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少女と神さまと魔導士の歯車  作者: 帆立
十章――見えざる糸
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第37話:光輝く意志によって

 神隠しの渦からレキは、禍我(まが)のこしらえた世界に踏み入った。

 強烈な日差しと(せみ)の喧騒がレキを出迎える。

 そして立派なたたずまいをした鈴珠(すず)神社が、ここが八十年前の現世だと教えてくれた。

 真夏であるはずなのに気温は暑くもなく寒くもなく落ち着いている。禍我が過去を再現しているのだろうとレキは推測した。その証拠に、神社から離れようとすると不可視の壁が行く手を阻む。今は禍我の意図に従うしかなかった。

 年端もいかぬ子供たちが境内で遊んでいる。

 男の子たちはこぞって独楽(こま)回しに熱中している。女の子たちは鞠をつきながら手鞠歌を歌っている。現代では失われた、古きよき日本の原風景をレキは目の当たりにしていた。

 境内で遊ぶ(わらべ)たちは異邦の者であるはずのレキをちっとも気に留めない。むしろ存在そのものを認識していない。一人の男の子がレキのほうへ駆け寄ってきて……そのまま彼女の身体をすり抜けてしまった。

 自分は観客に過ぎないのだと理解したレキは、鳥居前の石段に目をやった。

 二人の少女が石段に腰かけて談笑している。

 一人は鈴珠。レキの知る八十年後の彼女と何ら変わりない。

 もう一人は、女学校の制服を着た少女。

 艶やかな黒髪とはあべこべに、活力みなぎる勝気な眼が男勝りな印象を与える。どことなく自分と面影が重なるのに気づいたレキは、これから禍我が見せるであろう真実の正体を悟って固唾を飲んだ。

 鈴珠は素手で油揚げを掴んで食べている。

「女中さんの目を盗んで台所から拝借してきたんだよ。感謝してね、鈴珠さま」

 黒髪の少女は棒に絡めた水飴を舐めている。あまりにおいしそうに舐めるので、油揚げを一口一口大事に味わっていた鈴珠が段々と興味を示してきた。

「スセリ。おぬしのその甘いの、一口ワシにもくれんかの」

「鈴珠さまは油揚げ食べてるじゃん」

「ワシの油揚げも一口やるわい」

「やっ、やだよ。これは兄ちゃんが買ってきてくれたんだから」

 黒髪の少女――加賀スセリは水飴を持つ手を後ろに引っ込めた。

「兄上が帰国されたのか。異国への長い旅だったのじゃろう。壮健でいらしたか?」

「船酔いがつらくて、外国なんてもう二度と御免だってさ。手紙は定期的に届いてたけど、実際に顔を合わせるのは一年ぶりだよ。お父さんもお母さんもすっごい嬉しがってて、夕べは家族揃って明星亭でご馳走を食べたんだ」

 うらやましいでしょ、と白い歯をむき出しに自慢する。

「粋がりおって。おぬしごときの若造が老舗の味などわからんじゃろ」

 悔しいのか、鈴珠は小ばかにするふうに嘆息した。

 スセリの兄は帰国のおり、舶来の土産をたくさん持ち帰ってきたという。スセリがいくらねだっても兄は「大人が使う物だ」と譲ってくれず、花尾湾の露天商から冷やかしついでに買った地味な扇子を押し付けてきたという。スセリは「学校のみんなに自慢したかったのに」と不服そうに愚痴っていた。

 兄が年内に結婚すること、結婚相手のお嬢さんのこと、近いうち世界を巻き込んだ大戦が起ころうとしていること、父の戦争に便乗した商売に嫌気がさしていること、女学校の友達のこと……などなど、スセリは身の回りの話題を細かに鈴珠に話し聞かせていた。

 はつらつたる少女スセリは、次々と表情を変えて感情を豊かに表現する。彼女はさながら真夏の日差しを浴びる向日葵(ひまわり)であった。

 鈴珠はスセリの長いおしゃべりに一途に耳を傾けていた。

 人間の少女と狐の神さまが語らう昼下がりは、あくびが出るほどのどかだった。その光景があまりにも平穏すぎるのでレキの不安はかえって増した。

「スセリお嬢さま、お迎えに上がりました」

 上等な紳士服を着た青年が物陰から現れ、鳥居を仰ぎながらスセリを呼んだ。

 兄の土産話をあらかたしゃべり終えたスセリは、石段を飛び降りて地面に着地する。

「なんじゃ、もう帰るのか。まだ陽は暮れておらんぞ」

「兄ちゃん、今度またドイツに渡るんだって。アタシ、ちょっとでも兄ちゃんのそばにいたいからさ。ごめんね、鈴珠さま」

「……承知した。また来るのじゃぞ。決してじゃぞ」

「そうだ! 鈴珠さまの『アレ』をアタシにも教えてよ」

「『アレ』とな?」

 スセリに両手を握られながらねだられて、鈴珠は目を白黒させる。

「鈴珠さまが参拝する人にかけてるおまじないだよ。水晶玉を掲げながら唱えてるアレ。異国の地へ行く兄ちゃんに幸運を分けてあげたいんだ」

 ――そなたの往く道に幸いあれ、ってね。

 スセリが神妙な口調で鈴珠の詠唱を真似た。

「あれは神にのみ許された秘術での。兄上を神社まで連れてくればよかろう」

「兄ちゃんってば『あいつは悪戯好きな化け狐だ』って近づこうともしないんだもの」

 そう罵られる心当たりがあるらしい。鈴珠は「ううっ」と声を詰まらせる。

「お願い。毎日鈴珠さまの神社に遊びにくるからさ」

 スセリは両手を合わせて拝み倒す。

 その取引がさびしがりやの鈴珠をどれだけ揺さぶったか、レキは容易に推し量れた。

 予想どおり、鈴珠は首を縦に振った。

「しかたない。転生珠(てんせいじゅ)を貸すわけにはいかんから、おぬしにワシの力を一部授けよう。よいか、兄への祝福以外に用いてはならんぞ。他言してもならんぞ」

「本当にいいの!」

「おぬしは清らかな心の持ち主じゃ。過ちは犯すまい」

 鈴珠は髪に結ってあった鈴の髪飾りをほどいてスセリに握らせた。ひもが結わえられた小さな鈴を大事に握ったスセリは「ありがとー!」と両手を振りながら、迎えにきた青年と連れ添って鈴珠神社から遠ざかっていった。

 そこで場面は停止し、暗転した。


 次なる場面は、紅葉に色づく木々に囲まれた、真夜中の禍我神社であった。

 雑草が好き放題に生い茂るそこは(あるじ)を封印されて信仰も失い、時の流れに置き去りにされ打ち捨てられていた。鈴珠神社と違って、こちらのほうは八十年後の姿とほとんど変わりなかった。

 雷鳴とどろく境内で二柱の神が対峙している。

 天空の亀裂から地上に首を垂らす巨大な黒き蛇――邪神禍我。

 邪神を仰ぐ、巨大な狐の姿をした氏神――真白(ましろ)大神。

「禍我の封印が解かれようとしているのか!」

 予想だにしなかった展開にレキは声を上げてしまった。

 禍我のかたわらには禍津薙(まがつなぎ)を握るスセリがいて、真白大神のそばには狩衣をまとった若い男がいた。

 真白大神の狐火に赤く照らされる男の面立ちにレキはまた驚愕した。

 狩衣の男はアズマに瓜二つであった。

「嬢ちゃんにその扇は似合わないな」

 人を食った物言いが、瓜二つではなくアズマ本人であると確信させた。

 ただの人間であるはずのアズマが何故、八十年前の世界に、八十年後と変わらぬ若者の姿で、神主みたいな格好をして、真白大神のかたわらにいるのか。混乱するレキをよそに、当事者たちは会話を続けていく。

「禍津薙を俺たちに渡すんだ。素直にしてくれれば嬢ちゃんのしてきたことは目こぼししてやる」

「……嫌だ」

 スセリは怯えながらもアズマの交渉を拒絶する。

 禍我の首がスセリの前に垂れてアズマからかばう。

 禍我の大口から響く咆哮に呼応して、黒雲から稲妻が走る。

 視力を奪う稲光と聴力を奪う雷鳴が襲いくる。

 アズマは半透明の結界を張り巡らせて稲妻を相殺していた。邪神のいかずちを受け止めた結界は粉々に打ち砕かれ、大地をとどろかす余波の衝撃にアズマはよろめいた。

 禍我が続けざまに魔法を唱えようとするのに対応して、真白大神がしっぽを立たせた。

 真白大神の周囲に浮遊する無数の狐火が光を強める。禍我めがけ、そのひとつひとつから光線が発射された。

 聖なる光に照射された禍我はたまらず叫びを上げる。実体を維持する力を失った禍我は、極太の胴体をくねらせながら天空の亀裂に引きずり込まれた。

 主の敗走にスセリは、ぬかるんだ地面に両手をついて崩れた。

「加賀の長女よ、禍津薙を捨てよ」

 真白大神が命じる。

「駄目だよ」

 スセリは禍津薙を胸に抱く。

「禍我さまは約束してくださったんだ。アタシが力を貸せば、兄ちゃんが乗ってた船の事故を『無かったこと』にしてくださるって」

「嬢ちゃん、禍我の甘言に耳を貸すな。奴は人間に仇名す邪神だ。時間遡行は人間社会の秩序を保つため、人間の歴史に限ってその事後修正を許されている。嬢ちゃん一人の都合で歴史を書き換えるわけにはいかないんだよ」

 アズマは「だから諦めろ」と同情を籠めながら説得する。スセリはなおも「嫌だ嫌だ」と駄々をこねる子供のように泣きながら髪を振り乱していた。

「だって、だって、アタシの兄ちゃんはウチの跡継ぎなんだ。お父さんもお母さんも、兄ちゃんなら立派に家督を継いでくれるって期待してたんだ。結婚だってしたばかりなんだ。なんで兄ちゃんが死ななくちゃならないのさ。神さまなら助けてよ」

 涙声で懇願するさまが居たたまれなかった。

「人生なんて往々にしてままならんものさ。後戻りのかなわない時間の中を生き抜くからこそ、命の灯火ってのは燦然たる光を放つんだ」

 スセリは膝を抱いて肩を上下させ、嗚咽を洩らしている。

「嬢ちゃん『あの日』から鈴珠と顔合わせてないだろ。自分のやってることが後ろめたいことだって自覚してるんだろ? 俺の力で魔力酔いを取り除いてやるから、じっとしていろ」

 うずくまって大人しくなったスセリにアズマは歩み寄る。

 彼女に触れるまでもう数歩のところで、スセリが突如立ち上がった。

 鬼気迫る形相でアズマを見据え、禍津薙を向ける。スセリの身体から湧き出る黒い煙が蛇の形となり、驚き怯むアズマに躍りかかった。

 黒き蛇が魔力を求めてアズマの喉元に喰らいつく寸前、刃をはらんだ突風がそれを切り裂いた。

「あ……」

 まんまるに見開かれて光る真白大神の眼に、スセリは唖然と立ちすくむ。

「真白! そこまでだ!」

 アズマの制止もむなしく、真白大神の放ったカマイタチはスセリを四方八方から切り刻んだ。文字通り八つ裂きになるまで執拗に。

 血煙をあげて地に伏せたスセリを中心に、限りなく黒に近い色の血溜まりが広がっていく。

 かすかな呼吸で血の海が波立つ。

「鈴珠さま、ごめん」

 それが十代の少女、加賀スセリが今わの際に遺した言葉となった。

 握っていた手からこぼれ落ちた小さな鈴も血にまみれた。

 血の海に凪が訪れる。

 雷雲は消え、天の亀裂も塞がって、星のまたたく夜空に蒼い月がぼやけている。

「なあ、おい。ここまでする必要あったか?」

 アズマの非難がましい反語は軽蔑を多分に含んでいた。

「禍我に与し者、すなわち余の敵。神々の奥義に触れんとする、分際をわきまえぬ人間に垂らす救いはない。かけがえなき友よ、怪我はあるまいな?」

 真白大神は彼の憤慨などちっとも意に介さぬ様子だった。

 袴に血が滲むのも構わず、アズマは絶命したスセリに近寄る。

 ひもが結われた鈴と禍津薙を拾い上げる。

東目命(あずまのめのみこと)よ。次は余の娘、鈴珠に罰を下すのだ」

「仰せのままに。お前は花尾の地で最も偉大な神だからな」

 わざとらしく恭しいお辞儀をして真白大神に背を向け、禍我神社の鳥居をくぐった。

 二度目の場面はそこで終わり、再度暗転する。


 まやかしの(とばり)が剥がれた、静寂と暗黒の宇宙。禍我の檻にレキはいた。

 彼女の他にもう一人、宇宙を漂う者がいる。

 女学校の制服を着たおてんばな少女、スセリだった。

「アタシの代わりに、今はアナタが鈴珠さまのそばにいてくれてるんだね」

 宇宙を浮遊して近づいてきたスセリがレキの頬をなでる。彼女の手に体温はなく、かといって冷たくもない。肉体を失った彼女はもう魂だけの存在だった。

「よかった。鈴珠さまが淋しがってなくて」

 スセリは両手を後ろに回して懐かしげに目を伏せる。

「コヨミ。アナタからは『燦然たる光』を感じる」

「光? 私から?」

「禍我さまの御力で願いを叶えるために、アタシはたくさんの命を禍津薙で奪った。アナタは禍津薙の力に最後まで呑まれなかった。すごいよ」

「私は禍津薙の力に打ち勝った覚えなど……」

「外道魔導士と刺し違えようとしたとき、自分が何を願ったか忘れた?」

 禍我神社での決戦を思い起こす。

 シグマの転生珠から魔力を奪って禍津薙を満たしたとき、二つのアーティファクトは共鳴した。ほとばしる魔力の激流に抗いながら、レキは声を振りしぼって請うた。

 ――友を救う力を貸してくれ。

 と。

 生死の岐路で我知らず叫んだそれこそが、レキの切なる願いだった。

「大切な人たちを救ったのは神さまの奇跡じゃない。アナタの光り輝く意志が成し遂げたんだよ」

 自分の願いとスセリの願いにどういった差があるのか、未熟なレキにはわからない。ただスセリだけがレキの生き様に満足している様子だった。鈴珠が心を許す人間が彼女であることを喜んでいた。

「鈴珠さまとアナタを見守っているよ。アタシの魂が禍我さまの一部でありつづける限り」

 スセリの身体が陽炎のごとく揺らめいて消える。

 次いでレキの前に神隠しの渦が生じる。

 レキは渦をくぐってフィオの屋根裏部屋に帰った。

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