挿話(三)
岡田以蔵さん視点で短いです。
夕餉の後、先生に呼ばれて部屋に行く。
「お雪のことで、おまえに相談がある」
静かに言われた内容に、緊張して姿勢を正す。
今まで、先生に命じられることはあっても、相談を受けたことなどない。
お雪のことだから、だろうか。
「……なんでしょうか」
「近いうちに、土佐に戻る」
「!」
静かに言われたことに、息を飲む。
「……ですが」
「お雪が知る歴史では、今土佐に戻るのは危険だということは、わかっている。
だが、平井達の軽挙は止められたし、色々と手を打って来た。
それでも、京からでは、どうしても後手に回ってしまう。
土佐に戻って直接動いたほうが効率がいい」
「……それは……」
普段なら、納得できる話だ。
だが、お雪が知る歴史を聞いた後では、不安になる。
「もちろんできる限り身の安全には気を配る。
だが、お雪を連れていくのは、危険すぎる」
「……はい」
「京に置いていくしかないが、急にひとりになっては、お雪も不安だろう。
私達に何かあった時のためにも、頼る相手がいたほうがいい。
だから、誰か信頼できる相手に嫁がせようと思う」
突然出てきた言葉に、目を見開く。
いや、突然ではない。
初めてお雪を紹介された夜、先生は『いずれは親戚筋の養女にして嫁がせる』とおっしゃっていた。
それを実行する時が来たというだけだ。
お雪は、かわいくなった。
最初見た時は、青白く痩せ細った貧相な子供だったが、だんだん肉付きがよくなり、髪や肌に艶が出て、何より表情が明るくなった。
それでもまだ細いし、背はあまり伸びてないようだから、年より幼く見えるのは変わらないが、男か女かわからないということはない。
今では、十五歳ほどの色白で小柄なかわいい娘にしか見えない。
身内贔屓かと思っていたが、お雪と外出するたびに男の視線が集まってくるから、他の男もそう思うようだ。
俺が背後で睨みをきかせていなければ、絶え間なくくどかれていただろう。
お雪自身は、男から見られる理由に気づいていないようだが。
未来から来たことは明かせないだろうから身元が怪しいとはいえ、先生の後見もあるし、今のお雪を見て縁談を断る男はまずいないだろう。
「とはいえ、相手選びに悩んでいる。
それなりの身分と資産がある相手が望ましいが、それ以前に、男を恐がるお雪が夫を受け入れられるかが問題だ。
どんな者なら、お雪が受け入れて幸せになれるか、おまえの意見を聞きたい」
そうだ、お雪は男を恐がっている。
無意味に怯えることは減ってきたが、根本的には変わっていない。
男がお雪を望んでも、お雪がそいつを受け入れられなければ、意味がない。
先生の命令なら、どんな相手でも嫁ぐだろうが、それでは幸せにはなれないだろう。
だが、お雪にとって何が幸せなのか、俺にはわからない。
かわりに、お雪という娘について、考えてみる。
最初は疑ってばかりだったが、だんだん信じるようになり、未来から来たという秘密を知った今では、疑いは完全に消えた。
先生への忠誠心という意味では、龍馬よりも信じられる。
同志であり、妹のようでもある。
なにげない言動から過去の苦労と心の傷を知るたびに、お雪を苦しめた奴らを殺してやりたいと思う。
同時に、自分もその一人だということを、忘れないよう心に刻む。
傷つけたことを償いたいから、だけでなく、守ってやりたい。
幸せにしてやりたい。
だが、何をしてやれば、お雪が幸せになれるのか、わからない。
いや、これではさっきと同じだ。
今考えるべきなのは、お雪を幸せにする方法ではなく、お雪を幸せにできる相手のことだ。
そう思ったとたん、なぜか心の隅がちくりと痛んだ。
わけのわからない痛みにとまどいながらも、さらに考える。
しばらく前に気づいた、お雪が言う『大丈夫』と『平気』の違い。
『平気』だと言う相手では、だめだ。
せめて『大丈夫』と言える相手でないと、お雪を任せられない。
「……お雪の幸せが何か、俺にはわかりませんが、お雪を、任せるなら。
揉め事が起きても、お雪を守れるような剣の腕と、お雪を抱えて逃げられる、腕力があって。
お雪が何を恐がってるかをわかって、それをさけたり、なだめたり、してやれて。
お雪が先生を慕っていることを理解して、自分より先生を優先することを、許容してやれるような。
そんな男が、いいと思います。
……そんな男なら、お雪も、受け入れられるのではないでしょうか」
思いついたことをぽつりぽつりと言うと、なぜか先生はまじまじと俺を見つめられた。
「……なんでしょうか」
先生のお考えに沿わない答えだっただろうか。
「……いや、私の考えもほぼ同じだったから、少し驚いただけだ」
先生と同じ、ということにほっとするが、俺が考えつく程度のことは、先生にもわかって当然だ。
「その条件にすべてあてはまる相手を、一人だけ思いつくのだが」
そこで言葉を切って、先生は俺をじっと見つめられる。
意味ありげな視線に、なんとなくおちつかなくなる。
「……誰ですか?」
「おまえだ、以蔵」
「なっ……!?」
あまりにも驚きすぎて、言葉が出ない。
呆然とする俺を見て、先生はなぜか楽しそうに口元をゆるませた。
「おまえならば、お雪を守る剣の腕もあるし、お雪が恐がるものを知っているし、私を慕っていることも理解している。
何より、長く一緒に暮らしたおまえなら、気心も知れている。
それに、おまえが相手なら、私もお雪と会うのを遠慮しないでいい。
普通は嫁に出したら夫の家に遠慮してそう会うこともできないが、夫がおまえならいつでも会える。
縁戚の養女にするつもりだったが、いっそ私の養女にしようか。
そうすれば、今までどおり一緒に暮らしてもかまわないな。
お雪も安心するだろうし、何もかも丸くおさまる」
やけに機嫌よく言われて、混乱する。
「……で、ですが……お雪を置いていくために、嫁ぎ先をお考えだったのでは……」
危険をさけるために置いていくはずが、俺の妻にして連れていくのでは意味がない。
「ああ。後見人という立場では、土佐に連れて戻るには弱いからな。
だが私の養女でおまえの嫁なら、何も問題はないし、お雪を守るために手を尽くすのも、正当な権利だ」
「……それは……そうですが……」
「なんだ、不満があるのか?」
からかうように言われて、あわてて首を横にふる。
「いえっ、ですが、その……」
あまりにも急すぎて、頭がついていかない。
誰かを娶ることを、考えたことなどない。
先生が最優先だからだ。
なのに、お雪と。
俺が、お雪と……?
呆然としたままの俺を見て、先生は苦笑なさった。
「少し話を急ぎすぎたか。
ならば、そうだな、三日やろう。
その間に、この話を受けるかどうか考えろ。
おまえが受けるなら、お雪に話す。
おまえが断るなら、改めて嫁ぎ先を探す」
「……はい」
こくりとうなずくと、先生は静かにおっしゃった。
「このことに関しては、『命令』はしない。
おまえがどうしたいかを考えて、自分で決めろ。
おまえが決めた答えなら、どちらであっても私は受け入れるし、その後のおまえの扱いを変えることもない。
だから、しっかり考えろ」
「…………はい」