第14話:神さまの待ちぼうけ
深夜はまばらだったケーキ屋の前は、朝になると二重三重の人だかりで沸いていた。
一般市民はもとより、テレビのニュースキャスターと大きなカメラを担いだスタッフも数多くいて目の前の惨状を中継している。黄色いバリケードテープの前では何人もの警察官が立ち塞がり、押し合いへし合い群がる野次馬たちの侵入を押し留めている。
花尾町で目下一番の話題である建築物連続破壊事件。
通称『鬼』の噂。
その新たな一件は凍てつく十一月の町を恐怖と好奇心で盛り上げていた。
「新しいケーキ屋さん、楽しみにしてたのになぁ」
人だかりの最外周から必死にジャンプし、事件の有様を見物しようとする野次馬根性丸出しの伊勢。そのかたわらでモモが物憂い顔で肩を落としていた。レキは萎れる彼女の肩を抱き寄せた。
「鬼さんひどいよ。私もクルスくんも楽しみにしてたのに」
レキの冷ややかな視線を背中で感じた伊勢はホッピングを止めて大人しくなる。
「ま、まぁ、クルスやレキが無事だっただけでも万々歳だよ、諏訪さん」
「そっ、そうだよね。ごめんねレキちゃん。私またお馬鹿なこと言っちゃった」
「あれだろレキ。鬼だけじゃなくてシグマとかいうチョーヤバイ魔導士とも戦ったんだろ? 俺なんかコンマ一秒で逃げ出したってのにすげーよマジ」
いや、とレキは首を横に振る。
「私は何もしていない。何も、何もできなかった」
心を痛めているのはモモだけではない。レキもまた倒壊したケーキ屋をあらためて目にして己の無力さを痛感していた。
どれだけ強い意志があろうと力がなければクルスの嫌う『弱者』でしかない。
レキとて鬼が怖くないはずがない。しかし、クルスや鈴珠のためならば命の一つや二つ賭ける覚悟はあった――鬼や魔導士に対抗できる力さえあれば。
ままならない己のもどかしさに下唇をかみ締める。冬の大気に晒されていた唇は前歯に挟まれただけで簡単に割れ、舌に鉄っぽい血の味が広がった。
辛気臭い雰囲気になりかけたのを察した伊勢が二人の背中を押す。
「はいはいっ、んじゃそろそろ鈴珠さま迎えにいこうぜ」
レキは未だ晴れぬ想いを抱いたままその場を後にした。
住宅街の路地に積もっていた雪は自動車のわだちやら通行人の足跡やらで散々踏み荒らされて汚れている。電線に積もっていた雪が不意に落下してきて三人を脅かす。通りすがった公園では男子小学生たちが一心不乱に雪をぶつけ合っていた。
「そろそろ期末試験だねー」
出し抜けにモモが言ったので、伊勢は「マジで?」と仰天した。
「試験って何日からだっけ……」
「今月末から来月の頭にかけてだ」
レキに試験日を教えられた伊勢は冷や汗を手の甲で拭い「まだ二週間近くあるじゃんか。おどかさないでよ諏訪さん」と胸をなでおろしていた。
「驚く必要はないだろう。お前は二週間だろうが二日だろうが、結局いつも一夜漬けなのだからな」
「どうしてそれを知ってんだよ。幼馴染特有の勘ってやつか」
伊勢は試験当日、必ず目の下に深い隈を作って登校してくる。本人は心底不思議がっているが、傍からは明らかに一夜漬けで勝負を挑む顔だとばれていた。試験前日にゲームセンターで遊んでいたという目撃情報までときおり上がっていたので言い逃れは不可能である。
「で、でも俺、赤点まだ一度も取ったことないし!」
進退窮まり、とうとう開き直った。
「俺のことよりさ、えっと……そうだ! クルス! クルスの心配したほうがいいって。あいつ転校してきたばっかだし外国人だし、日本の定期試験も知らないだろうから教えてやろうぜ」
「伊勢くんやさしいんだね。今度みんなでクルスくんに試験の勉強の仕方教えてあげようね」
「口先ばかり達者な奴め」
妙案だとモモは感心し、伊勢は上手い具合に話題を逸らした挙句、図々しくも鼻を高くしていた。
アパートに着くと、鈴珠が玄関前の駐車場で一人待ちぼうけを食っていた。
口を半開きにし、雪の降る空を眺めている。
「遅かったの、三人とも」
「わりーわりー、ちょっと長話しちゃってましたわ。でも鈴珠さま、わざわざ外にいないで部屋で待ってりゃよかったのに」
耳を隠すニット帽に積もった雪を伊勢が払ってやる。
「空を仰いでおったのじゃ」
「空になんかあるんすか?」
「何もないから仰いでおったのじゃよ」
鈴珠に倣って三人も空を見上げる。
分厚い灰色の雲は視界の果てまで空を塞ぎ、絶え間なく雪を降らしている。他には何もない。ただただひたすら灰色。もう一晩過ぎれば地上もやがて白に染まりきる。当分晴れ間を拝めそうにはなかった。
「わかった。空の上にいる両親が恋しいんでしょ」
鈴珠は「両親か」と自嘲する。レキは「相変わらず間の悪い奴め」と内心で伊勢を罵った。
「父上も母上もとうの昔に天下っておるから空にはおらんよ」
「そ、そっかー。それじゃあ仕方ないですよねー。そっかー」
「おぬし、ワシの言っとる意味わかってないじゃろ」
無学よのう、と鈴珠はけらけら腹を抱える。
思いがけぬところで突破口を開けた伊勢は調子を合わせて彼女と一緒に笑った。藪蛇かと思われた伊勢のおかげで、たそがれていた鈴珠にわずかに色が戻った。
鈴珠の背後からモモが抱きつく。
「鈴珠さま、今日は私と手を繋いでくださいね」
「仕方がない奴よのう」
「じゃっ、じゃあさ! 余った手で俺と手を繋ぐってのはどう?」
「本当に仕方がない奴よのう」
「いやいやいやいや、鈴珠さまアンタじゃないよ!」
父なる神『真白大神』による鬼討伐の命が下ってからすっかり塞ぎ込んでいた鈴珠は、レキでも油揚げでもなく友人二人によって元気を取り戻した。かけがえのない二人にレキは感謝した。
「して、今日はどこへ行くんじゃ」
「駅ですよ」
「駅? 汽車の駅に何があるというんじゃ」
「えっとですねー」
悩むだけ悩んだ末、モモは両腕を広げて答えを表現した。
「いろいろいっぱいありますよ!」
十字の形をし、四方に出入り口を構える、花尾市で最も大きな駅――花尾駅。
帰省する者や小旅行する者、地下のショッピングモールで買い物を楽しもうとする者。土曜日の花尾駅は人という人でごった返し活気に溢れていた。
四人はまず構内の洋食屋に足を運んだ。
「いろいろいっぱいあるのう!」
鈴珠はガラスケース越しに並ぶオムライスやスパゲッティに首ったけ。
隠していたはずのふかふかでもこもこのしっぽもコートからはみ出して元気よく左右に振っている。耳も同じ状態で、ニット帽から三角形の輪郭が二つ浮き上がっていた。
テーブル席に案内されると、鈴珠は真っ先に窓際の席を陣取って品書きを取った。
「オムライスハンバーグセットじゃぞ。ワシはオムライスハンバーグセットじゃぞ!」
「ハンバーグはこの前召し上がったはずでは」
「おいしいものは何度食べてもおいしいのじゃ」
油揚げづくしの日々がトラウマめいた映像でフラッシュバックし、レキは食事を頼む前から胸焼けに苦しまされた。
小さな身体のどこにそんなものを収める胃袋があるのか、厨房から運ばれてきたオムライスとハンバーグのセットを鈴珠は瞬く間に平らげた。
黄色と茶色の山をスプーン一本でむさぼりつくすその勢いやまさに山の嵐。せっかくの外食なのだからもっと味わうべきなのでは、と豪快な食べっぷりにレキは思ったが、イスの背にもたれて幸せいっぱい腹をなでる鈴珠を見て、その考えを改めた。
「次はスパゲティも食べたいのう」
「ま、まだ食べるんですか」
鈴珠はモモから手渡されたハンカチで口元を拭う。
「もう米一粒も入らん。ただな、ワシはまだスパゲティを食べたことがなくてのう」
「なら、また今度一緒に食べに来ましょう」
「……『また』か」
レキの言葉の断片を拾った鈴珠は、意味深に繰り返した。




