熊笹の実
「山が秋色に染まり始めてね、木々には赤や黄、とりどりの実がなっていたんだよ。細長い葉っぱの熊笹も、鈴なりに実をつけてる。今年は豊作だ、とってもすごいご馳走だって、地ネズミのチュウスケは大喜びしたのさ。だって、家には産まれたばかりの赤ん坊がいるんだからね」
今日もおばあさんが話を始めました。コタツから頭だけ出してそれを聞くのが楽しいんだ。
「木々が赤く色を変える頃、笹の実は重そうに穂を垂れてたのさ。もう少しすれば食べられるようになるね。でもそれまでの間は、山で食べ物を探さなきゃいけない。食べ物を探すのは、父親の務めだからね。ただ、子供の頃からお父さんにきつく注意されていることがあったんだよ」
おばあさんは、こたつのミカンをひとつ僕にくれました。そして自分もミカンをむきながら続きを始めました。
『いいかチュウスケ、北の山には怖い魔物が棲んでいる。だから絶対に行ってはいかんぞ』
チュウスケはお父さんの教えをずっと守ってたんだよ。だけど、近くの山の食べ物は少なくなっちゃった。困ったねぇ。今日は少し遠出しようかと思いながら外へ出たのさ。すると、隣のチュウタとばったり遇ってね、チュウタも食べ物を採りにゆくところだったそうだよ。
「どうだい? 食べられるものが少なくなっただろう?」
チュウタは、余裕しゃくしゃくだったそうだよ。チュウスケが正直に行き先を教えると、馬鹿にしたように笑って、秘密の場所を教えてやると言ったのさ。
「秘密の場所? そんなことを教えたら食べ物が少なくなってしまうのに、いいのか?」
「平気へいき、おまえの家と分けたって食べきれるもんか。栗がたくさんあるんだぜ」
「へぇー、そんなところがあるのかい?」
「あぁ、魔物がいるからって誰も行かないから。だから、いっぱいあるんだ。放っておいたら腐らせてしまうだけさ」
「えっ、魔物って……、もしかして北の山かい?」
「そうはそうだけど、その山からは少し外れてるんだ。いつも行ってるんだし、俺と一緒だったら心強いだろ」
そう押し切られて、二人で山奥へ食べ物を探しに行ったのさ。
「もう少し先に大きな栗の木があるんだ」
絶対に行くなと教えられていた山の裾を、奥へ奥へと進んだんだと。
ガサゴソガサゴソ……
丈高い草をかきわけて進むうちに、方角がわからなくなっちゃった。大丈夫だろうかとビクビクしながら草だらけの道を登って行くと、大きなイガがボトボト落ちている。その近くにこげ茶色のつやつやした栗が散らばっていたんだよ。
「うわぁ、すごいや……」
チュウスケは何も言えなくなるほど嬉しくなり、魔物のことも笹の実のことも、すっかり忘れちゃった。
「チュウスケ、そんなのは放っとけよ、もっと大きいのを採りに行こうぜ」
チュウタは馬鹿にしたように笑うと、もっと山奥へ分け入ったんだよ。
「えーっと、確かこのあたりだったんだけど」
ぶつぶつ呟きながら、チュウタが辺りを探しだしたんだと。そこは短い草しかなくて、ところどころ土が出ている広場だったのさ。昨日の雨でぬかるんでいて、あちこちに大きな水溜りができてた。
ドサッ
突然地響きがして毛むくじゃらの獣が落ちてきた。そして、すぐ後からボタボタボタボターって、嵐のようにイガが降ってきたんだよ。
おばあさんは、そこで話をとめて、むいたミカンをくれました。
「それ、今のうちだ」
チュウタは手当たりしだいに栗を集めだしたのさ。チュウスケも、獣がムシャムシャ食べている間に、その後ろに落ちたをこそっと集めてきたんだよ。
「チュウスケ、何を怖がっているんだよ。熊が夢中になっている間なら、少しくらい近づいたって平気だぜ」
そう言いながらチュウタは、ばかでかい熊の脇をすり抜けて大きな実ばかりを集めてるんだけど、チュウスケには怖くて、そんなことはできなかったのさ。笑われたっていいから、熊に襲われないところばかりを探したんだ。
そこは本当に誰も採りに来ていないようで、大きな栗がごろごろ転がっていた。もう持ちきれないほど集めたチュウスケは、初めて周囲のことに気付いたのさ。それは何かというと、熊に追いかけられて逃げまわるチュウタにね。
「チュウタ、あぶない!」
追いすがった熊が鋭い爪を振り下ろした。でも、チュウタはそれをかわして逃げ回る。そのうち木の陰に隠れて見えなくなっちゃった。
「大丈夫だろうか」
チュウスケは物陰に隠れて息を殺していたんだよ。
ガサガサ草をかきわけて、チュウタが帰ってきた。転んだと言ってるけど、片方の足をくじいたようだね。チュウスケたちは、持てるだけのものを持ち帰ることにしたのさ。少し休んで痛みがひいたというチュウタといっしょに、安全な場所の栗も運んでしまった。
次の日も、また次の日も栗拾いをして、納屋は集めた栗でいっぱいになったのさ。
子供たちは大喜びで、早く食べさせてほしいとねだってねぇ、これは冬のご飯だといくら言い聞かせても駄々をこねるばかり。しかたなく、チュウスケは少しだけ食べさせてあげたのさ。すると、その美味しさに、子供たちは栗ばかりをねだるようになっちゃった。笹の実にくらべるととても美味しいから、いくらでも食べるだろう、おまけに栄養があるから、子供たちはもちろん、チュウスケ夫婦も一気に身体が大きくなってしまってねぇ。そうすると、いつもの量ではお腹が減ってしかたないんだよ。納屋一杯にした栗の実が残りわずかになるのに、あんまり時間はかからなかったのさ。
「チュウスケ、また行こうぜ」
チュウタの誘いを断ることができなくなっちゃった。だって、納屋の中はすっかり空っぽになったからねぇ。
山は冬支度を始めてた。あんなに青々と茂っていた草が茶色く枯れ、木々はすっかり葉を落としちゃった。裸になった枝の先に真っ赤な柿がぶらさがっているけど、きっと渋柿なんだね。でも、いいこともあるのさ。魔物が少なくなっているんだよ。
チュウスケとチュウタは、いつものように栗が残っていないか探したけど、見つけたのはほんの少しだけ。だって、もうほとんど採っちゃったんだもんね。
「チュウスケ、行ってみないか。もう熊も蛇もいなくなってるさ」
こんなに寒いのだから、魔物だって巣に閉じこもっているだろうねぇ。チュウスケは勇気を出して行く事にしたのさ。
注意して落ち葉の下を探すと、あるある、まだいーっぱい残ってる。チュウスケたちは寒いはずなのに、汗みずくになって栗を運んだんだよ。何度往復してもまだまだ採りきれないほど残ってる。とうとうチュウスケたちは、お嫁さんにも手伝ってもらって納屋をいっぱいにしたのさ。
山に雪が舞うようになると、もう寒くて外には出られないよ。納屋にぎっしり詰め込んだ栗で冬を越そうと思ったんだ。それは誰も同じことのようで、薄く積もった雪には誰の足跡もなくてね、きれいだろうねぇ。
寒い冬だって、家族が身を寄せ合っていれば暖かくすごせるよね。ずっと働き続けたチュウスケは、外へ出る用事がなくなると寝てばかりいたのさ。でも元気がありあまっている子供たちは、退屈をもてあまして食べてばかり。そんなところに、チュウタが突然呼び出しにきたんだ。
「さっき村長さんから連絡があって、チュウシチさんが行方不明になったそうだ。駐在さんといっしょに山狩りをすることになったんだって。それで呼びにきたんだ」
チュウシチさんは、村一番の元気者だけど、こんな雪の中に出て行ったのかねぇ。チュウスケは心配になってすぐに支度をしたんだ。
駐在に行くと、もう大勢の若者が集まっていた。そこで事のあらましを聞いたチュウスケたちは、夜明けを待って捜索を始めたのさ。
チュウシチさんの家から足跡が続いていた。それを辿ってみると、踏み切りで途切れてる。チュウシチさんが、踏切を渡ったところのお地蔵さんにお参りすることは誰もが知ってる。どうやらチュウシチさんはお参りに出かけたようだけど、足跡は踏み切りの手前で途切れていたのさ。お参りをした様子はなく、そこだけ足跡が乱れてた。
いったいどういうことなんだろうねぇ。物の怪の仕業を疑う意見もあったけど、迷信なんか誰も信じるもんか。とにかく辺りを手分けして探してはみたけど、とうとう見つけることはできなかったのさ。
チュウシチさんがいなくなって何日かすると、もう、じきにお正月。
チュウタは、仲良し同士誘い合ってお餅を手に入れることにしたみたいだよ。子供たちに、真っ白でやわらかい餅を食べさせてやりたいのはチュウスケも同じだけど、チュウシチさんのこともあるので、チュウスケは怖くて行けなかったのさ。
「鎮守様でいただいてくるからさ。無用心だからうちの様子も見ておいてくれよ。そのかわり、餅をどっさり分けてやるからな。じゃあ、楽しみに待ってな」
チュウタは、そう言って駆け出して行ったんだよ。
ダンダンダンダン
表戸が激しく叩かれた。こんな夜中に何事だろう、泥棒じゃなければいいね。
チュウスケは、怖がる家族を落ち着かせると、寝室の鍵を外からかけちゃった。玄関の節穴から外を窺うと、雪明りの中にチュウゴだけがいて、ひどく慌てているみたいだよ。
「どうしたんだ、チュウゴ。何時だと思ってるんだよ」
「どうしよう、チュウタが捕まった。チュウヒコが魔物に浚われた……。な、なあチュウスケ、どうしたらいい?」
チュウゴはガタガタブルブル震えていてね、チュウスケは、心臓がドクンと音をたてたように思ったのさ。
「落ち着け、チュウゴ。チュウタがどうしたって? 落ち着いて言ってみろ」
「鎮守様のお社へ行ったんだ。いつものように壁が壊れていたから、そこから。大きな餅がお供えしてあって、それをいただこうということになったんだ。それで、祭壇に近付こうとしたら、餅が落ちてて。一番に見つけたチュウタが、これは俺のだって餅に手をかけたんだ」
チュウゴは、そこまで言うとまた震えだしたのさ。
「しっかりしろよ、チュウゴ」
「そうしたらな、バチンって鉄の棒が降ってきて、チュウタは挟まれて死んでしまった」
「なんだって? 死んだ? 本当に死んだのか?」
「あぁ、口から血を吐いてピクリとも……」
チュウゴが震えている理由がわかったねぇ。
「だから止めておけばよかったのに。それで、チュウヒコは? 魔物に浚われたって?」
「俺とチュウヒコは、助けを呼びに外へ出たんだ。走り出していくらもいかないうちに空から」
空から魔物に浚われてしまったんだって。もしかすると、チュウシチさんも同じようにして浚われたのかもしれないねぇ。びっくりしたチュウスケは、駐在さんに報せに行ったのさ。
「なんという無茶をしたんだ。夜は魔物が出るって、口をすっぱくして注意したじゃないか。気の毒だが、調べに行くのは夜が明けてからだ。そうでないとフクロウに食われてしまう」
駐在さんは苦々しそうに言ったきり、黙ってしまったそうだよ。
嫌がるチュウゴに案内させると、太い鉄棒に挟まれてチュウタが冷たくなってた。なんとか亡骸を取り出そうとしたけど、どうにも無理だった。可哀相にねぇ。
魔物に浚われたという場所は、もう少しでトンネルの入り口だったのさ、運が悪いとしか言いようがないねぇ。
チュウタとチュウスケは隣同士で、いつも協力しあってきたんだよ。だから、一家の働き手を失った今、できるだけの手伝いをしないといけないね。チュウスケもそう決めていたのさ。ところが、チュウタが死んだその日から困ったことがおきたのだよ。
その夜、亡骸がないままチュウタのお葬式をしたのだけど、子供たちに元気がないのさ。チュウタの奥さんも、何かをじっと我慢しているようでね。きっとチュウタが死んだからに違いないと思っていたのだよ。だけど、一週間過ぎても元気を取り戻さないんだ。それどころか、ますます弱ってしまってねぇ。これは大変なことになってしまったねぇ。
妻と二人で隣をたずねてみると、家の中がものすごく寒いんだよ。それと、食べ物がないと言ってシクシク泣いていたんだ。驚いて納屋を確かめると、栗の鬼皮ばかりで食べ物はもう残っていなかったのさ。
驚いたチュウスケは、すぐに食べ物を運ばせたよ。けど、チュウタの家族は体が大きくなりすぎていて、少しくらいではお腹がふくれないのさ。それはチュウスケの家族も同じ。栄養たっぷりの栗が美味しくて、つい食べ過ぎちゃったんだね。体が大きくなったので、予想を超える速さで食べ物が減ってたんだよ。困ったことがもう一つ。雪がますます降ってきて、寒くてしかたないのさ。
どうにも困ったチュウスケは、お父さんに相談したんだよ。
「寒いっておまえ、笹の実を採ってきたのなら殻が残っているだろう。それを敷きつめれば寒くなんかないはずだぞ。結婚するときに教えてやっただろう」
そうだった。笹の実は、食べるだけじゃなくて、布団になると教えてもらっていたのを、すっかり忘れていたんだよ。栗やドングリは栄養があって美味しいけど、殻は何の役にも立たないって教えてもらっていたんだよ。
チュウスケは恥ずかしくなって、逃げるように家へ帰ったよ。そしてすぐに、笹の実を探しに行くことにしたのさ。
お父さんから教わっていたのは、河原の一角さ。その近くまではトンネル伝いに行けるので安全だね。でも、寒くなったら昼間でも魔物が出るとも聞いていたんだよ。地響きがしたら穴に潜って絶対に出るなとも注意されていたのを思い出したようだよ。
トンネルの出口で外をうかがっても、見えるものは一面の雪。すぐ目の前に、青々とした熊笹が、びっしりと生えていてね、チュウスケは、思い切ってそこをめがけて飛びこんだのだよ。笹に隠れてじっとしていたけど、何も襲ってくる気配はない。ひとまず安心したチュウスケは、懸命に実を探したのさ。
秋の終わりに、あんなにたくさんついていた実が、すっかりなくなっていたんだ。チュウスケは焦ってあちこち探してまわったよ。笹をガサガサ揺らしながら夢中で探したよ。だけど、どこにも落ちていないんだよ。
ガサガサと草を掻き分ける音が近付いくる。チュウスケは咄嗟に雪の中にもぐった。
ドスッ、ドスッ……
ハアハアと息遣いとともに、雪を踏みしめる音が響いてきた。きっと魔物に違いない。
暫く続いた息遣いがね、チュウスケがじっと動かないでいると静かになったんだ。どこかへ行ったのかねぇ。でも、チュウスケは怖くて動けないのさ。そのまま冷たい雪に埋もれて静かにしていたんだ。
もういいだろう。そう思って雪から這い出したとたん、ガサッ。
つい今まで隠れていたところに毛むくじゃらの足が空から降ってきたのさ。絶対にチュウスケは狙われているんだ。少しでも遠くへ逃げなければ。だけど、飛び出せばきっと捕まってしまうよ。チュウスケは、焦れったくなるくらいゆっくりと遠ざかろうとしてたのさ。
ピィッ……
甲高い声がした。きっと空にも魔物がいるんだよ。ますますチュウスケは身動きできなくなってしまうねぇ。
ピィッ、ギャッ……
突然二つの魔物が闘いを始めたみたいだ。ものすごい地響きがして、雪の塊が振ってくるし、いつどこにでかい足が降ってくるかわからない。生きた心地がしないねぇ。
チュウスケは夢中で熊笹の根元に飛び込んだのさ。そして、穴を掘って隠れようと落ち葉を除けた。すると、そこに笹の実がびっしり落ちていたんだよ。いいや、落ちていたというのは間違いだね、絨毯を敷き詰めたようになっていたのさ。
『あった、こんなところにあった。これで皆を護ってやれる』
チュウスケは、ほっとして身を隠すことを忘れてしまったのさ。運がいいことに、魔物同士の闘いは終わったようで、どっちも遠くへ行ってしまった。
それから妻や、チュウタの奥さんにも手伝ってもらって納屋をいっぱいにしたのさ。笹の実を食べたから、大きかった身体がちょっとだけ小さくなり、殻を敷き詰めた寝床は夢のように温かくなったのだよ。
山の笹は、チュウスケたちにとって、とても大切なものだったんだねぇ。
話をおえると、おばあさんはこう言って僕の頭をコツンとしました。
「チュウヘイ、好き嫌いを言わずになんでも食べるんだよ。食べ終わったら歯磨きするんだよ」
そして自分も籾殻のコタツに首までもぐって、長い前歯を磨いたのさ。