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少女と神さまと魔導士の歯車  作者: 帆立
十一章――蒼き月のかかる夜
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第41話:神々の書庫『至宝封印区画』

「ワシは幸運だったのじゃな」

 鈴珠(すず)は湯船に肩まで浸かる。

「よしんば父上が仕組んだ宿命だったにしても、レキと会えてワシは幸せじゃ」

 膨らませた手ぬぐいを沈め、水泡が湧き出るのを楽しんでいる。

「レキでなかったら、スセリを殺した事実に耐え切れんかったじゃろう」

 孤独な魔女ドミナと己の境遇を重ね合わせたせいで、今夜は一段と感傷的になっている。

 湯船の縁から頭を覗かせるしっぽが水気を含んだ自重で折れる。狐の耳も力なく前のめりに倒れていた。

 鈴珠が温まるまでレキはシャワーを浴びてリンスを落としていた。背中に触れるまで伸びた長い髪を丁寧に洗っていた。男勝りな性格が直らないならせめて外面だけでも、と烏の濡れ羽色をした黒髪をレキは日ごろ大事に扱っていた。

「スセリは禍津薙(まがつなぎ)に魔力を満たさんと、多くのサムライの命を奪った。豪族加賀家は船事故で跡取りを亡くした挙句、娘の殺生が世に知れて零落した」

 スセリとレキが許しても、彼らはワシを許すまい。

 弱々しく独りごつ。

「ワシに幸福を噛みしめる資格はあるのじゃろうか」

 膝を抱えて鼻から下を湯に沈めた。

「見知らぬ未来に独り置き去りにされた時点で、鈴珠さまは充分に罰を受けています」

 目覚めた世界の文明は様変わりしており、我が家は失われ、両親やアズマ、伊勢やモモたちも老衰でこの世から去っている。そんな現実に直面したら自分なら立ち直れまい。あまつさえ友人を殺めたのを知ってしまったら――レキは想像しただけで心細くなった。

 罪の自覚が大事でも、あらゆる災難の引き金を己に結び付けていては際限がない。無二の友人が罪悪に打ちひしがれるのをスセリは望んでいない。鈴珠が己の過ちに納得のいくかたちで決着をつけるのを、レキは日々、辛抱強く待っていた。

「大変じゃぞ!」

 シャワーを止め、顔面に張り付いていた前髪をかき上げると、鈴珠が風呂場の窓を全開にしていた。おまけに全裸で窓枠から乗り出している。レキは身体を縮こまらせて風呂桶で胸元を隠した。

 鈴珠の指先は空を示している。

 晴れた夜空に蒼い月がかかっていた。


 レキ、鈴珠、クルス、フォルテの四人勢ぞろいで一階の管理人室に乗り込んだ。

 夕食を食べていたアズマは急かされるままミニバンを発進させた。

「ったく、保護者をこき使いやがって」

 目指すは真白(ましろ)大社。車で急げば二十分で着く。ホテルに滞在しているフィオとは真白大社で落ち合う予定となっている。

 蒼い月に照らされる地上と人家がほのかに青みがかっている。

「大気中の魔力が増大しているね」

「ああ。肌がぴりつく」

 クルスが中指と親指を擦らせる。

 電気が弾ける音がして小さな火花が散った。

「真白さまは禍津薙を封じるために降臨されるのだろうか」

 可能性は低いね、とフォルテは否定する。

「愛しの娘を護らせる武器をキミから奪うとは考えづらい。推測されるのは――」

転生珠(てんせいじゅ)の復活か」

 クルスがフォルテの台詞を引き継いだ。

 鈴珠が着物の胸元を開いて転生珠を取り出す。真白大神降臨の前兆に反応しているのか、灰色に濁る宝珠型のアーティファクトも薄青色に明滅を繰り返している。

 妖しく光る転生珠に気を取られていたせいで、ミニバンが急停止した反動で助手席のレキは激しく前後に揺さぶられた。後部座席の三人も前のめりに崩れてしまっていた。

 アズマのミニバンは大通りのど真ん中で停まっていた。

 百メートル手前には立派なたたずまいをした真白大社の敷地が広がっている。

 五人はミニバンを降りる。

 昼夜問わず交通量が多いはずの真白大社前大通りは、今夜は一台の車も一人の人間も通っていない。だだっ広い四車線の道路がすっきり見渡せる。交差点ごとに立つ信号機は黙々と仕事をこなしている。木々の葉擦れを阻む雑音すらない、不自然な静寂が夜を支配していた。

 アズマが目の前の空間を上下左右になでる。

「なんなんだこりゃ。いきなり車が走らなくなるわ透明な壁があるわ」

「真白大社を中心に護法結界が張ってあるのじゃ」

 鈴珠が護法結界と呼ぶ不可視の壁は、招かれざる客のアズマが真白大社に近づくのを拒絶していた。フィオからの着信によると、彼女も結界に阻まれて先に進めないという。結界の向こう側へ通り抜けられたのはレキと鈴珠、クルスとフォルテの四人だけだった。

 人払いの魔法。不可視不可侵の護法結界。

 疑う余地もなく真白大神が仕掛けたものである。

「俺はここで待ってるから、さっさと用を済ませこい」

 アズマはジャケットの胸ポケットからライターを出す。

「お前たちの心に燦然(さんぜん)たる光があらんことを」

 ライターの火にタバコの先を触れさせた。

「アズマ。おぬし今何と言った?」

「ほら、早く行ってこい。親父さんが痺れを切らしてるぞ」

 四人は護法結界を越えて真白大社へ向かう。

 アズマはタバコをくゆらせながら若人たちを見送っていた。


 大通りに面した入り口から鳥居をくぐり、境内に入る。

 真白大社を囲む鎮守の森は荘厳たる空気に包まれている。

 幾星霜を生きてきた巨大な(くすのき)がいくつも天に伸び、枝を伸ばし、葉を茂らせ、冬の夜空にふたをしている。大木が連なる道を歩くうち、小人になったかのような錯覚をレキはしてしまう。

 頭上でささやく葉擦れは、さながら神々のささやき。

 歩を進めるたびに砂利が音を鳴らす。

 本殿に続く参道を四人はまっすぐ進む。霊的な寒気を肌に感じたレキは鳥居をくぐってから身震いが止まらなかった。他の三人も言葉少なく砂利を鳴らしていた。

 鎮守の森を抜けて、いよいよ本殿が構える広い境内に到達した。

 白色と茶色を基調とした豪奢な本殿が青白い色を帯びている。

 それよりもはるかに巨大な、狐の姿を借りて烏帽子を被った大いなる氏神――真白大神が数多の狐火を従えて境内の中心にたたずんでいた。樹齢千年の楠の森を悠々と見下ろす彼もまた月の蒼に薄く染まっていた。

「父上!」

 鈴珠の呼び声に真白大神が少し遅れて反応する。

「来たか、鈴珠よ。加賀の末裔よ。魔導士よ。偽りの魂を注がれし紛いの獣よ」

「わたくしたちのために御力をお貸しくださり、感謝いたします」

「神格の大半を封じられていようと、そちは余の姿と力を濃く受け継ぐ娘。本来なら転生珠の復活も容易いはず。余は人間の営みに身を落とすためにそちを葛籠(つづら)に封じたのではないぞ」

「……わたくしは不出来な娘です」

「余の娘でなければ、加賀スセリと同じ末路を辿っていたであろうな」

 父の口からその名が出て、鈴珠の全身がびくっと震えた。

 絶望の色を濃くして怯える彼女をレキがかばう。レキの背に隠れる鈴珠は歯を食いしばって呼吸を荒らげていた。

「真白さま。鈴珠さまは罪の重荷を充分に背負ってきました」

「因と果は結びつき、罪もまた罰と結びつく。ならば後は購いを果たすまでよ。神の領分を超えて人間に深入りした罪……鈴珠よ。その罰、神格の剥奪と時空の放逐だけでは済まぬぞ」

 真白大神の双眸が最大まで開かれる。

 目の前の空間が突如ねじれ、神隠しの渦が出現する。

 渦の先には書架の回廊が歪んで映っている。

「さて、狐の神さま。この先には何が待ち受けているんだい?」

「往けば(わか)る」

 神隠しの渦はみるみる巨大化していって四人を飲み込んだ。


 転移した先は超高次元領域、神々の書庫。回廊の終端だった。

 通路のつきあたりには木製の扉がある。

 扉の向こうは、四辺を書架が囲む正方形の広間になっていた。

 広間の書架には書物以外に水晶玉や羽ペンといった小物の類から、刀剣や弓矢まで保管されている。こんな場所に保管されているのだから、何かしらの力を秘めたアーティファクトであるのは確かである。

 部屋の中央には杯の形をした奇妙な台座がある。

「魔導会が禁書指定している魔導書だと」

 書架の書物を手に取ったクルスのいつにない大声が、広間に反響する。

 フォルテも焦りが窺える早足で部屋の外周を回っている。

「本部の資料に記されている魔導書がいくつも並んでいるね。この書は……世界を一夜で塵に帰す危険性から焚書の憂き目にあった、いわくつきの魔導書じゃないか。どうやらこの部屋に所蔵されている書物すべて禁書の類らしい」

「魔導書ばかりではないぞ。向こうの棚には未来を記した書物まである」

 もったいぶった歩みで鈴珠は部屋の中央に立つ。

「ここは神々の書庫最奥――至宝封印区画じゃ」

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