第27話:最後の切り札
疾風迅雷。
目にも留まらぬ速さで地を駆けた黒騎士は、すれ違いざまに鬼を一刀両断した。
胸から腰にかけて斜めに切れ目が生じ、上半身と下半身に裂かれた鬼は断末魔の叫び声を上げて絶命する。肉体は青白い霧と化して夜の露と消えた。
一匹目の鬼を仕留めた黒騎士は間髪入れず、鈴珠と対峙しているもう一体の鬼の足元へ果敢にも滑り込む。漆黒の剣を閃かせ、大木と見紛う太い脛をたったの一太刀で切り落とした。片足を切断されて前のめりに倒れたその鬼もまた、青白い霧となってシグマの持つ筒の中に戻っていった。
今の鬼が分け身の本体だったらしい。フォルテを追い詰めていた残り二体の鬼も形を崩して霧散した。
神の子の鈴珠すらてこずる鬼を一度に討ち取った黒騎士オヅ。
巧みな剣さばきで敵を次々斬り伏せる勇姿はまさしく魔王の近衛騎士であった。
「貴様は何者なのだ!」
戦神のごとき鬼殺しの業に、鬼を使役していたシグマはあからさまに狼狽している。その機に乗じて闇から躍り出た者がいた。二振りの短刀を両手に構える金髪の魔導士クルスだった。
建物の屋根から飛び、外套をはためかせながら降下し、闖入者にうろたえるシグマに垂直落下の蹴りを浴びせる。背中にかかとの一撃を受けたシグマは空中での制御を失ってあえなく墜落した。
よろめきながら起き上がるシグマの足元が凍りつく。大気の水分が瞬時に氷結して足と地面が固着した。氷を溶かそうとかざした右腕もフォルテの光の帯に束縛された。
黒騎士の召喚と氷雪の魔法。それら両方を使いこなせる者はレキの知る限り一人しかいない。
「お茶会には間に合ったみたいね」
ホウキにまたがって浮遊する、真紅のローブを着た少女――魔女ドミナが黒騎士のそばに降りた。
六人がシグマを取り囲む。
勝敗は決した。
鬼が消えて棍棒の地響きは静まり、外道魔導士も捕らえられた。
死闘を制した後もレキにはまだ重大な役目が残っている。場の雰囲気が落ち着いてもなお心臓は早鐘を打っている。
「ねえねえレキ。アタシのオヅはこんなにも強いのよ。霊体だろうと神さまだろうとオヅの暗黒剣にかかればみんなヤツザキなの」
無邪気に自慢してきたドミナはそれから、氷と光の帯で拘束されたシグマのほうを向く。子供らしい人懐っこさはなりを潜め、殺人者の冷酷さが発現していた。
「悪鬼召喚に分け身の魔法か。失敗作のわりにずいぶんとハデな魔法を使えるのね。まっ、どうでもいいわ」
指先の大気が凍りつき氷の刃を形成する。
「死ね」
あどけない娘が無感情にそう言って、レキは反射的に身震いした。
シグマを指差して氷の刃を放とうとするドミナをクルスが制する。彼と外道魔導士の因縁を思い出した彼女は素直に刃を引っ込めた。
「そっか、アナタの両親の仇だったのよね。いいわ、トドメはアナタに譲ってあげる」
「そうしたいのは山々だが、まだこいつを殺すわけにはいかない」
「よいのか小僧。ワガハイが憎いのだろう?」
「……外道と狡猾の魔導士もこうなっては無様だな」
露骨に挑発してくるシグマをクルスはあくまで冷静に、冷ややかに侮蔑していた。
クルスの目配せにレキは無言で応じる。
震えが止まらないのは畏れのせいか夜風のせいか。
足首をドミナの氷雪魔法で凍りつかされ、右腕をフォルテの光の帯に捕らわれて身動きの取れぬシグマは憎悪に醜く顔を歪ませてレキを睨みつけている。マントの中に入れた左腕は転生珠を奪われまいと必死に握っている。
一歩一歩、着実にシグマに接近する。
シグマだけではない。鈴珠もクルスもフォルテも、黒騎士もドミナも、レキの一挙手一投足に注視していた。
シグマと半歩の距離まで近づいた。
立ち止まって深呼吸。
雑念を捨て去ったレキは禍津薙を振り上げる。己に課せられた使命を念じて勇気を奮い、腕を振り下ろした。
「ワガハイを造った人間が、次はワガハイを処分するのか!」
シグマがそう言い放ったのは、禍津薙を叩きつける寸前のときだった。
レキの手から禍津薙が滑り落ちる。
他の言葉なら、たとえどんな悪態をつかれても振り下ろす腕を止めたりはしなかったろう。知ってか知らずか、吐き捨てられたその言葉は今のレキをうろたえさせるのに最も有効的だった。心を強く持とうという決意の脆い部分を効果的に衝くものだった。
レキがたじろいだ隙をついたシグマは左腕を横に薙いだ。
りん、と鈴の音が鳴って炎の壁が立ち昇る。レキは咄嗟に飛び退いて炎から遠ざかった。
炎は破れかぶれのシグマが彼女を焼き払うためのものではなかった。高熱を伴って揺らぐ炎は固着していた氷を溶かし、光の帯を焼き切り、逃走を図る際の目くらましとなった。炎が治まるとシグマは忽然と姿を消していた。
皆は周囲を素早く見渡す。
鈴珠が「あそこじゃ!」と遠くを指差した。
一匹の黒猫が瓦礫を迂回しながら広場を走っていた。
目指す先は外へと続く正面ゲート。
「雷!」
クルスが稲妻の槍を放った。
無数に枝分かれしながら伸びた紫電の槍は逃走する黒猫姿のシグマに突き刺さる。稲妻に撃たれたシグマが稲光と雷鳴と共に弾け飛んで広場の茂みに落ちると、神々しい光がそこから発せられ、眠っていたカラスやら鳩やらが一斉に飛び立った。
「サムライの少女よ、今の光は一体」
「転生珠の力が発動したというのか」
「テンセイジュって、アイツが持ってた宝珠のこと?」
不自然な静寂が長引くごとに息が荒くなり脈が早まる。隠れ潜む手負いの獣がいつ飛びかかってくるか、神経を尖らせながら茂みににじり寄る。
「ハハハハッ!」
悪趣味な高笑いがこだました。
深夜の空に二つの赤い光。
それは星ではなく、羽ばたきながら滞空するカラスの眼だった。
「『知った』ぞ! ワガハイは宝珠の真の力を『知った』ぞ!」
最悪の予感は現実となった。
転生珠の力によってシグマは魂を移し変えていた――黒猫の肉体から野生のカラスに。クルスの雷撃が、皮肉にも致命傷を負ったシグマに真の力を教えてしまったのだ。
カラスと化したシグマは遊園地の外壁を越えて飛んでいく。
ドミナが黒騎士を異界に帰還させてホウキにまたがって空を飛び、シグマの後を追いかける。レキたちも慌てて遊園地を出た。
遊園地前の大通りの通行はまばら。ときおり自動車のテールライトが闇に光の尾を引く程度で人の気配はどこにもない。シグマの姿もドミナの姿もあっけなく見失ってしまった。
途方に暮れる四人は足を止めて口を閉ざす。のしかかる重苦しい雰囲気を振り払おうとフォルテが「みんな、しっかりするんだ」と皆を励ました。
「シグマの魔力はまだこの付近で察知できる。ここまで奴を追い詰めたんだ。諦めてはいけないよ」
「すまない。俺が早まったばかりに」
クルスが口惜しげに拳を握りながら歯軋りする。
「いや、シグマを逃がしてしまったのは私の責任だ。私が未熟だったせいで」
「誰の責任でもないし、後悔するにもちと早すぎるぞ」
クルスとレキの懺悔を鈴珠がそう遮る。
「白猫どのの言うとおり、まだ諦めてはいかん。転生珠を悪用される前にシグマを捕まえるのじゃ」
シグマがなりふり構わず悪事を働く前に転生珠を取り返さなくてはならない。魂を移し替える力を知られたからには、今夜中に奴を倒さねば手遅れになりかねない。四人が立ち直ったそのとき、通りの闇から何者かの人影がぬっと現れた。
ふわふわの長い髪をしたその少女に四人は驚愕した。
駅で別れたはずのモモが一人、虚ろな様子でレキたちの前に立っていた。
「諏訪、貴様が何故ここにいる」
「……」
「聞いているのか」
「待つんだ。彼女、どうも様子がおかしい」
フォルテの制止を振り切ったクルスがモモに近寄る。モモの左手に炎が宿ったときにはもう回避不可の距離にまで接近してしまっていた。
モモの左手から放射された火炎がクルスの全身を舐めた。
羽織っていた戦闘用外套の魔法遮断効果により炎上は免れたものの、高熱を浴びたクルスは耐え切れずその場に膝をついた。
うずくまったフォルテにモモが触れようとする。それを阻止すべくフォルテが突貫した。
フォルテの光の剣はモモの周囲を覆う薄い光の膜で受け流される。攻撃をいなしたモモが火炎で反撃し、フォルテは光の矢による遠距離攻撃に転じる。二人の魔法の応酬がまばたきの刹那に繰り広げられた。
「小僧の肉体を盗るのには失敗したか。まあいい。この小娘の肉体でも転生珠さえあれば魔力には事足りることはわかった」
普段のモモらしからぬ悪意を多分に含んだ表情と声色、台詞にレキは戦慄した。
「お前は……お前はまさか、まさか!」
「ワガハイは不死なる存在に到達したのだ!」
諏訪モモの肉体に魂を宿したシグマが転生珠を天に突き上げた。




