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少女と神さまと魔導士の歯車  作者: 帆立
終章――未来のかけら
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第53話:追い求める

 青白い境界から上は、月が飾られた黒き宇宙。

 青白い境界から下は、雲が群れて泳ぐ蒼き地球。

 青白い境界――成層圏。その上を流れる円形の床にレキと鈴珠(すず)は転移していた。

 直径百メートルほどの正円。右回りに1から12までの数字が刻印されていて、それぞれ長さの違う二本の針の絵が中心を軸にして回っている。彼女らの足場となるその床は時計の文字盤を模していた。

 文字盤の中心に椅子がぽつんと置かれている。

 そこに、紅い髪の少女が座っていた。

 少女は落ち着きを取り戻していて、友人に向ける笑みを浮かべていた。

「ようこそ、アタシの領域『幽玄の宙』へ。カンゲイするわ」

「ここは……」

「宇宙を擬似的に再現した世界じゃ」

 美しさと同時にもの悲しさもこみ上げてくる。

 足場は視界の届く範囲までしかなく、調度品もドミナが腰を下ろしている椅子一つだけ。来客をもてなすお茶どころかテーブルの一つもない。ドミナの深層心理を具現化した世界は広大にもかかわらず、ちっぽけで空っぽだった。

「オナカが減ったわ」

 ドミナが腹をさする。

「あれだけ泣いたものな」

「レキってば、やっぱり今日はイジワルね」

「ドミナは何が食べたい?」

 問われ、ドミナはまぶたを伏せて思いを巡らす。

「……肉まんね。コンビニエンスストアというお店の肉まんがホシイわ」

 幻想的な世界に、生活感漂う二人の会話は不釣合いだった。

「コンビニには肉まんのほかにも、あんまんやピザまん、クリームまんもあるのじゃぞ。あんまんがワシの一押しじゃな。甘くてあったかいあんこが格別なのじゃ」

「まあ、そうなの。物知りなのね、狐の神サマは」

 何の変哲もない、歳相応の、友達同士の、普通の会話だった。少女たちの未来を分かつ局面にはやはりふさわしくなかった。

 りん、鈴の音がする。

 ドミナは転生珠(てんせいじゅ)を地球の蒼に透かして観賞する。地球と宇宙の狭間で孤独に過ごす少女の姿は、景色もろとも絵画として切り抜ける芸術的美しさを秘めていた。

「ドミナ、帰ろう」

「転生珠を手放した瞬間、アタシは二度とユメから覚めなくなる」

「他の道がある。無力な私ではまだその道とやらはわからない。だから一緒に探そう。神々が管理する『未来』とやらが絶望に閉ざされているだなんて私は信じない」

「オヅはしもべで、レキは友達以上のナニカ。二人とも好き。ただ、家族とは違う存在」

「彼や私では不足か」

「やさしいヒトはたくさんいても、肉親の代わりにはなれないのよ」

 椅子から立って、足元の地球を見下ろす。

「キズナの存在を証明してくれる血の繋がった親や兄弟。そんな人たちがいない世界って空虚に感じるの。そういう孤独を経験したことがあって?」

 レキはかぶりを振る。

「お前が抱える『そういう孤独』を私に共有させてくれ」

「お断りさせていただくわ。レキはミンナの頭上で輝く星ですもの。夜であっても太陽の光を借りて地上を照らす、導きの星……」

 異変はその直後に起こった。

 下から突き上げられる衝撃で床が揺さぶられた。

 レキと鈴珠は互いに支えあって縦揺れに耐える。

 足場が急勾配に傾く。滑落していくレキと鈴珠は床の縁に捕まってどうにか転落を免れ、床が水平に直るまでやり過ごした。

 第三の針として文字盤に伸びていたドミナの影が立体的に盛り上がる。自我を得た芋虫状の影はドミナの足元にまとわりついて這い上がる。

 ドミナが影に侵食されていく。

 彼女は抗わず、虚ろな表情で地球を眺めている。

 揺れる盤上を這いつくばってドミナのもとへ近寄ろうとするレキ。文字盤の外周から中央までは遠い。不安定に傾斜を変えていく盤上を転がったりよじ登ったりして、何が何でもたどり着こうとする。無情にも、伸ばした腕が紅い髪の少女を掴むより先に影はドミナの全身を包み込んでしまった。

 レキは少女の名を叫ぶ。

 友を呼ぶ叫びは宇宙に霧散する。

 人の形を保っていた黒い塊が溶けて潰れた瞬間、圧倒的な絶望がぶわっと落ちた。

 潰れた黒い塊が形を再構成していく。水溜り状から徐々に立体的に巨大に……。

 揺れが収まると、新たな生物ができあがっていた。

 一つの頭、二本ずつ生える手足。しかしその全貌は人の輪郭には程遠い。

 両手足には鋭い爪が生え、背後からはトカゲのしっぽが伸びている。岩をも噛み砕く牙が並ぶあぎと。灼熱も吹雪も跳ね返す変温性の分厚い皮膚。

 背を反らしても反らしても、その巨竜の全容は視界に収まらない。

 赤髪の少女を生贄に、原初の大地の覇者――竜王ティラノサウルスが成層圏上の文字盤に降臨していた。

 ――『私』は迷子だった。

 竜王からノイズがかった少女の声がする。

 ――長い間、さまよっていた。

 ――何が正してく何が間違っているのかわからない。

 ――だからレキが決めて。

 ――レキが勝ち取る未来なら私も信じられる。

「ドミナ、どうしてそんな……」

 竜王の膨れた腹の内部でオレンジ色をした高熱の塊が脈打っている。

 腹の筋肉が絞られて高熱の塊が喉から吸い上げられる。十分に吸い上げられて口に溜まると、竜王はその炎を吐き出した。魔女を生かすため、偽りの時を刻む世界『幽玄の宙』は火炎地獄と化した。

 敵を焼き尽くす灼熱の息吹は、鈴珠が巻き起こした聖なる風一陣にかき消される。

「おぬしも届かぬ願いを追いかけて深淵に足を踏み外したのじゃな」

 竜王が鼓膜を震わす咆哮を上げる。

 中空に出現した魔法円から雹のつぶてが降る。レキは禍津薙(まがつなぎ)でそれらを吸収した。

 レキは駆ける。

 文字盤のそこかしこで魔法円が浮かびだし、魔力の蔦が生えてくる。四肢を絡めとろうとするそれらを禍津薙で片端から切り払っていく。

 遠退く光を掴み取りたい。

 力の限り腕を伸ばす。節をちぎる覚悟で伸ばす。

 竜王に触れるあと一息のところで、ひときわ大きな魔法円が描かれた。

 刻印された魔法円が黒く塗りつぶされて虚無の穴となる。

 虚無の穴は急速に肥大化していって幽玄の宙を見境無く呑みこんでいく。貪欲な吸引力で黒焦げの椅子をまず呑みこみ、次にレキたちを引き寄せ、穴の中に引きずりこんだ。


 光も闇も無い虚無の世界。

 レキは終末の時を待っていた。

 想いは届かず露と帰した。

 力及ばず志は潰えた。

 竜王と化した魔女はやがて地上に降臨し、破壊の限りを尽くすだろう。あるいは神々と魔導会が彼女を討つか。どちらにしても悲しい結末である。自分たちを信じて待っている仲間たちを思うとレキは胸が張り裂けそうだった。

 虚ろな空間で独り、膝を抱いて座る。

 しょせん人間は皆孤独なのだ。無力な自分はあの少女の病を取り除く(すべ)を持っていないし、親愛の情も片恋に散る無様な最期を遂げた。レキはそんなふうに絶望し、諦観していた。

 ドミナが抱える虚無を共有できたことだけは幸運だと思っていた。

「腑抜けめが」

 何者かが叱咤する。

「ワガハイを退けた人間がこの程度で負かされるなど許さんのだ」

 足元に一匹の黒猫がいた。

「外道魔導士シグマ……どうしてここに」

「たかが小娘一人に敗北してはワガハイの沽券に関わるのだ。さあ、立つのだ。待っている者がいるのだろう?」

 はつらつとした少女が次いで現れる。

 快活そうなその少女は黒猫シグマを抱き上げる。

「コヨミ。希望の光は灯っているよ」

「スセリさん」

「アナタの心の炎は、確かにあの少女の胸にも火を灯した。あの少女はコヨミを『信じられる』って言っていた。ちゃんと聞いていたよね」

 はつらつとした少女――スセリが遠くを示す。

 遠い遠い先に、目を凝らさなければ見失っていたかすかな光が灯っていた。

「さがしたのじゃ、レキ!」

 息を切らした鈴珠がレキの背中に飛びついてきた。

「懐かしい鈴の音色がするほうへ進んでいったら……まさかおぬしじゃったとはな」

 レキは頭に手を触れる。

 ポニーテールを指で梳くと、付け根に縛られていた鈴の髪飾りが小さな音を鳴らした。

「往こうぞ。ぐずぐずしておれん」

「はい。二人もついてきてくれ」

「二人? 誰かおるのか?」

 黒猫と少女は忽然と消えていた。

 窮地で見てしまった幻影か。いや……とレキは思い直す。二人の声は確かに聞こえていた。完全な無の世界だからこそ確信が持てた。

 ――シグマ、スセリさん、ありがとう。

「ワシについてまいれ」

 光の灯るほうへ走る。小さかった光はだんだんと大きくなっていく。

 光源に到達する。

 白い『ドア』が虚無の中にぽつんと浮かんでいる。

 光はドアの隙間から洩れている。

 ドアノブを回してドアを開け放った。


 ドアが開け放たれる。

 超高次元領域『幽玄の宙』を喰らいつくそうとしていた虚無がまたたくまに消滅した。まるで、塞がりっぱなしだった暗い部屋に新鮮な風が吹き込んで、陽光が差し、陰鬱な空気が払拭されるかのように。

 文字盤の上に再び降り立ったレキと鈴珠の前に竜王が待ち構えていた。

「ドミナ・ティラノよ。如何なる魔法でもワシらの絆は断たれんぞ」

「ドミナ……泣いているのか」

 竜王の咆哮は悲しみを帯びている。

 三本の爪が伸びる右脚を伸ばして、竜王は二人を圧殺しようとする。鈴珠はレキを抱えて飛び退き、攻撃を回避する。浴びせられた灼熱の息吹も、腕の一薙ぎで起こした風で打ち消した。

 レキは禍津薙を両手で握り締める。

 その手に鈴珠の手のひらが添えられる。

 表なる神と裏なる神の力が融合し、禍津薙から光が噴出した。

 光は宇宙の果てまで伸びる剣のかたちとなった。

「ドミナ、さびしいのはこれっきりだ」

 竜王が叫び、大顎が限界まで開かれる。

 喉の奥に溜まる灼熱と魔力が合わさった、高熱の光線が発射された。

 ――やらせぬ。

 具現化した禍我(まが)が二人の盾となる。高熱高出力の光線を浴びつつも竜王を雷で撃ち、照射を逸らした。力を使い果たした禍我は実体を維持しきれなくなって消え去った。歯を食いしばりながらレキは心の中で邪神に感謝を述べた。

 竜王は再度息を吸い込む。

 直後、二人の前に人の姿がうっすら、かげろうのごとく立ち昇った。

 懐かしい、銀色の髪。

 彼が手をかざすと、光の障壁が目の前にそびえる。

 放たれた二射目の光線は魔法の障壁で拡散された。障壁は砕け散り、無数の破片となって竜王の皮膚を切り裂いた。

「お前も見守ってくれていたのだな」

 銀髪の彼は薄く微笑む。

 彼は、たとえるなら真夏のまぼろし。

 かげろうは揺らめいて消えた。

 鈴珠の手がレキの拳をぎゅっと握る。

「レキや、怖くはないか」

「鈴珠さまがそばにいらっしゃるなら、恐れるものなどありません」

「そりゃあ嬉しいのう」

 八重歯を晒して肩を小さく揺らし、あどけなく笑う。

「ワシも同じじゃ。レキ。ずっとずっとずっとずっと……一緒にいようぞ」

 目を細め、微熱に頬を染めた。

 レキと鈴珠は息を合わせて――光の剣を振り下ろした。

 竜王が光に包まれる。

 いにしえの覇者の姿が分解されて人の形に逆行していく。

 りん、と鳴った転生珠が宇宙空間に放りだされる。

 禍津薙の光に転生珠が共鳴し、膨大な光を生みだす。

 禍津薙がばらばらに壊れ、レキたちの手からこぼれて宇宙の風に流されていく。

 剣のかたちに集束していた光が転生珠の光と混じって、幽玄の宙に広がっていく。

 偽物の地球が消え、偽物の宇宙が消え、永劫を刻む文字盤が消え、物理法則が消え、領域を構成するあらゆる概念が光に包まれて消え去った。少女を蝕む呪いも、怯えや不安も一緒くたに……光に巻き込まれて消えた。

 闇を内包した光。

 その光はまぶしく、

 その光は強く、

 その光は無限大で、

 その光は愛に溢れていた。

 ただただ光ばかりが輝いている。

 光は――残された子供たち三人を抱擁する輝ける海となっていた。

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