第16話:白に降り立つ黒の騎士
巨木が石段の途中に倒れており、鈴珠神社の参道を遮っている。
よしんば巨木をよじ登って無理矢理先に進んだとしても、長年の風雨で腐食した石段は片足を乗せるだけでぐらつく有様で、積もった雪と相まっていつ足を滑らせてもおかしくなかった。
石段を上った先にある、色あせて腐り落ちた鳥居が雪模様に霞んでいる。
レキと鈴珠、そしてクルスとフォルテの三人と一匹は仕方なく脇の林道に足を踏み入れた。
湿った土を踏みしめて一行は林の坂道を登る。遠回りになるとはいえ、この裏参道を辿っても表参道の拝殿前に出られる。以前、レキとアズマが神社の掃除をした際もこの道を利用していた。
「鈴珠、キミにはあらためて礼をするよ。神の力があるならば、かの外道と狡猾の魔導士にも対抗できる。『転生珠』という名でよかったのかな? あのアーティファクトがある限り、僕とクルスとレキだけでは指一本触れられそうにないからね」
さりげなく自分の名も加えてくれたところに、レキはフォルテの気配りを見た。
「勘違いするなよ。俺がシグマと鬼を討つ理由は奴らが両親の仇だからだ。化け狐の尻拭いをするつもりなど毛頭ない」
主のはといえば、相変わらず愛想の片鱗すらも見せなかった。
フォルテの琥珀色の瞳がまじまじと鈴珠を観察する。
「魔法を打ち消す神風を操っておきながら力の大半を失っているとはね。げに恐ろしきは神の御力ということか」
シグマとの決死の戦い。レキは今でもありありとあの場面を脳裏に再現できる。
聖なる風を自在に操って穢れを清め、生み出した数多の刃で仇名す者を微塵に切り刻む。猛々しき荒神の側面を垣間見たレキは、同居する狐の少女が紛うことなき神の一柱であることを思い知らされた。
「鈴珠神社が再興されれば神格も元通りになるんじゃが、それには神体である転生珠を取り戻し、本殿に祭らねばならん」
「そして肝心の転生珠はシグマが所持している、と。ままならないものですね」
「次にまた腰を抜かして泣きべそをかいても助けるつもりはないからな。せいぜい足手まといにならぬよう立ち回れ」
クルスは己の力のみで親の仇を討つ信念をかたくなに曲げようとしなかった。
林が途切れて出口に差し掛かる。
「真白大神の託宣か。眉唾だな」
捨て台詞を吐き、早足になったクルスは皆を置き去りにして林を抜ける。レキとフォルテはいい加減慣れてしまったものの、彼と接する機会の少ない鈴珠は彼の素っ気なさに目をしばたたかせていた。
「おぬしの主は随分と手厳しいの。胃が締め付けられるわい」
「慣れっこだよ。十一年の付き合いだからね」
「この前一緒に昼食を食べていたときなんかの、ワシのブドウをあやつに恵んでやったらすごい剣幕で睨まれて肝を潰したわ」
「嫌いな食べ物を押し付けられたら誰だって腹が立ちますよ、鈴珠さま」
「あんなのでも驚くべきことに、かわいげの一つや二つあるんだ。辛抱して欲しい。だよね、レキ」
クルスの耳に届かぬよう、レキはこみ上げてくる笑いを押し殺しながら「ああ」と返事をした。
薄暗い裏参道を抜けた先には広漠たる表参道。
一面には新雪。雪の照り返しにレキたちは目を細めた。
真白大神の託宣に従って鈴珠神社を訪れた結果、待っていたのは朽廃した神社のみであった。
拝殿や本殿を覗いてみても、以前レキが訪れたときから変わらずの荒れ放題。三十分近く周辺の様子を探っても特別な兆しは一向に見つからない。真白大神の声も聞こえず、具体的に神社で何をすればよいのかわからないレキは焦燥に駆られた。
「クルス、そんなところに腰かけたらバチがあたるぞ」
賽銭箱に尻を乗せるクルスはレキの忠告を鼻で笑う。
「『あの』神のバチなど恐るるに足らん」
神社の主である『あの』狐の神さまは、使い捨てカイロ三枚を神通力で浮遊させ、お手玉にして無邪気に遊んでいる。夢での託宣に従ったというのに待てども待てども真白大神は現れず、娘である鈴珠の呼びかけにも応じなかったので、レキは叱るに叱れなかった。
――あれは託宣ではなく、私が疲労困憊したときに見たただの夢だったのではないか。
その可能性が次第に現実味を帯びてきた。
失意に暮れるレキの後頭部に、不意に軽い衝撃。頭に手を触れると、砕けた雪の欠片がポニーテールに絡まっていた。
「ひゃっほう、命中じゃ!」
背後を振り返ると、鈴珠が二発目の雪玉を丸めはじめていた。
腹が立つ気力も遊びに付き合う気力もないレキは脱力し、拝殿の柱にしなだれかかった。反応の薄い彼女に、鈴珠は不満げに頬を膨らませていた。
「なんじゃ、もうおしまいかレキ。つれないのう」
「鈴珠さまは相変わらずお元気で」
皮肉のつもりで言ったはずの言葉を賞賛と受け取った鈴珠は「ハッハッハッ!」と偉そうに背中を反らした。
「昔はここで童どもの雪遊びに付き合ってやったものじゃ。雪合戦したり雪だるまを作ったり。子供だけではないぞ。大人の参拝者だっていっぱいおったのじゃ。平癒祈願や学業成就、果ては安産祈願……なんでもかんでも『鈴珠さま鈴珠さま、お願いです』と好き放題願っておった」
八十年前の思い出を懐かしんでいた鈴珠は、ふいに元気を失ってうなだれる。
「……父上の怒りを買ったのかもしれん」
「真白さまの?」
「ワシも人間たちからちやほやされて天狗になっておったからな。禁忌とされておる人間世界への深入りも、しょっちゅうしておった。だからワシは封印されてしまったのじゃよ、きっとな」
葛籠に張られていた封印の札をレキは思い出す。
「スセリはまだ元気にしておるかの」
近くて遠くて過去に鈴珠は思いを馳せる。
「そのスセリという方は大事な人なのでしょうか」
「いつも遊んでおった人間の娘じゃ」
「もしかすると、現代でもご存命かもしれません。この戦いが終わったら、スセリさんを一緒にさがしましょうか」
「よいのか?」
「ええ、もちろんです。鈴珠さまの大切な人なのですよね?」
「うむ」
鈴珠はうなずいた。
「貴様の与太話に付き合うのもここまでだ。俺は帰るぞ」
痺れを切らしたクルスは賽銭箱から降りる。
「待て、クルス」
「何を待てというのだ」
返答に詰まるレキ。足を止めていたクルスは今度こそ歩き出す。使い魔のフォルテは薄情にも依然としてレキの膝の上。
「僕は彼女らと居残ってもいいのかな」
「勝手にしろ」
「しかしクルス、キミ一人で帰宅するには少々骨が折れそうだよ」
「……なるほど」
参道の正面に異様な存在が立ちはだかり、クルスの行く手を塞いでいた。
新雪の白に映える黒。兜の先から具足のつま先まで余すところなく黒。
漆黒の西洋甲冑を全身に装着した、騎士の風体をしたその男は、同じく刀身まで黒い剣を既に抜いている。表情は兜に覆われているため窺い知れない。甲冑は顔どころか肌全体を覆い隠しているため、実際のところ男かすら怪しい。
漆黒の騎士は抜き身の剣を静かに携えてクルスを待ち構えている。
クルスは両腕に静電気をまとわせ、フォルテも光のオーラを昇らせる。一触即発の空気が彼らを中心に張り詰めていた。
正体不明の黒騎士。
シグマの仲間か、フォルテが危惧していた魔導会からの差し金か、もしくは全くの第三者か。切っ先を向けられていることから、少なくとも敵であることだけは確実。しかも相当の手練れであるのが戦いの素人のレキでさえ、ぴりつく肌で感じ取れた。
「昨日のうちに『予備』を取っておいて正解だったね、クルス」
「縁起でもないことを。俺たちに敗北はない」
レキは怯える鈴珠を抱いてクルスたちの背後に下がった。
「貴様が魔導士クルスか」
籠った低い男の声で黒騎士が問う。クルスの無言を肯定と受け取り、言葉を続ける。
「我が名はオヅ。漆黒の剣にて主の敵を斬り、漆黒の鎧にて主の盾となる暗黒の騎士なり。主の命により貴様の命貰い受ける。さあ、剣を抜け。お嬢さん方は退いていられよ。我に命じられたのは離反者クルスと使い魔の抹殺のみ」
鋭利な漆黒の剣。
一点の曇りすらなく美しく、真っ白な雪景色が刀身に映っていた。




