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文久三年三月(一)

「頼みがある」


 先生に部屋に呼ばれてそう言われたのは、三月に入ってすぐのことだった。

「なんでしょうか」

「君が知る我々の歴史を、すべて紙に書いてまとめてもらいたい。

 日本全体の流れと、私や以蔵、龍馬の一人ずつについての二種類だ。

 ああ、薩摩の大久保様のことも、わかるかい?」

「えっと、あの、先生のことほどではありませんが、少しなら……」

「では、大久保様の分も頼む。

 文字は、君が書けるひらがなでかまわない。

 どれぐらいかかるかな」

「……えっと……たぶん、数日でできると思います」

「そうか、だったら家事はお松達に任せて、すまないがなるべく急いでくれ」

「かしこまりました。

 ですが……あの……どうしてですか?」

 おそるおそる問うと、先生は苦笑っぽい顔になる。


「歴史を、変えてみたいと思ってね」

「……え……?」

「一月に久しぶりに龍馬とゆっくり話をして、龍馬の考えの深さと広さに驚いた。

 君が知る歴史では、幕末の志士の中で龍馬が一番功績が高く評価されていると言っていたね」

「はい……」

「私は龍馬のようにはできない。

 だが、視野を広く持つことは大事なのだと、思い出した。

 ……私は一藩勤王にこだわって、今まで手を尽くしてきた。

 そのために命を賭けることを、ためらいはしない。

 だが、無駄死にする気はない。

 この一ヶ月あまり、色々と考えながら手を打ってみたが、現状の打開は難しいようだ。

 今のやり方で無駄死にすることになるのなら、他の方法を試してみたい。

 そのために、龍馬や大久保様の手を借りようと思う」

「坂本様や、大久保様、ですか?」

「そうだ。

 君が未来から来たことと、君が知る歴史を話し、その中で実現させたくないことを防いでいく手伝いをしてもらう」

「っ、それ、は」

 今まで、先生以外には、未来から来たことは話してない。

 先生に口止めされてたからだけど、他の人が、信じてくれるとは、思えない。

「心配はいらない」

 わたしの不安に気づいたのか、先生がなだめるような優しい声で言う。

「龍馬も大久保様も、君のことを知っている。

 君がそんな嘘をつくような娘ではないとわかっている二人だからこそ、手伝いを頼むんだ」

「…………」

 先生が、二人なら大丈夫と、思ったなら、大丈夫、なのかな。

 わたしは、先生ほど二人のことを知らないから、わからない。

 でも、先生が二人を信じるなら、わたしも信じよう。

「……わかりました」



 それから数日、家事を休んで、ひたすら書いた。

 以前メモしておいた物を見ながら、さらに記憶をたどって、思い出したことを書きたす。

 それを、年表の形式にまとめていく。

 どういうふうにしようか悩んで、教科書で見た年表を参考にした。

 全体の年表の下に、小さく先生達の事件もつけたす。

 まとめたものを、先生にもらった上等な紙に清書した。

 鉛筆と違って消して書き直しができないから、筆で書くのは緊張する。

 何度も失敗して、紙を無駄にしてしまったけど、三日ほどかけて、ようやく全体の年表が完成した。

 それを先生に見てもらったら、わかりやすいって褒めてくださって、ほっとした。

 人数分の複製はやっておくって、先生が言ってくださったから、申し訳ないけどお願いして、個別の年表をまとめる。

 全体の年表で慣れたせいか、全員分を二日で書きあげた。

 同じ頃に先生の複製も終わったそうで、坂本様と大久保様に連絡を取って、数日後、先生の屋敷に皆がそろった。





「まずは、本日おいでいただいたことに感謝いたします」

 客間に集まったのは、先生、以蔵様、坂本様、大久保様、そしてわたしだった。

 上座に座った大久保様に、その向かいに座った先生が軽く頭を下げる。

 以蔵様と坂本様は先生の後ろに座り、わたしはさらにその後ろの壁際に座ってた。

「挨拶はいい。さっさと本題に入れ」

 大久保様は、疲れてるのか、なんとなく不機嫌そうに言う。

 今の時期は、薩長同盟の交渉が難航してたはずだから、そのせいかもしれない。

「では、早速。

 まずはお雪の話をいたしましょう」

 自分の名前が出て、びくっとする。

 皆の視線が一斉にわたしに向いて、さらにびくっとした。

 覚悟してたつもりだったけど、やっぱり、緊張する。


「お雪が、なんだ」

「お雪は、この時代の生まれではありません。

 今から百五十年先の未来から、この時代に落ちてきたのです」

「……未来から落ちてきた、だと?」

「はい。

 ある日突然、私がいた部屋にお雪が現れました。

 お雪は、元いたところで人攫いにあい、狩りの的にされて逃げまわった末に、崖から落ちたらこの部屋だったそうです」

「……………………」

 皆の視線と沈黙が恐くてうつむくと、場違いに明るい声がした。

「それは大変だったね、だけどどうやって未来から来たんだい?」

「龍馬、話が進まないからしばらく黙っていろ」

「はいはい、わかったよ」

 先生がぴしりと言うと、坂本様が軽く返す。


「お雪は、私のことを知っていました。

 未来の歴史書に私のことが書かれていたそうです。

 私以外にも、以蔵や龍馬や大久保様のことも、この後徳川幕府や朝廷がどうなっていくかも、知っていました。

 その知識をまとめたのが、これです」

 言いながら、先生は手元に置いた三つの丸めた紙束を軽く叩く。

「お雪の知識は、我らが大義を果たすのに役立つはずです。

 不幸をさけ、望む結果を導くために、協力していただきたいのです」

「……見せろ」

「どうぞ」

 大久保様は硬い声で言って、手をさしだす。

 先生は紙束のひとつを大久保様に渡し、残りを背後の坂本様と以蔵様に渡した。


「……………………」

 重く長い沈黙に、不安がつのっていく。

 やっぱり、信じてもらえないのかな。

 うつむいてぎゅっと手を握りあわせた時、明るい声が聞こえた。

「へえ、俺、後四年で死ぬのかあ」

 びくっとして顔を上げると、わたしを見てた坂本様と目が合った。

 坂本様はちょっと驚いたような顔をしたけど、すぐにこっと笑う。

「そんなにすぐ死にたくないから、教えてもらえたのは助かるよ、ありがとう」

「……あ、いえ……」

 どう答えていいかわからなくて、視線をさまよわせる。

 以蔵様は、紙を握りしめて、にらむように年表を見てた。

 大久保様も、じっと年表を見てたけど、わたしの視線に気づいたのか、顔を上げてわたしを見る。

 やっぱり驚いたような顔をして、それからからかうような顔になった。

「男の前でそんな顔をするな、襲われるぞ」

「ぇっ」

 びくっとすると、以蔵様がすごい勢いでわたしをふりむいて、またすごい勢いで大久保様を見た。

「大久保さんずるいぞ、お雪さんには俺が先に目をつけたのに」

「君のような奴が一番危ないんだ。

 お雪、とにかく涙を拭いて、おちつけ」

「え、あ……すみません……」

 うつむいて、いつの間にか目元にたまってた涙を手拭で拭いて、何度か深呼吸する。

「おちついたか」

「……はい、すみません……」

「いや。

 岡田君、いいかげん私をにらむのをやめろ。

 警戒するなら、私より坂本君だろう」

「……申し訳ありません」

「なんだ、以蔵は相変わらず心配性だな」

「おまえが軽すぎるからだ」

 相変わらずのやりとりに、少しだけほっとした。


「うるさいぞ、騒ぐなら後でやれ。

 武市君、いくつか確認したいことがある」

 大久保様が、言い合いする二人に言ってから、先生を見る。

「なんでしょう」

「君は、お雪が未来から来たということを、いつから知っていたんだ」

「最初からです」

「お雪が未来から来たという証拠はあるのか?」

「確実ではありませんが、これをご覧ください」

 言いながら先生は懐から布包みを出して、大久保様の前に置き、そっと開く。

 わたしからは見えないけど、そこにあるのは、わたしが未来から持ってきた時計のはずだ。

 今の生活では、そんなに正確な時計はいらないから、先生に預けたままだったのを、今日の集まりで皆に見せたいって言われてた。

「これは……時計か」

「はい。

 私の部屋に落ちてきた時に、お雪が持っていた物です。

 我々が知る舶来の懐中時計とは比べ物にならないほど薄く小さく、なのに正確に動きます。

 しかも、螺子を巻かなくても、何年も動き続けるそうです」

「……………………」

 大久保様はじっと時計を見つめる。

 以蔵様と坂本様も、先生の背後からのぞきこむようにして、時計を見てた。

「これほど優れた物を作る技術は、今の時代、日本どころか異国にもないでしょう」

「…………そうだな」


 小さく息をついた大久保様は、視線を上げて先生を見る。

「では、お雪の知る歴史が正しいという証拠はあるのか?」

「この時計のように、物として見せられる証拠はありませんが、いくつかのことで確かめています」

「具体的には、なんだ」

「一番確かなのは、私が江戸に行っている間のことでしょう。

 江戸で私は長州藩の者に異人館襲撃計画をもちかけられましたが、お雪は出発前にそれを教えてくれました。

 それに、平井達が宮家に取り入り令旨をいただこうとしていたことも、出発前に聞いたことです」

「なるほど……それであの時、私が平井君の話をした時に、青ざめていたのか」

 大久保様にちらっと視線を向けられて、びくっとする。

「だったら、ここに書かれていることは、実際に起きることなのか」

「起きる可能性がある、ということです。

 それを防げるかどうかは、私達次第でしょう」

「……そうだな。

 …………もうひとつ聞きたい」

「なんでしょうか」

「坂本君は土佐出身だし、君の親類だからわかるが、この場に私を呼んだのは、なぜだ」

「歴史を変えられる立場にあり、なおかつお雪を知る方だからです。

 ただこれを見せただけでは信用していただけないでしょうが、お雪がこんな嘘をつくような娘ではないと知っている大久保様なら、信じてくださるでしょうから」

「…………確かにな」

 大久保様はじっとわたしを見つめて、ゆっくりうなずく。


「お雪が薩摩弁を理解できるのも、未来から来たからなのか?」

「そのようです。

 薩摩弁だけでなく、私達の土佐弁も、使用人達の京言葉も、同じように理解できるそうです。

 お雪自身は、大久保様に指摘されるまで、そのことに気づいていなかったようですが」

「……抜けているのは元からか」

 苦笑した大久保様は、手元の年表に視線を落とす。

「……これは、扱い方によっては、恐ろしいことになるぞ」

「はい。

 だからこそ、大久保様に手を貸していただきたいのです」

「……すぐには答えられないな。

 いったん持ち帰って検討する。

 考えをまとめたら連絡する」

「かしこまりました。お待ちしております。

 ただ、それは他の者には決して見られないようご注意ください」

「わかっている」


 折りたたんだ紙を懐に入れた大久保様は、立ち上がってわたしの前にやってくると、片膝をついた。

「お雪」

「は、はい……」

 おそるおそる見上げると、大久保様は、優しい顔でかすかに笑った。

「男の前でそんな顔をするなと言っただろう」

「……すみません……」

 そう言われても、自分ではどんな顔をしてるのか、よくわからない。

「この紙を元に今後どうするかは、私の立場では即答できない」

「……はい」

 薩摩の重鎮で、いずれは明治政府の重鎮になる大久保様が背負う責任は、大きすぎてわたしには想像もつかない。

 即答できなくても、しかたないんだろう。

「だが、この知識を、おまえを、疑ってはいない。

 それは、おぼえておけ」

 優しい声と微笑みに、こわばってた身体から力が抜けた。

「……はい」

「おー、かっこいいなあ大久保さん」

 坂本様が、また軽い口調で言う。

「あ、もちろん俺も、お雪さんを信じてるからな」

 にっこり笑顔で言われて、ほっとした。

「……ありがとうございます」



 夕餉の片付けを終えて、自分の部屋に戻る。

 朝からずっと緊張してたから、なんだか疲れた。

 坂本様は、今夜は泊まってくらしいけど、今回もお世話はお松さんがしてくれることになってる。

 壁にもたれて座って、ため息をつく。

 坂本様や大久保様が、信じてくれてよかった。

 これで、また、歴史が変わる。

 先生や以蔵様を、助けられる未来に近づく。

「……お雪」

 ふいに声がして、びくっとする。

「……もう寝たのか?」

「いえ、すみません、起きてます」

 あわてて立ちあがって襖に近づく。

 そっと開けると、以蔵様が気まずそうな顔で立ってた。

「すまない……起こしたか」

「いえ、あの、だいじょぶです、何か御用ですか?」

「…………聞きたいことがある」

「なんでしょうか」

「……………………」

 以蔵様は何か言いかけて、だけどまた口を閉じて黙りこむ。

 なんだろう。

 言いにくいことなのかな。

 しばらく沈黙が続いて、困ってしまう。

 この近さで見上げ続けると、首が痛い。


「…………あの、お入りになりますか?」

 おそるおそる言うと、以蔵様はびくっと肩を揺らしたけど、小さくうなずいた。

「……ああ」

「では、あの、どうぞ……」

 襖を大きく開けて身体を引くと、以蔵様はゆっくり部屋に入ってきた。

 だけど奥には行かずに、襖のすぐ前に胡坐をかいて座る。

「……おまえは、そこに座れ」

「え……はい……」

 とまどいながらも、言われたとおり以蔵様の向かいに座る。

 上座を勧めるべきなんだろうけど、先に座られてしまったから、しかたない。

 すぐ横の襖が、わたしの手の平の幅ぐらい開いてるのも気になったけど、以蔵様はわざと閉めなかったみたいだから、理由はわからないけどそのままにしておいたほうがいいんだろう。


「……おまえが、未来から来たという話は」

 ぼそぼそ言われて、びくっとする。

「……はい」

「……驚いたが、先生が認めておられるなら、そうなんだろう。

 ……黙っていたのは、先生のご命令か?」

「……はい。誰にも言わないようにと……申し訳ありません」

 先生の一番弟子で、一緒に暮らしてる以蔵様には、話したいって何度か思ったけど、結局言えずにいた。

「……先生のご命令なら、しかたない。

 だが…………」

 言葉をとぎらせた以蔵様は、またしばらく黙りこんでたけど、懐から折りたたんだ紙を出した。

 広げて置かれたのは、わたしが書いた以蔵様の年表だった。

 先生に比べて、以蔵様についての資料は少なかったし、しかも今より先のことだけだから、書いてあるのも二行だけだ。

 来年、京で捕らえられ、土佐に送られ、牢に入れられる。

 再来年、打ち首になる。

 その二行を書きあげた時、なぜか泣きたくなった。


「……これが、おまえが知る、俺の歴史、なんだな」

「……はい」

「……これだけか?」

「…………はい。

 すみません、以蔵様については、先生ほど資料がなくて……」

 たった、二行。

 それだけで、人一人の人生が終わってしまうなんて、寂しすぎる。

「…………本当に、そうか?」

「……え?」

 どきっとして顔を上げると、以蔵様は、どこか苦しそうな、悩むような顔でわたしを見てた。

「……ここに、書いてないことが、あるんじゃないのか?」

「!」

 思わず声をあげそうになるのを、口元に手を当ててこらえる。

「……やっぱり、隠してることがあるんだな」

 確信を持った言い方に、混乱する。

 どうして、わかったんだろう。

 誰にも、先生にも、言ってないのに。

 どうして。


「……お雪」

 そっと呼ばれて、びくっとする。

「おちつけ。

 俺は、ただ、知りたいだけなんだ。

 教えてくれ」

 真剣な顔と声で言われて、ますます混乱する。

 何も言えずにいると、黙ってわたしを見つめてた以蔵様は、ぽつりと言った。

「去年の十月」

「!」

 びくっと、身体がこわばる。

「……先生の江戸行きに、連れていってもらえなかったことを恨んで、俺が酒に溺れていた時。

 おまえは、俺を諌めにきた。

 ……男が恐くて、酔っぱらいはもっと恐いくせに、酒を飲んでる俺の部屋に、一人でやってきた。

 それは、おまえが知る歴史のせいじゃないのか」

「…………」

「おまえが知る何かが、恐怖心をこらえてでも、俺を止めようとさせた。

 そして、それは……先生にとって良くないこと」

「……っ」

 息を飲むわたしを、以蔵様はじっと見つめる。

「おまえを責めてるわけじゃない。

 恐がらせたいわけでもない。

 だが、知りたいんだ。

 俺が、先生に迷惑をかけるような歴史があったのなら、それをさけるために、知っておきたいんだ。 

 だから……話してくれ」

「……………………」

 あくまでも静かに促されて、うなだれてぎゅっと手を握りあわせる。


「…………わたしが、知る、歴史では、以蔵様は、……今年の一月に、脱藩して、先生のもとを、離れるんです。

 その後、……お酒に溺れて、……無宿人むしゅくにんになって……来年、京で捕らえられて、土佐に送られて……牢に入れられて、……拷問されて、……自白して、…………再来年、……打ち首に……っ」

「…………泣くな」

 困ったような声で言われて、ようやく自分が泣いてることに気づいた。

「すみ、ませ……」

 袂から出した手拭で頬を拭って、目元を押さえてうつむく。

「いや、無理に言わせた俺が悪い。

 ……そうか、だから、俺が酒に溺れるのを止めたかったんだな」

「……はい……」

「……俺が、自白して、そのせいで先生が切腹になったのか?」

「……いいえ、以蔵様の自白で、逮捕者は増えましたけど、先生は、ずっと否認なさっていたから、罪状を明確にはできなくて、……最後は、容堂様のご命令で、切腹が、決まったんです……」

「……そうか。

 ……直接ではなくても、俺が自白したことが、先生に迷惑をかけたんだな」

 暗い声に、思わず顔を上げる。

「で、でもっ、今の以蔵様なら、先生の元を離れて脱藩したりしないでしょうし、捕らえられて拷問されたとしても、耐えぬいて自白なさらないと思いますっ」

 必死に言うと、以蔵様は驚いたような顔をしてから、苦笑する。

「……そうだな。

 今の俺なら、そうするだろう。

 だが、……あの時、酒に溺れて誤解したまま先生の元を離れたなら、拷問に屈したかもしれない……いや、屈したんだな」

「…………」

 そんなことないって、言いたいけど、言えない。

 そうなったって言ったのは、わたし自身なんだから。


「……そのことを、先生は、ご存知なのか?」

「……いいえ、先生にも、誰にも、話してません。

 わたし、未来にいた頃から、どうして以蔵様が先生の元を離れたのか、気になってて、もしかしたら、以蔵様を止められたら、先生が死ぬ歴史を変えられるかもしれないって思って、だから……」

「……そうか。

 ……あの時、俺を止めてくれたことに、感謝する。

 今の俺が、先生を信じていられるのは、おまえのおかげだ。

 ありがとう」

 姿勢を正した以蔵様は、膝に手をつき、深々と頭を下げる。

「……っ」

 どうしていいかわからなくて固まってると、頭を上げた以蔵様は、わたしをまっすぐ見つめる。

「……つらい思いをさせて、つらいことを言わせて、悪かった。

 詫び、というのはおかしいかもしれないが、約束する。

 俺は、絶対に先生を裏切らない。

 何があっても、先生を信じてついていく。

 拷問を受けようと、手足をひきちぎられようと、先生の不利になるようなことは、絶対にしない」

 きっぱりとした言葉に、目を見開く。



 ああ。

 今、確実に、歴史が変わった。



 今の以蔵様なら大丈夫なはずって思いながら、それでも、さけられないのかもしれないって、ずっと不安だった。

 だけど、もう、大丈夫だ。

 先生や以蔵様が助かるかどうかは、まだわからないけど、以蔵様が自白する歴史だけは、絶対に、起こらない。



「……っ」

 あふれたきもちが、涙になってこぼれ落ちる。

 止まらない。

「……なんで泣くんだ」

 ゆっくり手を伸ばした以蔵様が、わたしの頬をつたう涙を、指先でそっとはらってくれる。

「…………すみ、ませ、……うれしく、て……」

 こっちに落ちてきた翌日、先生と話をした時、先生がわたしの味方だって言ってくれた時も、嬉しくて泣いてしまった。

 今は、それと同じぐらい、ううん、それ以上に、嬉しい。

「……ありがとう、ございます、以蔵様、ありがとうございます……」

「……わかったから、泣くな」

 そう言ってくれる困ったような声が、よけい嬉しくて、涙をこぼしながら、笑った。


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