二人のために世界はあるらしい(未来も含む)
世界のすべてを敵に回してもと言いますが。
わたしは椅子をひっくり返す勢いで立ち上がると、心のままに叫んだ。
「馬っ鹿じゃないの!?馬っっっ鹿じゃないの!!??いや、馬鹿だわ!疑問形じゃないわ!確実に馬鹿だわ!!!」
「そ、そんなに馬鹿馬鹿言わなくても~」
「言うわよ!言うに決まってんでしょ!謝れ!この世界の人達に謝れ!」
「ボクがやったんじゃないってばぁ!」
「じゃー、あんたんとこの馬鹿師匠を連れてきて土下座させなさい!」
テーブルの上のゲームを指さして、勢いのままに怒鳴る。
これは怒る。
怒って良いはずだ。
わたしはこの閉じ込められた世界の住人ではないが、代表としてわたしが怒ることを今、このゲームの世界の人達が望んでいるはずだ。わたしは今、世界の期待を背負っている。
「信っじらんない!世界の真理とやらには至れるくせに、人様に迷惑かけちゃいけませんって常識には至れなかったわけ!?お母さんとか幼稚園の先生に、自分がやられて嫌なことは人にやっちゃいけませんって教わらなかったの!?それとも、自分がやられても構わないと感じたから、人様相手にもやらかしたわけ!?」
「いや、あのときの師匠ってば、本当に煮詰まってて!出してくるアイディアはどっかで聞いたようなのばっかりだし、普段師匠相手には尊敬してるって態度を崩さない弟子とかにも、『つまんなすぎて言葉も出ない』とか言われる始末で!徹夜明けの色々感覚がマヒした頭で考えた結果があれだったんだ!他の魔術師とか、弟子にも止められたんだけど、全然聞く耳持たなくって、あれよあれよという間にあのゲームが出来ちゃってたんだよ~!」
「理由になるかぁ!今すぐ閉じ込められてる世界を元に戻させなさい!」
わたしが怒鳴ると、それにつられるようにしてクルトも声を裏返して叫んだ。
「出来るんだったらとっくにやってるよ!出来ないから、あなたに代わりに救ってほしいって頼んでるんだろ!」
「…なんですって?」
クルトの叫びに対して、存外静かな声が出た。しかし、怒りが収まったわけではなく、熱い怒りが冷えて鋭くなったような、そんな感覚がした。
わたしの声が低くなったことが分かったのだろう、クルトもひく、と口元をひきつらせる。
自然と腰に手を当てて、威圧するように背中を反らす姿勢をとってしまう。ていうか、威圧するように、じゃない。完全に威圧である。
「出来ない?出来ないって何よ。勝手な都合でやらかした挙げ句、元に戻す方法は考えてませんでした、なんていうわけじゃないわよねぇ?」
「まさか!師匠だってずっと世界をゲームに閉じ込めておくつもりなんかなかったよ!勿論、ある程度ほとぼりが冷めたら世界を解放するつもりだったし、そのための魔法だってちゃんと用意されてたんだ!」
必死に言い募るクルトに嘘は感じられない。その様子を見て、わたしの頭も少し冷えて落ち着いてくる。
「だったら、どうして」
先ほどよりも幾分和らいだ声で問うと、クルトはグッと唇を噛みしめ、テーブルの上でこぶしを握った。
「…師匠は今、魔法を使える状態にないんだ。」
「え?」
「師匠は、今その身を封印されてしまっているんだ。」
クルトは、肩を震わせてうつむき、絞り出すような声で言った。
「封印…?」
封印、という言葉に、わたしの頭の中には鎖で雁字搦めになった人間の姿が思い浮かんだが、そのイメージで合っているのだろうか。
それとも、ファンタジーにありがちな、木とか洞窟とか神殿とかに魔法陣のようなものが描かれて、その中に閉じ込められているイメージだろうか。
「封印て、何?具体的にどういう状況なの?」
「師匠は、封印の魔法をかけられたせいで、その身を拘束され、完全に自由を奪われている。何一つ、師匠の思い通りになる状態にないんだ。勿論、魔法を使うことは許されてない。」
「………」
鎖で雁字搦めと、魔法陣のイメージのどちらが近いのかはよく分からなかったが、とにかく拘束され不自由を強いられているらしいことは分かった。
クルトは、話しながら握っていたこぶしを、もう片方の手で撫でさすっていた。その様子が、穏やかでない内心を無理やりなだめているように見える。
尊敬している師匠の状態に心を痛めているらしいクルトの様子は、見ているほうも痛ましく思える。
「…どうして、そんなことに?」
わたしは正直、クルトの師匠という存在にあまり良い感情はないが、クルトにとっては慕わしい存在なのだろうし、何度も言う通りクルトをいじめたいわけではないので、できるだけ静かな声で問いかける。
クルトはうつむいていた顔を少しだけ上げ、話し出す。しかし、その視線はわたしと合わないままだ。
「師匠は、ある魔女と戦って敗れたんだ。そして、その魔女に封印の魔法をかけられたのさ。」
「魔女?」
「そう、師匠に匹敵するほどの魔力と、魔法の実力を持つ恐ろしく強い魔女。その名も、ソフィア・ドロテア。師匠と共に俯瞰世界の住人となった魔術師の一人だよ。」
「え?ということは、他にもいるの?」
「うん。師匠はね、世界の真理に至り俯瞰世界の存在となったけど、それは一人で成し得たことではないんだ。他の3人の魔術師と共に魔法を研究し、その結果、仲間と共に俯瞰世界に至ったんだよ。この人達のことを、ボクのように複数の世界をまたがって魔法を学ぶ者は、『始まりの四賢人』と呼んでいるんだ。」
「おお、なんかファンタジーっぽい…。っていうか、始まりのってことは、もしかして俯瞰世界とやらに至ったのは、その4人が初めてということ?」
「そう。俯瞰世界に至った魔術師は他にもいるけれど、全ては『始まりの四賢人』の足跡を辿ったに過ぎないんだ。勿論、それだってすごいことなんだけれどね。」
「ふぅん…」
まるで他人事のように言うが、クルトの今までの話からすると、クルトだってなかなかに大した存在ということになるのではないだろうか。クルトとて異世界の存在を知っているわけだし、『始まりの四賢人』の1人を師匠にしているというのは大層なことのように感じる。何事も、先駆者に師事できるというのは貴重なことだ。今まで気安い口をきいていたが、もしや失礼にあたることだったりするだろうか。
「その、ソフィア・ドロテア?とかいう魔女は、クルトの師匠の仲間だったのに、どうして戦った挙句封印するような真似をしたの?」
「それは…」
クルトは、ふ、と淡く目を伏せると、首を左右に振った。
「詳しいことは、ボクにも…。ただ、ソフィア・ドロテア卿は、師匠と同じ世界の出身でね。幼馴染なんだって。昔からずっと一緒に魔法を研究し、同じ志のために協力してきたんだって言ってた。…だからこそ、些細な違いやズレが許せなくなることもあるんだろうって、兄弟子や他の四賢人が言っていたよ。」
「そう…。そうね、そういうことってあるかもしれないわね…。」
近すぎる存在であるが故に、というのは分からなくない。別に暮らす他人なら「仕方ない」で許せることも、一緒に暮らす家族だと許せない、ということは往々にしてあるものだ。それに、いくら志を同じくしていたと言っても、他者と寸分違わぬ望みを抱ける者などいないとわたしは思う。他人との間にズレが生じないことのほうがあり得ないが、あまりにも慣れ親しんでいると、そういうズレさえ裏切りのように感じてしまうこともなくはないのだ。
そういうやりとりが、クルトの師匠とその魔女の間にあったのだろうか。
「………」
『始まりの四賢人』などという大層な肩書と、その名にふさわしい経歴を持った幼馴染が、片割れの自由を奪うほどの仲違いをしたなどと聞けば、その経緯について下世話な妄想がカルメ焼きのごとく膨らむというものだが、片割れを師に持つクルトの前で言うのは憚られるので黙っておくことにする。間違っても、「薄くて高い本が、分厚くなって更に高くなりそうだ」などと口にしてはいけない。
「まあ、世界をゲームに閉じ込めた張本人が動けない状態なのは、何となく分かったわ。でもね、だからって、なんでわたしが代わりに世界を救うことになるの?わたしは魔法なんて使えないのに。それこそ『始まりの四賢人』の残りにやってもらうとか、そういうほうが良いんじゃない?」
「まあ、本来ならそうするんだけどね…」
クルトはうなじに片手を当てて、困ったように首を捻る。
「師匠の世界の魔法はね、基本的には施した人間にしか解けないっていう性質を持つんだ。ただ、ある程度簡単な魔法だったりとか、魔法をかけた人間より解く人間の方が熟練の魔法使いだったりすると、他人が施した魔法でも解くことはできる。そして、もし複雑で高度な魔法を施すときは、通常その性質を失わせるための一手間を加えるんだ。魔法をかけた本人にしか解けないなんて、弊害の方が多すぎるからね。ただ、今回の場合はね…」
「あー、なんか予想出来た…」
わたしが額に手を当てて呟くと、クルトは遠い目をしてハハと乾いた笑いをこぼす。
「うん、まあ、お察しの通り。施されてないんだよねー、その一手間が。そしてめっちゃ複雑怪奇な魔法の構成になってるんだよねー。それこそ、四賢人が解析しても、皆様口を揃えて『ワケ分からん』ってぼやくレベルなんだよねー。」
「あーあ…」
「いや、本来であれば、そんな大事な一手間忘れるわけないんだけど。そして、もっと洗練された…というか分かりやすい構成になってるはずなんだけど。なんか、追い詰められた状態で勢いに乗ってやったせいか、なんかもう結果的に望む状態になりさえすればいい!みたいなそんな感じで。他の四賢人が魔法の上で師匠に劣るわけではないんだけど、実力的にはどっこいどっこいだからさ…。いや、もうストレスフルって怖いよね…。」
「ああ…」
確かに、追い詰められた状態で結果だけ間に合わせようとすると、普段当たり前に出来ていることが疎かになることがあるし、後で見返したときに当時の自分を小一時間問い詰めたいほどしっちゃかめっちゃかな仕上がりになっていることがある。昔、自分で組んだエクセル関数の式を見返したとき、そのワケの分からなさに自分でキレたことを思い出す。
「師匠も、後で見返して『これはまずい』って思ったから、元に戻すための魔法を用意したんだろうけど、肝心の本人が封印されてるから聞き出せなくて意味ないし…」
「なんかもう、いっそ清々しいまでに詰んでるわね…」
乾いた笑いが止められないらしいクルトの、しかし決して笑ってはいない目を見れば、具体的な内容は分からないものの、この魔法を解こうと試行錯誤したことが何となく窺える。自分がやったわけでもないものを解くために奔走し、挙句師匠の代わりに怒鳴られるとは、哀れとしか言いようがない。
ふと、飲みかけのコーヒーが目についた。せっかく貰ったのに今ではすっかり冷めてしまっている。
飲み物が目の前にあることに気付くと、さっき怒鳴ったせいか喉が痛むことを自覚した。冷めているのをこれ幸いとばかりに、残りを一気飲みする。
うむ、温い。
「はあ。ねえ、コーヒーのおかわりって貰えるかしら。少し休憩したいわ。あなたも話し疲れたでしょう。」
「ああ、そうだね。ボク貰ってくるよ。」
わたしの提案に力が抜けたのか、クルトの肩がストンと下がる。彼も喉を撫で擦っているところを見ると、彼も喉が痛むのだろう。
「ミルクがあったら、貰ってきてくれない?できれば沢山。砂糖も…」
ブラックコーヒーも嫌いではないが、今わたしの舌は甘さとまろやかさを求めている。
「分かった。すぐ戻るからね~。」
初対面で猫を連想させた少年は、正しく猫のように手足の伸びをした後、やはり猫のように軽やかな足取りで出て行った。
*
ポーションタイプのミルクを3つ、スティックタイプの砂糖を2本、新しいコーヒーの中に入れてマドラーでかき回す。
目の前にはミルクと砂糖による小山が出来ている。
いくらなんでも持って来過ぎだが、お願いしたのはこちらなので何も言わないことにした。
わたしに気を使ってこんなに持って来たのかと少し申し訳なく思っていると、クルトも自分のコーヒーにミルクと砂糖を入れ始めた。
「………」
小山の3分の1がクルトの紙コップの中に消えたのだが、どういうわけだろうか。
苦くて飲めないから、という言い訳すら通用しないレベルのミルクと砂糖が投入されたコーヒーは、紙コップから零れないのが不思議なほどである。というか、あの量の砂糖はどう考えても溶け切らないように思うのだが大丈夫なのだろうか。
そう思いながら黙って見ていると、クルトは先が小さなスプーン状になったマドラーで、案の定紙コップの底に溜まっていたのだろう砂糖を掬い上げると、ぱくりと口に運んだ。
「ん、おいし。」
「………」
なるほど、そうやって味わうものなのか。
あまりにも新発想すぎる飲み方(食べ方?)に、かえって感心の念すら湧いてくる。仮に自分の身内が外でこんな飲食をしたら許さないが。
しかし、もしかするとクルトの世界ではああいう飲み方が一般的で、いちいち指摘するようなことではないのかもしれない。麺類をすする日本人を見て、外国人が驚くのと似たようなものである可能性がある。
「誘子さん、もう入れないの?沢山て言うから、ボクの倍くらい使うのかと思ってたのに。」
「あ、ああ、それでこんなに沢山持って来てくれたのね…」
クルトは、自分の飲み方に何ら疑問を抱いていないようだ。となれば、やはり、この飲み方はクルトの世界では普通なのだろう。もしかしたら、甘味の乏しい世界から来たのかもしれない。いや、異世界なんてものが本当にあるなら、の話だが。
「ありがとう。でも、わたしにとってはこれでもいつもより多いほうなのよ。気持ちだけいただくわ。」
完全にスルーすることにした。自分が普通だと思っていることを改めて指摘されると、嫌な思いをするかもしれない。
柔らかな薄茶色になったコーヒーを一口飲むと、ミルクのまろやかさと砂糖の甘味に、ほうっと溜め息と共に身体の力が抜ける。
できれば、このまま呑気で他愛もない雑談にでも終始したいが、そういうわけにもいかない。それはクルトとしても同じだろう。
「で、さっきの話の続きなんだけどね。」
わたしから切り出すと、クルトはマドラーを銜えたまま視線を上げた。
「『始まりの四賢人』なんて肩書を持つ魔法使いでさえ元に戻せない物を、どうやってわたしに元に戻せっていうの?方法が全く思いつかないんだけど。」
まさか、今からわたしに魔法を学べというわけではあるまい。それとも、ソフィア・ドロテアという魔女に封印されたクルトの師匠を救えとでもいうのだろうか。いや、それならば「世界を救え」なんて回りくどい言い方はしないはずだ。
「それはね…」
クルトは、テーブルの上にあったゲームのケースを裏返した。そして、そのケースに描かれている登場人物の一人を指差して言った。
「誘子さんに、この女の子に生まれ変わってもらって、攻略対象の男性キャラと恋をしてほしいんだ。」
「………はい?」
斜め上にも程がある回答だった。
クルトの指差す先を見れば、先程わたしの記憶を呼び覚ました悪役のお嬢様キャラがいる。
「………あの、真面目に聞いてるんだけど。」
「いや、真面目に答えてるんだよ、こっちも。」
「………」
わたしは、もう一度ゲームのケースに視線を落とす。
真っ黒な髪を長く伸ばして、少々ケバ目のドレスに身を包んだ、可愛げの乏しく高飛車な雰囲気を纏った悪役の女の子。
記憶にはあるものの、名前は一切思い出せない。
この子に生まれ変わって、攻略対象と恋をする?
「いや…な、え?な、なんで?」
ゲームに閉じ込められた世界を救うことと、わたしが生まれ変わって恋をすることと、スケールが違い過ぎて全く繋がらない気がする。
クルトは、こぶしを口元に当てて、芝居がかった仕草でコホンと咳払いをすると、真剣な表情でわたしを見据えた。しかし、どことなく真面目ぶったような雰囲気だ。いや、実際、真面目ぶっているのだろう。
「端的に言うとね、ゲームの内側に入り込んで、ゲームに存在しないエンディングを迎えることで、ゲームの舞台という予定調和の世界をぶち壊そうってことなんだ。」
「ゲームの内側から…?ゲームの外側から魔法を解くことが出来ないから…?」
「そう。いくら現実の世界を利用して作られたとはいえ、ゲームにされてしまった以上、所詮決まったストーリーをなぞって決まったエンディングにたどり着くしかないようになってる世界なんだ。そこに誘子さんという不確定要素を送り込んで、既定のルートを外れることができれば、世界にかけられた魔法は瓦解する可能性が高いと思われる。」
「思われるって…」
「いや、勿論適当に言ってるわけじゃないよ。この世界にかけられた魔法について、調査に調査を重ねてようやくたどり着いた結論なんだ。」
言葉を募るクルトの表情は、いたって真剣で真面目だ。しかし、先程のわざとらしい芝居がかった真面目さではない。
決まりきった世界に不確定要素を送り込んで、予定調和の世界を壊す。
理屈としては分からなくもない。しかし、一つの世界全体に影響を及ぼすような魔法―――わたしは魔法のことは微塵も分からないが恐らくはとんでもなく大規模な魔法なのだと予想する―――に対して、わたしの存在が与えられる影響なんて、あまりにちっぽけなのではないだろうか。それは、わたし個人の能力や存在がどうのこうのというより、そもそも手段自体が間違っているような気がする。
例えば、扇風機(卓上用)の風で万里の長城を壊そうとはしないし、タコ糸でタイタニック号の引き上げをしようとはしない。
普通ならば取らない手段を意気揚々と語られている気がしてならない。
「あの…、色々納得いかないんだけど…。えーっと、何から言えばいいの…。」
わたしはこめかみを人差し指でくりくりと押す。別に、これをやれば良いことが思いつくわけでもないのだが、やってしまわずにはいられないあたり、我ながら大分混乱しているようである。
こうなれば、もうどストレートに聞くしかあるまい。
「あの、たった一人の脇役の恋愛が世界規模の魔法を解くほど影響があるとはとても思えないんだけど?ゲームの世界に放り込まれた途端、結局その予定調和に取り込まれる気がしてならないというか。」
「誘子さんには、この世界にかかっている師匠の魔法の影響を受けないための魔法をかけるよ。それにこの女の子キャラは、脇役は脇役でもただの脇役じゃない。ゲームのスト―リーに大きく関わるキャラだからこそ、周囲に影響を及ぼすことができるんだ。」
そう言って、クルトはパコリとゲームのケースを開け、中に入っている取扱説明書を取り出した。パラパラと何ページがめくると目的のページを見つけたのか、見開きにしてわたしに見せてくる。
そこには、クルトが生まれ変われと言った悪役キャラの女の子の絵姿があり、数行のキャラクター紹介が描かれていた。
「このキャラはイザベルっていうんだけど、主人公の恋愛を邪魔するライバルとして、主人公に嫌がらせをしまくる悪役。この子は設定上、メインヒーローである王子に恋をしてて、王子の婚約者候補なんだ。で、王子に近づく主人公が許せないってことで嫌がらせをしてくるんだけど、じゃあ王子のルートにしか出てこないかっていうと、そんなことはなくて、他の攻略キャラのルートでも出てきて、やっぱり主人公の邪魔をするんだ。」
「あー、うん。なんとなく覚えてるわ。確か、こっちの攻略キャラのルートでも出てきた?」
わたしはケースを表に返して、金髪碧眼の王子キャラと主人公を挟むようにして描かれている茶髪の準ヒーローと思しきキャラを指差した。
「うん、そのキャラはイザベルの腹違いの弟のアンリだね。アンリのルートでは、愛人の子であるアンリのことが元々気に食わないイザベルが、アンリと主人公を不幸にしようと嫌がらせをするんだ。」
「ああ、サブキャラに身内がいたって記憶は何となくあったけど、イザベルが姉だったのね。」
そう言われれば、このアンリというキャラのルートをプレイしたときに、アンリの生まれに対してネチネチと当てこすりを言い、陰湿な嫌がらせをしてくるイザベルを不快に感じた記憶が薄らぼんやりと蘇ってくるような気がする。当時は、主人公や攻略キャラに感情移入しがちだったから、余計に腹が立ったのかもしれない。
「イザベルはこの二人以外のルートにも登場して、ストーリーの本筋に絡んでくる大事なキャラなんだ。師匠の魔法の影響を受けない誘子さんがイザベルになって、ゲームのメインキャラになっている男と関われば彼らを既定のエンディング以外の未来に導くことができる。そうすればゲームの舞台としての世界は成り立たなくなるんだ。」
「…理屈としては分からなくもないけど、本当にそれでゲームの時間軸以降の未来に進めるの?仮に、イザベルが攻略キャラと恋愛をした状態でゲームの時間軸の終了を迎えたとしても、主人公のために用意された舞台なのであれば結局そこでぶったぎりの終了になるんじゃない?」
わたしの疑問に対し、クルトはふるふると首を左右に振った。
「それはないから大丈夫。」
「どうして、ないって断言できるのよ?主人公のために作り変えられた世界だから、主人公がいなくなれば強制終了するって言ってたじゃない?」
クルトは、コーヒーのカップを少し脇によけると、わたしの顔を覗き込むように少しだけ身体を乗り出してきた。
「誘子さんはさ、魔法のエネルギーって何だと思う?」
「え?魔法のエネルギー?」
また随分と予想外の方向から唐突に投げかけられた質問である。
「そう、どんなものでもエネルギーがなければ動かないでしょ?それは魔法も一緒なんだけど、魔法が発動するためのエネルギーって何だと思う?」
「いや、そんなこといきなり聞かれても…。えー、魔法というからには火力・水力・原子力とかじゃないわよね?てか、そんなんだったら嫌だってだけだけど…。」
「いや、間違ってないよ?」
「え、間違ってないの?」
「うん、魔法はね、物質に宿る力…これは魔力と呼ばれているんだけど、この魔力を利用することによって発動するんだ。だから、火にも水にも、光にも闇にも魔力が宿っている。それは生き物も同じでね、魔法が存在する世界の生き物は大なり小なりその身体に魔力を宿しているんだ。」
「へえ?」
分かるようで分からない話である。もっと深く突っ込まなければ理解できそうにないが、突っ込んだところで、話が長くなりそうだし、何やら科学的な匂いのする話題なので、きちんと理解できる気もしない。そういうものなんだ、で流すのが一番良い気がする。
「でもね、生き物の中でも思考したり感情を持ったりすることの出来る動物には、魔力とはまた違う力があるんだ。それは、呪力という力だ。」
「ジュリョク…?」
「呪力っていうのは、魔力が自然物から発生するエネルギーであるのに対して、動物の心が生み出すエネルギーだね。端的に言うと、ああなったら良いなとか、こうなったら良いなとか望んで、それを実現しようとするエネルギーを言うんだ。」
「ああ、それは何となく分かりやすいわね。」
イメージで言えば、徒競争で一番になりたいと願って、目標に向かって努力をするエネルギーが呪力で、練習のために実際に身体を動かすのに必要なエネルギーが魔力というところか。
「大抵、ある程度複雑だったり強力だったりする魔法は魔力と呪力を組み合わせて使用する。この場合、利用される呪力は大抵術者の物である場合が多いんだけど、より大がかりな魔法である場合や、他人に深く影響する魔法である場合、他人の呪力を利用することがあるんだ。」
「他人の呪力を?」
「うん。他人の呪力を利用する方法は、それこそ他人に協力してもらうとか、呪力を道具に宿して使うとか色々あるんだけど、その内の一つに魔法をかける対象の呪力を利用する方法があるんだ。」
「ええ?魔法をかけられた上、心の力まで利用されるの?」
「そう。例えば、大怪我を負った相手にその怪我の治りが早くなるような魔法をかけたとするでしょ?普通に魔力だけを使ってかけた場合よりも、怪我をした本人の『怪我が早く治りますように』と願う呪力を利用した方が、それだけエネルギーが多いわけだから治りが早くなるってこと。」
「ああ、そっか。そういう使い方があるわけね。」
世界を閉じ込めたという印象が強いせいか、魔法に対して良いイメージがなかったが、当然良い作用を持つ魔法もあるわけだ。勿論、クルトの言うように良い使い方ばかりをされるわけではないだろうが、何事も良い面も良くない面もひっくるめて特性というものだ。
まあ、世界を閉じ込めた魔法には、確実に良くない呪力の使い方をされていることは予想に難くないのだが。
「この世界を閉じ込めた魔法にはね、攻略キャラの呪力を利用して発動する魔法が組み込まれてるんだ。その魔法は、ゲームがエンディングに近づくにつれて徐々に発動していくんだけど、その魔法がこの世界がエンディング以降の未来に繋がらない原因なんだ。」
ほーら、やっぱり。
いや、ゲームを作るためには必要な魔法だったのだろうから一概に良くない使い方とも言えないのだろうが…いや、そもそも世界をゲームに閉じ込めること自体が良くないのだから、やはり良くない使い方である。
「で、攻略キャラの呪力を利用したっていう魔法は、どんな魔法だったの?」
わたしが問うと、クルトは乗り出していた身体を椅子の背もたれに戻し、口元に薄ら笑いを浮かべながら、会話を始めてから何度目になるか分からない大きな溜め息を吐いてから言った。
「自分の好きな人と一緒にいる未来が実現する魔法。」
「………」
クルトの答えに、わたしも会話を始めてから何度目になるか分からないが、言葉を失った。
なんというか、こう、思った以上に…。
「…ロマンチックな魔法ね。」
「…まあ、言葉だけ聞けばね。」
再び遠い目になったクルトを見れば、この魔法にも手こずらされたのだろうな、と想像できる。
しかし、今のクルトの説明で繋がった。
ゲームに閉じ込められた世界に、エンディング後の未来が訪れない理由が。
わたしは、半眼になってクルトを見据えた。しかし、その眼差しには、怒りや威圧ではなく、呆れと同情が入り混じっているはずだ。
「要するに、攻略キャラの呪力を利用したその魔法によってゲームのエンディングが作られてるのね?」
「うん。」
「攻略キャラがゲームの主人公との未来を迎えたいと望むから、恋愛エンドが迎えられるのね?」
「…うん。」
「でも、主人公は架空のキャラでエンディング以降の世界には存在してないのよね?」
「……うん。」
「存在しない人間との未来なんてあり得ないわよね?」
「………うん。」
「………だから、エンディング後の世界には繋がらずに、ぶったぎり強制終了するのね?」
「………………そう。」
感情を押し殺したように肯定するクルトの目尻で、何かがきらりと煌いたように見えた。
世界中に人間にしばかれるべき。