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少女と神さまと魔導士の歯車  作者: 帆立
十一章――蒼き月のかかる夜
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第40話:束の間の解氷

 ドミナが昏睡してからまる三日が経った。

 職業が職業であるゆえ、一般の医者に診てもらうわけにもいかない。冬休みとクリスマスが目前だというのに、レキの焦燥は募るばかりであった。

 ドミナはレキの部屋の布団ですやすやと眠っている。

 体温と脈拍に異常はない。血色もよい。魔力が不足しているわけでもないとフォルテは言っていた。三日間一度たりとも目覚めない異常を除けば、普通に眠っているのと何ら変わりない。それがレキを安心させ、また不安にもさせた。

「今は経過を観察するしかないわね」

 フィオはドミナのか細い腕に栄養剤を注射する。注射器に満たされていた液体を体内にすべて押し込むと、針を抜き、アルコールを含ませた綿で消毒した。大魔導士といえど、魔女が眠り姫に陥った原因が不明では、気休め以上の処置は施しようがなかった。

「以前から似た症状や兆候はあったのかしら?」

「以前も何も、知り合ってから日が浅いもので、はい」

 気まずそうに言い淀むので、フィオに訝られた。

 魔王すら目にかける稀代の魔導士であること以外でレキが知っているのは、ドミナが肉まんと恐竜をこよなく愛していることくらいである。黒騎士の次に好かれている自分にちょっとした優越感を覚えていたレキは、手の打ちようのない現状を前にしてそれが愚かな自惚れだと痛感した。

 後悔のさなか、心当たりのある場面が一つ、ふいによぎった――外道魔導士シグマとの決戦の夜、ドミナが返り討ちに遭って気絶していた場面だ。

 シグマに転生珠の助力があったのを差し引いても、黒騎士を従えるドミナが昏倒するほどの痛手を許してしまうものなのか。レキのちょっとした引っかかりは、今日になって確信的な疑問に変わった。

 あの後ドミナは一日で昏睡から覚めた。激闘の末に魔力が枯渇したのだろう、とあのときはフォルテとクルスも別段問題視していなかった。

「似た状況があったわけね。ただ、それだけで今回の昏睡と結びつけるのは早計かも」

 テープで固定した綿が剥がれないよう、フィオは慎重にドミナの袖まくりを戻す。

「魔女ドミナに持病があっただなんて、魔導会の上層部も聞き及んでいないはずよ」

「すみません先生。厄介ごとばかり持ち込んで」

「前にも言ったけど、魔導士にまつわる問題は私たち魔導士の管轄よ。コヨミさんが気に病む必要はないわ。それに――」

 フィオは一呼吸置いて続ける。

「クルスさんの暮らしぶりも一度拝見したかったの。元家庭教師としてね」

「なら、しばらくはクルスの部屋に泊まるのですか?」

 他意なくレキが尋ねるとフィオは「まさか」と首を横に振った。

「多感な年頃の男の子とはさすがに、ね。駅前のビジネスホテルにウィークリーで予約してあるから、ひとまず一週間は花尾に留まるつもりよ」

 男女の性に疎いレキはフィオの言わんとしていることを二、三度熟考した後、赤面した。

「大正の時代ですら、おぬしよりうぶな娘はおらんかったぞ」

 鈴珠(すず)にまで呆れられてしまった。


 フィオの黄色い軽自動車がアパートを去るのと入れ違いに、アズマのミニバンが駐車場に停まった。

 大慌てで車から出てきたアズマが、レキの肩を必死の形相で揺すりながらまくしたてる。

「おいおいレキ。俺に抜けがけで眼鏡の美女を部屋に連れ込んでいたのかよ」

「アパートの管理をほったらかして何日も留守にしていた挙句、開口一番それですか」

「田舎の親父がぎっくり腰でぶっ倒れたんだよ。空き部屋だらけのこんなオンボロアパート、ちょっと離れたくらい平気だろうが。くそっ、眼鏡の美女が訪ねてくるなら、親父なんて相手にしないでアパートに留まってりゃよかった」

 白けるレキをよそに、アズマは大真面目に悔しがっていた。

 昏睡したドミナを部屋で看病している旨を伝えると、アズマは打って変わって「また厄介ごとに首突っ込んでるのか。まっ、せいぜい頑張れ。できる限り力になってやるよ」と妹分をさわやかに応援した。

「アズマさん、一つお尋ねしていいですか」

 管理人室に戻ろうとするアズマを呼び止める。

 わけのわからない質問をしようとしてるのを自覚しているレキは、呼び止めたまではよいもののそこでためらってしまう。

「赤ん坊の時分から面倒見てやってる俺に何を遠慮するっていうんだ?」

 どーんと飛び込んでこい、とアズマは胸を叩く。

 おしめすら替えてもらった男に、今更恥じらってもしょうがない。レキはここ数日抱えていた一つの疑惑をアズマ本人に打ち明けた。

「アズマさんは、えっと……もしかして、神さまだったりしますか?」

「は?」

 案の定、アズマの眉が寄った。

 禍我(まが)が再現した過去の世界で、東目命(あずまのめのみこと)というアズマに瓜二つの神が、真白(ましろ)大神と連れ添って禍我と戦っていた。外貌ばかりでなく言動もアズマそのもので、もはやそっくりさんの域を脱していた。

 荒唐無稽な話を詳しく話せば話すほどアズマの眉が傾斜をきつくしていく。だんだんとむなしくなってきたレキは次第に語気が弱まっていった。

「……レキ。お前疲れてるんだよ」

 アズマはレキの額に手を当て、熱がないか測った。

「俺が神さまなら、きらびやかな宮殿建てて美女でもはべらせてるよ。何が悲しくて安アパートの大家をやらなきゃならないんだ」

 管理人室のドアノブを捻るアズマを、レキはもう呼び止めなかった。


 陽が沈まぬうちに鈴珠と夕飯の買出しに出かけた。

 一時間ほどの外出を終えてアパートに帰ると、居間の光景を目にしたレキは驚愕のあまり、両手に持っていた買い物袋を床に落としてしまった。

「魔女がおらんぞ!」

 鈴珠が素っ頓狂な声で叫んだ。

 はだけられた布団はもぬけの殻だった。

 勉強机の隣の窓が開いており、吹き込んでくる木枯らしでカーテンがやかましくはためている。窓枠に手をついて身を乗り出したレキは、ぐるりと冬の空を見渡した。空の彼方に、ホウキにまたがって風を切る魔女の後姿があった。

 最悪の展開を予感するレキに追い討ちをかけるかのように、葛籠(つづら)を覗き込んでいた鈴珠が悲鳴を上げた。

転生珠(てんせいじゅ)がなくなっておる!」

 葛籠を持ち上げてひっくり返しても、上下に振っても、底を叩いても、塵がぱらぱら降ってくるだけで転生珠は現れなかった。

「やはりあやつ、転生珠を虎視眈々と狙っておったのじゃ。レキの良心につけ込むとは小ずるい奴め」

 肉まんにむしゃぶりつき、ほっぺたを汚す子供っぽい横顔。母親から受け継いだ子守唄を歌う無垢な一面。恐竜の模型に胸をときめかせてはしゃぐ天真爛漫さ――すべて自分をだますための演技だったとでもいうのか。ドミナのあどけない仕草の数々に直に触れていたレキは、彼女が狡知を働かせて転生珠を盗むなど到底信じられなかった。

「ワシは魔導士の小僧と白猫どのを呼んでくる」

「いえ、お待ちください」

 クルスたちの部屋に行こうとする鈴珠の腕をレキは掴む。

「私に、私にしばし猶予をください」

 居ても立ってもいられなくなったレキは部屋を飛び出した。


 ドミナが飛び去った方角を駆ける。

 ホウキにまたがった魔女がどこへ向かっているかなど皆目見当つかない。だからといって手をこまねいているのはレキの性分ではなかった。

 くるぶしまで積もった雪を踏み荒らして猪突猛進する。

 町中を散々駆けずり回って、靴下までびしょぬれになったころ、とうとう真白神社近くの公園でドミナを発見した。

 立派な樹木が周囲に茂る広い公園だったので、木立の間に垣間見えた赤髪を危うく見逃してしまいそうだった。ドミナはとりわけ大きな木の幹に手をかざし、魔力を送り込んで(もしくは吸収して――レキにはどちらなのか判別がつかない)いた。

 肩を激しく上下させながらぜえぜえ息を切らすレキに、ドミナは「あら、ごきげんよう」と普段の大人ぶった態度で挨拶をしてきた。

「ドミナ、捜したぞ」

 汗で蒸れる首もとを袖で拭う。

 レキの頬や顎の先から玉の汗が止めどなく落ちて雪を穿つ。

「サガした? アタシを? どうしてかしら?」

 ドミナは首をかしげて頭に疑問符を浮かべている。

「言伝もなく私の部屋からいなくなったからだ」

 それで合点がいったドミナは「そっか」と両手を合わせた。

「アタシが寝ていたのはレキのおヘヤだったのね。だから転生珠もあったのね」

 その彼女の反応で、レキははっと目が冴えた。

 三日間昏睡していたドミナからすれば、目が覚めたレキの部屋は見知らぬ場所だったのだ。ドミナの話によると、自分が気を失う直前の場面もおぼろげであったらしい。なるほど、それなら何者かに連れ去られたと勘違いして逃げ出すのも仕方ない、とレキは嘆息した。

 ドミナは素直に転生珠をレキに返した。

「この辺りはね、小規模の龍穴になっているの」

 龍穴の魔力を借りれば転生珠をよみがえらせられるかもしれない。そう目論んだドミナは樹木を導管に利用し、龍穴から魔力を吸い上げようと試みていたという。転生珠が未だ無垢なる輝きを取り戻していない状態から、成否は聞かずともわかっていた。真白神社の聖なる結界が龍穴を守護している、とドミナは悔しがっていた。

「惜しいわ。レキをビックリさせてあげようとしたのに」

「私はもう充分驚かされたよ。何日にも渡って眠り続けるのは今回が初めてなのか?」

「チガウわ」

 ドミナはゆらゆらと楽しそうにブランコを漕いでいる。

 アタシ、タブンもうすぐ死ぬわ。

 一年ごとから半年ごとに、半年ごとから隔月ごとに、隔月ごとからひと月ごとに。半日からまる一日、まる一日からまる二日、まる二日からまる三日。ドミナの昏睡は間隔も期間も、日に日に悪化していた。

 刻々と意識を蝕む己の病を、ドミナはまるで他人事であるかのような淡々とした語り口でレキに話した。昏睡に陥る原因はわかっているという。ただ、現段階ではレキにそれを告げるつもりはないとのこと。

「私では信用ならないか」

「イイエ。レキに幻滅されたくないからよ」

「私とて鬼や邪神とまみえた身。胆は座っているつもりだ。わずかでもいい。ドミナに助力したい」

「やさしいのね。他の人たちはみんな、アタシに殺されるんじゃないか、ってびくびくしながら接してくるのに」

 慣性に乗ってブランコから高く飛び降りたドミナは、雪が積もる地面に着地する。

 木の枝で羽を休める小鳥に手を伸ばす。

 小鳥は羽ばたいて飛び立ってしまった。

 振り向きざまにドミナは、氷の刃の切っ先をレキの喉元に突きつけた。

「転生珠の力がよみがえったら、アナタのカラダをちょうだい。レキの健康な身体に憑依できたら、アタシはアナタの望みどおり生きながらえるもの」

 垢抜けた少女の上品ぶった笑みは、殺戮者の冷酷な笑みに豹変していた。

 刃を向けられながらもレキは止水のごとく動じず、口をつぐんで黙していた。魔女の冷笑に対抗する、侍の深き瞑想であった。

 沈黙から数秒後、レキは氷の刃をおもむろに素手で握った。

「お前の死を憂う私がいて、私の死で悲しむ人もいる。私の命もドミナの命も、代え難き唯一無二の存在だ。お前の要求には応じかねる」

 握る手に少し力を籠めただけで、氷の刃ははかなくも砕け散った。

 ドミナは不愉快そうに眉をひそめた。

「ウソツキね。狐の神さまや金髪魔導士のためなら命をかけるくせに」

 機嫌を損ねた彼女に正論は逆効果になりかねない。だからレキは、あえて言い返さなかった。その対応は裏目に出てしまい、聞き分けのない幼子扱いされていると勘違いしたドミナは余計にへそを曲げてしまった。

 拗ねてぷいと顔を背けるドミナの姿が、むずかる鈴珠と重なった。

「今のも冗談。ジョウダンよ」

 つま先を軸にくるりと振り返ったドミナは舌を出していた。

「だって、レキに死なれたらアタシ悲しいもの」

 レキの胸元まで急接近したドミナは、彼女の頬に愛しげに手のひらを添える。細めた瞳は潤って、曇り空から透けるかすかな夕陽を映してきらめいていた。

「お姉ちゃん……は違うかな。お母さん……もチガウ。レキは友達って呼ぶよりずっとずっとずっと大事な人。恋人でもないし。なんだろう。ねえ、レキ」

 甘ったるい声。熱い吐息が首筋にかかる。

 危険な魔性の魅惑を察したレキはドミナをやんわり引き離した。

「ドミナ。私の住んでいるアパートの場所、憶えているな?」

「ええ、オボエているわ」

「お前が孤独な生活を送っているなら、決心がついたらでいい。私のところに来て欲しい。空き部屋ならいくらでもある。命を差し出すのは無理にしても、お前の心を温める程度なら可能なはずだ」

 ドミナの顔にぐにゃり、しわが寄る。

 どうにか持ちこたえたドミナは普段どおりの強がりな、大人びた笑みで外面を繕った。

「嬉しい。でも、キモチだけ受け取らせていただくわ」

 ごめんなさい。今はマダ無理なの。

 近寄ったり遠退いたり、魔女の心は移り気だった。

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