていた。慌てて魔法を放つ用意を始めた。
「そう、騙されちゃったか」
鈴の鳴るような透き通った声。芯が入ってしっかりした声はとても耳に残る。隣でウガンが眉をしかめたのが分かった。全員に聴こえたであろうその声は、何にだまされたというのか。
大人数対一人というのは、戦いは困難になる。戦力差もそうだし、何より受け止めている間に何人も来るのだ。彼女の勝率はいくらギルドの幹部ともいえども低い。だが、そんな一般論を軽やかに彼女は打ち破る。
剣をすらりと抜くと下に向けたまま構えることは無い。
そんな彼女に最初に向かった男が、無骨な大剣を振り下ろす。それを、彼女は籠手で受け流した。驚きに目を開くその首を掴み、無造作に投げる。それは、向かってきた二人を巻き込み、転がった。そのまま、彼女はゆっくりと歩く。向かってくる男たちの攻撃を軽やかに受け流し、仲間と共倒れさせてゆく。
殺す訳ではなく、そのまま戦闘不能にさせてゆく。あっという間に援護のメンバーしかいなくなってしまった。やけっぱちになって、彼女に向かって何十という魔法が降り注ぐ。
それを見上げた彼女は、静かに手を向けた。その手の平の前に形成される魔法陣。それは、攻撃を防ぐだけではなく反射して返してくる。
自分の魔法や味方の魔法で自滅してゆく仲間。
その中でウガンは冷静だった。一瞬で魔法構築をしつつ、帯刀していた剣を抜く。生み出した魔法を纏わせると、そのまま駆け出した。雷の魔法『雷撃剣』を纏わせたその体には風の魔法『風の加護』の後押しもあり速い。
上段に構えられ、彼女の頭を向かってその鈍く光る刃が落とされる。
ずばんっっ、という音がした。その音に僅かに遅れてウガンから鮮血が吹きあげる。踏み込んで固まっていた姿勢を正し、彼女の瞳がこちらを見た。
気がつけばまわりはクラン以外全滅していた。
それよりも衝撃的だったのは、ウガンが倒れたことと、倒した彼女の瞳が何にも写していなかった事。感情の片鱗さえも見せないその瞳は、深淵を覗き込んでいるようだ。
「貴方、その生活楽しい?」
何が言われたかわからなかった。遅れてその質問を脳が受け取る。訝しんで彼女を見てもただ、彼女は真剣に返事を待っているように感じる。そのまま返事が出来ず数秒がたった。このままだと愛想を尽かされて殺されるかもしれない。
彼女は未だにこちらを見ている。気がつけば雨はやんで、空は暗くなり始めている。
「楽しい訳、ないだろ」
俺は絞り出すように声が出た。楽しい訳があるか。命のやり取りが心躍る訳があるか。望んでやってるわけじゃない。生きてくために、こっちはそういうやりとりをしてるんだ。
「なら、私と一緒に来ない?」
夕焼けが顔に当たっていた彼女の表情は見えにくかったけど、笑っていたような気がする。
彼女、シルヴィア・クローネは僕のそう誘ったのだ。