まずは自己紹介からって言うけど、円滑な会話って大概自己紹介から始まってないと思う。
まずは当たり障りのない会話のきっかけを探す。
「…ひっく…うっく……っく…う…ふ…ふう…ふう……ふう…はあ………」
わたしは、ひとしきり泣きまくった後、すうはあとゆっくりと呼吸を繰り返して、涙としゃっくりを止めることにした。わたしが泣いたことで家族の悲しさや辛さが軽減したわけではないけれど、少なくともわたし自身は喚き散らすことで多少気持ちが落ち着いた。やっぱり溜め込んだ感情を吐き出すって大事なことだ。
第一、よくよく考えてみれば、どんなに家族の気持ちを慮り、それに対して悔恨や謝罪を口にしても、それはわたし自身の胸中でのことであって、それが家族に届くことはないし何かしてやれることもない。更に言えば、嘆き続けるわたしに対し、家族が「大丈夫だよ」「苦しまなくて良いんだよ」と許しを与えてくれることもないのだ。だって、わたしは死んだのだから。
結局、この悲しみも苦しみも、わたし自身が咀嚼して、嚥下して、消化していくしかない。この一連の作業には多少の時間を要するだろうが、これは仕方がないことだろう。
今すぐ気持ちにケリをつけなくて良いと思えば、かえって落ち着くというものだ。何より、涙はまだ出そうだが、泣き声はもう出そうにない。まあ、要するに泣き疲れた。
「少し落ち着いた?…これどうぞ。」
そう言って、子供はテーブルに紙コップを置いてくれた。ふんわりと立ち上る香りからコーヒーなのだと分かる。死後の世界にもコーヒーがあるのかと思うと不思議なものである。
「…ありがとう。いただきます。」
わたしは、丸めていた背を伸ばし、涙と鼻水でグシャグシャになった顔をもう一度タオルで覆う。顔の表面の水分をしっかり拭ったら、思いっきり鼻をかんだ。
「……」
「…新しいの、買って返すから許して。」
タオルで鼻をかむことに抵抗がないわけではないが、とっくにこのタオルにはわたしの鼻水がついてしまっているので今更である。
わたしが言うと、子供は苦笑いをして手をヒラヒラと振った。
「いや、出入りの業者が挨拶回りでくれたやつだから別に良いよ。」
「……」
その言葉に、今度はわたしが黙る。
なんか、アレか。
年末年始に、取引先の会社の人が持ってくる熨斗紙つきの白いタオルか。折り畳まれて見えないタオルの端には、藍色の字で業者名がプリントしてあるのだろうか。
何だか気になって、涙と鼻水で汚れた面を内側にするように畳み直しつつタオルの端を探すと、なるほど確かに端の起毛になっていない部分に濃い緑色で書かれた文字とおぼしき列があった。ただし、わたしはこの文字を見たことがないので何と書いてあるかは分からないし、実際に文字なのかも確信は持てない。
コーヒーといい、名入れタオルといい、死後の世界観は不思議なことである。まあ、私が詳しくないだけで別に変なことではないのかもしれないけれど。
紙コップをとると、じんわりと温かさが手のひらに染みる。そっと口をつけると、馴染みのある味と香りが広がって、何だか泣き疲れた身体からいっそう力が抜けるようだ。そのせいか、また涙がぽろりと一粒落ちてしまったが、今はもうこれ以上泣かないと決めたので、指でぬぐって上を向き、まばたきを繰り返すことで涙を乾かした。
泣いて喚いて、自分の感情を吐露しまくって少し落ち着くと、子供の優しさに少し居心地が悪くなる。この子供には何の関係もないのに、自分のささくれだった感情の矛先を向けてしまった挙げ句、愚痴に付き合わせてしまった。大人げないにも程がある。恥ずかしい。
「…みっともないところを見せてごめんなさい。でも、聞いてくれてありがとう。少し、気持ちが落ち着いたみたい。」
わたしが言うと、子供はニコッと笑う。
「いいよ。よく考えれば、若くして亡くなったのに何の未練も無いほうが不思議だもんね。それに、あなたが幸せだと思える人生を過ごしてきたことが分かって、ボクとしても嬉しいんだ。」
「…そう?」
自分が普段感じていることでも、他者から改めて言われると恥ずかしいものだ。それにしても、他人の幸福な人生を嬉しく思えるなんて、わたしが思う以上に良い子なのかもしれない。
そういえば、出会ってからの流れで何となくここまで来てしまったが、いったいこの子は誰なのだろうか。散々、醜態を見せた後で改めて聞くのも気が引けるが、止むを得まい。
「ねえ、あなたは私の名前を知っているみたいだったわよね?今さら聞くのも失礼だけど、あなたの名前を聞いて良い?死後の世界の人ってことで良いの?」
私が尋ねると、子供はパッと表情を明るくした。
「いやあ、なんかマトモな自己紹介もできないまま、なかなかタイミング掴めなくてどうしようかと思ってたんだよね!」
うん、それはなんか正直ごめん。
子供は背筋を伸ばし、まっすぐわたしに向き直ると、こほんと芝居がかった咳払いをしてから、わたしを見据えて言った。
「初めまして、ボクは偉大なる魔術師リリエンタール卿の弟子、クルト・エンゲルハルト。鈴木誘子さん、あなたにある世界を救って貰うため、会いにきました。」
「………………………はい?」
とっさに反応出来なかったわたしに、非はないと思う。
*
時間を少々遡って話をしよう。
わたしは死んだ後、いつの間にか自分の足元から道のようなものが延びていることに気づいた。この道がなんとなく自分の死を象徴しているような気がして、しばらくはその道を進むことに躊躇いがあったが、他に何をして良いのかも分からなかったので、あからさまに進めと言わんばかりの道を行く以外になかった。
緩やかな坂になっている道を上り、地上が遠くなるにつれ、わたしと同じように道を進む人の姿がちらほらと見えてきた。その道同士は決して交わることはなく、あくまでも個人専用のようだった。でも、その道のいく先は全て同じ一つの光の中に集約されていて、行き先は同じなんだと分かった。
やがて、その光の中にたどりつくと、そこは白い石畳の地面があり、その上に白い直線的なデザインの建物が建っていた。今時、病院や役所だってもう少しデザイン性があると思わずにはいられないような素っ気ない外観の建物に拍子抜けせずにはいられなかった。天に向かってかかる道の先にある厳かな光の中に、こんな趣のない建物があるなんて誰が予想するのか。
それは、わたし以外の人も同じように感じたようで、「えー、地味…」とか「なんか予想と違う」という声がちらほらと聞こえた。
しかも、建物の入り口の上には「死後総合受付・転生先案内所」と書かれた看板があった。ここに来るのは日本人ばかりなのだろうか。いや、問題はそこではないのだけれど。
疑問に思いながらも、周囲の人の流れに合わせるように建物に入ると、その中は真っ白だった。いや、白くて何もないというわけではなく、床も壁も天井も、受付と思しきカウンターも、その奥にあるオフィスファニチャーも白で統一されていたのだ。その上、この建物の職員と思しき人々の服装まで白統一である。死後の世界のイメージに合わせているのかもしれないが、今時病院だってここまで白くない。目がチカチカしないのが不思議なくらいだ。この建物の中で仕事をするのは常に汚さないよう気を使わなければならなそうで嫌だなあと感じたのは勤め人の性だろうか。
やがて、入ってきた私たちに対し、カウンターの中から出てきた職員と思しき女性が声をかけてきた。
「ここは、皆さんの現世での人生の内容を確認し、来世の転生先を決定する場所です。順番にご案内いたしますので、書類に必要事項をご記入の上、番号カードをお取りになり、番号が呼ばれるまでおかけになってお待ちください。」
役所か。
妙に現実感のあるシステムに、かえって現実感が湧かなくなった。ここは本当に死後の世界なのだろうか。そもそも死んだばかりで気持ちの整理もつかないというのに、すぐに来世を決めるのか。いや、というか来世…生まれ変わりって本当にあるのか。
他の人は戸惑いながらも番号カードを発券機から取ったが、わたしは何だか踏ん切りがつかずに結局番号カードを取ったのは最後になってしまった。
自分の順番が来たら職員に色々聞いてみようと思ったのだが、受付では生前の住所や氏名、生年月日等の個人情報を書いた書類を提出し、2~3個ほど質問をされただけだった。質問しようとしても「後ほど詳細な説明を行いますので、質問はその際にお願いいたします。」と愛想のない顔で断られるだけだった。
前言撤回、地元の市役所のほうが親切である。
受付が済むと再度待つように言われたので、何だかすっきりしないままに椅子に座っていると、しばらくして女性職員が待っている人達に呼び掛けた。
「お待たせいたしました。全員分の受付が終了しましたので、これより皆さんに対し今後の説明を行います。恐れ入りますが、説明会場へご案内いたしますので、ご移動をお願いいたします。」
丁寧だけれども相変わらず愛想のない顔で言う女性職員に、待っていた人達が皆キョトンとしたのが分かる。あんまりにも抑揚が無さ過ぎて、一瞬何を求められているのか分からなかったのだ。
「…聞こえませんでしたか?ご移動をお願いいたします。」
女性職員は待っている人の群れを見渡してもう一度言った。その言葉に皆の中の数人が弾かれたように立ち上がる。それにつられるように他の人達も立ち上がった。わたしも立ち上がろうとすると、女性職員が片手の手のひらをわたしに向けて制してくる。
「あなたは結構です。」
「え?」
「あなたは、ここにいる方達とは別行動になります。なので、ここでこのままお待ちください。後ほど担当の者が参ります。」
「……はあ」
何となく逆らい難い雰囲気に呑まれて、わたしは再度腰を下ろした。
そのままわたしを残して、職員も一緒に待っていた人たちも行ってしまう。中には、一人だけ別行動を言い渡されたわたしが気になるのか、チラチラと振り返ってくる人もいたが、最終的には取り残された。
「……」
一人ぽつんと取り残されると、何だかモヤモヤがムカムカに変わってくる。
さっきのあの職員の態度は何なのだろうか。あんな愛想のない、相手の理解を得ようとする努力も感じられない態度は、冷淡を通り越して横柄だ。地上のサービス業であんな接客をしようものならクレームもんである。
今まではお行儀よく座っていたものの、何となく足を組んで膝の上で頬杖をついてしまう。
周りをきょろきょろと見回すと、ロビーの隅にマガジンラックがあったので(もちろん白い)近づいてみると、パンフレットのようなものが何種類か入っていたので一つ手に取ってまた椅子に座り直す。パンフレットの表紙を見ると、そこには「転生先適正診断!あなたに合うのは女性?男性?魂にあった才能を得ることで転生先での未来も安心!」と書かれていた。就活か!
突っ込みどころは満載だが、もしかしたらわたしの望む情報が何か得られるかもしれないので、読み進めてみることにする。
と、タンタンと軽快な靴の音が近づいてくるのが分かって顔を上げた。
すると、建物の奥から黒っぽい服を着た子供が小走りで近づいてくるのが見えた。真っ白な建物の中で、子供が纏う色彩が妙に鮮やかだ。
やがて子供は私の前に来た。
白いシャツに暗めの赤のリボンをタイにして、紺色っぽいベストを着ている。そして下半身は膝丈のズボンに、ボーダーの靴下、革靴を履いていた。子供にしては随分と気取った格好だが、子供の容姿にはよく似合っていた。大きくてぱっちりした目と、わざとなのか何なのか、あっちこっちにピンピンと跳ねた黒髪が長毛種の猫のようで可愛らしい。
子供はニコッと笑うと、ぺこりと頭を下げた。
「こんにちは、えーっと、鈴木誘子さん…で、良いでしょうか?」
「…ええ」
先程の女性職員の愛想のなさに気持ちがささくれ立っていたので、子供の笑顔の人懐こさに何だか安心してしまう。
とか思った瞬間に、パァン!という破裂音が鳴ったのだった。
ただし、そのまま会話が盛り上がると、改めて名前を名乗るタイミングが見つからなくなる。