挿話(一)
岡田以蔵さん視点で短いです。
「十日ほど前、人攫いから逃げてきた娘を保護した。
帰るところも頼る身内もないと言うから、面倒を見ることにした」
先生からそう言われた時、最初に想像したのは、美しい娘だった。
攫われたなら、見映えがする娘なのだろうと思ったのだ。
だが、やってきたのは、痩せた貧相な子供だった。
髪はきちんと髷に結われているし、着物も古着とはいえ上等なものだったが、身体はまるで病みあがりのような細さで、頬にも手足にも丸みがなく、着物がだぶついていた。
青白い肌のせいで、よけい不健康そうに見える。
所作は隙だらけで、武家の娘にしては粗がある。
やけに怯えた表情としぐさで、俺の様子をうかがう。
名乗る声は弱々しく、言葉使いはどこの藩の者かわからない。
一言で言えば、不審だった。
子供が部屋を出ていくまで観察を続けても、やはり不審だった。
「……あの子供、信用できるのですか」
先生に向きなおって言うと、先生はどこか苦笑めいた表情になる。
「どういう意味だ?」
「そのままの意味です。
人攫いから逃げてきたというのも、帰るところも頼る身内がないというのも、あまりにも嘘くさい。
どこかの藩の間者ではないのですか」
間者が武術に長けている必要はない。
情報を得て手引きの者に伝えるだけなら、特別な訓練を受けていない者でもできる。
食うに困った子供が、金につられてひきうけたようにしか見えない。
「私とて、お雪の言うことを最初から信じたわけではない。
だが、お雪と話をして人となりを見て、嘘ではないと判断したのだ」
「ですが」
「私の判断が信じられないというのか」
先生のまなざしと口調が厳しくなって、言葉に詰まる。
「…………いいえ、先生がお間違いになることなど、ありえません」
出会ってから今まで、先生が間違ったことなど、一度もない。
「ならば信じろ。
……お雪の言葉を信じなければ、私は己を信じられなくなる」
後半のひとりごとめいたつぶやきの意味は、よくわからなかった。
とまどいながら見つめると、先生は話を変えるように軽く咳払いをなさった。
「お雪は間者ではない。身寄りのない不幸な娘だ。
いずれは親戚筋の養女にして嫁ぎ先を探すが、私が京にいる間はこの屋敷で面倒を見る。
節度を持って接するように」
「………はい」
先生がそう決められたのなら、従うしかない。
小さくうなずいて、ふと違和感に気づく。
「……あの子供は、いくつなのですか?」
十歳ほどにしか見えなかったが、さきほどの先生のおっしゃり方では、まるで嫁入り間近の娘のようだ。
「十八だそうだ」
さらりと言われて、目を見開く。
十八といえば、子供がいてもおかしくない、娘というより女というべき年頃だ。
だがあの子供は、髷を結って女物の着物を着ていなければ女子とは思えないような、女らしさの全くない貧相な身体つきだった。
「やはり、嘘をついているのでは……」
「間者なら、そんな疑われるような嘘をつく意味がないだろう。
見た目に合った年齢と身の上話をして、信用させようとするはずだ」
「……それは……そうですが……」
確かに、十歳になったばかりで親に捨てられて飲まず食わずで行き倒れていた、と言われたほうが、まだ信じられるだろう。
「年齢のわりに身体が小さいのは、ろくに食べていなかったせいだろう。
親に捨てられ、ひきとられた親戚の家でも奉公先でも、ひどい扱いを受けていたようだ。
幸せだと思うのはどういう時かと聞いてみたら、『食べる物と着る物と寝るところがあって、自分をいじめる人がいなければ幸せ』だと、答えた。
……それほどに、つらかったのだろう」
「…………」
父は下級武士だったから、贅沢とはほど遠い暮らしだった。
俺は長男だったこともあってか、人並み以上に成長できたが、弟達はそうでもなかった。
食事が成長に影響することは、よく知っている。
あの子供は、それほど過酷な環境で育ったということなのか。
だが、いやだからこそ、間者になったのかもしれないのだ。
「おまえが私の身を案じて、私に近づく者を疑うのはわかる。
だが、疑ってばかりでは、信じられるはずの者も信じられなくなる。
疑うなとは言わないが、信じることも忘れるな」
「…………はい」
先生が信じろとおっしゃるなら、信じるべきなのだろうが、あの子供、いやあの娘は、あまりにも怪しすぎる。
諭すような先生の言葉にうなずきながらも、疑いを消すことはできなかった。