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少女と神さまと魔導士の歯車  作者: 帆立
八章――光と闇の衝突
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第29話:ふたりたゆたう夜空

 はじける音を鳴らして青白い雷がクルスの両腕に巻きつく。

 まとわりつく雷を一点に集中させたクルスは両腕を突き出して呪文を唱えた。

(らい)!」

 稲妻の獣が幾重にも折れながらシグマめがけて躍りかかる。

 魔法円の上を通過しようとした稲妻は不可視の壁に阻まれて打ち消された。無謀にもレキが魔法円の内側に踏み入ろうとするも、やはり円の外周に存在する魔力の壁が彼女を拒絶した。

 シグマの持つ転生珠(てんせいじゅ)の鼓動と同期して魔法円の光が脈打つ。

「シグマ、貴様何をするつもりだ」

「ワガハイは禍我(まが)を召喚するのだ」

 突拍子もない発言に、三人は驚愕のあまり揃って声を上げた。

「驚くにはまだ早いぞ。ワガハイは転生珠の力を用い、現世に召喚された禍我の実体を乗っ取るのだ。そのあかつきには人間の住まう地などことごとく瓦礫と化してくれる」

「神を手なずけるなど(おご)りもはなはだしいぞ!」

「このアーティファクトさえあれば叶うのだ。転生珠がある限りワガハイは無敵なのだ。誰にもワガハイを止められんのだ!」

 シグマの雄叫びに呼応して魔法円の中心から放射状の熱波が吹いた。

 高熱を帯びた風圧を真正面から喰らったレキ、鈴珠(すず)、クルスの三人は砂塵もろとも吹き飛ばされる。境内に茂る木々や腐り落ちた社が一斉に発火して闇夜を赤く照らしだした。

 禍我復活の前兆か――燃え盛る神社の真上に位置する夜空に亀裂が生じる。

 一刻の猶予もないのを悟ったクルスが短刀を鞘から抜く。

「接近戦をしかける。貴様は禍津薙(まがつなぎ)で魔法円の防護を破れ」

「だが、モモの身体が」

「貴様は転生珠の力を封じているだけで構わん」

「……」

「咎は俺が受ける」

 クルスは魔法円の中心に立つ『モモ』をまっすぐに見据えている。

 見据える碧眼に淀みはなく、深い森に湧く泉のごとく澄んでいる。不思議な既視感に襲われたレキは、その眼が学校でモモを見守るときの眼と同一のものだとすぐ思い至った。短くも激しい葛藤の末「わかった」と邪神の扇を構えた。

 シグマが魔法円の内側から火炎を放つ。鈴珠の神風がそれを吹き消した。

「火炎魔法はワシが封じる。いくのじゃ二人とも」

「小僧がワガハイを殺せるのか。友人を殺せるのか」

「俺は諏訪(すわ)を救う」

 襲い来る熱波の第二波。

 真横に薙いだ鈴珠の袖から清めの風が吹いて熱波を相殺する。

 レキが禍津薙で不可視の壁に触れる。

 魔法円の光が急速に失せていく。

 他者の侵入を阻んでいた不可視の壁が消えるや否や、クルスがシグマの懐に潜り込んだ。まさかこうも簡単に魔法円を破られるとは思いもよらなかったのだろう。油断していたシグマは逃げる機会を失い、突貫するクルスに短刀を突き立てられた。

 少女の腹部に刃が深々と食い込む。傷口から滲む血がフリルで飾られた服を汚す。

 シグマは苦悶の表情をしながらくぐもった声を出す。

「ば、バカめ、かかったな」

「おおかた、あえて接近を許して俺の肉体を奪い取る策略だったのだろう。狡猾な貴様の企みなど織込み済みだ。諏訪の身体ならともかく、俺の身体ならばサムライも化け狐も躊躇なく攻撃できる。そして貴様の魂が離れた諏訪も助かる。残念だったな」

「だから急所を外したか。情などかけずこの娘の心臓を刺して即死させればすべて解決したというのに。人間とはまことに愚かだ」

「貴様を殺すことはできなかったが、まあいい。あいつらに後は任せる」

 転生珠が光を放ちだす。まばゆい光は宝珠の所持者であるシグマから広がってクルスを覆っていく。

「諏訪、聞こえているか。ケーキの約束、守れなくてすまない」

 かすれた声がレキに届く。

 二人が光に包まれていく様子を呆然と眺めていたレキははっと我に返った。光の中に飛び込んでクルスを魔法円の外に突き飛ばすと、シグマに取り付いて禍津薙を叩き付けた。

 氏神の宝珠と邪神の扇。

 対極に位置する二つのアーティファクトが接触した刹那、膨大な魔力がほとばしった。

 シグマの魔力がみるみる禍津薙に吸い込まれていく。それに対抗せんと転生珠が異常な量の魔力を放出していく。ともすれば二人の肉体を木っ端微塵にしてしまうほどの、尋常でない魔力のうねりがレキとシグマを中心に巻き起こっていた。

 光と闇がせめぎあう。暴走する魔力が濁流となり、けたたましい音が聴力を奪う。地に踏みとどまる脚の力を弱めたら最後、凶暴たる魔力の荒波に細胞一つ残らず分解されかねない。

「お前の負った(ごう)は禍津薙が清算する」

「小娘ごときが」

 レキの背中に爪を立てるも、か弱き少女の爪では肌に食い込まずシグマは狼狽する。

「降臨するのだ。ワガハイを狂気に陥らせた人間どもを蹂躙するのだ。禍我よ!」

「禍我よ、私に友を救う力を貸してくれ!」

 二人の叫びが禍我を呼ぶ。

 光がうねり、闇がうねり、世界もうねる。歪む。

 周囲の魔力が飽和した影響で世界の(ことわり)が乱れ、空間がねじれだす。ねじれは魔力の飽和に比例して強まっていく。ねじれにねじれ、とうとう天の亀裂が完全に破れた。

 まっぷたつに裂けた天空は膨張していく魔力ごと二人を呑み込んだ。


 闇。

 静かな闇。

 際限なき闇。

 万端の終わりを表現した闇。

 闇を除けば何もない世界をレキは漂う。

 不思議と怖れはない。宇宙を漂う星くずになった心持ち。揺籃に寝そべり母に揺られる心地。幼少の淡い記憶がよみがえってくる。

 一転、静寂を破る咆哮が宇宙にこだまする。

 身の毛がよだつおぞましき震動がレキの覚醒を促した。

「目覚めよ、加賀の末裔よ」

 巨大な黒き蛇が眼前で鎌首をもたげていた。

 小さな星ひとつなら軽々と丸呑みできそうな大蛇。砂粒程度のレキなどそれこそ薄い舌でぺろりと舐められただけで喰われてしまう。

「一族と余との永きに渡る契約、よくぞ果たした。大儀であった。褒めて遣わす」

「……邪神、禍我か」

「いかにも。余こそ魂魄の喰らい手、禍我なり。此処は余の檻『禍我の檻』なり」

 またたかぬ暗黒の宇宙は超高次元領域の一つ、神々の(いくさ)に敗れし邪神が封印された世界『禍我の檻』であった。

「禍津薙に力は満ちた。余の魂は檻を破り、実体を得て現世に降臨する。機が熟したとき禍津薙の呪文を唱えよ。偉大なる余の名を高らかに呼べ。共に真白との決戦の地へ往こうぞ!」

 禍我の胴体が狂喜にのたうつ。黒き世界が激しく揺れて三半規管を揺さぶり、地鳴りに似た低い響きが鼓膜を絶えず震えさせる。散々悩ませた目眩(めまい)が再び襲ってくる。

「まっ、待て。ご先祖様の思惑はともかく、私は神々の戦いに介入するつもりはない」

 震動が収まってどうにか地に足をつけて直立できた。

「ならば何ゆえ扇に力を満たした」

「友を救うためだ」

「友とはこの娘か」

 闇の一点が光って長い髪の少女が出現する。少女はやわらかい髪をなびかせながら、レキの胸にゆっくりと沈んでいく。

 ふんわり抱きとめられた少女――モモがまぶたを微動させて目を覚ました。

「あっ、レキちゃん」

 二度と聞けぬかもしれないと恐れていた、聞き慣れた、間延びした声。レキは覚えず涙していた。感極まってモモの細い身体を抱きしめると彼女は少し驚いた後、うっとり頬を朱色に染めた。泣きはらす赤子をあやすのと同じ仕草でレキの背中をなでた。

「ごめんね。私またレキちゃんに心配かけちゃったね」

「いいんだ。モモさえ無事なら」

「レキちゃんを迎えにいこう、って私が伊勢くんにお願いしたの。だから伊勢くんを怒らないであげて」

「もういい。もういいんだ」

「レキちゃんももう泣き止んで。私はばっちり元気だから」

 レキの目じりに溜まった涙を指で拭う。こぼれた一滴が頬を滑って闇に落ちた。

「伊勢くんはケガしてなかったかな。あと、赤い髪の女の子とおっきなヨロイの人も」

「三人ともどうってことない」

「鈴珠さまと白猫さん……クルスくんは」

「きっと無事だ」

 レキはモモの背中と両足を持ち上げて両腕で抱きかかえる。モモは歓声を上げてはしゃぎだした。

「わぁ、お姫さま抱っこだ」

「私がそばにいる限りもう不安になる必要はない。一緒に帰ろう。皆の待つ場所へ」

 モモがレキの首に両腕を回す。

「やっぱりレキちゃんは私の王子さまだね。もちろんクルスくんもだよ」

 フリルがめいっぱいあしらわれた服をドレスに見立てた少女と、彼女を抱くポニーテールの少女。これで宇宙に星の光でもまたたいていれば確かにモモの言うとおり、さながら童話の王子さまとお姫さまである。おかしくなったレキはくすりと吹きだしてしまった。

「ところでモモ、身体の傷は」

「うーん、大丈夫みたい。どうしてだろう」

 クルスの短刀が刺さったはずの腹部は、服が少し裂けているだけで肌の傷は跡形もなくふさがっていた。レキの手が肌に触れるとモモはくすぐったそうに身悶えた。

「余からそなたへの褒美だ」

 レキたちの疑問に禍我が答えた。

「禍我よ、感謝する。だとするとシグマはどうなったんだ」

「偽りの魂は深淵に堕ちた」

 禍我の大口からはみ出る薄い舌が神経質に震える。

「いかなる理由があろうと、殺生を享楽とする輩の定めはとこしえの闇。余は其の魂を喰らい血肉とする。余の実体に終焉が訪れ腐り落ちたとき、其の魂は地に蒔かれ無垢なる生命として芽ぐむであろう」

 人の手により外道魔導士に貶められたシグマにもいずれ一筋の光明が差す。

 レキの心を曇らせていた最後の一つが水泡と帰していく。

「闇こそ天地(あめつち)の原初。闇よりまず天に光が生まれ、光の下の地で生けるものが育まれてきた。生けるものは陽が沈むと眠り、闇に安息を求める。生命の輪廻もまた同様の摂理なり」

 闇の中に小さな光が灯る。

 光が広がって現世へと繋がる穴を広げる。人間一人がくぐり抜けられるまで広がった穴から狐の耳がひょっこり現れた。

「レキ、モモ、ワシの手につかまるのじゃ!」

 穴から頭を出した鈴珠が二人に腕を伸ばす。彼女らの背後に巨大な蛇の影を認めるや、鈴珠はぎょっと目を剥いた。

「黒き大蛇。おぬしはもしや禍我」

「真白の娘か」

「二人とも、禍我に喰われる前に一刻も早くここから出るのじゃ!」

「真白に伝えよ。余の降臨は近いと」

 鈴珠を一瞥してから、禍我の鋭き両眼はレキを捉える。

「加賀の末裔よ。そなたらの往く道に幸いあれ」

 モモを抱いたレキが鈴珠に腕を伸ばす。二人の指が絡み合ったとき三人は光の穴に吸い込まれ、禍我の檻から放り出された。

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