第22話:神々の書庫
世界の事物をあまねく記録し所蔵する神々の書庫。そこならば禍津薙の手がかりが掴めるはず。
しかし魔力が不足している鈴珠では書庫へと続く扉を開けない。
昨日の鈴珠とのやりとりをフォルテに聞かせると、意外にも彼は「なんとかなるかもしれないよ」と前向きな反応を示した。
レキ、鈴珠、フォルテ、クルスの四人がレキの部屋に集まって葛籠を囲む。
人間姿のフォルテが、銀髪の下に隠れた伏せがちな眼で物珍しそうに部屋を観察している。クルスは無関心に窓の外に目をやっている。二人を部屋に招くのは手負いのクルスを介抱したとき以来で、レキはどことなくむずかゆかった。
「清潔な部屋だね。質実剛健だ」
「遠慮せず殺風景と言ってくれ」
フォルテのかなり苦しい褒め言葉に、レキは申し訳なくなった。
テレビ、テーブル、本棚、カレンダー。日常生活に必要な道具が最低限あるだけで、個人の趣味はどこからも感じない。本棚に飾られたスノードームがささやかに部屋を飾り立てている。華といえばその程度。アズマにからかわれたときは反発したものの、自分が年頃の少女に似つかわしくない性格であることくらいレキは充分承知していた。
「レキは読書が趣味なのかい?」
近代文学の文庫本が並ぶ本棚をためつすがめつ、フォルテが質問する。
「勉学の一環として読んでいるに過ぎない。特別楽しくはないな」
「僕とクルスはジャズを聴くのが好きでね。よかったら今度CDを貸してあげようか」
「感謝する。それにしても奇遇だ。実はここの管理人もジャズが好きなんだ」
「アズマさん、だっけ。ひょうきんで愉快な人だよね」
本当に奇遇だ。
フォルテが小声で意味深に一人ごちた。
「抜け目のない男じゃ。易々と隙を晒してはいかんぞ」
アズマの名を耳にするや、鈴珠がさっそく口を挟んだ。
レキが高校に通っている昼間、鈴珠はアズマの部屋で世話になっている。住まいと食事を提供してもらう代価として家事やアパート管理を手伝わされている鈴珠は「神さまをこき使うとは罰当たりな男じゃ」と日々愚痴をこぼしている。
空き部屋として半年以上ほったらかしだったフォルテの部屋も無理矢理掃除させられたのだと知った彼は「神さまが掃除した部屋だなんて御利益がありそうだ」と冗談めかした。
「そうじゃ、今度からは白猫どのの厄介になろうかの」
「鈴珠さま」
「じょ、冗談じゃよ」
そんな怖い顔することないじゃろうに……。
頭に角を生やすレキをなだめんと鈴珠は慌てて笑ってごまかした。
雑談を切り上げ、四人はいよいよ本題へと入る。
フォルテが細く白い手で鈴珠の手を握る。
「先にも話したとおり、僕とクルスの魔力を鈴珠に送り込めば『神隠しの渦』を完全に開けるかもしれない。さあクルスも鈴珠と手を繋ぐんだ」
クルスは呼びかけを無視してなおも窓の外を眺めている。
内外の温度差で窓ガラスは若干曇っている。訝るレキたちも窓の外を凝視する。そこには何の変哲もない、雪の降り積もる住宅街があるだけ。
「どうした小僧。はよせんか」
「……」
「まさかおぬし、手を繋ぐのが恥ずかしいのか」
鈴珠に心の内を見透かされたクルスは、必死に保っていた無関心無表情をとうとう崩した。
頬を真っ赤にさせ悔しそうに歯軋りするクルス。彼のうぶな仕草と表情に鈴珠は満面の笑みを浮かべ、瞳をきらきら輝かせてこの上なくはしゃぎだした。それがいたずらの対象を発見したときの眼だとレキは知っていた。
「おぬしも案外かわいいところがあるのう! ワシなぞ女として扱わんでもよいというのに。愛い奴よ」
目を細めて色っぽくしなだれかかる鈴珠をクルスは乱暴に払い除ける。
「だっ、黙れ化け狐! 精神を集中させていただけだ」
――クルスも男の子なのだな。
レキは呑気にそんなことを考えていた。
外貌こそ十代前半の少女でも、狐の神という性質のせいか色目を使う鈴珠は男を惑わすのに充分な色気があった。
着物を着崩して晒されるうなじが劣情を煽る。これで性格もおてんば小娘でなければクルスは陥落していたに違いない、とレキは他人事ながら分析していた。
鈴珠の言葉を否定せんと、クルスはぶっきらぼうに彼女の手を握った。
薄く発光するクルスとフォルテから鈴珠へと、濃い光の塊が脈打ちながら流れ込んでいく。
霊妙な光で包まれた鈴珠がまぶたを閉ざして瞑想する。
葛籠の底に空間の歪みが生じた。
竹で編まれた葛籠の底が徐々にねじれていく。ねじれは時間が経つほど強くなり、やがて大きな渦と化した。
鈴珠が渦に腕を浸ける。表情は芳しくない。
「まだじゃ、まだ魔力が足りん」
「試しに私とも手を繋いでみましょう。わずかながら力があるかもしれません」
レキは左手を鈴珠と、右手をフォルテと繋ぐ。
気休めにもなるまい、と本人すら大した期待を抱いていなかった。ところがレキが輪に加わるや否や、彼女の全身からまばゆいばかりの強烈な光が発せられた。
魔導士二人のときとは比べ物にならぬ量の魔力が次々鈴珠へと流動していく。
濁っていた葛籠の渦が光を帯びだす。渦は途方もない潮流となって部屋全体を揺らす規模にまで至った。
テレビや本棚が壁にぶつかり音を立て、窓ガラスも危うげに振動する。乾かしてあった食器もめちゃくちゃな合奏を奏でだし、スノードームが粉を舞わせる。天井からはホコリが散ってくる。
足腰に力を入れないと姿勢を崩して転んでしまう不安定な揺れ。渦が暴走しているのは明らかであった。
「すさまじい魔力だ!」
「どうなっている。サムライからはこれほどの魔力は感じなかったぞ」
「なんだっていいわい。さあ、渦に飛び込むぞ!」
鈴珠が先陣を切って葛籠の渦に飛び込む。三人も後に続いた。
渦の底を抜けた四人は、長い長い回廊の端に落ちた。
天高くそびえる書架が両側面に立ちはだかり、直線の通路を延々と構築している。書架の頂上も通路の終端も視界の及ばぬ範囲まで伸びて霞がかっている。天井があまりにも高いせいで屋内なのか屋外なのかすら判別がつかない。そもそも内と外という概念がここにはないのかもしれない。
途方もなく高く長い、書架の回廊。
超高次元領域の一つ、神々の書庫に四人はいた。
神々の書庫は森羅万象を記録しているばかりでなく、現世と神の住処とを繋ぐ通路の役目も果たしている。呆気にとられる三人に鈴珠はそう解説した。
「それにしても、レキがあれほどの魔力を有しておったとはの」
フォルテが「いや」と鈴珠の言葉を否定する。
「彼女は正真正銘普通の人間だよ。魔力は微量たりとも保有していない……はずなんだ」
だとしたらレキが手を繋ぐことによって渦の力が強まった説明がつかない。
「レキ、禍津薙は持っているのかい」
レキはポケットから扇を取り出す。魔力を奪取する際は正気を失うほどの力を発揮するも、所持している分には何ら害を及ぼさないため肌身離さず持ち歩いていた。
「もしかするとさっきの異様な現象は、黒騎士から吸収していた魔力を禍津薙が放出したからなのかもしれない」
「吸収する力があるのなら放出する力もあるということか」
「あくまで僕の推測だよ。そもそも魔力奪取の力でさえ不確かなのだから」
ここで立ち止まって考えていたところで埒が明かない。いずれにせよ、この書庫で禍津薙について調べればすべて明らかになる。四人はいよいよ先へ進みだした。
道に明るい鈴珠を先頭に四人は神々の書庫を歩いていく。
巨大な書架によって構築された細長い回廊。歩けど歩けど終端は晴れない。果てしなき一直線が続くのみ。
「ここに納められてる書物ひとつひとつに世界のあらゆる物事が……」
「さよう。過去、現在、未来すべてが記録されておるのじゃ」
「未来の出来事まで!」
自分たちがこれから何を選択し、どのような道を歩んでいくのか。己ですら知らない未来の意思を神は把握している。人知を凌駕す、計り知れぬ力にレキは絶句した。
「ワシらごときに閲覧は許されておらんがの。未来の書を自由に読めるのは父上くらいじゃろう」
「魔導会でも未来視や時間遡行は禁忌中の禁忌とされている。将来を知っている上での行動は運命の歯車に矛盾をきたし、宇宙の運行に悪影響を及ぼすからね」
代わり映えのない景色の中を延々と歩いているせで次第に気が滅入ってきて、レキは自分が歩いているのか書架が動いているのか段々と分からなくなってくる。
収められている書物に触れてみる。いくら力を入れても書物は書架から引き抜けない。
腕時計を確かめる。
現世と時空の概念が異なるからなのか、三本の針は活動を停止している。
「かれこれ二十分は歩いている。化け狐、まだ着かないのか」
苛立ちをあらわにするクルスに鈴珠は嘆息する。
「近頃の若者は辛抱を知らんのか。ほれ、着いたぞ」
回廊のさなか、道案内役の鈴珠はようやく立ち止まった。




