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文久二年閏八月(四)

短いです。

 その後、先生といろんな話をして、わたしは『先生の遠縁の武家の娘で行儀見習いにきた』っていう名目で、お世話になることが決まった。

 町娘のほうがいいって言ったけど、先生に、そのほうがいいんだって言われたから、我慢した。

 せめて呼び捨てにしてほしいってお願いしたら、『お雪』って呼んでくださるようになった。



 昼餉の後、先生はこのお屋敷で働く人にわたしを紹介してくれた。

 お松さん、お梅さん、竹三たけぞうさんの三人だ。

 お松さんが先生のお世話と洗濯担当、お松さんと同じ年頃のお梅さんが料理と掃除担当、お梅さんより三つ年上の竹三さんが門番と庭の手入れ担当、らしい。

 お松さんは、下級武士の家の出で、ご主人も武士で、ここの近くでご主人と息子の家族と一緒に暮らしてて、普段は通ってきてる。

 昨日の夜は、わたしの世話のために、屋敷に泊まってくれたらしい。

 お梅さんと竹三さんは、町人の夫婦で、門の横の家に住み込みで、親の代からこのお屋敷の世話をしてて、息子二人はそれぞれ丁稚奉公に出てるらしい。

 人数が少ないから、わたしが手伝うようになるのは嬉しいって言われた。

 突然現れたわたしに、先生が言わなかった事情があるってわかってるはずなのに、三人とも優しくて、自分がどれぐらい役に立てるかわからないけど、がんばろうって思った。 

 寝かせてもらった部屋がわたしの部屋になって、お松さんに武家の娘の礼儀作法や家事を教わりながら暮らすことになった。











 朝、明け方頃に起きると、身支度して着物を着る。 

 台所で朝餉を作るお梅さんを手伝う。

 といっても今のわたしにできるのは、食器を並べるぐらいだけど。

 できあがる少し前に、奥庭で稽古をしてる先生に知らせにいく。

 できあがった朝餉の膳を居間に運んで、先生と一緒に食べる。

 わたしは使用人じゃなくて客人っていう立場だから、先生と一緒に食べるようにって言われた。

 嬉しいけど、緊張する。

 朝餉の片付けを手伝った後は、出勤してきたお松さんかお梅さんの忙しいほうを手伝って、掃除や洗濯をする。

 掃除機や洗濯機の便利さを懐かしく思いながらも、道具なしでやらされることに慣れてたから、箒と雑巾での掃除も、洗濯板と盥での洗濯も、すぐに慣れた。

 わたしが働いてた旅館は、女将さんの趣味で従業員全員着物が制服で、一番下っ端の雑用係のわたしも着物を着るよう言われた。

 それまで一度も着物を着たことなかったから、最初は歩くことすらまともにできなくて、慣れるまで一年ぐらいかかって、失敗するたび怒られて、大変だった。

 でもそのおかげで、今着物でも働くことができるのが、ありがたかった。



 昼、昼餉を先生が在宅なら先生と居間で、先生がでかけてたらお松さん達と台所で、一緒に食べる。

 片付けた後は、自分の部屋でひらがなの書き取り練習をする。

 話すのは問題ないのに、書いたり読んだりするのは全然だめで、先生が書いてくれたかなの手本を見ながら、筆で書く練習をした。



 夜、夕餉をたいていは先生と一緒に食べて、食後のお茶を飲みながら今日したことを報告する。

 片付けた後は、お風呂に入ってすぐに寝る。

 このお屋敷を建てたのは、すごく身分の高い人だったらしくて、建物はこじんまりしてるけど庭は広くて、お風呂とか台所とかの設備はちゃんとそろってて、井戸もあった。

 灯りとか身の回りの品とか、現代に比べると不自由は多いけど、最低限の物しかない生活は慣れてる。

 憧れの先生と一緒に暮らせるってだけで、毎日が楽しかった。











 そんな生活を十日近く続けた日の午後、変化があった。

 先生の弟子の、岡田以蔵さんが、帰ってきた。

 先生から、岡田さんはこの屋敷で一緒に暮らしてるけど、わたしが落ちてきた日の前日に先生の使いで大阪に行ってるって聞いてた。

 そろそろ帰ってくる頃だって、先生から聞いてたけど、実際会うとなると、緊張した。

 お松さんに呼ばれて、先生の部屋に行く。

「失礼いたします、雪でございます」

「入りなさい」

「はい」

 おそるおそる部屋に入ると、窓を背にして座る先生の向かいに座る人の背中が見えた。 

 先生ほどじゃないけど、大きくて、がっしりした身体つきだ。

 月代さかやきはなくて、後頭部の高い位置で髪をくくってて、毛先は肩にかかるぐらいで、ポニーテールみたいになってた。

 ふりむいて鋭い目つきでにらまれて、思わず足が止まる。

 確か、岡田さんは、今二十四歳のはず。

 今三十三歳のはずの先生が、大人っぽいおちついた雰囲気なのに比べると、岡田さんは若い感じだけど、なんとなく恐くて、近寄りたくない雰囲気だった。

「こちらへおいで」

「……はい」

 先生に促されて、なんとか足を進めて、岡田さんの横に二人分ぐらいの距離をあけて座った。       

「以蔵、彼女が高田雪さんだ。

 お雪、これが以蔵だ。

 これから一緒に暮らすことになるから、仲良くやるように」

「……はい」

 深呼吸してから、岡田さんのほうを向いて座りなおして、三つ指をついて深く頭を下げた。

「高田雪と申します。

 よろしくお願いいたします」

「……………………岡田以蔵だ」

 長い沈黙の後に聞こえた声は、低くて無愛想だったけど、名乗ってくれたことにほっとする。

 わたしが知る歴史どおりなら、岡田さんは先生を誰より崇拝してるから、自分が留守の間に現れたわたしを警戒するのは当然だ。 

「急に呼んですまなかったね。もう戻っていい」

「はい、失礼いたします」

 先生に頭を下げてから、部屋を出る。

 緊張がとけて、思わず大きく息をついた。

 

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