第24話:期末試験を終えて
月末の期末試験はつつがなく終わり、暦も霜月から師走へと移ろった。
後は試験の結果を待つのみ。肩の荷が下りたレキたちは軽やかな気分で電車に揺られていた。
目的地は花尾市遊園地『花尾アトラクションパーク』である。
花尾駅から準急でおよそ二十分。高校生組四人と鈴珠にフォルテ、六人の小旅行がのんびりと始まっていた。
「いやーもーマジ助かったぜ。クルスのおかげで今回の試験は楽勝だったわ」
両手両足をうん伸ばし、伊勢は全身で開放感に浸る。
「本当に楽勝だったのか?」
「俺の中では、な」
レキが訝るとすぐさまそう付け加えた。こいつのことだから、楽勝といってもおおかた平均点に達する程度であろう、とレキは高を括っていた。
丁度今から二十四時間前の期末試験最終日のことである。死刑執行間近の囚人のような血色をしていた伊勢は帰りのホームルームが終わるや否や、歓喜の声を上げながらいの一番に教室を飛び出していった。レキは幼馴染の調子のよい性根に感心するやら呆れるやらしていた。
「この時代の汽車は速いのう」
鈴珠は車窓に額を押し付けて八十年後の現世に見入っていた。
赤い鉄橋の上を走る列車。
車窓から眺望できるのは差しが乱反射する広々とした河川。奥には無数のビルが競い合って背を伸ばしている。町並みの只中には遊園地の巨大な観覧車が堂々とたたずんでいる。
天気はおりよく快晴。
真冬に訪れた束の間の小春日和が地上に祝福の陽光を浴びせていた。
「私、サイドイッチ作ってきたの。みんなで食べようよ」
モモが膝の上でバスケットを開ける。中にはヒレカエツサンドとエビカツサンドがみっしりと詰まっている。伊勢と鈴珠が我先にと腕を伸ばした。
「超うまいよ諏訪さん。愛情タップリって感じ!」
「よかったぁ。紅茶も淹れてきたからいっぱい飲んでね」
「おい小僧、そっちのヒレカツはワシのじゃ」
「いやいや俺が最初に予約したっての」
モモが水筒を傾け、伊勢と鈴珠のコップに熱々の紅茶を注ぐ。アップルティーの甘い香りが四人がけのボックス席に立ち込めた。
「さあ、クルスも。早く取らねば伊勢と鈴珠さまに食べつくされてしまう」
隣のボックス席に座っているクルスにレキがヒレカツサンドを差し出す。遊園地のパンフレットを眺めていたクルスが腕を伸ばしてそれを受け取った。
フォルテはクルスの対面の席で窓枠に肘をついて寝入っている。降り注ぐ昼の日差しが銀色の髪や長いまつげを神々しく輝かせるせいで、色恋に疎いレキであっても息を呑んだ。
近頃フォルテは人間の姿でいることが多くなった。
白猫の姿を拝んだのは『あの日』が最後である。
クルスはカツサンドを持ったまま微動だにしない。
言葉数が少なくなるのも当然である。今日は『十二月の最初の土曜日』なのだから。
神々の書庫から帰ってきた日の吹雪く夜を思い出す。
――十二月の最初の土曜日、シグマが現れる。
――親愛なるハラカラよ、僕らに力を貸してほしい。
「本当に今夜、遊園地にシグマが現れるのか」
「ああ、間違いない」
今夜の戦いを知らされていない伊勢とモモは鈴珠と三人で談笑にふけっている。本当なら二人は連れてくるべきではなかったのだが、モモとの約束にこだわるクルスがそれを許さなかった。
「次こそ奴の息の根を止める」
クルスの両親を殺し、召喚した鬼を操って町を破壊して回り、転生珠の力で増幅された火炎魔法ですべてを焼き尽くさんとする、吸血鬼の風貌をした外道と狡猾の魔導士シグマ。
燃え盛る炎の叫びと木々のはぜる音が耳によみがえってくる。
とうとう決着の時が訪れた。
死神の冷たい刃が喉に触れる心地にレキは身震いする。
「臆したのなら帰れ」
「無理強いさせるつもりはない――って素直に言いなよ、クルス」
たぬき寝入りを決め込んでいたフォルテが相棒に助け舟を出した。
「レキや!」
急に背中を揺すられて我に返る。
「あの巨大な車輪はなんぞ」
鈴珠が窓の外に映る観覧車を興奮気味に指差していた。
最寄りの駅から市営バスで十分。六人は花尾市遊園地『花尾アトラクションパーク』のゲートをくぐった。
レキたちはまず中央広場のベンチに腰かけて一息ついた。
花壇に囲まれた大理石の時計台は待ち合わせ場所としてうってつけで、多くの来場客が中央広場に群がっている。
最奥に位置する観覧車が青空に映え、ひときわ目を引く。観覧車の手前には複雑にうねるジェットコースター。お化け屋敷やミラーハウスといった施設もそこかしこに。
大小形状さまざまなアトラクションの数々にときめく鈴珠は、人間のおこぼれにあやかる鳩を追い回したり売店に陳列された土産物に興味津々だったり、とにかく落ち着かなかった。狐の耳としっぽを生やした少女がはしゃぐさまは遊園地であっても人目を引き、レキは鈴珠から一瞬たりとも目を離せなかった。
「んじゃ、さっそくペアを決めますか」
「ペア?」
屋台のチュロスをいち早く食べ終えた伊勢が唐突に提案してきて、一同は首をかしげた。
「だってさ、こんなに混んでちゃ六人全員同じアトラクションとか無理っしょ。だからペアを組んでそれぞれ自由に遊園地を回ろうってのが俺の考えなわけ」
休日ということもあって園内は老若男女でごった返していて、視界に入るアトラクションの前にはいずれも長蛇の列が幾重にもくねっている。こういった賑やかな場所がいかにも苦手そうなクルスは早くもうんざりとした表情をしていた。
「それなら別に三人一組でも――」
そこまで言いかけたレキの口を伊勢が慌てて塞ぎ、耳打ちする。
「レキはそんなんだからカレシの一人もできねーんだよ」
「私の記憶では、お前に恋人ができたためしもないのだがな」
「今から作るんだよ! 今日は諏訪さんと二人きりになれる絶好のチャンスなんだ。しかも遊園地という最高のシチュエーション! 頼むっ、後生だからレキも手を貸してくれ」
衆目の前で拝み倒されては無碍にもできず、レキは額に手を当てながら渋々頷いた。
「よこしまな知恵に限ってよく働く男だ。仕方ない、モモに無理はさせるなよ」
ところが伊勢の企みはレキとの密談が終わった直後に瓦解した。
ひそひそ話を終えて振り返ると、無情にもモモは鈴珠と手を繋いでいた。
「鈴珠さまは私と一緒に回りましょうね」
「いや、ワシは――」
「どうしたんですか? 顔色が悪いですよ。電車酔いしちゃいました?」
「……いんや、なんでもない。ふふっ、年甲斐もなく胸が躍るのう。モモや、さっそくあの車で競走じゃ!」
手を繋ぐ仲むつまじい二人はゴーカート乗り場を目指して駆けていった。
クルスがレキのそばへ寄ってくる。
「サムライ、俺は貴様と組む」
「ああ、約束だったものな」
六人のうち、ひと組みは鈴珠とモモ。もうひと組みはレキとクルス。となると、残された二人は必然的にペアを組まざるを得ない。
「伊勢、僕らはどれに乗ろうか」
フォルテにさわやかな笑みを向けられて、伊勢は期末試験のときとは比べ物にならないくらい顔を土気色にさせた。
観覧車はレキとクルスを乗せてみるみる上空へ昇っていく。
クルスは観覧車の窓からミニチュアと化した景色を観望している。
二人きりになってから一時間は経っている。
クルスとのアトラクション巡りは楽しくもあり気まずくもあった。
垂直落下が売りのジェットコースターでレールのジャングルを駆け抜けようが、船の形をした巨大ブランコの遠心力に揺さぶられようが、金髪外国人のこの少年は常に平静を保っていた。感情の表現が乏しいのは普段からなのでこうなることは予想していたものの、レキは待ち時間の間を持たせるのにとにかく苦労した。
「ジェットコースター程度では魔導士には物足りなかったか?」
「いや、それになりに興が乗った。この観覧車というものもなかなか味わい深い」
「なら少しは嬉しそうにしろ。私だって気を遣ってしまう」
「余計な世話だ。俺と貴様の間に気遣いなど無用」
「……確かに、そうだったな」
戦いに明け暮れるクルスに幸せのぬくもりを知ってもらうため、レキは無意識の内に彼の機嫌を取ろうと躍起になっていた。肩肘張っていた身体の力を抜くと、ついさっきより彼を近くに感じられた……肩が触れ合う距離で歩く下校のときと同じくらい。
観覧車が軌道の頂点を通過し、ゆるやかに下降していく。ゴマ粒だった人々の姿が徐々に判別できるようになってくる。
コーヒーカップに乗っている伊勢とフォルテがいた。
フォルテはさわやかな笑みで中央の皿を回し、加速するカップを大人げなく楽しんでいる。ふてくされる伊勢はカップの縁に寄りかかり、男二人の遊園地デートが終わるのを無気力に過ごしている。
鈴珠とモモはメリーゴーランドではしゃいでいる。
「今夜、ここにシグマと鬼が来るのか」
「あの『黒猫』は人間をおちょくることを無上の悦びとしているからな」
クルスは憎しみを隠そうともせず歯軋りした。
獄炎にただれる遊園地、荒れ狂う悪鬼、外道魔導士の高笑い。最悪の悪夢が脳裏によぎる。
「クルス。一つ頼みがある」
「よもや貴様もフォルテにほだされ『復讐なんてくだらない』などと抜かすのではあるまいな」
「私にお前を止める権利はないさ」
肯定とも否定ともつかぬ返事をしてレキは続ける。
「ただ、復讐に固執して自棄にはならないでくれ。友が傷つき倒れるなんて耐えられない。お前のそばには私がいることをどうか忘れないでくれ」
「……貴様は自分と化け狐の身でも案じていろ」
クルスも曖昧な返事をよこした。




