第51話:鬼門突破
けたたましき雷鳴。
夜の空を裂き、超高次元領域『禍我の檻』から現れた邪神、禍我。
天空の裂け目から地上に頭を垂らすその黒き大蛇がもたらす轟雷により、博物館を守る魔女の結界は破壊される。
禍我は博物館の外を哨戒する四足歩行型と二足歩行型の恐竜たちを呪縛によって無防備にし、片端から丸呑みにしていく。博物館内部から駆けつけた援軍の小型恐竜たちも同じ運命を辿った。邪神の名に相応しき豪快な戦いぶりだった。
――我が主、加賀暦よ。
禍我の声がレキの頭の中に響く。
――あの『たまご』は現世の外なる概念。あればかりは余の手には負えぬ。
禍我の大立ち回りの余波でビルは損壊し、自衛隊や報道関係者は逃げ惑い、装甲車はつぶれたりひっくり返ったりしている。そういった荒れ放題の中、博物館の屋根に乗った魔女の『たまご』は無垢なる純白を保っていた。
「私たちはどうすればいい?」
――『たまご』を創りだした者を討つのだ。
「ドミナか」
「やはりワシらが直接引導を渡さねばならぬか」
神社の前に停めていたフィオの軽四自動車にレキ、鈴珠、クルス、フォルテが乗り込む。最後にフィオが運転席に飛び乗った。
「さあ、全速力で行くわよ。しっかり掴まっていてね」
フィオが操る車は鋭い切れ味でカーブを曲がった。
禍我召喚の混乱と闇夜に乗じたおかげで、科学博物館には拍子抜けするほど簡単に近づけた。
正門手前の空間が波打っている。結界が修復されている。
再び禍我を呼ぼうと禍津薙を構えるレキ。それを鈴珠が「待つのじゃ」と制した。
「反対方面も確かめるぞ。どこかに『鬼門』があるかもしれぬ。鬼門とは結界の力が弱い箇所。そこならばワシらの力で突破できるはずじゃ」
果たして鈴珠の言ったとおり、博物館裏口付近の結界は正面よりも波打つ力が弱かった。
フィオが銀の銃を鬼門に向けて構える。
銃身の先から魔法円が出現する。
銀の銃から無機質な音声が流れだす。
――魔導会サーバーとの接続……オフライン。体内魔力接続……大魔導士フィオ認証成功。保有魔力SSS。全能力解放を許可。
続いてフィオが詠唱を始める。全身を魔力でできた薄い膜が覆う。
「魔導聖別弾『対魔法ペネトレイトバレット』装填。魔力駆動作動。防護バリア展開。最終セーフティ解除――発射!」
引き金を引いた瞬間、フィオの身体が発射の反動で後ろに弾かれた。
射出された銃弾が鬼門を撃ち抜く。
鬼門が砕け散ると、強固だった周囲の結界も連鎖して崩壊していった。
防護バリアの機能を果たした薄い膜が消える。振り返ったフィオはぽかんと口を開けていた。
「びっくりしたわ。実戦で使うのなんて二十年ぶりくらいですもの」
「魔導会に返却しないままくすねてきて正解だったね」
眼鏡のズレを直すフィオにフォルテがいたずらっぽく言った。多量の魔力を消費してふらつく彼女をクルスが支えた。
ひとけのない館内を控えめな照明が照らす。
四人と一匹の床を蹴る硬い足音が反響する。
エントランスを駆け抜けて奥へ奥へ。
大型の装置や模型を展示するための館内中心部円形フロアに到達する。
中央の台座にそびえ立つティラノサウルスの模型。
その足元に大小二つの影。
「ゴキゲンよう、レキ。待ちきれなくて迎えにきちゃった」
紅蓮の魔女ドミナと黒騎士オヅがいた。
ドミナが息を弾ませて近づいてくる。
レキのつま先前まで接近すると、小生意気な上目遣いで下から覗いてきた。いじらしい、人懐っこい仕草だった。
「アタシ、レキが来るまでずっと待ってたんだから。サ、行きましょ」
冷たい手がレキの手首を掴む。催促されてもその場に留まっていると、ドミナはじれったそうに手を引く力を強めた。
「ドミナ、お前はこれから何をするつもりなんだ」
「言わなかったかしら。永劫の命を得て、それから世界をメチャクチャにするのよ」
自覚しているのか無自覚なのか、あっけらかんと恐ろしいことを言ってのける。一笑に伏せてしまえる幼稚な野望も彼女ならばやりかねない。彼女が魔女と恐れられている証拠を目の当たりにしてしまったレキは胸が締め付けられた。
「不治の病から逃れたいのはわかる。しかしだ、それが世界を滅ぼす理由にはならない」
「なるワ」
ドミナは断言する。
「でしょう? 大魔導士サマ」
名指しされたフィオがすくみあがった。
「アタシのお父さんとお母さんをコロしたの、楽しかったかしら?」
まるで旅行の感想を求めるかのような軽い調子で尋ねる。未熟な子供の心無い悪意に、成熟した人間限定の冷酷さが備わっていた。
皆の視線がフィオに注がれる。
正義感も使命感も罪悪感ごと、フィオは感情全部、照明の光を反射する銀縁眼鏡の奥に封じ込めている。唯一感情が知れる口元も固く結んでいる。
ドミナはあざ笑う。
「皆さんご存知? 十年マエだったかしら。アタシがエリカ……は前の前の名前だったわ……そうそう『エカテリーナ』として暮らしていたときの話。アタシの里親をある日、この人とその取り巻きが連れ去ってね、殺したのよ」
「ふざけるな!」
クルスが怒りに任せて電撃を放つ。
ドミナがローブをひるがえす。
枝分かれして襲い掛かる稲妻は魔法遮断効果を持つ紅いローブに受け流された。
「今日みたいに雪の積もった夜だったわ。ベッドに眠るお父さんとお母さんにオヤスミのあいさつをしようとしたとき、あの人たちが押しかけてきたのよ」
涼しげに髪をかき上げる。
「原因の一端はキミにもある。キミが――」
「待って、フォルテ」
フィオはフォルテを抱き上げる。
「そこから先は私が言わなくてはいけないから」
慈愛を備えた、救国の聖女に似た強い表情をフィオは取り戻す。
「ドミナさん。あなたが不老の魔法と偽りの名前で常夜病保菌者であるのを隠していたから、感染したご両親に魔導会もしかるべき措置を取れなかった。健常者の社会に混じる末期の常夜病感染者がどれだけ危険な存在か、今のあなたなら理解できているはずよ」
「そんなイイワケで何人殺してきたのかしら?」
「いっぱいよ。いっぱい」
苦い胆汁を飲み干すように答える。
「あなたと同じ、泣いて追いすがったり、逃げて行方をくらましたりする子はいっぱいいたわ」
ドミナの余裕がそこで初めてほころぶ。
そのほころびもすぐに繕ってレキに標的を変える。
「この人たち、感染者をみーんな絶海の人工島に捨てていたのよ。死んだら深い深い穴に埋めたり、細切れの研究材料にしたり。ときどき、生きてるヒトもね。そんな人たちが神さまの加護を受けて世界を裏で牛耳ってるなんて、おかしくなくて?」
「こやつの妄言に耳を貸すでないぞ!」
鈴珠が声を荒らげる。魔女の嘲笑は揺るがない。
「レキは信じてくれるわよネ」
成り行きを見守っていたレキは感情を抑え、慎重に唇を動かす。
「確かに、人道から外れた行為だ」
「でしょ? そうよネ?」
味方を得たドミナは勝ち誇る。
束の間の勝利は、レキが続けた次の言葉で脆くも崩れた。
「だからといってお前の狼藉は見過ごせない。ドミナ、お前がやろうとしているのは単なる八つ当たりだ」
「レキはアタシがキライなの?」
「好きさ」
「なら――」
「好きだから間違いを正したい」
「……ドウシテよ」
涙ぐんで憤慨するさまは、わがままが通らなくてぐずる子供そのもの。
「アタシ以外のミンナも不幸にならないと不公平じゃない。返して。アタシの最初のお父さんとお母さん、二番目のお父さんとお母さんを返しなさいよ。お父さんたちの言いつけを守っていい子にしてたのに!」
憤りに任せた切実なる訴え。
理性の制御を振り切ったドミナの氷雪魔法が暴走する。
吹きすさぶ風に乗った無数の氷刃が広い空間を飛び交って、ティラノサウルスの模型や照明、ガラスなどを無差別に切り刻んでいく。脚の付け根を貫かれたステゴサウルスの骨格模型がばらばらに崩壊した。
荒れ狂う吹雪。
悲痛な叫びが広い館内にこだまする。レキたちは床に這いつくばって猛吹雪に耐える。
吹雪が止むと、フロア内は雪と氷でめちゃくちゃに壊されてしまっていた。
「……みんなキライ」
身も心も芯まで凍りつかす、呪いを籠めた言葉。
声を枯らしてからのドミナは凍れる殺人者に変貌していた。レキの知るおませな少女はなりを潜め、魔女の仮面を乱れた髪の下に被っていた。
「オヅ、今度はちゃんと全員殺して。レキも別にイイわ。後で生き返らせるから。ついでに精神魔法で脳みそいじくって、アタシをずっと好きでいてくれるようにする」
ミンナ壊してやる。
握っていた手を離して去っていくドミナをレキは追おうとする。しかし、黒騎士が行く手を遮り、緋色の魔女は階段を使って階上に行ってしまった。
剣の柄に手を伸ばした黒騎士が、甲冑の内から物言う。
「サムライの少女よ。我が主と共に異界へ赴き、魔王陛下の騎士となるのだ」
「馬鹿を言うな!」
「世界を滅ぼした魔女の移住先というわけだね。用意周到だ」
フォルテがフィオの腕をすり抜けて床に着地する。レキが無茶をしてもすぐに援護できる距離に位置を取った。黒騎士の説得を試みようとするレキは禍津薙を懐にしまったままだった。
「サムライの少女よ。我が主は汝を好いている」
「私だって同じだ。黒騎士オヅ、道を開けてくれ」
「先代の主よりあの方の守護を仰せつかった」
「お前ほど聡明な騎士ならドミナの過ちくらいわかっているはずだ」
「我は主の善悪を問う分際ではない」
「それがお前の騎士道か」
全身を包む甲冑と同様、黒騎士の信念は堅固だった。
「剣を抜いたより先、言葉は不要」
黒騎士の左右に魔法円が出現し、二足歩行の小型恐竜二匹が召喚された。
天秤はどちらに傾くか。
黒騎士は戦いの結末に、互いの信念の正さを懸けていた。




