第35話:古き約定と古き罪科
お茶を終えたレキ、クルス、フィオはフィオ宅の地下に足を踏み入れた。
コンクリートがむき出しの地下通路は納屋の隠し階段から繋がっていた。一軒屋にそぐわない、もはや坑道と言うべき規模の地下道だった。
先導するフィオのつたない懐中電灯を頼りに通路を進む。
暗がりの洞穴に三人の固い足音が響く。
足元に注意しつつ二度目の下り階段を一歩一歩、慎重に踏んでいく。
階段を下りた先に待っていた光景に、レキは度肝を抜かれた。
学校の体育館くらいの広さはある、立方体状にくりぬかれた広間がそこにあった。
広間の中央には巨大な魔法円が描かれている。片隅には書棚と、テーブルに転がる怪しげな呪術道具の数々。天井には光を放つ球体が浮いており照明の役割を果たしている。大魔導士の住まいの足元に眠っていたのはまさしく、魔法研究施設だった。
「路美の地は魔力が集中する龍穴と呼ばれる場所なの。龍穴に溜まった魔力を借りれば真白大神と交霊できるかもしれないわ」
「感謝いたします。初対面の私なんかのために。フィオ先生のお体に負担はかからないのでしょうか」
「肉体に神霊を降ろすわけではないから安心して。現世と超高次元領域に霊的な繋がりを一時的に作って、真白大神と会話するだけだから」
フィオは背後からレキの肩を揉みほぐす。
「かしこまらなくていいのよ。アーティファクトの保管は魔導会の管轄なんだから。日本のサムライ組織が事実上瓦解した以上、私がその役目を担うのは当然なの。魔導会の理念に照らせば『力ある者の責務』にあたるわね」
「力ある者の……責務」
「それにコヨミさんはクルスさんの大事なお友達なんですもの。あの子、小さい頃からシャイでお友達があんまりいなかったから」
「先生」
最後の余計なくだりでクルスを刺激してしまったらしい。
フィオは肩をすくめてごまかした。
書棚から引き抜いた分厚い魔導書をめくって、フィオは儀式の段取りを調べだす。うつむきながら書物を読みふけるせいで、眼鏡のズレを幾度も直している。レキはクルスの指示に従いながら、交霊に用いる呪術道具を魔法円の周囲に並べていった。
交霊の儀式の準備が完了して、三人は魔法円の内側に入る。
フィオが魔法円の中心に立って手をかざす。
魔法円が薄く発光し、かすかな風が立ち昇りだす。フィオの身体から水泡に似た丸い魔力のかたまりが次々と微風に乗って天井まで上昇し、一つに合わさっていく。シャボン玉がふわふわ浮かんでいくのに似た光景だった。
膨張しきった魔力のかたまりが破裂音を伴って弾ける。
幻想的な光景のとりこになっていたレキは衝撃波をもろに食らってしまい、固い床に腰を打った。
クルスの手を借りて立ち上がると、眼前に霊的な存在が出現していることに気づいた。
巨大な狐が神聖さと威厳さをたたえて魔法円の前にたたずんでいた。
数多の狐火を従え、烏帽子を被った、狐の姿を借りた神霊――花尾の地を守護する大いなる氏神、真白大神である。
ホログラム映像のようなものなのだろう。真白大神の姿は超高次元領域でまみえたときよりも小さく(それでも頭が天井に届くほどの巨体であるが)、おぼろげに霞んでおり、古いビデオテープを再生したとき特有の色あせ方とブレ方をしている。
「大魔導士フィオ。久しいな。余に如何用か」
声もひどくノイズがかっていた。
「真白大神よ。禁忌を犯し魔導会から放逐された私はもはや大魔導士ではありません」
「其れは人間が勝手に決めたこと。余は依然、そちを大魔導士と認めている」
「……恐縮です」
返事とは裏腹にフィオの面持ちはなおも罪悪感に翳っていた。
禁忌だの放逐だの、不吉な単語が繰り出されるフィオと真白大神のやりとりにレキは先行きの不安を禁じえなかった。クルスも初耳だったのか、動じないふうを装いながらフィオの様子を横目でしきりに窺っている。
大魔導士フィオが犯した禁忌とは何なのか。
問いたい好奇心を堪えてレキは真白大神に本題を切り出した。
「真白さま」
「何ぞ。申してみよ」
細い目が開かれ、加賀暦という人間の価値を見定める。
怖気づくまいとレキも一歩、大股で踏み込んだ。
「恐れ入ります。鈴珠さまは転生珠を外道魔導士より奪取いたしました。なにとぞ御慈悲を」
「神の力を失いし転生珠なぞ道端の石ころにも劣る」
「そんな!」
「至宝の力をよみがえらせしときこそ、余と余の娘との誓いは果たされよう」
食い下がろうとするレキをクルスが手で制す。
「貴様が化け狐の父親か」
「如何にも。余こそ花尾の地の偉大なる氏神真白なり。讃えよ」
くだらん、とクルスは吐き捨てる。
畏れ多き神に対する無礼はそれだけに留まらず、単刀直入に問うた。
「貴様が押し付けてきた禍津薙を処分しろ。魔導士でもない人間には過ぎた代物だ」
「禍津薙は余の娘を護らす盾として授けたもの。余の娘が輝ける威光を再び背に宿すまで放棄は許さぬ」
まばたき以外に動かぬ狐の面。
部屋に反響する声も、尊大とも取れるほど堂々たるもの。
超高次元の存在である神からすれば、人間一人の生意気な口の利き方など感情を揺るがすに値せぬ些事なのか。
取るに足らぬ下等な存在。
つまるところ虫や動物、草花と同じ扱われ方をしているのをレキは明らかに感じとれた。
「邪神が復活しかねんぞ。構わないのか」
「禍我が檻を破りて現世に降臨するならば、余が直々に打って出るまで。大いなる真白の風を以ってして清め祓おう。花尾の地もろとも。禍我を滅ぼすついで、花尾の地を今一度浄化し、国を新たに創ろう。この国は鉄に穢れすぎた」
真白大神の残酷なる宣告にクルスが動じる。
レキとて浄化の二文字が意味するところくらい理解できる。
張り詰める空気に、三人は汗を肌に滲ませていた。
信仰の篤い人間に助力する一方、むら気で傍若無人、尊大にして粗暴なる面も持ち合わせている。あくまで大和の地の管理者であり、必ずしも人間に味方するとは限らない。それが大和の神々の本質であった。
「加賀家の長女が禍我と契約を交わした目的を教えろ。禍津薙に魔力を満たす報奨として禍我は何を与えようとした」
「加賀家の長女が欲したのは、神々と大魔導士が秘匿する時間遡行の奥義」
フィオが魔導書を床に落とす。落下した衝撃で背表紙が剥がれてページが散乱した。
クルスも「馬鹿な」と口走っていた。
「歴史改変を目論んでいたのか。禍我と結託し、時代を遡って」
「如何にも」
「一介の娘が歴史を改変してどうしようというのだ」
「そちは興味本位を満たすために余と交信しておるのか」
たしなめられたクルスは興奮と悔しさを堪えて押し黙った。
真白大神は再度レキに向き直る。
「余の娘、鈴珠は加賀家の長女にほだされ、迂闊にも禍我との接触の機会を与えてしまった。余は東目命に命じ、禍我と契約した長女を討たせた。そして余は鈴珠を葛籠に封じた」
「真白さまが鈴珠さまを!」
「人間に深入りした罪を罰するため。加賀一族の復讐から護るため。鈴珠の罪を知る者が老い、現世を去った時代に目覚めさせるため」
鈴珠との出会いが偶然ではなく、仕組まれた必然であったという事実を突きつけられ、レキは悄然とうつむいていた。絆を紡いだ鈴珠との日々も神々の思惑の内だったのかと邪推してしまい、人ならざる者たちの身勝手さと理不尽さに心をかき乱された。
「鈴珠さまも最初からすべて、存じておられたのですか」
「否」
真白大神は否定する。
「神々の書庫で鈴珠は己の罪を知った。いつか知るべき罪であった。贖罪は罪を自覚して初めて意味を成そう」
――案ずるな。そなたらの絆は真なり。
頭に声が反響する。
禍津薙を握る右手が熱くなる。反響が遠退くに従って熱も冷めていった。
「そちらの受難、元はといえば余の娘の失態から遭ったもの。幾許か助力しよう。月が蒼に染まりしとき、真白大社へ赴くがよい」
真白大神の映像が激しくざらつきだす。
「禍我がよみがえれば、余は禍我を花尾の地共々祓い清める。加賀の末裔よ、失望させるでないぞ」
原形を留めぬ形になるまでざらつきが激しくなる。
真白大神の映像はぷつりと消え失せた。




