第18話:マガツナギの猛り
「その程度で音を上げるのでは、かの外道魔導士を討つなど夢のまた夢。肉親の無念を晴らすのではないのか少年よ。立て。剣を取れ」
疲労の色を隠しきれず肩で息をするクルス。黒騎士は攻め手を休め剣を下ろした。
「舐めた真似を」
その強がりすら喉からどうにか搾り出す有様である。
雪は体温を容赦なく奪う。
絶え間なく吐かれる白い息がクルスの顔面を覆い隠す。
超高次元領域から脱出したレキたちはすぐさまクルスを介抱した。一騎打ちに水を差されたというのに黒騎士に動じる気配は無く、漆黒の剣を雪の積もる地面に刺して静観を決め込んでいた。
「クルス、無事か!」
「遅いぞ、のろまどもめ」
「どうして電撃魔法を使わなかったんだ」
「貴様に教える筋合いはない」
レキの肩を借りたクルスはそう悪態をついたのを最後に気を失った。
クルスは鈴珠神社への被害を恐れて電撃魔法を封じていたのだ。それを察したレキは「ありがとう」と腕の中で眠る友に感謝を述べた。
レキは黒騎士と真正面から向かい合う。
「黒騎士オヅ。お前ほどの気高き騎士ならクルスの想いだって理解しているはずだ。事実、お前はクルスへのとどめの一太刀を躊躇っている。ここで手を引いてくれ」
「……それは主の命に反する。我が主の命こそ絶対」
矛盾に陥った黒騎士は黙りこくる。狂気に憑かれた外道魔導士とは違い、彼には血の通った理性が宿っていた。
しばらくの沈黙の後、黒騎士は地面から剣を抜いて切っ先をクルスに向けた。説得が通じるのではないかというレキの甘い期待は、漆黒の剣によって微塵に斬り刻まれた。
「せめて苦しみを与えず冥府へ送ろう。使い魔よ、貴公はお嬢さん方を連れて何処へなり消えるがいい」
「そんな甲斐性なしの使い魔になった覚えはないね」
フォルテが激しい光に包まれる。
光が収束すると、先ほどまでいた白のアメリカンショートヘアは何処かへと消えており、代わりに銀髪の美青年が姿を現していた。
戦闘の意思と受け取った黒騎士は剣を構える。もはや迷いや曇りはなかった。
フォルテがレキと鈴珠にささやく。
「護衛形態と違って白兵形態では他者への防御魔法は使えない。愚直な黒騎士がレキを攻撃する可能性はないにしても、召喚者の魔導士が不意打ちを仕掛けてくる危険性は充分にある。油断は禁物だよ」
クルスやフォルテと違ってレキは正真正銘生身の人間。身体強化の魔法が使えぬ彼女に黒騎士の激流のごとき剣捌きをかわす術は無い。そして黒騎士の剣を浴びることは彼女にとって死を意味する。
「禍津薙はどうすればいい」
「僕が黒騎士を拘束した隙に一撃を叩き込んでやるんだ。真白大神から授かった扇型のアーティファクト『禍津薙』の力が魔力の無効化、あるいは奪取だとすれば、肉体を維持する魔力を失った黒騎士は封印されていた『筒』に帰還させられるはず」
「……私が戦うのだな」
「僕はクルスほど優しくはないから、キミには無茶を強いるよ」
「大丈夫だ。覚悟はとうにしている」
震える手を背中に隠して力強く頷く。安心したのか、もしくはレキを安心させるためかフォルテは表情を和らげた。
「鈴珠にはクルスの介抱をお願いするよ。本当は手を貸してもらいたいところだけれど、標的であるクルスを放っておくわけにはいかない」
「うむ」
鈴珠も小さななりでクルスを精いっぱい支えていた。
「御託は済んだか」
黒騎士が腰を深く沈め、次の一挙動で攻撃に転じられる体勢へと移行する。
「ああ。いくよ、黒騎士オヅ」
光のオーラを剣の形に変えたフォルテがそれを振るったのを合図に、戦いは始まった。
空を斬った剣の刀身から光の刃が発生し、飛翔する。光の刃は雪を激しく巻き上げながら黒騎士に襲い掛かった。
遠距離からの先制攻撃を剣で受け流した黒騎士は一瞬たじろいだ後、すぐさま攻撃に転じた。
一拍で至近距離まで間合いを詰め、遠心力の勢いを乗せた剣を真横に薙ぐ。
漆黒の剣がフォルテの『身体』を腰から上と下にまっぷたつにして――その『虚像』は役目を終えて霧散した。
敵の策謀にかかったと認識したときにはもう遅く、黒騎士は背後に回っていたフォルテの『実像』から伸びる光の帯に四肢を拘束されていた。雪を巻き上げたときに乗じて張られた罠にかかった黒騎士は身動きを完全に封じられた。
「悪いね。僕はキミの気高い騎士道精神に付き合うつもりはないよ。奸計、陥穽、権謀術数――あの外道魔導士ほどじゃないにせよ、生き延びるための手段は選ばない。僕相手のときくらい本気を出してもよかったんだよ? 『予備』はいくらでもあるんだから」
「我が生き様を他者に強制するつもりはない」
「見上げた根性だ。レキ、遠慮する必要はない。禍津薙を使うんだ」
レキは手の震えを止められず扇を落としそうになる。
「……わ、私は」
「レキ、気をしっかり持つんじゃ!」
鈴珠の声援にレキは弾かれた。
「私は!」
緊張で震える身体に活を入れ、黒騎士に突貫した。
散々踏み荒らされた、雪の積もる地面を走る。視界の映像がスローモーションに映り、たった数メートル先の黒騎士が途方もなく遠くにいる錯覚に襲われる。必死に動かす手と足は空回りし、思い通りに走れない。
もがいてもがいてもがいて、いよいよ黒騎士と肉薄する。心臓が異常なまでに高鳴り、早まり、破裂の瀬戸際で鼓動する。
レキにとって生まれて初めての戦闘行為、殺し合い、命のやり取り。
平凡な人生でまず経験することのない、生々しい殺生への躊躇いと、血なまぐさい背徳と、理性の奥で眠っていた野性の昂揚。両極端な正と負の感情がないまぜになって、肉体が沸騰せんばかりの興奮をもたらす。
「私は、私は戦う!」
有らん限りの覚悟と勇気を振り絞って――レキは獅子の咆哮を上げ、禍津薙を黒騎士に振り下ろした。時間が急加速を始めた。
黒騎士とてみすみす攻撃を許すはずがなく、光の帯に抗って剣を振る。
ところが、漆黒の剣はレキの頭上すれすれで止まった。
拘束のせいではない。明らかに黒騎士の意思で剣は止められた。
一心不乱のレキは躊躇うことなく禍津薙を黒き甲冑に叩き付けた。
禍津薙が黒騎士に触れた途端、激しい光の潮流が立ち昇る。
おびただしい量の魔力が扇の触れた場所からレキの身体に吸収されていき、黒騎士は苦悶のうめき声と共に膝をついた。
レキは強い力を肉体の内に感じる。
……そして同時に、妙な感覚に襲われていた。
魔力を吸収するに従って、恐怖やら怯えやらが酒酔いにも似た至福に飲み込まれていく。
――なんだ、この気色の悪い感覚は。眩暈がするというのに心地よい。
邪悪と表現するに相応しい、抗えぬ愉悦と万能感に、レキは知らず知らずのうちに陶酔していた。
その違和感と嫌悪感さえも次第に薄れていく。
女性を斬れぬ黒騎士の高潔さなどとうに忘れ、魔力をことごとく吸い尽くしたいという飽くなき欲求が急速に理性を支配していく。
魔力を求めて暴走する禍津薙が勢い余って光の帯からも魔力を吸おうとしたため、フォルテは咄嗟に黒騎士の拘束を解いた。支えていたものがなくなった黒騎士は雪の中に崩れ落ちた。
「レキや、何がそんなに可笑しいのじゃ」
鈴珠の震える声で、レキは自分が笑っていることに初めて気づいた。
「フフフ……アハハハハ。鈴珠さまも喜んでください。私たちが黒騎士を倒したのですよ。楽しいに決まってるじゃないですか! もうしばらくお待ちください。すぐにこいつの魔力を吸い尽くしますから」
どうしようもなく愉快で高笑いを止められない。
心配がって近寄ってくる鈴珠を不愉快の対象として認識し、睨んで威嚇する。
「邪魔です。どいてください」
本人すら驚くほど冷たい声色だった。
「レキ、おぬしどうしたのじゃ」
「鬱陶しいって言ってるでしょう!」
狂犬のごとく吠えたレキは苛立ちを抑え切れず鈴珠を突き飛ばした。
刹那に生じた罪悪感や後ろめたさは、体内で暴走する愉悦によってあっけなくかき消された。猛毒となって浸透する魔力由来の万能感は善悪問わず、レキのあらゆる行動を無条件に自己肯定させた。
「まさか……魔力に『酔った』のか」
忌むべき感情に汚染されて豹変するレキに、フォルテは焦りをあらわにした。




